つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

悪魔の呪文(子育て考)

肯定の暗示と否定の暗示

「あることをさせたい」のなら、「あることをさせたくない」のなら、どちらも肯定の暗示をかけよう😄。

 

あるコンクールに参加した小学生Aくん。「あの子の演奏はどうだった?」と親に聞いた。「あの子」はいつもミスをして、Aくんより演奏が上手くないのは、Aくんも理解している。

Aくんは、スケートもしている。その発表会があった。Aくんは、親に「Bくんの演技はどうだった?」と聞いた。Bくんはいつもミスをしていて、Aくんよりも演技が上手くないのは、Aくんも理解している。

 

父親はそんなAくんの性格が嫌いだ。いつも自分より下手な子のことを気にし、そのミスを聞いて優越感に浸っていると父は解釈している。

①「何でそんなことを聞くの?自分より下手な人のことを聞いてどうしたいの?そんな性格が悪いと将来友達ができないよ。もっと自分より上の人を気にしろよ。」

と怒るのだそうだ。

 

これは私の友人の話。普段温厚なのだが、この話をするときは、とても険しい表情になるので、私が引いてしまう😅。

 

あと、このAくんは、「つまみ食い」を家でするんだって。指摘すると「食べていない」と嘘をつくので、

②「これから、パパが指摘したら、それが間違いであっても、まずは『はい(私がやりました)。』と言いなさい。」

と(本気で)言ったんだって😱。

友人は、あまり誉めたくないとも言う。理由は「調子に乗るから」だって😌。だから、彼の褒め方は

③「~は良かったね。でも…。」

となっている。

 

この①や②や③のような言葉を、私は「悪魔の呪文」と名付けている😱。大人でさえも、この呪文を聞かされると心が参るのに、幼少のときに親からこの呪文を聞き続けると、心の傷となって、後年、心の病が発症する可能性があるよ😣

 

「優越感」って、そこまで悪い感情ではないと私は考えるの🤔。良いとは言えないけれど、人が持つ自然な感情であると思う。それを否定するのは、人の自然な感情を否定することになると考える🙄。良い方に作用すれば、「自己肯定感」にも繋がるよ。

 

①を言い換えるなら

④「ああ、あの子も頑張っていたよ。あなたがあの子を気にするのは卒業かな。あの子があなたのレベルに到達するまで、パパはあの子のことを言わないよ。今度はEくんをライバルにしても良いんじゃないかな。」

人は人と比較し競争したがるもの。徒競走で、みんな横一列に並んで手を繋いでゴールするという指導をする学校もあるという😱。私はこの指導に賛成しない😔。社会には能力を競うという現実もあることを教えるのも教育だよ。これじゃ「徒競走」じゃないよ😎。ネーミングを変えろ📢😁。

 

④のように、子どもの優越感を否定せずに、心の中で自分より上の人を目標にすることが大切だと考える🤔。

 

②は子どもの問題行動。これは一回身に付いちゃうと、厄介なもの。まずは「つまみ食い」、二つ目は「嘘をついて正当化する」こと。

 

つまみ食いをさせたくないなら、鍵をかけたところに食べ物を入れておくしかないかなぁ😅。教会の冷蔵庫は鍵がかかっているという。それは、人には邪な心があることが前提なんだ。邪な心を否定していないのが良い。

 

あと、「嘘」を否定しておいて、「嘘」をつくことを強制しているところが私には大問題に見えるの。確かに、人は嘘をつく。ついて良い嘘と悪い嘘があるのも真理だと思う。しかし、「嘘でも『はい』と言え」という教育は是とは考えられない。では、どういう教育がベターなのだろうか🤔。

 

次のエピソードは私の経験から。

 

時間になっても塾の授業に来ない小6生。授業後、家に電話をかけても誰もいない。そこで母親の携帯電話に電話した。母親は「分かりました。帰宅したら息子に注意します。」と言って電話を切った。退社時刻近くになって、その母親から電話があった。

👩「息子は、『塾に行った』と言って怒っている。どうしてくれるんだ💢。」

とのこと😱❕。

👨‍🏫「こちらの履歴もついていませんし、担当からも欠席であると報告を受けていますが。」

👩「ずっと3階で待ったが先生が来なかったと言っている💢。」

ここで私は「こいつ(生徒)、ここまで用意周到な嘘をつきやがる。根が深いぞ。」と思い、母親に

👨‍🏫「お母さんは、こちらが何階にあるかご存じですか?」

👩「確か…、4階ですよね。」

👨‍🏫「そうです。4階で塾に着いたというカードを受付でかざしてお母様の携帯電話にメールが届くのですが。」

👩「今日はそのカードを忘れたと言っています💢」

👨‍🏫「授業もいつも4階でやっているのです。入塾されて3ヶ月間、3階で授業をやったことがないのです。今日だけ、3階で待ったというのは変ですし、それに、今日は3階では授業がないので、3階の教室は鍵をかけているのです。それに受付には私がおります。私も彼を見かけていません。」

