つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

萩生田文科相の陳謝を分析する🤔

(1)萩生田文科相の陳謝

大学入学共通テストに導入される英語の民間資格・検定試験をめぐり「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と発言したことについて、「受験生の皆さんに、不安や不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった」と陳謝した。

英語の民間試験活用に関しては、地理的条件や経済状況によって格差が生じるとの指摘がある。萩生田文科相は「どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう、試験を全力で頑張ってもらいたいという思いで発言した」と釈明した。

萩生田文科相、「身の丈」発言を陳謝=英語民間試験めぐり:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102800571&g=pol @jijicomより

「著名人のコメント・発言分析シリーズ」よ😉✨。これまでのこのシリーズのブログはこちら👋😄


ホームレスや浮浪者は避難所に入ってはいけないの❓🤔~小木氏の発言を検証する~ - つれづれなるままに

こちらは有名人ではないけれど、発言を分析したブログよ👋☺️


教員の長時間勤務に関する小学校の校長先生のコメントを分析する🤔 - つれづれなるままに

 

(2)言葉を分析するとは

さてさて、ホント、政治家の方って、私のブログ意欲を書き立てることばかりなさる😅。なるべく政治信条を入れないようにはしているのよ😊。だって偏り過ぎると、多くの人に読まれにくいでしょ。少しは偏っているけれど、それは許してね😉。

 

こういう言葉の分析って、心理カウンセラーには必要だと私は考えるの🤔。心理は言動や表情に出るものだから。言葉への拘りは、心理を扱う者にはとても大切なことだと思う。

 

(3)萩生田文科相の陳謝の分析

では、彼の陳謝の言葉は心からのことなのだろうか❓🙄

「受験生の皆さんに、不安や不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう、試験を全力で頑張ってもらいたいという思いで発言した。」と釈明した。

 

ポイントは

①不安や不快な思いを与えかねない

②説明不足な発言

③~という思いで発言した

の3つよ☝️😎

 

①不安や不快な思いを与えかねない

これは、謝罪したくない気持ちがあるときによく使われるフレーズの型の1つ。最近の私のブログでは、山本防衛副大臣の謝罪を分析に出てくるわ。そのブログはこちら👋😁


山本防衛省副大臣の言葉を分析してみたよ - つれづれなるままに

 

この2人の発言を比較してみて😁

山本副大臣

「不快に思われた方がいたとしたら本意ではなく、削除した。」

 

萩生田文科相

「受験生の皆さんに、不安や不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。」

なんだか似ていないかな🤔。

 

山本副大臣も萩生田文科相、発言に対して不快に思った方が実際にいるにも関わらず、山本副大臣は「いたとしたら」と仮定の話にし、萩生田文科相は「与えかねない」とこれも想定の話にしている。どちらも、実際に不快な思いをした人がいることを認めていないのよね😣。「不快な思いをした人がおられるので」と言えば良いのに。それを「仮定」や「想定」の話にするのは、そういう事実が起きる前に自主的に失言に対応したという心理が働いていると私は解釈する。本当はご本人にお伺いしたいところなのだが😁。

 

②説明不足な発言

この「説明不足」という趣旨の言葉もよく使われる。

「説明不足だった」

「~という意図だった」

「真意が伝わらなかった」

等々😅。

 

今回のケース。説明不足な発言なら、どう説明すれば問題のない発言になるのかしら🤔。

 

🅰️「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」という発言を、彼は🅱️「どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう、試験を全力で頑張ってもらいたいという思い」と説明した。

🅱️は🅰️の発言の説明になっているのか🤔。

 

国語の選択肢の問題ならば

🅰️の「頑張ってもらえれば」と、🅱️の「試験を全力で頑張ってもらいたいという思い」が対応するのだろう。

とすると

🅰️の「自分の身の丈に合わせて」と🅱️の「どのような環境下にいる受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう」が対応するのだろう。

 

前者は対応関係に整合性はあるが、後者は対応関係に整合性はないだろう🙄。

 

「身の丈に合わせる」とは「衣服などが背丈や体にぴったり合っている様子」を表す。そこから「分相応」という意味にもなる。

 

「分相応」とは「その人の身分や能力にふさわしいこと」を表すのよ☝️😓。

 

