つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

自己肯定感を育むには😄

(1)自己肯定感

自己肯定感とは

自分は生きる価値がある存在であると感じること

だと定義する。そして、自己肯定感が持てない人は「自己肯定観」を意識することが大切だと私は考える。「自己肯定観」という言葉は私の造語である。

 

(2)自己肯定感を育むとは

子どもは自己肯定感を持って生まれる。だって、母親の胎内からこの世に生まれたときの泣き声は、「生まれてきてごめんなさい💦😭💦」ではないはずだ。「あなたは赤ちゃんじゃないのだから、そんなことは分からないじゃないか」と思った方👋😅。

 

素晴らしい❗️😳

 

そう言うものの見方って大切よ。理屈は大切😉✨。

 

では考えてみて。赤ちゃんは言葉を知らない。お腹を空かしたら泣くでしょ。ミルクを与えても泣くかしら❓🙄。いや、泣き止み、お腹一杯にして満足した笑顔になるか、スヤスヤ眠るんじゃないかなぁ🤔。これは、まさに生きようとしている。「生まれてきてごめんなさい」と思っているのなら、生きようとしないよね。自分が生きるために、腹が空いたと泣きわめき、腹が満たせば満足する。これが動物的な自己肯定感よ。

 

人間以外の動物は全て自己肯定感を持っているのよ。いや、「自分がこの世に生まれた以上生きていく」という自己肯定感は、動物は本能として持っている。人間の頭が発達し、自己否定するようになったから、自己肯定感を意識するようになったと私は考える。自己肯定感とは、言葉と社会性の発達で意識せざるを得なくなったものなのかもしれない🤔。何故なら、信号としての役目のみであった言葉が発達し、感情を表す語も多くなり、否定的な感情を表す語も沢山生まれたからだ。また、高度な社会となると有能な者が優遇され、無能とさせる者が冷遇され差別される。動物の社会では、差別されれば、即、死を意味するが、高度な社会性を持ち、高度な知能を持った人間は、そのような自分を否定する世の中であっても生きていかなくてはならない。自己否定の中で生きていけば、自己否定感を持って生きることになるだろう。

オギャアと生まれ👶

 

お腹が空いてオギャアと泣けば、乳を与えれ笑顔になる。その笑顔を見て、父母は喜ぶ。

 

オムツが湿ってオギャアと泣けば、おむつを換えてもらい、笑顔になる。その笑顔を見て父母は喜ぶだろう。

 

ハイハイをすると父母は喜び、

つかまり立ちすると父母は喜び、

言葉を発すると父母は大喜びし、

歩けると、父母は歓喜する。

そして、祖父母とお祝いをする。

 

ほら☝️😄

赤ちゃんが自分の感情と衝動の赴くままにやっていることに対して、周りの大人は承認しほめる。このどこに自己否定が入るだろうか。入るはずがない😔。

 

自己否定感を持つのは、周りの大人が原因である。

「お前なんか生まれてこなければ良かった。」

「泣いてもうるさいだけだ。」

と言う。

 

 

そんなことは言っていないし、思ってもいないと言う方は、心に胸を当ててほしい。

「何でお前はこんなこともできないの。」

「前にも言ったはずでしょ。」

「サボったに決まっている。」

「60点しか取れないの。」

「なぜ私の言うことを聞かないの。」

「○○ちゃんはあんなにできるのに。」

「お姉ちゃんは出来ていたわよ。」

「こんな状態だときっと将来ダメになる。」

「あなたのために言っているんだからね。」

「こんなに時間とお金をかけてもできないのね。」

「こんなことは出来て当たり前よ。」

こんな言葉を毎日シャワーのように浴びせられて、自己肯定感なんて育まれるものか。子どもの能力を育みたいと考えている周りの大人が、どれだけ子どもの能力を伸ばすことの障害になっているのか。それが分からない大人が多いこと、多いこと😣。「あなたのために言っている」のではなく、「自分のために言っている」んだよ。それで子どもの能力が伸びず自己肯定感が低いのは、子ども自身と自分以外の子どもの周りの大人だと考えていることが多いんだよなぁ。

 

(2)私の実践

私が心がけていることは、成長の喜びをアイメッセージすることなの。

チューよ。背が大きくなったなぁ。もうパパの背丈を抜かすよ。嬉しいなぁ。ママの家系は背が高いから、そちらに似てくれて良かったよ。

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こんなことまで教えてもらっているのか。良かったね。パパはこんなことができるようになったことが嬉しいよ😆

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もう、パパはチューの歩きに追い付けないよ。今やチューがパパを待つんだね。いや、よく成長したよ😄。

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こういうメッセージを意識的に彼の耳に入れるの😄

 

笛の練習をしていれば、「上達したなぁ」と言ってやる。

黒く日焼けしていれば、「元気に外で頑張っているんだね」と承認する。

習字を見たら、「あなたらしい味がある字だね。」と言う。

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習字で絵を描いたら、大笑い。

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その結果がこちらよ👋😄

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うちのチューが、市内の小学校の代表が競い合う運動会の代表となった。1000メートル走よ😆。

学内の選考会では、なるべく多くの児童が参加できるようにという配慮からか、参加できる種目数は1人1種目であるようだった。チューは、最後の一枠を勝ち取った。各小学校の代表で競う1000メートル走では最下位だったが、完走した。小1の頃はまともに走れなかったのよ😆

