そういえば、最近、楽しいことが思い浮かばなくなってきた😱。いや、浮かばなくなったのがここ数年と言って良いが、今年に入ってそれが顕著になってきた😓。
それは、ここ最近のブログの内容にも表れている。
ブログの開設当初は、こどもの成長と子育てを中心に記事にしようと思っていた。あとは、教育や歴史や心理、国語について書いていこうと思っていたのよ👋😅。
しかし、その方向性が変わってきた。時事ネタが多くなった。
当初はSNSを使い分けていたからなぁ🤔
ツイッターでは、主義主張の強いツイートもしていた。
フェイスブックでは日常や教育について綴っていた。
この2つとも昨年の12月に不正アクセスがあって閉じたのよね😅。
その後、ブログか主義主張の強いものになったのかもしれない🙄。
いやいや、コロナ禍前なら、週に1度は色々なところに家族と出かけていたのよ🙄。それを「チューの成長日記」としてブログにあげていたわ。
それに、去年の今ごろは、歴史小説や短編小説も書いていた。国語論も書いていた。ブログの中で作詞もしていたわ。
それが、ここ最近は主義主張の強い時事ネタばかりよね😓。
まぁ、基本、私のブログは私の頭の中を公表しているだけで、読者さんが読みたいものではなく、私が書きたいものを書いている😎。共感してもらえたらとても嬉しいが、共感されなくても書いちゃうの😅。だから、こんなにもブログが続くのよね。
でも、良くないわぁ~😌。
かなり偏った意見も書き込んでいるからなぁ😁。
今回は初心に返ろうかしら😄
チューは、放課後に発達に関するデイ・ケアに通っている。中学の部活が終わるのが4時30分。4時40分に家に帰りつき、シャワーを浴びて、4時50分には家を出る。5時からデイ・ケアの授業が始まる。
月曜日は主に私が車で送迎し、火曜日~金曜日は妻が車で送迎する。
そのデイ・ケアでは、色々な学年の生徒が混ざって、カードゲーム🃏で遊んだり、体験学習をしたりする。水曜日はパソコンの操作を習っている💻。
土曜日は、他のデイ・ケアに通う。そこは家に車で送迎してくれて、公園など外で遊ばせてくれる。
日曜日は乗馬だの卓球だの水泳だのフィギアスケートだの習字だの、スペシャルオリンピックスのイベントが盛りだくさんとなる。
妻が熱心に連れ回しているが、チューも喜んで通っている😄。
乗馬はに1~2回、療育がメインである。
その乗馬場のオーナーが、「お子さんの効果はいかがですか?」と私に聞いた。私は「情操面での効果を実感しています。体幹にも良いですね。」と答えたら、最近、学者の方が脳の発達に乗馬が科学的に良いということを発表してくるたと教えてくれた😄。
「学者が科学的に証明してくれると、権威が出来て嬉しいですね。」と言い、それに加えて、「科学的に分かる前に、経験的に乗馬は脳の発達に良いことに気づいた人は、学者と同じくらい凄いことですよね。」と話した。
チューは、その後の温泉も楽しみにしている。家を9時に出て、帰宅は15時過ぎとなる。それでも20時30分からは、1時間ほど私の宿題をやる。
月曜日は、私がデイ・ケアに連れていく。5時に始まり6時に終わる。1時間ほど駅前のデパートで時間を潰す。
その日は、終了10分前に迎えに行くと、教室の中上級生とカードゲームをしている。チューは楽しそうな表情だった😄。
授業が終わり、生徒がゾロゾロと教室から出てきた。
私の右側に、幼子を抱えた母親かいる。小学低学年らしき男の子に
「何でじっとしていられないの」
「動き回らないでと言っているじゃない」
「何でお母さんのいうことを聞けないの」
「お母さんはあなたを見ていて恥ずかしかった。」
と怒っている😨。抱えている幼子は泣いている😣。
「はい。左手をだしなさい。」
ペシッ。
「約束だよね。右手を出しなさい。」
ペシッ。
手をひっぱたく母親😨。
怒られ慣れているのか、その男の子は全く動じていない。
その子はそういう発達の課題を抱えているから、このデイ・ケアに通っているんじゃないか💢。
楽しい教室だったのに、注意し怒り、叩いて、その子にとって嫌な思い出にする意図は何なのか。叱るではなく怒っているのよ。怒るって困っていってことなのよね。自分が困ると怒るのよ😔。
私は分かる。
その母親の意図が😒。
それは、子どもを迎えに来ている保護者に、「私はこれだけ躾けていますよ。」というアピールなのよ😣。
何でそんなことが言えるか。
それは「お母さんはあなたを見ていて恥ずかしかった。」という言葉から読み取れる。
恥ずかしいのは自分でしょ。その子ではない。親が恥ずかしいから、子どもを怒ったり叱ったりするものではない。子どもにとって良くないから諭すのである。
「~するな」と言うのは悪魔の呪文。「悪魔の呪文」についてのお話はこちら👋😔
自己否定感を持つのは、周りの大人が原因である。
「お前なんか生まれてこなければ良かった。」「泣いてもうるさいだけだ。」
と言う。
そんなことは言っていないし、思ってもいないと言う方は、心に胸を当ててほしい。
「何でお前はこんなこともできないの。」「前にも言ったはずでしょ。」
「サボったに決まっている。」
「60点しか取れないの。」
「なぜ私の言うことを聞かないの。」
「○○ちゃんはあんなにできるのに。」
「お姉ちゃんは出来ていたわよ。」
「こんな状態だときっと将来ダメになる。」
「あなたのために言っているんだからね。」
「こんなに時間とお金をかけてもできないのね。」
「こんなことは出来て当たり前よ。」
こんな言葉を毎日シャワーのように浴びせられて、自己肯定感なんて育まれるものか。子どもの能力を育みたいと考えている周りの大人が、どれだけ子どもの能力を伸ばすことの障害になっているのか。それが分からない大人が多いこと、多いこと😣。「あなたのために言っている」のではなく、「自分のために言っている」んだよ。それで子どもの能力が伸びず自己肯定感が低いのは、子ども自身と自分以外の子どもの周りの大人だと考えていることが多いんだよなぁ。
こちらも子育て「悪魔の呪文」のお話よ👋
チューも、小学生の低学年まで、多動であった。全く集団行動ができなかったし、マラソン大会も先生が伴走しても、キチンと走れなかった。
そんな子が、小6のときには学校対抗運動会の1000メートル走の選手になった。結果はビリだったけれど、小学校に入学したときに、このようになろうとは思わなかった。
これはチューが頑張ったのだが、パパとママも頑張ったのよ😄
チューをもう1人育てるのは無理ね😅。
「自分が恥ずかしかった」と小学低学年の男の子を怒るあの母親を、その場で諭そうとは思わない。彼女は彼女で一生懸命なのだろう。
それに、望んでいないものをやることは、お節介である。「周りを不愉快にさせることはしてほしくないなぁ。」とは言いたいが、逆恨みされるのが落ちだから、チューと一緒に直ぐにその場を立ち去った😓。
でも、その母親も一生懸命なのよね。一生懸命だから何をやっても良いというわけではないけれど、大変なんだなと労る心は必要だわ😔。