うちの家系はチューの代で終わりだろう😔。
うちは一人っ子。課題を抱えた子である。現実的に彼が結婚するのは厳しいし、子育ては無理であろう。
まぁ、うちは誇れる家系じゃないし、チューで終わっても構わないと思っている😅。ご先祖様に申し訳ないという時代でもないし😌。
でもね。
妻と私が亡くなった後、1人残されたチューのことを思うと、不安になる。人生をチューが謳歌した上で、自分よりチューの方が先に亡くなってくれた方が、とても悲しいかもしれないが、私は気が楽になるのかもしれないと真剣に思うことがある。
いや、不安という言葉では言い表せない感情がわくのよ。書ききれないので「不安」とした。
知的に障害を持つ子を持つ親の共通の悩みかもしれない。いや、多かれ少なかれ、どんな親でも、それが毒親でなければ、持つ悩みかもしれない。でも、こういった悩みって、他の人に相談できるものではないと思うのよ。同じ境遇の人たちとか専門家との方が良い。
だって、例えば最難関高校を目指す子どもを持つ親と私の悩みは同じではない。いや、似てもいない。
しかし、最難関高校を目指す子どもを持つ親の悩みも、その親にとっては重大である。そして、課題を持つ子の親が持つ悩みも、その親にとっては他の人よりも重い悩みだと思う。
重大さも真剣さも比較はできないのよ。悩みとは「相対的」ではなく「絶対的」なものだと私は考える。
とすると、悩みを言う者と悩みを聞く者の認識に差が出る。
こんな経験があるのよ👋😔。
チューが2歳の頃かしら🤔。チューの課題が検査でハッキリとした頃よ。数年ぶりに大学時代の友達数人と出会った。まぁ、そこで子どもの話となったのよ。
私がぽろっと「発達に課題があってね。将来が心配なんだよ。」と言ってしまった。
ある友達は「その(子どもの将来に対する)不安ってどの親も持つものだよ。」と言った。「そうだね。」と答えながら、「あっ、言わなければ良かった」と心の中で叫んだ。
そしたら、もう1人の友達が、「それは大変だね。子を持つ親の悩みは親にならないとわからないものだから。」と言ったのよ。
さっき「どの親でも持つものだよ。」と言った友達は結婚をしていないし子どもいない。「それは大変だね。」と言ってくれた友達は子どもが3人いて、子どもの件で悲しい経験もしている。
あぁ、たしかに子の悩みを持つ親の不安を推し量ることができることは、「子のあるなし」「親であるか否か」ではないと私は考えている。「名医は必ず病気もち」ではない。素晴らしい保育士が必ず子どもを持っているとは限らない。それは専門家でなくても言えることだ。
しかし、同じ悩みを持つもの同士の方が悩みを共有できる。悩みのは「解決」だけを求めているものではない。「共感」を求めるものもある。
自分で動かないと悩みは解決できない。むやみに友達に相談するとか悩みを打ち明けるものではないんだなぁって思ったのよ🤔。
あと、心が沈んだときのセルフコントロールって大切よね。
私の場合は、ブログに書き綴っちゃうことかしら😌。アラフィフのいいオヤジのくせに承認欲求が強いと思われちゃうかしら。
でもね。承認欲求が強いのに我慢していると心に毒よ😉✨。「アラフィフ親父のくせに」と思う人は、心の病になる可能性が高いかも。「私は詐欺にかからない」と思っている人ほど詐欺にかかりやすいとも聞いたことがあるわ。
まぁ、私のブログには、たまに闇ブログがあるのでご注意を🙇