つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

つれづれなるままに人物を語る①ブライト・ノア(ガンダム)編

子どもの頃に読んだマンガや見たアニメの中のキャラクターの評価は変わるのよね😊。子どもから大人まで幅広い層に人気がある「機動戦士ガンダム」の中で、私の評価が変わったキャラクターが何人かいるわ。今回のブログ、ガンダムを知っていることを前提に話しちゃうので、知らない人は、と~ってもつまらないかも😎。ネタバレに注意するよ。少しはネタバレがあるけれど😅。ガンダムを知らない人が興味を持つように書いたつもりだけど、どうかしら😉✨

 

ブライト・ノア

この人、私は、子どもの頃、嫌いなキャラクターだった。杓子定規なくせに優柔不断だし。上から目線で主人公のアムロを殴るわ、アムロガンダムパイロットから外すわで、ホント好きになれなかったのよ😅。だってアムロは民間人なのよ。それも15才だったかしら🤔。

 

でもね、大人になって彼を見てみると、何か哀愁を感じ、同情してしまった。

 

だって、彼は19才の士官候補生で、軍隊内で伝令を担当していた。それが、宇宙戦艦(強襲揚陸艦)ホワイトベースの正式な艦長が負傷し、彼が艦長代理となった。

 

これは物凄いことなのよ😱。

 

戦艦の艦長ってどんな人がなるかご存じかしら🤔。軍隊の中では「大佐」が担当するの。士官学校出で優秀な人でも、大佐って40代半ばでなるのよ。

旧日本軍の優秀な人って…、って余談になり過ぎるので、ここではカットするわね😎。

 

(軍隊内では)超優秀な40代の士官が担当する艦長を、19才の見習い青年士官が担当するんだから、そりゃピリピリするわよ。いや、私ならプレッシャーで押し潰されるわ。

 

今じゃ、うちの塾の教室長の価値は下がっているけれど、昔は1つの教室を任されるって栄誉だったのよ😌。だって、小さな教室でも正社員3人、専任講師5人、時間講師5人、受付1人、受付事務6人、その他の職種を抱え、その教室の実績と在籍と業績の責任を持った。だから、私が入社10年目33才の若さで教室長になったときは(当時はほぼ最も若い教室長だった)、ホント緊張したわ😅。だって、その教室では、私の後ろにいてくれる上司がいないのだから、全て私の判断となる。

 

そんなものと、艦長は比較にならないわ。だって彼の判断1つ間違えれば、戦艦は沈むのよ😱。戦艦には何千人という兵士が乗っていることもある。その乗組員が命を預けるのよ。それも宇宙空間。戦艦が沈むことは、即死を意味する😱。そんな艦長の言うことなんてみんな聞かないわよ。私だって聞かないわ。だって皆さんも、免許がない19才の青年が操縦する飛行機に乗らないでしょ。乗らざるを得なければ悲劇だよ😣。後に彼はプレッシャーが原因で、寝込んでしまうのよね。幼いときは「こいつ、使えね~。」なんて思ったが、大人になってもう一度見ると、いや~、スゲー頑張っていると思えてしまう😅。

 

サイド7から宇宙空間に出て、ジオン軍の最強軍人、シャー・アズナブルと戦うかどうか判断するときに、彼はどうしたと思う🤔。

 

それが、ホワイト・ベースに乗っている人全員、それは軍人だけではなく、ホワイト・ベースに避難してきた民間人も含めて多数決をとったのよ。

 

どっひゃ~😱

軍隊よ。軍隊。そこで艦長が敵と戦うか否か判断がつかず、民間人も含めて多数決をとる。いや~、宇宙世紀の軍隊って、凄く民主主義的って思ったの😅。でも、軍隊って、作戦面で民主主義的だと強くならないと考える。

 

未経験の若造がこんな重責を担ったら、そりゃピリピリするわなぁ😌。こういう事情を知ると、金切り声で「弾幕をはれ」とか、「弾幕はどうした」と叫ぶブライトが愛しくなるのよ。

それに生き残りをかけているのだから、民間人だって、戦う能力があれば、戦わせるのは当然なのかもしれない。戦争に巻き込まれた民間人は悲劇だが、アムロほどの力があれば他の民間人を守る義務みたいなものがあるという解釈も頷ける。でも、ホワイト・ベースに乗った民間人はくそみたいな人が多かったが😑

でもね、8年後のグリプス戦役では、船員に「俺に命を預けてくれ」と言えるほどの立派な艦長になった。それでも、このとき27才よ。驚きだわ😅。

 

ブライトくんは、恋愛には不器用なのよ。彼の女性に対する接し方も、大人になると面白く感じるのよ😁。

 

第2話だったかなぁ~🤔。

 

ブライトくんとセイラさんが、ホワイト・ベースのエレベーターの中で二人っきりになるのよ。そしたらブライトくんが

「宇宙に出るのははじめてなんです。今まで地球勤務でしたから。」

と言うようなことをセイラさんに言うのよ。セイラさんは

「あら、エリートなんですね。」

と返すと、ブライトくんはムッとして

「それは嫌みですか」

と言い返すの。

 

正確には覚えていないけれど、子どものときに初めてこの場面を見たときは、意味が分からなかった。しかし、ガンダムを一通り見て、アニメの設定も分かった上で、この場面を見ると、笑えるのよ。「ブライトくん。あなた中高一貫の男子校出身だろう。きっと、そうだわ。」と突っ込みたくなるわ(゜o゜)\(-_-)。「それにセイラさんは、ブライトくんが想像も出来ないほどのお嬢様なのよ」とからかいたくなる🤣。深く話したいところだけど、ガンダムオタクよね。説明は省くわ😁。

 

でも、1つだけ教えちゃう☝️😄。

 

地球の人口が増えすぎて、宇宙のコロニーに移民した人たちは、棄民とされたのよ。宇宙に捨てたれ人々は、棄民か棄民の子孫なの。だから、19才まで宇宙に行ったことがなく、地球に住んでいられたということは、エリートなのよ。自分をエリートと言わずに、「宇宙に出るのは初めてだ」と言うことで、女性に自分がエリートであることを誇示したわけね。それをセイラさん(17才)があしらったのよ。

 

いや~、世の不器用エリートくん達。耳が痛いんじゃないかな😎。

 

コンパで①

👩「休日は何をしているの❓」

👨「文京区に美味しい飲み屋があるんだよね。大学が近かったんだよ。」

👩「へ~文京区のどこなの❓」

👨「本郷三丁目だよ。」

 

サークルで②

👨A「僕の車で、みんなで海に行かないか。」

👩A「え~、楽しそう。」

👨B「でも、車が汚れるし、家族に悪いんじゃないの。」

👨A「大丈夫だよ。家には他に2台あるし。」

👩B「え~、車が3台あるの。」

👨A「うち自営だし、そんなの普通だよ。」

 

ひぇ~😱。

鼻につく、エリート臭。くさっ❗️😑。自己顕示欲垂れ流しの会話だと、皆さん分かるかな😅。解説は省略😁。そういえば、次の話は実話。私は高校のときに文化祭実行委員をしていた。他校の生徒とも交流していた。他校の工業高校の卒業生がきて、

