私の塾の6月の指導。
中1と中2は週2回(4時間)のZoom授業と週1回(2時間)のスクーリング。
中3は週4回(7時間)のZoom授業と週1回(2時間)のスクーリング。
スクーリングでは宿題チェックと演習と解説を行う。
手前みそだけれど、結構手厚と思うのよ😄。
先週、初めてのスクーリングがあった。その日は実力試験を受けさせたのだが、これまでの宿題を持ってきた生徒が何名かいた。
宿題をキチンとやって来ていた。それが嬉しくて、宿題を生徒に返すときに
「いや~、先生はちょっと体調がよくなくて、頭痛もしていたんだけれど、今日提出してくれた宿題を見て、嬉しくて体調が良くなったよ~。」
と生徒たちに言った。
宿題を受け取った生徒にも、いつも私に対して斜に構える生徒にも、「先生(の言っていること)、意味わかんね~。」と言われた😅。
3月に新たに担当になったときに「前の担当が良かった」と私の前で言い放った生徒もいて、まだ、今一つ生徒の心を掴めていないのよね😌。だって、実際に会って指導したのは半月ほどで、後はZoomだったからなぁ。私の授業も週に1回だったしね😅。
まぁ、突然来たオヤジ塾講に、すぐに心を開くなんて、稀なことよね😌。それに、来て直ぐに「担当が変わって良かった。」なんて言われたら、それはそれでまた問題があるクラスになるぞ🤔。
「意味がわからない」と言われながらも、あの手この手でIメッセージを発信するしかない。
でもなぁ、担当になって早々に、ジュースを買ってやって生徒の歓心を引くような、俗な心の惹き付け方をする方もいるからなぁ😥。
物で釣るのを全て否定はしない。「ニンジン作戦」も一定の効果はある。しかし、私よりも立場が上で、生徒を物で釣るのには、私の感性とは異なるなぁ😌。
でも、「私がやっているのは『教育』ではない。『教育』の形をした『サービス』だ」という割り切りが必要で、その割り切りがないから私の業績がパッとしないのかもしれない🤔。
まぁ、速効性はないけれど、大人や指導者が子どもや生徒に「Iメッセージ」を発信し続けることは、大切なことだと私は考えるのよ🙄。それが、こどもの自己肯定感を育むことに繋がると心から思っている。
「私が嬉しい」
「私が悲しい」
これって、発信する側にも、受信する側にも大切なことなのよ。
でもね。
「私はやっています。」
「私は頑張っています。」
という、「行動のIメッセージ」は、保護者や指導者、そして、上司にはお勧めしない😌
「心情のIメッセージ」は大切で、「行動のIメッセージ」は慎重に。
たとえば、職場で上司に「私はやっています。」って言われたら、モチベーションが下がるんじゃないかしら😅。いや保護者や教師、上司に「私はやっています。」と言われて、モチベーションが上がる人がいるか聞いてみたいわ😌。
そうそう。自分の子どもが勉強しないのを見て、「私はやっていたわよ」とか「私はできたわよ」という親っているのよね。たまに面談でそんな話になる😥。
子どもはまずまず勉強している。成績も悪くはない。しかし、母親が満足する成績はとっていない。「中学生のとき、私はもっと勉強していた」と母親は私の前で嘆いて見せる。そんなとき私は、「それは、お母さんが優秀だったんですよ」と言って、それ以上深入りしない。
「自分はしっかりとやっていた」という発言の多くは、「過去の美化」か「自分の正当化」なのよね🤔。そしてそういう方の子どもって、大抵自己肯定感が低い。というか、日本の子どもで、自己肯定感が良い意味で高い子って少ない気がする🤔。
どこの世界にも、「根拠のない自信」持つ奴や、「相手を傷つける自信過剰」な奴はいるよね😌。それは自己肯定感が高いのではない。「自己中感」が高いのだろう。
失敗を恥ずかしがらず受け入れて次に繋げたり、わかった振りをせず分からないことは分からないと言って相手に教えてもらうことをお願いしたりできる人は自己肯定感が高いと思う。
赤ちゃんは自己肯定感が高いから、何度も失敗してもやり続け、人類何百万年の発達史をたったの3年ほどで成し遂げてしまう。
自分が相手に「こうしてほしい」と思うならば、その相手に「心情のIメッセージ」を意識しよう。
「心情のIメッセージ」には、プラスとマイナスがある。
やってほしいことならば、「プラスの心情のIメッセージ」よ。
私が「嬉しい」
私が「楽しい」
私が「気持ち良い」。
それに一工夫を加える。
あなたが○○してくれて、私が嬉しい。
あなたのおかけで、私が楽しい。
というように、その心情の原因を相手にするのよ😉。それも心からそう思うのよ。そうすると、自分も気持ちが良いし、相手も自己肯定感が生まれる。だって自分の言動や存在が認められ、相手の役に立っているのだから。
そう☝️😄
自己肯定感って、自分の存在が認められることによって生まれるのよね。
やってほしくないことは、「マイナスの心情のIメッセージ」よ。
私が「悲しい」。
私が「辛い」。
私が「不安になる」。
「そういうことをすると、パパが悲しいな」。
チューにあまり使ったことがない。片手の指の数も使っていないかも😅。そりゃ~良い子であるチューにも、問題行動もあったわよ。その問題行動も、チューなりの理由があると、私はまず考えるのだが。
「こどもの問題行動は、成長の過程であり、理由がある。」というのが、私の信条。
でも、ホントここ数十年の間に、その信条が綺麗事となるような事件が多くなった。少年法を盾にして残酷な犯罪をする子どももいる。だから厳罰化となった😣。
悲しいが、全員が善良であることはあり得ない😔。
かなり不謹慎な気持ちなんだけれど、小学校の行事に行ったとき、「あぁ、この中から、罪を犯す人が出てくるんだなぁ」って思ってしまうこともよくあった😌。
小学1年生。運動会でみんな可愛くおしりを振って踊っている。でも、この中から不良も出てくるかもしれない。犯罪者も出てくるかもしれないしれない。というように😅
どこで道を誤るんだろう😣。
少なくとも、自分と関わりをもった人は、道を誤らせたくない~。
そういった意味でも、常に「心情のIメッセージ」を心がけよう。