つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「どうしたら子どもが勉強するか」と尋ねられたら

「どうしたら子どもが勉強するか」という保護者の問いに、「勉強する理由やそのメリットを子どもに理解してもらう」という答えは正解だろうか🤔。

 

 

その理由やメリットの内容によるわね😔。

 

 

「良い点数を取れるよ(取るため)」

「良い中学に入れるよ(入るため)」

「良い高校に入れるよ(入るため)」

「良い大学に入って大企業に入社できるよ(入社するため)」

「将来安泰だよ(安泰のため)」

「褒められるよ(褒められるため)」

 

 

他にもあるわよね😅。

もっと良い理由やメリットもあるだろう。

こんな理由があるとかあんなメリットがあるとか、「ゆうさん、ここに挙げている理由やメリットではなく…」っていう人もいるだろう。

 

 

ここに挙げたのは目先のメリットや理由よね😅

 

 

私がここで言いたいのは「勉強しない子どもが納得したり大人が子どもに言ったりする理由やメリットは目先の事だろうってことよ😎。

 

 

子どもの理解の物差しで、海よりも深くエベレストよりも高い勉強の理由やメリットを測れないわよ。次元が違うわ。

 

 

それもね、「理解してもらう」って子どもの方が親や教師よりも上なのかしら🙄。だから子どもがお子様化するのよ、キッと😱。

 

 

大人が子どもに配慮して、子どもは大人を見下して世界は自分中心に動くと思うようになり、そのまま大人になるのよね。

 

 

理由があればやる奴は、理由がなければ動かない。メリットがあればやる奴はメリットがなければやらない。勉強に理由なんてないのよ。メリットなんてないのよ。

 

 

生きる理由がなければ生きないのかしら。生きるメリットがなければ生きないのかしら。生きるのにメリットを考えて生きているのかしら。生きる権利も教育を受ける権利も、理由やメリットとは別次元だと思う。生きるために生きる、勉強するために勉強するで良いと私は思う。

 

 

ハッキリ言って、勉強しない奴にかける言葉は「四の五の言わず勉強しろ」が正解。

 

 

「なぜ勉強しなければならないのか」「勉強するメリットは何か」という問いにスラスラと答えられる大人は疑った方が良い。そこには何か魂胆があると😎。

 

 

じゃぁ、この保護者の問いの答えは何か?

 

 

こんな問いは日本の平和ボケの象徴なのよね。だって学校のない国は大人も子どもも勉強することに飢えているのよ😣。その人たちに「うちの子、勉強しないんです」と言ったら、「それは私たちと同じで家が貧しくて働いているのですね」と言われ、裕福な家庭状況を聞いたら絶句されるだろう。

 

この問いはそんな簡単に答えられるものじゃないわ。それが分かればこんなに様々な指導法が生まれないし塾も乱立しない😅。

 

 

でもね、一つ言えることは、「お母さん、これまで悪魔の呪文を子どもに唱え続けていませんか。」ってことね。悪魔の呪文とはこちら👋😔。私のブログからの引用よ。

 

 

「何でお前はこんなこともできないの。」

「前にも言ったはずでしょ。」

「サボったに決まっている。」

「60点しか取れないの。」

「なぜ私の言うことを聞かないの。」

「○○ちゃんはあんなにできるのに。」

「お姉ちゃんは出来ていたわよ。」

「こんな状態だときっと将来ダメになる。」

「あなたのために言っているんだからね。」

「こんなに時間とお金をかけてもできないのね。」

「こんなことは出来て当たり前よ。」

こんな言葉を毎日シャワーのように浴びせられて、自己肯定感なんて育まれるものか。子どもの能力を育みたいと考えている周りの大人が、どれだけ子どもの能力を伸ばすことの障害になっているのか。それが分からない大人が多いこと、多いこと😣。「あなたのために言っている」のではなく、「自分のために言っている」んだよ。それで子どもの能力が伸びず自己肯定感が低いのは、子ども自身と自分以外の子どもの周りの大人だと考えていることが多いんだよなぁ。