👨「俺~、今、2億円の取引をまかされちゃってさ~。新入社員でこれだけの仕事を任されるのは、会社始まって以来でさぁ。」

と後輩に自慢しまくっていた。

みんな、「先輩すご~い。」と言っていた。女の子も黄色い声を出していた。当時はバブル期だった。高2生の私は彼に「凄いですね。」と言いながら、「高校を出てまだ日も経っていない新入社員に、そんな仕事を任せられるものか。どうせ、社長や上司や先輩のお付きでその場に居合わせ、カラオケで歌を歌っただけだろう。イタイヤツ。」って思っていた。当時から腹黒ゆうでございます😎。

 

ブライトくんは人間臭いのよ。セイラさんがダメだと分かると、ホワイトベースのお袋さんであるミライさん(18才)にモーションをかけるようになるのだから😁。

 

このミライさんとは、じれった~い、じれえたい🎵プラトニックラブを続け、結婚するのよ😄。でもね、彼の息子は…😞、って、これは「閃光のハサウェイ」をお読みになってね😉✨

もっともっと語りたいけれど、このくらいにしておくわ😉✨

 

だって、ここまでで4000字なんだもの。ブライトのことを語らせたら、プラス5000字は必要だわ。皆さん、そこまで付き合わされたら嫌だよね😅。

ブログ予告ブログ②

1週間分書きためたら、出すのが、この「ブログ予告ブログ」よ😉✨。前回の「ブロ宣ブログ」はこちら👋😄。


「ブログ予告」ブログ - つれづれなるままに

このブログはアクセス数が少なくても良いブログ。私のコアなファンに向けたブログなのよ😉✨。

 

そう☝️😁

1人はいるはず。私のファン😳。

 

そして、お断りしておくことは、この予告通りにならないことがあるわよ。だって、旬な話題もあるからね😉✨。ご了承ください🙇。

 

11月5日(火)午後8時

【つれづれなるままに人物を語る①】

これもシリーズ化しようか思案中。今回は「ファーストガンダム」の主要キャラクターのブライト・ノア。書こうと思えば1万字だっていけるけれど、それだと読んでいただけないような気がして3千字程度に抑えたのよ😎。ガンダムを知らない方も楽しく読めるように配慮したわ😉✨

 

11月6日(水)午後8時
【チューの成長を感じるとき】

私の子どもに対する接し方は、日々驚きととらえること。これは、一貫している。今までのブログにも書いてきたわ。これまで「チューの成長日記」シリーズで書いてきたけれど、この題名より、それぞれ違った題名にした方がアクセスが良いの。「チューの成長日記」は拘りのあるタイトルだけど、ここは方向転換。だから、これは、チューの成長日記シリーズの1つに入るわ😄。

 

11月7日(木)午後8時

【宗教談義】

人が生きていく上で、宗教とか哲学って大切なものだと思う🤔。それが人の行動の基となる理念なんだもの。理念なき教育、理念なき商売、理念なき政治…。いや、理念はあるのよ、人それぞれに。その理念が多数の人を幸せにするか、自分とお友だちだけを幸せにするかの違いがあると思うわ。昔、私が若手だった頃、上司というか、上司には当たらないか🤔、年の離れた先輩職員との飲み談義の思い出から始まる。今、こういう先輩や同輩、後輩がいないとは寂しいことだなぁ😔。

 

11月8日(金)午後8時

【郷愁】

若い頃は、切なく淡い恋心を抱くことが沢山ある。若さを保つ秘訣って、この異性への恋心を忘れないことだと思う。でも、愛しちゃダメよ😎。

昔の恋は甘く切なく美化される。だから、タイムスリップして戻ってみたら、全然違っている可能性が高いと私は理解している😳。私が恋の郷愁を誘う歌は「真っ赤な自転車」。前にもブログにも書いたけれど、こんな恋したかったなぁ📢😄


YouTube

男はセンチメンタルなのよ🙃。

 

11月9日(土)午後8時

【思い出の道】

これも、ときどきブログに書く、妻子や亡父への思い。私は見た目通り❓😅、内向的思考タイプ。まぁ、ウジウジ考え込む方なのよ😌。でもね、それを何とか意識して、そう見せないようにしているわ。生徒の前では。「商売の」と言ってしまうと身も蓋もないが、少なくとも仕事の顔をしている。妻とやり合うと、グチグチがどうしても出てしまう。あと、正社員同士だとこれが出てくる😅。

今、家族はチューと妻と実母だが、最も気がかりなのは…。

 

11月10日(日)午後8時

【連載小説 深夜の謀議その3】

これは「つれづれなるままに歴史を語る」で、私の思い入れのあるシリーズ。これも私の思い入れの割にはアクセスが伸びない、赤字シリーズ😑。読者のニーズと作者の思い入れの解離が激しいのよね😌。

前回は「家康は徳川を天皇家にしようとした。」というところで終わったのよ。さてどうなるかしらね😉。一応、史実にも基づいているのよ。あとは歴史の解釈ね。

 

11月11日(月)午後8時

【思い出の1コマ】

これは、昨年、フェイスブックに投稿したものを、そのままブログにしたものよ。グダグダ説明せずに、私の家族への思いが伝わる作品。私のお気に入りの文章と写真なの。

 

 

お楽しみに👋😄

 

 

私は商品🤔

「何事もリフレッシュした方が、効率も効果も良くなる。」

 

これに異を唱える人は少ないだろう。私はいないと考えるが、私の常識は、他人の非常識だから、「少ないだろう」とした😅。

 

でもね、日本社会を見渡すと、いまだに長時間勤務をしたり、休出をしたりすることが美徳と考える風潮がある。いや、飲食業も小売業も教育業も、どの業界もワンオペにして、休み自体を取りにくい環境にしている。ワンオペって、従業員を休ませないシステムなのよ。これは自営業でなければ、長く居続けてはいけないと私は考える🤔。

 

従業員の時間を買う。買ったものは買い手がどう使おうと自由。労働強化って、人を人として見ず、家畜か奴隷としてみる観点がないとできない所業なのよ。だって働いている間、「休日がとれない」でなくて、「休み時間さえとれない」という状態になるのだから😱。

 

私は、少なくとも規定の休日は取れている😅。

 

何でこんな話になったのかというと、先日、入塾を検討しているという保護者に塾の説明をしているときに、「講師の人数が少ないんですね。」と言われてしまったの。地方で求人も儘ならない環境であれば、講師が少ないのも常識になっていて、保護者の方からこんな指摘を受けないのかもしれない。しかし、ここは塾銀座。塾が乱立している。であれば、職員が多く活気がある塾とそうではない塾では、前者を選ぶ方が多いのは当然な気がする。

 

いえね。ブティックのような専門店なら、職員の数が少なくても良いのよ。うちのような小1から高3までの生徒を預かった上に集団・映像・個別・能力開発までそろったラインナップで、主に一人でこなすのは無理があろう。確かに、昼間は主婦講師、夜は学習サポーター的な学生講師が勤務する。各々週1回の勤務。それで、塾に帰属意識、指導に情熱をもってもらうのいうのは至難の技。

 

これをこなしている正社員もいるけれど、その人はスーパー社員よ。野球会で例えれば、私の系列塾会のイチローよ。全員が全員、そんなことはできやしない。まぁ、私もそつなくこなしている方なので、胸を張っても言いかなぁ😎。所定の休みが取れていて、午後出勤でも良いんだから、このご時世、それに不満を持っちゃいけないね😅。

 

ハンバーガーは肉が命。値段は据え置いて、肉の量を減らせば、一時的には収入が増えるが、いずれ客が気付き、客離れが起こるだろう🤔。

 

塾の指導は、何だかんだ言っても人が命。値段は据え置いて、人を減らして講座を増やせば、生徒離れが起こるだろう。減らされた人の分を教室の責任者である私の能力でカバーしているが、モチベーションも含めそれにも限界がある。今、通っている生徒の満足が得られるようにしているが。

 

では、塾が生き残る道は?

