つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

コロナ禍での大学選び~子どもが希望ある未来を思い描くには😔~

大学生になることの魅力とは

 

①学びたいものを学び問える

②資格が取れる

③友人ができる

④色々な経験ができる

⑤遊べる(④に入るのだろうが😅)

 

等々、たくさんある。大学受験はする意思があるが、勉強に身が入らない高校生に話してやる大学生の魅力はこんなところかしら🤔。

 

しかし、今は、この魅力が通用しなくなっている。いや、目的意識をもって高校で勉強している生徒なら、このような魅力を大人が伝える必要はないわ👋😅。

 

高1と高2の家庭での勉強時間は1時間もないといわれる。いや、4割近くの生徒が0時間とも言われているわ😨。さすがに定期試験のときは勉強時間は増えるが、勉強って普段が大切のよね😌。

 

私が高校生のときは…。勉強してもちんぷんかんぷんの劣等生だった。それでもなんとかしようと頑張った気がする🤔。でも成績は良くなかったわ。

 

だから偉そうなことは言えないんだけれど…😌。

 

今は昔以上に勉強ツールが豊富で、やろうと思えばいくらでも勉強時間できるんじゃないかしら🤔

 

数学なんて、私が高校生の頃に映像授業があったらフル活用していたわ😄。教科書や参考書で理解できない時点で、数学の才能はないんだけれど😌。

 

いや、今日はこんな話をしたいわけではないわ👋😅。

 

なんとなく大学受験をすることを考えていて、偏差値がさほど高くないが私立の進学校に進学する新高1生に、どう勉強に向かわせるかということを考えたかった。

 

そういう高1生に、「大学受験をなんとなく考えているんじゃ、大学に行かなければよいじゃないか。なんとなく進学するところではないよ。」というアドバイスは、真実のようだが現実的なアドバイスではないわね😔。

 

私は進学校でも、工業校や商業、農業校でもよいという考えであるが、彼は進学校を選んだ。というか、高校自体がどこもかしこも大学進学を目的にした教育をするようになった。

 

あのかつての自動車専門学校も、洋裁専門学校も、スポーツに長けていた高校も、学力が低い子を丁寧に指導していた高校も、名前を変えてカリキュラムを変えて、みんなみんな進学校を名乗るようになっちゃった😱。そういう教育界の現状で、「なんとなく大学進学」を考えるようになったのは、その子のせいだと言うの😒💢💢。高校進学の選択肢を狭めたのは、大人よね🤔。

 

まぁ、高校のときに進路変更だってしてもよいんだが、進学校の先生も保護者も私ほど頭が柔らかいわけではない。また、大学進学を子どもに促すのは悪いことではないわ😄。「大学に行かなければよい。」と突き放すのも方法の1つだが、まずは大学の魅力を伝え、そして、大学について調べさせるのがベターだと思う🙄。

 

でも、この大学の魅力が今は通用しないのよ。なぜだか分かるかしら😓。

 

それはコロナ禍だからよ☝️😨。

 

もっと詳しくいうと、コロナ禍で、大学生は大学に行くことができなくなっている。リモート授業となり、サークル活動も自粛している。バイトもあまりない。友達との親交も少ない。

 

さっきの「①自分の学びたいものを学び問える」のと「②資格が取れる」ということに魅力を感じる子どもであれば、勉強のやる気がないということにはなりにくいし、勉強に向かわせやすい。それは例えば学びたいものがあれば、まずはその学びたいものから勉強し始めさせれば良いからよ😄。

 

大学で学ぶ意味が見つからない子には、「③友人ができる」とか「④色々な経験ができる」とか「⑤遊べる」というとものも大学に進学する魅力ではある。

 

本来大学とは学ぶところであろう。ということは、たくさんの学友ができ、アルバイトや海外留学や旅行などで色々な経験をして、遊ぶことも学びであろう。そういったところから大学で学ぶことに興味を持ち、そして大学卒業後の進路を考え出すというのもよいことだと思う。

 

コロナ禍ど③~⑤のような魅力が極端に減った。姉が大学1年生の新高1生は、姉の様子を見ている。大学に行かず、リモート授業を受け、サークル活動も自粛で友人もできない。いや、今年の高3生は、オープンキャンパスも学園祭も行かず、大学生活の具体的なイメージを持てず受験した。

 

コロナは子どもの心を蝕んでいる😣。

 

「戦争ほどの凄まじい体験じゃないよ。コロナ禍での体験なんてさほどのもんじゃない。」という意見がある。

 

戦争体験とコロナ災禍体験は別次元の問題だわ。戦争体験は凄まじいものだけれど、だからといって、それとこれとを比較するのはおかしいわ🤔

 

コロナ禍での制限は、やろうと思えば出来そうなのに、しないというのが、かなりストレスなのよ😓。

 

だって、コロナなんて関係ないと言って、会食もできるし、イベントもできるし、みんなで遊ぶことだってできるじゃない。それをやらないということは、意思が必要よ。意志薄弱な立派な大人が、会食したり、カラオケしたりしているのよ😡。「楽しいことをしない」というのは強い意思が必要なのよ。

 

それに加えて、連日の暗いニュース。「緊急事態宣言」、「医療崩壊」、「感染者数、重症者数、死者数」、そして自粛を求める大人が自粛しないという話😣。

 

これで、多くの子どもに、希望ある未来を思い描けというこは酷なことだわ😣。

 

希望ある未来が思い描けない子どもを責めず、大人が希望ある未来を示さなければならない。

 

しかし、希望ある未来を示す務めがある大人が、不正を行い、失言を繰り返し、いがみ合い、自粛せず、形のみの謝罪を繰り返す。

 

それでも、少なくとも私と関わった子どもたちに少しでも希望を与えたい。