しばらく黙りこんだ母親が発した言葉はなんと❗️❗️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

👩「それは、塾と息子の間の問題です。私には『塾に行った』と言っている。明日、息子をそちらへ行かせるので、そちらで解決してください💢。」

どっひゃ~😱。

こういう親がいるんだよ。稀なケースじゃないのよ。

それで翌日、ふてくされた生徒は非を認めない。でも、涙目。最後の殺し文句

👨‍🏫「ハハハ🤣」

驚く、生徒。

👨‍🏫「良いよ。あなたの人生、これ以上は先生の知ったこっちゃない。こちらは『私の勘違いでした』と謝って、心で舌を出しときゃ良いんだから。でもあなたはこれで味をしめる。味をしめて、将来とんでもないことを起こすことになる。そりゃ、そうだよね。テレビをつければ、嘘を証拠不十分として、黒を白に塗り替える人がいるんだから、謝りたくはないわなぁ。でも、ああいう人は何かしらの権力があって、その権力を不正に使っているだけなの。誰とは言わないよ。こう言われれば、あなたの頭の中に思い浮かべる人はいるだろう。ああいう大人になりたいんだね。でも今のあなたには無理だなぁ。結局、先生のような小物を騙して味しめて、その経験でもっと大きなことをしでかし、とても痛い目に遭う。ここで嘘を突き通したら、将来必ずそうなるよ。これは先生が断言する。」

👦「そうは、なりたくない。」

👨‍🏫「なるよ。このままだったら。でも、なりたくないと貴方は言った。あんた、なりたくない大人になろうとしているんだよ。笑えるねぇ。ハハハ🤣」

大泣き。非を認めた。

このやり方、クレームされることを腹を括ってのことなのよ😔。

その後、母親にこの一件を伝えた後に、

👨‍🏫「こちらが○○くんが来たくなるような魅力的な授業ができなくて申し訳ございません。」

って伝えたの。もちろん社交辞令もあるよ😌。それに、全面的に子どもが悪いとなるのを避けるためが本音。

母親から返ってきた言葉は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

👩「そうですね。しっかりと授業をやってください💢。」

だったのよ~😱。まぁ、進級時に姉弟揃って、うちの塾をやめたが。小6で何度も転塾を繰り返している。

 

このように自分の子の非を認めない親と比べれば、私の友人は月とすっぽん。もちろん月の方よ。

 

でもね、「嘘をつくな」と言いつつ「嘘をつけ」と言うのは、私にはやり過ぎなような気がするの。②を言い換えるなら

⑤「あなたはパパが悲しむ子になりたいのかな。」と悲しい表情をして伝えてやれば良い。

「うん。悲しませる子になる。」と言うのなら、それは、そこまでの子育てが失敗である。

私なら、

「今あなたがやったように、ママに内緒であなたと一緒にパパもつまみ食いしちゃおうか。エヘヘ。」

と言い、「うん。」と言ったら、

「ほ~ら。嘘ついていた。嘘はいかん。つまみ食いをしたら、正直に言えよ。それを隠すからつまみ食いとなっちゃうんだよ。今度、あなたのおやつをつまみ食いして、『パパはそんなことをしていないよ~。あなたが食べたんじゃないの~』って言っても良いんだね😁。」

と言っちゃうわ😁。まぁ、躾には遊び心が必要だと言うことね。

①と②の子どもの行動の根底には、③が絡んでいるんじゃないかなぁと考える🤔。誉めなくても良い。全身で承認しないと。それが少ないから、子どもの自己肯定感が低いんじゃないかなぁ🙄。

 

今朝のチュー。私が起きてくると、縦笛の練習していた。

👨「おっ❗️どこかで聞いた曲だなぁ。」

👩「美女と野獣よ。」

👨「そうだ。美女と野獣だ。」

👩「うまいでしょ。」

👨「うまい。パパが小6の頃よりは断然うまい。」

チューはそのあと何回も練習した。ここでね、③のフレーズで誉めると以下のようになる。

「うまいなぁ~。でも、サビの部分でいつも詰まっている。ここができるともっと上手くなるのになぁ。」

えっ❓🤔。

「どこがダメなの」と思った方は、言葉が多過ぎ。サビの部分で詰まるのは、弾いている本人が最も分かっている欠けたところ。その欠けたところを指摘して、あんたは何をしたいのかと私は思うよ😎。まぁ、優秀だった親でも、ここは過去の自分を下にして、自分の子どもを上にしてやる度量が必要かなぁ。「でも~」のあとは、親自身の承認欲求の表れだと私は解釈している。

 

ということは、①~②が子どもの問題行動だとしたら、①~③には親の心の傷も垣間見られる。

 

①は優越感に関する経験が、②には虚言に関する経験が、③には承認欲求に関する経験が、親の心の傷になっていて、それが発症している可能性がある。

 

誰にも心の傷がある。傷を受けずに成長することは皆無だ。そして、その心の傷が「悪魔の呪文」となって、自分の子どもの心も傷つけることになることが多い。

誰も完璧な親はいない。

 

そう☝️😄

 

完璧な親などいないことを自覚し、意識することが、親には求められる。

そして、子育ての責任は親にあると腹を括ることが重要だ。子どもが社会に出るまで完璧ではないが、最善を尽くす。

だから、私の友達に対して、私はこのように考えるとは言えるが、これが正しいとは言えないのよ。だって彼は彼の信条に従って、腹を括って子育てをしているのだから😔。

これは、私がブログの中で一貫して書いている子育ての信条。その信条に関する最近のブログはこちら👋☺️


子育ては他責にしてはならぬ - つれづれなるままに