①講師を増やし、ラインナップで勝負する。

②講師を増やし、専門性で勝負する。

③講師を減らし、ラインナップで勝負する。

④講師を減らし、専門性で勝負する。

 

③の選択は論外。ファミレスに行って、店員が少なかったら、対応しきれないよね。その先は破綻。

 

①と④は人を雇うという資本力が勝負。それに、良い人材を集めることも大切。

 

実は、うちの塾は、曾孫会社なのよ😅。ホームページを見れば分かることだから、ここで話しても問題はない。

先日、曾祖父会社(❓)で会議があったので行ったら、超高層の自社ビル。中には社内食堂、カフェ、バーのようなものもあった。みんな颯爽としていた。

あぁ、仕事の面においては負け組なんだなぁと。いや、プライベートも負け組かもしれない。ちょっとルサンチマンが心の中で沸々と沸いてきたの😱。

 

それはさておき、今日、私の親会社の社長が、私のこどもの接し方を見て、「素晴らしい。さすがベテランらしい、安定した接し方だ。」とおっしゃってくださった。そのあとに続いたのが、「あとは販促を頑張ってほしい」と。

 

私は、この考えに賛同する。販促は、「営業」とも言い換えられる。どんなに良い指導をしていても、それが利益に結び付かなければ、生きていけないのが、資本主義よ。

 

でも、一人でできることには限界もある。それに、私は経営向きではない。営業向きでもない。向き不向きは凡人には必ずある。講師としての技量が素晴らしく、営業向きではないのなら、営業はさせず私を商品にすれば良い。

 

そう、塾の講師は商品なのよ。商品でもあり、営業も抜群の人ってごく一部よ。

 

そうよね。私は一商品になりたい😅。

交通事故に遭いました…

先日、朝の8時過ぎに、妻から家に電話があった。

 

子犬を自動車で轢いてしまったとのこと。

 

チューを学校に送り届けるときに、妻が子犬を轢いてしまった。子犬が視界に入らなかった。おじさんが右側でゴミを出していた。道が狭いので、そのおじさんに車が当たらないように徐行した。そうしたら左側の視界の外からキャンキャンと聞こえた。

 

妻は車を降りた。周りを確認したら、100メートル先に走り去っている犬がいた。この間、1分くらいだろう。しばらくして、20才くらいの女性とお婆さんとおじさんの3人が走ってきた。この女性は100メートルくらい逃げた犬を抱き抱え戻ってきた。彼女は「このおじさんに『犬が轢かれたかもしれないぞ。家から飛び出したチワワを見たぞ』と言われた」と妻に言った。飼い主の家は20メートル先にあり、道を曲がったところにあるので、事故現場からは見えない。

 

妻は

「申し訳ございません。犬を跳ねたようなので、病院に連れていってください。」

と言い、子犬の足を触った。

 

祖母は

「子犬は家から出てしまったので、こちらが悪いので気にしないで下さい。お子さんを学校に送る途中なんでしょ。早く行きなさい。」

と言ってくれたとのこと。

妻は「良いのですか。」と言うと、お婆さんは「良いですよ。」と言ったので立ち去った。

 

妻は、その後、パートに行った。しかし、10時頃、早退して帰ってきた。そして、これから出勤しようとしている私に

「謝りに行った方が良いかなぁ。」

と言うので、私は

「公道に犬を放し飼いしていることが常識外だし、向こうのお婆さんが、そう言っているのなら(謝りに)行く必要はない。」

と言った。

 

16時30分頃、会社にいる私の携帯電話が鳴った。

 

「小学校から電話があったの。飼い主から学校に『誰が子犬を轢いたのか探せ』と連絡があり、全校生徒に確認の電話を入れていたんだって。私は逃げたわけではないのに…。跳ねた子犬がなくなったんだって。内臓破裂だって。どうしよう。相手に電話をしたら『血統証つきの犬でまだローンが残っている』とか、『私の前方不注意だった』とか、『息子がドッグトレーナーをしていて、うちの犬は訓練しているので、飛び出すことはない。』と喧嘩腰で罵られてしまったの。」

と言う。

 

私は

「まず警察と保険会社に電話をして、警察と一緒に、先方の家に行きなさい。」

と言った。私も会社を早退した。

 

家に帰って、妻に事情を聞いた。

 

ドライブレコーダーを警察官が見たら、「これは(轢いても)仕方がないね。」と言っていた。菓子折を渡そうとしたら、先方のお婆さんは、「こちらも迷惑をかけたのだから、いらない。」とおっしゃっていたのだが、お渡しした。飼い主の娘さんと母親は、ドライブレコーダーがあることを伝えると、「ドライブレコーダーがあるのですか。」と言って、その映像を見てショックを受けていた。

 

最初の母親の対応は気になるが、祖母の対応とその後の様子を聞いていると、理性的な方かもしれないと私は思った。

 

後日、保険会社から妻に電話がかかってきた。

「リールをつけた大型犬を自動車が轢いたとき、運転手8、飼い主2の過失となる。今回のように、リールをつけず放し飼いの子犬を、ドライバーの視界に入らずに跳ねてしまったケースがない。この大型犬のケースを当てはめると運転手2で飼い主8の過失になるのではないか。保険としては損害の8割まで負担することは可能だ。そちらの気持ちで割合を変えることができる。」

と言った。

 

冗談じゃない。

後日、私は保険会社に言った。

「過失がこちらが2であちらが8だとしたら、先方にこちらの4倍の過失がある。先方がこちらに配慮することが当然じゃないか。それに、こちらもあちらの犬が放し飼いになっていて、嫌な思いをしているのだ。過失分の支払いにしてください。そこに私が見舞金として上乗せするのは、向こうの誠意があってからだ。」

と伝えた。

 

そして、昨日、保険会社から電話があり、妻から報告を受けた。先方は激怒し、弁護士を入れると言っている。妻は、8割まで支払っても良いのじゃないかと言い、保険会社からは弁護士をつけますかと言われたと言う。

 