 

そんな悪魔の呪文の話はこちら👋😄。私が経験した物凄い思考の保護者の話も載っているわよ😉

 

小学生で勉強に対する姿勢が後ろ向きなのは、「これまでの子育ての結果」の場合がほとんどね。悪魔の呪文を子どもに言い続けたことが子どもの心の垢となり、こびりついて落ちなくなっているのよ。

 

 

子どもが不機嫌になってもスマホやゲームの使い方の度が越えたら取り上げる。私は「強権発動もあり」という考えなのよ😅。体罰は悪いけれど、子どものわがままに最後まで付き合う必要はない。保護者は最後には「いけないものはいけない」と言える立場である。

 

長時間拘束して勉強させず適度に休憩時感を入れる。

 

子どものやったことは認める発言をする。

 

 

こんなのも悪魔の呪文よ👋😅。

幼子と買い物をしていたら、偶然ママ友と出会って立ち話となった。その中で

ママ友「○○ちゃん大きくなったわね」

ママ「そうなのよ、体ばかり大きくなって」

ママ友「習い事も頑張っているしうちの子が○○ちゃんは出きるって言っていたわ」

ママ「そんなのことはないわよ。✕✕ちゃんだって。」

これ、特に小学低学年以下の子どもの前でアウトよ。何がアウトだか分かるかしら😔。

 

 

この年齢の子が謙遜って分かるかしら😣。分かりゃしないわよ😱。額面通り受け取って「ママはぼくのことをそんな風に思っているんだ」って思うわ。自己肯定感なんて持たないわよ。「どうせ頑張ってもママはぼくのことを否定するんだ」というように感じるわ。

 

 

だからママ友に社交辞令でこんなことを言われても、子どもの前では「ありがとう。良かったね。褒められて。」って子どもに言ってやれよってことなのよ。

 

 

さ~て、色々と話してきたが「どうしたら子どもが勉強するでしょうか」という問いの私の答えを教えるわ😄。

 

 

「『世界が広がるよ』と子どもに伝えましょう。」かなぁ。そして「それを親が実践しましょう」かもしれない。

 

 

結局これも「勉強のメリットを子どもに理解させる」ではあるんだけれど😅。でも、これは「理解」ではなく「体感」なんだけれどね😄。
 

 

ブラタモリを見ると、タモリさんはその知識によって、私の見えない世界が見えている。だから、世の中が楽しいんだろう。

 

 

対馬の海岸を歩いていて、漁船の汚れを見て「イカスミ」の汚れをだとズバリ指摘した。私にとってはただの汚れ。だけど知っている人にとっては特別な汚れ。そこからタコスミとイカスミの違いの冗談にまで発展させた。

 

 

船越やという地名から、その土地利用まで知ることが出来る。

 

 

そう☝️😄。

勉強して、自分の好きなことを発見して、それを掘り下げて世界を広げる。知るって世界を広げることなのよ。そしてそれは生きることが楽しくさせる。そのきっかけが勉強だと考えれば良い。勉強の先に学び問う学問がある。それを学ぶのは大学や大学院。勉強も学び問う。子どもに勉強させたいのならそれを身近な大人が実践するのが大切だということを伝えるかなぁ…。

 

 

でも角が立ってはいけないし😅。

 

 

「まずは本屋に行きましょう。そこで本を買ってやりましょう。子どもが選んだ本が、それがたとえ子どもの年齢よりも下の子ども用の本であっても認め買って一緒に読んでみましょう。それが駄目なら、図鑑や歴史マンガの本を全巻買い、子どもの手が届くところに並べお母さんも読んでみましょう。」

と言えば良いかしらね。

 

 

言っとくけれど、これは正解じゃないからね。正解は人の数だけあるからね😅。

 

 

中・高生なら…、それはまたの機会があれば👋😁