つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

人生に悔いはあれども満足している😄

何をもって勝ち負けとするのかは分からない🤷‍♂️。分からないが、自分の人生は負け組であると思っている🙄。

 

 

そう言うと「いや、あなたは勝ち組だろう。」と言われるかもしれない。

 

「あなたよりも困っている人は沢山いる。」と言うのなら、困っている人はみんな負け組なのだろうか🙄。

 

家があるよね。

仕事があるよね。

休日があるよね。

結婚しているよね。

子どもがいるよね。

美味しいものを食べているよね。

 

そりゃぁ、上を見たらきりがないけれど、あなたは勝ち組に入るよと言われるだろう😔。

 

勝ち組や負け組っていう分け方自体がおかしいと、「そもそも論」まで出てくるだろう。

 

この分け方がおかしいという「そもそも論」をいう人は、勝ち負けは人それぞれ、幸せも人それぞれというと思う。

 

そう☝️😅

貧困や病気で苦しんでいるのでなければ、勝ち負けや幸不幸って、人それぞれなんだよね。いや、貧困や病気の人でも幸せを感じている人もいるかもしれない。

 

って、納得できるかなぁ、この考え🤔。

 

やはり「豊かになりたい」「健康になりたい」「力強くなりたい」というのは、生き物の性ではないか。そしてその状態が幸せであると考えるのが正常ではないのかなぁ~🙄

 

私はルサンチマン的な思考の持ち主なのよ👋😅。でも、やはりそのルサンチマン的思考って不健康だとも思うのよ🤔。

 

だから、出世できず、零細塾のペーペー社員をしていて、友人も少ない私を勝ち組というのなら、勝ち組の中の負け組であろう😅。

 

だって、架空の人物であるが、あの光源氏も、ある意味負け組なのよ。准太上天皇にまで上り詰めたのに、最愛の人を幸せにできなかったと悔やむのよ。出家を願い、最後は雲隠れしてしまう。

 

勝ち組負け組って、多くは気持ちの問題なのよね🙄。特に支障なく生活ができているのであれば。

 

あの○○エモンからしたら、「そんなことを言っているから、億のお金も掴めねぇんだよ」と癪だけど言われそう😌。彼に儲けさせたくないから、彼の著作物は買わないし、読まない。みんな彼なんかに無視すりゃ良いのになんて思う😎。

 

昔、志村けんさんのギャグで、「カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ~🎵」というのがあった。志村さんが舞台で「サンハイ」と言うと、客席の子どもが皆で大声で歌うのよ。私は少し天邪鬼なところがあって、「『サンハイ』と言っても誰も歌わなかったら、それもまた面白いのに~」なんて思って見ていたこともあった😄。まぁ、○○エモンは無視してよいが、志村さんは無視しちゃダメよね😄。

 

いや、今日はこんなことを書きたかったわけではなかった😌。

 

人生の勝ち負けはその人次第。

 

私は自分自身の人生を負け組と認識しているけれど、それでも、この人生を送らなければ得られなかったものがある。

 

それは妻とチューだ。

ホント二人には感謝しかない。

 

チューのお陰で、私は人生を2度送ることができた。これは、子どもができて良かったなぁと思う点の中の1つである😄。

 

だって子どもがいなかったら、大人になって、おもちゃ屋さんなんて行かなかったわ。小中学校だって、卒業したら、もう行くことはない。

 

子どもと一緒に自分も子ども時代に戻って、一緒に成長できた点は多々ある。子どもの成長を通して、自分が人生をやり直した気持ちにもさせてもらった。

 

何か、自分の中で雪と泥が混ざっていた子ども時代の思い出の一部を、綺麗に昇華させてくれたようなところもある。

 

ということはチューは太陽なのだろうか🤔。これは親バカよね😌。それだけ大切な存在であるという意味よ😄。

 

もう一度人生をやり直しても、私は器用ではないので同じ人生を歩むであろう。それに、「もしもの世界は悪い結果しかない」はずだから☝️😉✨。

 

今の人生に満足しないといけないね。