私は

あぁ、それならこちらもメンツがある。トコトン争ってやろうじゃないか。実は、先方はたまたま妻の知り合いであった。だったら、なおさらだ。それに、こちらにドライブレコーダーがなければ、全部こちらの責任にしようという魂胆が透けて見えていた。それは、事故当日、妻が警察官と飼い主宅に行ったとき、「ドライブレコーダーがあったのですか。」と飼い主の母親が言ったことに尽きる。なぜ、ドライブレコーダーがあることに驚くのか。驚くということは、ドライブレコーダーがあることが想定外であったということである。従って、彼女の想定は「ドライブレコーダーがない」ということであろう。ドライブレコーダーがないことを想定して、妻に「前方不注意」だの、「犬は訓練していて飛び出すことはない」と言っていたことになる。こんな人に、損害の8割を補償すると言っていたら、「それ見たことか。あちらが悪かったんだ。」と言って、感謝もされず、過失がこちらが大きかったんだと思われ、10割負担を求められたかもしれない。

 

公道にわざと物を置いたとする。暗闇で、その物にバイクが躓き転倒した。それは、バイクの前方不注意になるのか。それは、転ばせようという意思があったら、物を置いた者は犯罪者であろう。

 

法律上、犬は物として扱われる。飼い主にどんなに愛情があっても物は物だ。

 

私は猫のミースケを飼い、1年後に、車に轢かれたようだ。ミースケが家に帰って来なくなり、数日後、知り合いがミースケらしき猫の死骸を見たと私に言った。とても悲しかったが、ドライバーに対する怒りはなぜか沸いてこなかった。二代目ミー子は家から外にあまり出さないようにした。

 

公道に可動式の物を放置したとする。その物は小さくて車からは見えにくい。ドライバーから見えない可動式の物をドライバーが跳ねた。これはドライバーの前方不注意になるのだろうか。可動式の物を公道に放置した方が過失は大きいだろう。この可動式の物は「犬」である。

私は個人的には、ドライバー0、飼い主10の過失だ。私が飼い主だったら、お金なんてもらえない。

 

こう考えてみよう。

もしも、もしもだよ。妻がその子犬に気づいてハンドルを切った先に、人がいたら…。

ゾッとする。

だって、実際に、ゴミを捨てているおじさんがそこにいたんだよ。子犬に妻が気づいていたら、慌ててハンドルを切り、このおじさんを引き殺していたかもしれない。

 

いや、ハンドルを切って、他の車に衝突し、妻子が死んでいたらと考えると、この飼い主に腸が煮えくり返る。だって、激怒したんでしょ。激怒したということは、自分の過失を認めていないということ。そして、この危険性も全く分かっていないのは、さらに罪が深い。

 

損害金は、相手の子犬に対する愛情も加味した金額である。減価償却していない。当然、葬式代も入っている。

 

それを、こちらが2の過失を認めたのに激怒する、この性根が許せない。私は理性的に譲歩したつもりだ。

 

弁護士を立てるなら、こちらの過失は0、先方の過失は10でと頼もうと考えている。まぁ、こちらは業務上だから0は無理だとは分かっているが。

 

あちらが8の過失を素直に認めたならば、見舞金としてプラス3をして、損失の半分の金額を保険を使わずに渡そうと思っていたんだ。しかし、この考えも吹っ飛んだ。弁護士を立てて、適正な過失分だけ支払おう。適正な割合が5対5ならそれでも良い。しかし、その場合は確認する。外で犬を放し飼いしている飼い主と、適正な速度で運転しているドライバーの過失が同じである理由を。

でも、その理由も私には分かる。それだけ「業務上」の責任は重いのだと。

そしたら、このように聞こう。私が可動式の高価なおもちゃを公道に置いても、ドライバーの過失は重いのかと。

安ければ、支払わなくて良かった分が、弁護士費用と考えよう。

 

このケースでドライバーの過失を大きくしてしまったら、悪い前例になるだろう。人を轢いたのではなく、物を轢いたのだ。人であれば交通刑務所行き。しかし、今回の話は法律上は物だ。

 

公道に放し飼いしている飼い主に重大な責任がある。そんなに宝のように大切なものなら、公道に放し飼いするな。それにこの子犬は、室内犬なのよ。トイレは家から20メートル先の空き地でさせていたとのこと。あり得ないよ。そんな飼い方は。自分の家が汚れるのが嫌だから、外でさせていた可能性は高い。自分勝手極まりない。

 

私憤を義憤に変えるのも大切なことである。

 

最後に私の冷たい考えを述べよう。愛犬を殺したのは、飼い主であると。愛犬に謝るべきは、外に放し飼いしていた飼い主であると。ドライブレコーダーを見た警察官でさえ、「これじゃ(子犬を轢いても)仕方がないね」と言った妻に、過失はないと。

 

犬を轢いてしまって良心の呵責に、気にし過ぎる性格の妻もこの1ヶ月苦しんでいるのよ。

 

とブログに事故の原因と経緯を、子犬を跳ねた側の視点で書き残してみた。

 

えっ❗️❓

飼い主の視点が欠けているって❓

 

そんなこと分かっているわ。

でもね、今はそんなことをブログに残す気がしない。だって、いつでも私は妻の味方だから。

未来を生きる子どもたちにできることを考える上で

戦後、アメリカの傘下で、日本は最も成功した共産主義の国だった。

 

小学、中学、高校と集団型ベルトコンベア式の画一教育で良質の労働力を生産し、企業に送り込んだ。企業に入ると、生活設計が容易にできた。男子高卒であれば、18歳で入社し、25才あたりで主任となる。この頃に結婚し、社宅や寮から出て、近郊の団地住まいをする。子どもを授かり、女性は退社し専業主婦となる。30歳で係長。この頃に、退職金を見込んで30年のローンを組んで近郊にマイホームを立てる。関東なら、千葉や埼玉であった。

 

会社は年功序列である。何歳にはいくらの収入があるということが分かる。若いときは丁稚奉公とは言わないが、安い賃金で目一杯働かされる。しかし、それは将来の収入を約束されているから、働ける。福利厚生も中小企業でも充実していた。社員旅行や社内運動会など催し物もたくさんあったそうだ。飲み会もたくさんあった。日頃縁の薄い人や苦手な人ともお付き合いをしなくてはならなかった。それはそれで大切なことであった。

 

今じゃ、効率化の下、どこもかしこもワンオペにして、会社内の人間関係は薄くなっている。マンパワーだと言いながら、これではチームワークなんてできないんだよ。例えば、みんなのためにということでやっていることでも、粗ばかり探したり、粗があれば「あいつのことだから」と言って小バカにしたり、またやっているよ~とあきれたり…。

 

企業が社員を抱えられたのは、生産人口が多かったから。そして、消費人口も多かったから。また、発展に対して憧れがあったから。

 

戦後、第一次ベビーブームがあった。また、敗戦でなにもなくなった世の中のインフラを整備し、物質的豊かさを追求した。国内市場が豊かであったのである。人も物も規格品を大量に生産すれば良い時代であった。

 

私が中学1年のときに開かれた、つくば万博。私は遠足で行った。万博は、科学技術の発展への礼賛。私も明るく安心して生きていける未来を信じて疑わなかった。

 

日本の企業型共産主義の絶頂は、バブル景気だ。でも、このバブル景気は人為的なものだったとも。

1980年代

日本=ハイテク景気

日本は良いものをたくさん作り、世界に売る

 

アメリカ=双子の赤字

財政赤字貿易赤字

ドル高円安1ドル220円台

円の価値が低いから、日本の良質の製品がアメリカでドンドン売れる。困ったアメリカ製造業は政府を突き上げる。

アメリカは日本に対して「お前儲けすぎだから、何とかしろ~」と怒鳴ったとか、怒鳴らなかったとか😅

 