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全員参加の100メートル走は、8人中2位だった。チューは、1000メートル走で最下位だったのが悔しいとのこと。

「チューよ。パパは嬉しいよ。悔しいと思ったのはあなたの成長だよ。」

とその悔しさを認めてやる。

このときに、「悔しいんだったら、次回に向けて頑張りなさい。」なんて言わない。これが余計な一言なのよ😣。だって「悔しい」と言っているんだから。言うんだったら「じゃぁ、どうしようか❓」かなぁ🤔。私はこれも言わないが😅。

今、チューは、体育の授業で校庭7週(先生がおっしゃるには2.1キロメートルとのこと)一生懸命走っている。

 

(3)自己肯定感が低い方は

子どもの頃からの育成歴の中で、心に垢がついてしまっている。垢をつけたのは、周りの大人だ。よく、「自分で選択したのだから自己責任だ」という意見を聞くけれど、そう選択せざるを得ない思考回路にしたのは、自分かというと、そう言いきれない。確かに、先天的な思考回路もあるそうだ。しかし、子どもは学びたがるもの。肯定的な学びは自己肯定の証なの。さっき生まれてから、学びの連続である話はしたよね。

 

では、心に自己否定の垢がこびりついている場合は、どうすれば良いか。

 

私には特効薬はない🙇。

 

でも、これだけは言える。「行動を起こすことである」と。

 

全てに原因と結果があると言われる。私が今ここに存在することにも原因がある。その原因の原因の原因…、をたどっていくと、ビッグバンにたどり着く。では、ビッグバンの原因は❓。それは理性ではたどり着かない世界。

 

そう☝️😄

 

最初の原因は造物主しか分からない。自己否定に駆られ、外に出ることも困難な状況を打開する、最初の原因を作るのは、その人自身しかないと私は考える。他人に原因を求めるのではなく、自分が原因を生み出さないと。何かしらのきっかけ(原因)はあろう。しかし、それをきっかけとするかしないかは、その人次第だと考える。

 

その際に「どうして自分はこうなってしまったのか」という疑問にさいなまれたら、「それは私のせいじゃない。」と居直り、それ以上考えないことよ😉✨。

 

他責って必要よ。

自責ばかりじゃ狂うわよ。そんなに苦しむのなら、他責にして放っておきなさい。「全ては造物主の思し召し」と考えるのも、造物主に他責しているんじゃない。苦しみながらも生きている自分って凄いと思っちゃえ。そして、これ以上苦しみたくなければ行動する。

 

毎日、お日様に当たる。

散歩する。

些細なことでも、そこで感じたことをブログにする。

 

そのブログを1人でも読んでくれる方がいたらスゴいじゃない。共感の輪を広げていくのよ。共感してくれる人がいるということは、自分に生きる価値があると思えば良いのよ😄。

 

これは、具体例の1つよ。これは模範解答ではないわ😔。

 

将来、子どもが自己肯定感が低くて苦しまないように育むのも、周りの大人、特に保護者の勤めだとつくづくと思う。

 

(4)私の今の自己肯定感

あとね。私はチューと一緒に、自分の人生もやり直している。私の父母の私への接し方は、今振り返っても、良かったわ。父が厳しかったけれど😅。色々と挫折したわ。今も挫折中だけど😌。でも、他人から見たら、挫折と言うのがおこがましいかも😓。悔しさと、自分の能力の限界の折り合いがつかないこともある。私は立派な大人ではない。それが私の根っこである。チューと一緒に暮らして、楽しく感じること、幸せに感じることを彼から教わっている。

私の子どもだが、私の先生でもあり、友でもある。友達親子という関係には私は否定的だが、子どもから沢山のことを教わるという考えなのよ。

心の葛藤の乗り越え方は様々よ。私の想像に絶する体験をしている方に、私の経験は当てはまらないわ😔。

 

でも、子育て中の保護者の方には言える。私も子育てをしているから。

あなたのその考えが、子どもを追い詰めていませんか❓

と。

「常識にとらわれすぎていませんか❓」

と。

「子どものためではなく、世間体のためではないですか❓」

と。

 

私の子育て論は5ヶ条は

一.教育の目標は自立である。自立の道は一本道ではない。

 

二.人は勝手に思うもの。自分がどう思うかが大切である。

 

三.今日が幸せであって明日が幸せになる。だから、今日を幸せにする努力をする。

 

四.選択は、親の責任として腹を括る。

 

五.過度な期待で追い詰めず、周りと比較せず、今できたことを認める。

 

今までにブログの中で書き続けてきたことだよね😉✨

 

これは、30年近く塾講をしてきて、塾に通う多くの保護者の方々を反面教師にしてできた境地なの🙇。でもね。こんな偉そうなことを書いているけれど、まだまだ日々修行中よ😅。課題のある子として生まれたチューを育てるのに良い経験となったわ。ホント、この仕事に感謝している。

ペイは非常に安いけれど🙃☺️

 

自己肯定感について、過去に書いたブログの一部を紹介するわ😉✨。こちら👋😄


自己肯定感190131(ブログセレクション) - つれづれなるままに

 

こんなブログも書いていたわ👋😅


悪魔の呪文(子育て考) - つれづれなるままに