萩生田文科相の「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」という発言の説明不足を、親切な私が補って差し上げましょう😎。

 

萩生田文科相

「それ(民間試験の利用で、受験生の経済状況や地理的条件によって不公平だという意見を指す)を言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ。裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことが、もしかしたらあるのかもしれない。自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば。」

私がこのあとに「自分の身の丈に合わせて」の説明を補ってみる。

「『身の丈に合わせる』とは、『受験生各々の身分や能力にふさわしいこと』だ。だから、各々の受験生の身分や能力のふさわしさに合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらいたい。」

 

どっひゃ~😱

 

各々の受験生の身分って何❓😱

各々の受験生の能力に合わせて受験するって何❓😱

 

確かに受験生は受験で能力を競うのよ。これは当然。でも、受験する能力に合わせるって…、教育の機会の均等にそぐわないじゃないの。「教育を受けるチャンスは均等に」というのが、現代の日本の原則なのに…😣。

 

③~という思いで発言した

これは②と共通する。コミュニケーションとは思いや考えを伝えること。そのツールが言葉なの。「~という思い」なら、そしてそれが正しいのなら、なぜ「~」の部分をその場で言わないのか。

 

いや、プライベートの会話であれば、私はここまで責めない。政治家よ。言葉が商売道具なのよ。それも公共の電波にのることも百も承知な状況なのよ。それで、自分の考えを正確に言葉で伝えられないのなら、それは、政治家失格ではないのかしら🤔。

 

今回の件は、「身の丈に合わせる」の「説明不足」が問題ではなく、大臣の教育信条が問題である可能性が高いと私は考える。

 

(4)政治家の皆様へ

このあと、官房長官が、「適材適所」と言って彼を擁護した。私もこの発言1つを捕まえて、「不適材不適所」とは言わないわ👋😔。

 

1回の失言で大臣をクビにしていたら、政治は停滞するだろう。しかし、この考えを突き詰めていったら、言葉の重みが軽くなる。一言の重みを増すためには、特に政治家は1回の失言でクビにするのもありなのかもしれない🤔。でも、そんなことをしたら、現内閣は6年も持たなかった。とすると、この内閣の失言癖と言うか失言病は、持病みたいなものなのかもしれないなぁ😣。

 

いや、与党に限らず、野党も全て、失言だらけとなっている。

 

私はね。政治家は発した言葉に責任をもってもらいたいと思っている。失言ですまさない。

 

今回の萩生田さんなら、

「教育の機会が与えられることに、地域間格差や家庭の経済状況で差があって当然だと私は考えています。教育の機会に身の丈があり、分相応、不相応があって当然ですし、それが現実なのです。それがおかしいというのなら、文科相を辞任します。」

と言って辞任すれば良いのよ😊。

 

政治家としての姿勢は素晴らしいと私は考える👏。そして、それを公言して、選挙に打って出れば、さらに私は評価しよう。しかし、評価と支持は別物よ😎。「政治家としての姿勢『は』」と、私の大好きな「副助詞の『は』」に注意してね😉✨。

 

えっ❓😓。

萩生田さん、私の解釈が間違っているっておっしゃるの❓😅

 

そうであれば「『身の丈に合わせる』の説明不足」ではなくて、「『身の丈に合わせる』の言葉の意味を間違っていました。」とおっしゃいなさいよ。そうすれば、私はあなたの政治姿勢にも信条にも支持し、人間的にも惚れるかもしれないわ💕。だって、文科相がプライドを捨てて、自分が無知だったことを公言して謝るんだもの。私の周りにもそんな人はほとんどいないし、私もなかなかそれができないわ。いや、そうあろうと、仕事場でもプライベートでも意識している。

 

政治家の皆さん。首相も大臣も議員も全ての皆さん。

 

過ちがあれば、その過ちは素直に認めて謝罪し、民意を問いましょう。一時の恥を甘受できないのは見苦しいわよ。

 

今回の萩生田文科相の「身の丈に合わせる」発言。

説明不足なら、彼の政治や教育信条に関する問題である。

説明不足ではないのなら「身の丈に合わせる」という言葉の意味を知らなかったとする知識の問題、もしくは、言葉の誤用の問題かもしれない。そこをはっきりさせてほしいわ🤔