それで1985年に「ドルの価値を下げて円の価値を上げること」に合意した。これをプラザ合意という。

 

えっ❓😓。

ピントないかな🤔。

 

例えば1ドルが200円で交換できたものが、1ドルが150円で交換できるようになったとする。ドルが値段が安くなったよね。これをドル安という。反対に円の価値が上がったのだから、円高

 

例えば日本製の冷蔵庫。とても高性能で3万円☝️😄

1ドルが200円のときにアメリカで売れば150ドル。

それが1ドル150円のときにアメリカに売ると、200ドルなってしまう。

アメリカ国内の日本製品の値段が高くなる。アメリカ国内の日本製品が高くなれば、日本製品を買わず、国産品(アメリカ製品)を買うようになるということよ。

 

これに日本は合意して、円の価値が急激に高くなった。日本製品が売れなくなった。アメリカ国内では、品質が高くて高価な日本製より、少し品質が悪くても安価な自国の製品を買うようになった。バブル経済前は、日本は、このプラザ合意で不景気になったのよ。その打開策が金融政策であった。公定歩合をいじったのよ。

 

公定歩合とは、中央銀行日本銀行)が民間の金融機関に対して貸し出しを行う際に適用される基準金利中央銀行が民間の金融機関にお金を貸して、民間の金融機関が企業にお金を貸す。日本銀行は銀行の銀行なのよ。日本銀行の利率が高くなれば、お金を国が回収することになる。世の中に出回るお金が少なくなるので、お金の価値は上がり、物の価値は下がる。

 

好景気で物価が高くなりすぎると、公定歩合を引き上げて、お金を借りにくくし、お金の価値を高め、物価を下げる。

逆に不景気だと、公定歩合を下げてお金の価値を下げて物価値を上げるら、世の中にお金が出回るようになる。

さて、プラザ合意のあと、政府さ公定歩合をどうしたか☝️😄。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドル安円高で、日本製品が売れない。不景気だ。ドンドン企業にお金を貸して不景気を打開しようとした。したがって、公定歩合を引き下げた。

 

景気は回復した。しかし、公定歩合を引き下げたままにした。好景気で、ただでさえお金が世の中に出回っているのに、さらに銀行がお金を貸し付けた。物価はドンドン高くなった。だから投資に走ったのよ。特に株と土地。日本は国土が狭いから土地の値段は下がらないと言われた。いわゆる土地神話

 

あまりにも景気が加熱するので、政府は公定歩合を引き上げた。

 

みんな投資を控えだした。もともと必要のない土地を投資目的で買ったものだ。売れなくなれば、不良債権になる。バブル崩壊

 

なんで長々と、バブル景気のことを書いたのか。今の日本を考える上で大切だから😔。

 

アメリカは、自分の国の経済が悪くなると、他国のせいにする。プラザ合意も、ドルの価値を下げろと各国に合意を迫った。ジャイアンだわな。まぁ、それだけ影響力の強い国なんだけど😌。

 

日本は、その合意のために、不景気になり、自力で打開しようとした。それが金融政策。

しかしね。日本は敗戦国。その敗戦から復興できたのは、どう考えてもアメリカのおかげなのよ。ここは直視する。

 

バブル崩壊は、アメリカ傘下型企業共産主義の終焉であったと私は解釈する☝️☺️。

あの1951年の日本の独立より、1991年の40年間が革新日本国憲法のもと、企業共産主義が最も成功し謳歌した時代であったと考える。そして企業共産主義が崩壊したのと同じ年、約75年続いた社会主義国ソビエト連邦も崩壊した。

 

企業優遇は、労働者の生活の保証があってこそ。1991年以降、企業は労働者を使い捨てにするようになった。派遣社員、非正規労働、それを推し進めたのが、小泉・竹中コンビ。成果主義という大義名分のもと、企業は労働者の生活の保証をしなくなったのにも関わらず、前時代の企業優遇は残した。格差社会が生れた由縁である。

 

さて、こんなに社会情勢が変わったのに、教育は旧態依然としている。規格品大量生産型工場が学校である。

その私の持論がこちら👋😅


普通に拘らない190116② - つれづれなるままに

抜粋する。

 

工場では

生産工程に従って、ベルトコンベアで運ばれてきたものに手を加えていき、規格品が大量生産される。

 

学校では

カリキュラムをもとにシラバスを作り、そのシラバス通りに授業を受ければ「規格人」が大量生産される仕組みだ。ベルトコンベア式の教育と呼べる。

 

そこで学んでいる子どもの中には、精神を病む子がいて当然。工場なら機械の生産だが、学校は心を持つ子どもの教育だ。製品を作るのと同じようにされたらたまったものではない。これでは不登校も生まれるし、ストレス耐性のない子はいじめたりいじめられたり、社会不適合になったり、果ては自死にいたったりする。そういう教育の中で育った私だが、私の方が異常なのかと思ったりもする。まあ、制度が先か意識が先かという哲学的な話に及んでしまうが。

 

そういう大量規格品生産工場型教育を、普通科教育の教育方法に採用しているのが日本だと理解している。(普通科教育の厳密な定義は置いておく)。この「普通」という言葉のチョイスが良くない。普通とは広く通用する状態のこと。日本人は「普通」≒「みんな」ととらえ、普通でないと異常とらえる。没個性、みんな一緒でなければならないと思ってしまう。普通科教育を「普通の子が学ぶ教育」と誤解し、普通科にいないとダメだと親は判断する。普通科教育は「広く通用する科目」を教えるという意味であり、決して普通の子が受ける教育ではない。ここを親が誤解すると子どもに悲劇が生まれる。

 

大学入試改革というが、結局は国や企業が求める人材育成が主目的で、子ども個々の幸せを求め教え育むという視点が欠けている。文科相の方針に従って、文系学部の入試に数学を取り入れることを早速取り入れたのが早稲田大学だということも興味深い。大学はいわゆるエリート教育であって、国や企業の求める人材を育成しても結構だが。それが義務教育にまで浸透していき、そういう国策に乗れない多数の子どもは劣等感を持ち行き続けるのではないかなぁ。そこが心配。

 

身内に話したら「じゃぁ、どうすれば良いの」と言われた😅。

 

答えはないよ😎。

そういう現実を踏まえて、子どもに与えることは保護者が考える。

 

私の子育ては、このブログに書いたことと、こちらのブログに書いたことを踏まえている👋😄


未来を生きる子に対して今できることは。 - つれづれなるままに

その子育ての仕方は、たくさんブログに書いているわよ😉✨

考えすぎでしょ😌

 

長いブログ、ご清聴、いやご清読ありがとうございました🙇。

(追伸)

浅学な点や解釈が不十分な点はご容赦ください。ご指摘いただけたら幸いです。

クレーム対応の極意

仕事をしていれば、クレームは出るもの。たまに「プロはクレーム0にしなくてはならない。」なんて聞くけれど、クレーム0は「するもの」ではなくて「目指すもの」。だってクレームしようとすれば、AIにクレームを入れる方もいるかもしれない。「このAIの店員には感情がない💢」と🙃。これは極論なんだけど😅。

 

人が百人集まれば、百通りの考え方と感情がある。だから、その状況で「クレーム0にしなくてはならない」と考えたら、心が病んでしまうわよ😅。

 

さて、私も、アンケートでプチクレームをいただいた。その内容も書いて、持論を展開したいところだけど、今回はやめておくわ。

 

ここでお話ししたいのは、クレーム対応の極意なの。

じゃぁ、教えるはね。

それは・・・、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「迅速な対応」よ。

「何かと思えば当たり前じゃないか💢」「期待してこのブログを読んだのに~💢」

 

おっと、クレームが出たぞ😱

ここで説明を終えずに、先に話を進めるね。これも、ある意味、迅速な対応よね😉✨。

 

「謝罪すべきところは謝罪する」とか、「誠意をもって対応する」とか、「できることとできないことをハッキリとさせる」とか、「毅然とした対応をし、一人で対応をしない」とか、挙げていったらキリがないが、こういう対応こそ当然かも🤔

そうそう。謝罪は必要よ。謝るべきところと謝るべきでない点の境に線を引くという意味においては😔。

 

初動が遅いと、そのあといくら誠意をもって対応しても、いくら譲歩をしても、相手は納得しなくなる。だから、初動の早さが最も大切だと考える☝️😄。

これができない人が結構いるのよ。もしくは、素早くても、闇雲に謝る人とか。これも最悪なんだけど。

昔、上司に、迅速なクレーム対応を求めたときに

「ゆう先生はせっかちです。こういうのはほとぼりが冷めるまで放っておくのが良いのです。」

と言い放ち、自分で対応せず、私がそのクレームの防波堤になったことがある。ホント、それで私よりも給料が高くて…。その愚痴はよしておこう😎。

 

クレームは要望。特に、今回の場合は、わざわざ各家庭にアンケートを実施して、要望が出て、その要望に早急に応えなかったら、なぜアンケートをしたのかとなるだろう。

今回の私のケースは、匿名だったが、その内容から、誰の要望かすぐに分かったの😓。本部から、アンケートの内容が教室にメールで来たその日に電話して、その対応の結果を本部にメールした。電話では、「アンケートに答えていただき、ありがとうございます。」なんて言わないわよ、絶対に👋😔。だって今回は匿名だったんだもの。これが名前入りだったら、そう言うけれど。

 

この迅速な対応は「お客様のため」だけではないの。自分のためなのよ。クレームは出たあとの対応が肝心。クレームは出るもの。迅速な対応は、幹部の自分に対する評価を上げることになるのよ。いや、上がらなくても下がりはしない。これを偽善と言われるのなら言われても構わないわ。私がよく言う「やらぬ善よりはやる偽善」よ😄。

 

でもね。後回しにしてしまう人もいるのが現実なのよ😣。クレームは宝というし、私もそう考えるけれど、嫌なものだ。嫌な宝だ。嫌なことを後回しにするのは、心理学を学ばなくても、経験則で分かるわよ。それを放っておくのは、精神力か強いか、ただの🐴🦌🙃☺️🙃☺️。

 

クレームの迅速な対応は、お客にとっても自分にとってと良いものよ😉✨

ブログの投稿時刻変更のお知らせ😅

「なんだよ~。この~人気ブロガー気取りが~」って思った方はいるよね👋😁

そう❗️☝️😄

私の妄想の中では人気ブロガーなのよ😎。

 

たとえば「ブログをお休みします」とか、「ブログ移転のお知らせ」なども、人気ブロガー気取りよね😅

 

って、気取って良いのよ😉✨。特に弱小ブロガーは、気取らなくちゃやってられない。

 

でも、私のブログの内容は、結構、レベルが高いそうよ😳。昨日塾の説明を聞きに受付に来た来訪者に、私の教室で出している通信を読んだら目を丸くして驚いていた😅。本の編集を仕事にしている女性だった。こんな通信を月に一度出せるなんて、仕事が趣味なんですね~だって😌。その上、ブログの話をしたら、さらに驚いていたわ😄。まぁ、誉め言葉なのかどうなのか微妙だが、誉め言葉に受け取っておこう😆。

 

かなり好評な通信も保護者会での話も、私のブログがネタ元というか、このブログ自体がネタ帳なのよ。だって、今、風呂に浸かって打っているのよ~😁。信じられる❓🙃。

 

って、また、自己顕示欲旺盛なことを書いてしまった。自己顕示欲の塊ゆう様よ😜。

 

話がそれたわ😅

 

私のブログを楽しみにしているコアなファンもいると信じて、人気ブロガーを気取って「ブログの投稿時間の変更のお知らせ」を出してみたわ🎵。

 

【ブログの投稿時刻の変更のお知らせ📢】

[変更開始日]

10月31日

[変更時刻]

これまで:午前7時

今後        :午後8時

[変更理由]

アクセス数をもっともっと増やしたいため😜

 

これまで定期的に私のブログを読んでくださった方も、これから読もうとする方もよろしくお願いします🙇

萩生田文科相の陳謝を分析する🤔

(1)萩生田文科相の陳謝

大学入学共通テストに導入される英語の民間資格・検定試験をめぐり「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と発言したことについて、「受験生の皆さんに、不安や不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった」と陳謝した。

英語の民間試験活用に関しては、地理的条件や経済状況によって格差が生じるとの指摘がある。萩生田文科相は「どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう、試験を全力で頑張ってもらいたいという思いで発言した」と釈明した。

萩生田文科相、「身の丈」発言を陳謝=英語民間試験めぐり:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102800571&g=pol @jijicomより

「著名人のコメント・発言分析シリーズ」よ😉✨。これまでのこのシリーズのブログはこちら👋😄


ホームレスや浮浪者は避難所に入ってはいけないの❓🤔~小木氏の発言を検証する~ - つれづれなるままに

こちらは有名人ではないけれど、発言を分析したブログよ👋☺️


教員の長時間勤務に関する小学校の校長先生のコメントを分析する🤔 - つれづれなるままに

 

(2)言葉を分析するとは

さてさて、ホント、政治家の方って、私のブログ意欲を書き立てることばかりなさる😅。なるべく政治信条を入れないようにはしているのよ😊。だって偏り過ぎると、多くの人に読まれにくいでしょ。少しは偏っているけれど、それは許してね😉。

 

こういう言葉の分析って、心理カウンセラーには必要だと私は考えるの🤔。心理は言動や表情に出るものだから。言葉への拘りは、心理を扱う者にはとても大切なことだと思う。

 

(3)萩生田文科相の陳謝の分析

では、彼の陳謝の言葉は心からのことなのだろうか❓🙄

「受験生の皆さんに、不安や不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう、試験を全力で頑張ってもらいたいという思いで発言した。」と釈明した。

 

ポイントは

①不安や不快な思いを与えかねない

②説明不足な発言

③~という思いで発言した

の3つよ☝️😎

 

①不安や不快な思いを与えかねない

これは、謝罪したくない気持ちがあるときによく使われるフレーズの型の1つ。最近の私のブログでは、山本防衛副大臣の謝罪を分析に出てくるわ。そのブログはこちら👋😁


山本防衛省副大臣の言葉を分析してみたよ - つれづれなるままに

 

この2人の発言を比較してみて😁

山本副大臣

「不快に思われた方がいたとしたら本意ではなく、削除した。」

 

萩生田文科相

「受験生の皆さんに、不安や不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。」

なんだか似ていないかな🤔。

 

山本副大臣も萩生田文科相、発言に対して不快に思った方が実際にいるにも関わらず、山本副大臣は「いたとしたら」と仮定の話にし、萩生田文科相は「与えかねない」とこれも想定の話にしている。どちらも、実際に不快な思いをした人がいることを認めていないのよね😣。「不快な思いをした人がおられるので」と言えば良いのに。それを「仮定」や「想定」の話にするのは、そういう事実が起きる前に自主的に失言に対応したという心理が働いていると私は解釈する。本当はご本人にお伺いしたいところなのだが😁。

 

②説明不足な発言

この「説明不足」という趣旨の言葉もよく使われる。

「説明不足だった」

「~という意図だった」

「真意が伝わらなかった」

等々😅。

 

今回のケース。説明不足な発言なら、どう説明すれば問題のない発言になるのかしら🤔。

 

🅰️「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」という発言を、彼は🅱️「どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう、試験を全力で頑張ってもらいたいという思い」と説明した。

🅱️は🅰️の発言の説明になっているのか🤔。

 

国語の選択肢の問題ならば

🅰️の「頑張ってもらえれば」と、🅱️の「試験を全力で頑張ってもらいたいという思い」が対応するのだろう。

とすると

🅰️の「自分の身の丈に合わせて」と🅱️の「どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう」が対応するのだろう。

 

前者は対応関係に整合性はあるが、後者は対応関係に整合性はないだろう🙄。

 

「身の丈に合わせる」とは「衣服などが背丈や体にぴったり合っている様子」を表す。そこから「分相応」という意味にもなる。

 

「分相応」とは「その人の身分や能力にふさわしいこと」を表すのよ☝️😓。

 

萩生田文科相の「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」という発言の説明不足を、親切な私が補って差し上げましょう😎。

 

萩生田文科相

「それ(民間試験の利用で、受験生の経済状況や地理的条件によって不公平だという意見を指す)を言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ。裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことが、もしかしたらあるのかもしれない。自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば。」

私がこのあとに「自分の身の丈に合わせて」の説明を補ってみる。

「『身の丈に合わせる』とは、『受験生各々の身分や能力にふさわしいこと』だ。だから、各々の受験生の身分や能力のふさわしさに合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらいたい。」

 

どっひゃ~😱

 

各々の受験生の身分って何❓😱

各々の受験生の能力に合わせて受験するって何❓😱

 

確かに受験生は受験で能力を競うのよ。これは当然。でも、受験する能力に合わせるって…、教育の機会の均等にそぐわないじゃないの。「教育を受けるチャンスは均等に」というのが、現代の日本の原則なのに…😣。

 

③~という思いで発言した

これは②と共通する。コミュニケーションとは思いや考えを伝えること。そのツールが言葉なの。「~という思い」なら、そしてそれが正しいのなら、なぜ「~」の部分をその場で言わないのか。

 

いや、プライベートの会話であれば、私はここまで責めない。政治家よ。言葉が商売道具なのよ。それも公共の電波にのることも百も承知な状況なのよ。それで、自分の考えを正確に言葉で伝えられないのなら、それは、政治家失格ではないのかしら🤔。

 

今回の件は、「身の丈に合わせる」の「説明不足」が問題ではなく、大臣の教育信条が問題である可能性が高いと私は考える。

 

(4)政治家の皆様へ

このあと、官房長官が、「適材適所」と言って彼を擁護した。私もこの発言1つを捕まえて、「不適材不適所」とは言わないわ👋😔。

 

1回の失言で大臣をクビにしていたら、政治は停滞するだろう。しかし、この考えを突き詰めていったら、言葉の重みが軽くなる。一言の重みを増すためには、特に政治家は1回の失言でクビにするのもありなのかもしれない🤔。でも、そんなことをしたら、現内閣は6年も持たなかった。とすると、この内閣の失言癖と言うか失言病は、持病みたいなものなのかもしれないなぁ😣。

 

いや、与党に限らず、野党も全て、失言だらけとなっている。

 

私はね。政治家は発した言葉に責任をもってもらいたいと思っている。失言ですまさない。

 

今回の萩生田さんなら、

「教育の機会が与えられることに、地域間格差や家庭の経済状況で差があって当然だと私は考えています。教育の機会に身の丈があり、分相応、不相応があって当然ですし、それが現実なのです。それがおかしいというのなら、文科相を辞任します。」

と言って辞任すれば良いのよ😊。

 

政治家としての姿勢は素晴らしいと私は考える👏。そして、それを公言して、選挙に打って出れば、さらに私は評価しよう。しかし、評価と支持は別物よ😎。「政治家としての姿勢『は』」と、私の大好きな「副助詞の『は』」に注意してね😉✨。

 

えっ❓😓。

萩生田さん、私の解釈が間違っているっておっしゃるの❓😅

 

そうであれば「『身の丈に合わせる』の説明不足」ではなくて、「『身の丈に合わせる』の言葉の意味を間違っていました。」とおっしゃいなさいよ。そうすれば、私はあなたの政治姿勢にも信条にも支持し、人間的にも惚れるかもしれないわ💕。だって、文科相がプライドを捨てて、自分が無知だったことを公言して謝るんだもの。私の周りにもそんな人はほとんどいないし、私もなかなかそれができないわ。いや、そうあろうと、仕事場でもプライベートでも意識している。

 

政治家の皆さん。首相も大臣も議員も全ての皆さん。

 

過ちがあれば、その過ちは素直に認めて謝罪し、民意を問いましょう。一時の恥を甘受できないのは見苦しいわよ。

 

今回の萩生田文科相の「身の丈に合わせる」発言。

説明不足なら、彼の政治や教育信条に関する問題である。

説明不足ではないのなら「身の丈に合わせる」という言葉の意味を知らなかったとする知識の問題、もしくは、言葉の誤用の問題かもしれない。そこをはっきりさせてほしいわ🤔

 

 

 

連載小説~深夜の謀議その2~「つれづれなるままに歴史を語る第5部」

前回のお話を読んでいない方は、こちらをクリックして下さい👋😄


連載小説~深夜の謀議その1~「つれづれなるままに歴史を語る第5部」 - つれづれなるままに

 

(1)深夜の謀議その2

家康

「さて、豊臣を滅ぼしたあと、徳川家が安泰になるにはどうすれば良いか。」

 

天海僧正

「徳川家が王家になればよろしいかと思います。」

 

家康

「ほう。王家に?」

 

近世以前、権力者が自己の権力を強化することはエゴではなかった。今のような民主主義の世の中で、自己の権力を強化し、お友だちを優遇したり、公金で宴に呼んだりするのはエゴであろう。今の日本にそんな権力者はいないと信じたいが。当時は、権力が分散したら、即、戦争だ。権力は1つに集中させることが鉄則である。

 

家康は勉強家であり、歴史を学んだ。愛読書は、鎌倉幕府について書かれた歴史書吾妻鏡)であり、尊敬する人物は源頼朝である。だから、家康の旗は源氏が使っていた白い布だ。それに、三河時代、国守を名乗るために系図を買って藤原を名乗っていたのを、今度は征夷大将軍になるために新田源氏の系図を買った。系図を買うとは自分の出自を誤魔化すことだ。徳川家自体がこのような誤魔化しをしたものだから、江戸時代は系図の売買が横行したとも言われる。

 

家康は同時代の室町幕府の衰退と滅亡は目の当たりにしている。鎌倉幕府室町幕府を比較して、欠点を補い、江戸幕府を作ったのだ。家康の頭の中には、完全なる幕府の構想は思い描いている。しかし、それは自分では言わない。あくまでも家来に言わせるのだ。

 

林羅山

「なるほど、徳川家を関東の天皇とするのでございますね。」

 

家康は1543年生まれだ。鉄砲が伝来した年だ。今の謀議中の家康は数え年で71歳。天海は1536年生まれで78才。この二人は戦国の世のきっかけとなった応仁の乱後、70年経って生まれた。戦国時代真っ只中。そして、その戦国の世を終わらせる最新兵器が伝わった頃なのだ。これを踏まえると、戦国時代の最終的な覇者である家康の誕生と鉄砲の伝来が同じ年であるのは何かの因縁だろうか。

 

秀吉の天下は脆弱だった。卑賎の身から、日本史上最大の出世をした。最下層の身分から、信長の家臣の中で明智光秀に次ぐ地位にまで上り詰めたのも、あり得ないことであった。その信長の一家臣だった者が、1582年に信長が暗殺され、その後8年で、たった8年で天下を統一した。そこには無理も沢山あった。だから、組織も脆弱で、豊臣家の権威もなかった。

 

羅山は1583年生まれで32歳だ。室町幕府が滅びたのは生まれる10年前。室町幕府を滅ぼした信長も亡き世に彼は生まれた。現代で言えば、戦前生まれと戦後生まれと言うことか。いや、戦前生まれと、平成生まれと言った方が的を射ているかもしれない。彼は朱子学を学び、1605年23歳の若さで家康のブレーンとなった学者である。頭が良かったが、権力者にすり寄る、今風に言うと「権力者に忖度する」ところが多分にあった。机上の論理を作ることが好きで、また、才気走り、鼻につくところも多々あった。

 

(2)終わりに

徳川家を関東の天皇家にするとはいかなることか。1500字を越えたので、今朝はここまでにいたしとうござる。

 

良い一日を👋😄。

未来を生きる子に対して今できることは。

今の小学生が私の年齢になるのは約30年後。2050年。今、主要ポストに就いている政治家も、いや、私もこの世にいない可能性が高い。

 

今を生きる者は、未来に生きる者に、かけがえのない地球を、環境を、そして今の豊かさを享受できる世界を遺しておく義務があると考える。

 

少子高齢がさらに加速し、高齢者を支える労働人口の比率が1:1になるという。つまり、若者1人が老人1人を支えるということだろう。もう、そんな世になったら、若者が老人を支えるということが常識ではなくなっているかもしれない。強者も弱者も老いも若きも、みんな同じ土俵で生存競争をしているかもしれない。

 

世界の人口地図も大きく変わる。現在開発途上と言われる西アジアやアフリカ圏の人口が世界の人口の大部分を占め、現在先進国と言われる国々の人口が少数派となる。となると人の信条も、西アジアやアフリカ圏の人々がスタンダードとなるかもしれない。

 

そういった中で、日本の人口は減り続け、2050年には1億を切るかもしれない。そして、その半数近くは老人かもしれない。日本は国内市場で何とか保てたが、今後は国内市場に頼れなくなるのは必然であろう。

 

子どもを持つか持たないかは個人の自由であるというのが、今の世界のスタンダードであり、その考えを否定する気はない。しかし、次世代に子を残すのは生物の本能だとも考える。何かしらの事情で子を生めなかったり、LGBTであったり、そういった事情がなければ、子をうみ、育てるのは動物の摂理であり、未来の社会を成立させるための使命だと考えるのは、不味いのだろうか🤔。

 

いや、この考えには危険性がある。「子を持たないのは悪だ」という風潮になる可能性がある。でも、この少子を止めるのは、そのくらいの強制力が必要なのだろうか🤔。

 

この「強制力」を持って子を持たせるのも、弊害がある。なぜなら、「嫌々ながら」子を持つ人が増えるからだ。「嫌々ながら」とか「仕方がなく」育てられた子の悲劇は、現代社会に蔓延っている。子どもの虐待がよい例だ。しかし、全体主義の考えで少子化政策を考えると、この虐待などの悲劇は一部と考え、仕方がないとなるのだろうか🤔。

 

この世に生まれてきた以上は、幸せに生きる権利は誰にでもあるとするのは人間の世だけだ。他の生き物は、生まれた瞬間、生存競争の厳しさに襲われる。いや、人間も生存競争に勝った精子がこの世に生まれて来ると考えれば、生まれる前も生存競争をしていると考えられる😔。

 

誰でも幸せに生きる権利があるという理念と、生存競争があるという現実。動物として生まれた以上、これは避けて通れないものなのかもしれない🙄。

 

ニーチェによれば、生き物は、自然に考えれば「強さが善」であり、「弱さが悪」である。それが、弱い奴が自分自身が弱いことを認めたくないから、道徳心というものを持ち出して、強い奴を見下し、道徳や倫理上は勝ったと思い込む。ルサンチマンである。

 

話を戻そう。

子を持つことを強制しない。しかし、子を持つ人やその子に対して優しい社会であってほしいなぁ😔。

 

今の子どもたちは、将来、社会を構成する国民が少なくなれば、少ない中で知恵を出して生き抜いていってくれるだろう。でも、人間って、基本保守的。今の制度が通用しなくなっても、しがみつく人も多いだろう、私のように。社会の暗黙の合意として、人口を減らしても構わないというのなら、仕方がない。子どもを生み育てやすい環境をと唱えても、あの生み育てにくい環境で、人口が爆発的に増えたのだからなぁ。でも、あの時代は、みんなが貧しかった。今は貧富の差が広がっている。時代状況が異なるか🤔。

 

色々とつれづれなるままに、少子化について語ってきたが、あっち立てればこっち立たずでどうして良いか分からない🤷‍♂️。

 

この力のないオヤジには、こんな少子高齢社会を立て直す術を持たない。ただ一つできることは、自分の子や自分と縁があった子の生き延びる力を育んでやるだけ。

 

チューよ、チュー。

パパが思い描く40年後は、明るくない。あなたはただでさえ課題がある子。弱肉強食が世の習いであれば、あなたは弱肉の方であろう。パパが生きている間は、少なくともあなたが生き延びられるよう手を打ち努力するが、パパが死んだ後は、あなたの力で何とかするしかないんだよ。妻にもチューにも、たまに言ってしまう、悲壮な言葉。

 

まずは今生きる者が幸せでないといけないね。でも、明日、いや遠い未来の幸せも考えなくてはならないなぁ。「今日の幸せ噛み締めて、明日の幸せに繋げていこう」

また明日も頑張ろう。