教員の長時間勤務に関する小学校の校長先生のコメントを分析する🤔
(1)校長先生の発言
教員の長時間労働に関する、小室小の校長のコメントがこちら👋😔
小室小学校校長 加藤浩之さん
「ここから先は厳しいかなと思います。子どものことを考えると、どうしても削れないことがたくさんあるので、厳しい部分もあるなと思っています。」
(2)労働問題に疎い教育者
どっひゃ~😱
これはものすごい発言よ。校長とは、教育者であり経営者でもある。この発言の異常性は、この問題発言を公共の電波、しかもNHKに、名前も顔も出しているところなのよ。ということは、この校長には「コンプライアンス」という概念がないか、この発言の内容が全く問題だとは思いもよらないと考えられるのよ😱。このあとに、「だから、増員する」という発言が続けば問題がないんだけど、リンクした記事と、この切り取られた発言から解釈すると、そうならないんだよなぁ🙄。
(3)発言内容の違法性
これを私の得意な「代入法の再定義」をしてみよう☝️😣。異なるシチュエーションで同じ構造の発言にしてみる。
飲食店の経営者が
「これ以上の業務の削減は厳しいかなと思います。お客さまのことを考えると、どうしても削れないことがたくさんあるので、厳しい部分もあるなと思っています。」
いかが❓🤔
無給か極端に手当てが少ない長時間拘束をお客のために強制したら、これは労基違反だよね。
違法なのよ。違法。
その違法である可能性が高いことを、テレビで名前と顔をだして言える教育者って、子どもに何を教育しているのだろう🤔。
(4)時間泥棒
サービス残業とか休出って、時間泥棒なのよ。経営者の方って、そのへん分かっているのかしら🙄。私が会社のお金を着服すると捕まるように、会社が従業員の時間を奪うと捕まるのよ。それが従業員が自主的であったとしても。
なぜか。
まず、家族サービスとサービス残業の違いがある。
家族は愛する家族のためである。家族には無給、無休であるのは分かるわよね。父を休業、母を休業することはできない。そう思い込んで夫や妻を追い込まず、お互いに労り合うことは大切だよ。でも、これは、仕事ではないよね。
その仕事ではない家族サービスを職場に持ち込んでサービス残業をさせるのが違法なの。アットホームを売りにする会社には気をつけて。家族でもないのに、疑似家族を仕立て、家族サービスならぬ「会社サービス」を強いるから😱
自主的にサービス残業や休出をするのはどうか🤔
仕事が終わらず、従業員がサービス休出したとする。休出せざるを得ない状況なのよ。休出は自己の判断だ。しかし、せざるを得なくしたのは会社側だ。
じゃあ、業務が終わらないのは本人の能力に問題があるから❓🤔。
これもおかしい。これが通じるのなら、無理難題を吹っ掛けて、できなければ従業員の能力の問題と言えるからだ。
会社は生殺与奪の権を従業員に対して持つ。人事、給与、転勤、従業員の生活に大きな影響を与える。だから、会社の無理難題に応えざるをえない。
辞めれば良いって❓🙄。
辞めて路頭に迷う可能性もある。それは自己責任って❓🙄。
そういえば、昔、過去に上司と、その点について議論したなぁ。「過労死は自己責任か」ということで。その方の考えは書かず、私の考えを書こう。「過労死は明らかに会社の犯罪」である。辞める自由があるだって❗️。極端な例を挙げれば、監禁して死んでも、監禁した者と戦って、脱出することもできたと言えるかい。それは私には言えない。身体の監禁が犯罪ならば、精神の監禁も犯罪である。ホント、体が傷つくことには敏感で心が傷つくことは鈍感なことよ😔。
過労死は、精神を監禁され死んだのよ。だから、雇う側は、労働者が進んでサービス残業や早出、休出をしても、それを止めなくてはならないの。もしくは、業務を見直す管理が必要なのよ。それか、働いた時間分の対価を支払う義務を負う。
次の二つを対比させよう☝️☺️
①従業員の生殺与奪権を持つ会社が、サービス残業や早出、休出せざるを得ない業務を課して、従業員を労働させる(自分の大切な時間を提供する)。
②被害者に銃口を突き付ける犯罪者が、金庫の鍵を開けざるを得ない状況にして、被害者からお金を奪う。
ほら、①と②は似ているでしょ😣
今回のこの校長の発言は、子どものために教員の時間を盗むのは当たり前だと言っているのに等しいのよ。それもNHKで。
(5)違法性の高い発言を堂々とできる精神を分析する
簡単に言うと、違法性があると認識していないということである。
談合と似ている🤔。
例えば3つの業者が事前に公共事業の入札価格を取り決めた。「今回は、この価格でAさんが落札しよう。次回はBさんが落札する。その次は私だ」とね。3人の話し合いで決まった。通常の価格より安い金額にしている。誰も損しない。だから、誰からも文句を言われる筋合いはないとなる。
これは、独禁法違反だ😣。違法なのよ。でも、外部の基準は無視される。内輪(ムラ)で決めたことが優先される。
今回の発言も似ている。学校というムラ社会の「子供を最優先させる」と言うルールが、外部の「労基」よりも優先される。そして、ムラ社会のルールに従っているから、罪悪感がない。これを「和の精神」と呼ぶ😔
私が教員の労働環境を悪化させたのは、「金八先生」だとも思っている。あんなの理想の教師じゃない。いや、理想の教師かも🤔。理想って、英語ではideal、idea(イデア)なの。イデアって心の目でしか見えない真実の姿なのよ。あの金八が教師の真実の姿かどうかは別にして、心の目でしか見えないものを、ドラマとして可視化したものなのよ。だから、あんな先生は現実世界にはいないか、いたとしても極々一部よ。家庭もプライベートも省みず、生徒のことだけを考えて行動するなんて、それを全ての教師に強いるなんて無理よ無理👋😣。そんな先生が実在するそうだけど、その先生を尊敬するが、一般化してはいけない。この校長にも「子どものために削れない、つまり、子どものためであれば、自分の時間を犠牲にしても構わない」という精神が少なからずあるわね😔。
(6)厳しいとは
それも「厳しい」と言うところが嫌らしい😣
よくこういうことがあるの。
追加勤務を頼むと「その日は厳しいですね」と答える職員がいる。私はその日はどうしても人手が足りないので「『厳しい』ということは何とか融通がつくの❓」と聞く。すると、「その日は予定が入っています。」という😒。だから、会議で私は職員に伝えるようになった。「こちらがみなさんに追加勤務を頼むときは、こちらもどうしても勤務してもらいたいときです。そういうときには『厳しい』という曖昧な言葉を使わないようにしてください。『厳しいけれどどうにかなる』『厳しくてどうにもならない』のどちらもあるでしょう。」
コミュニケーションでは「曖昧な言葉も大切であること」は分かる。しかし、こちらも猫の手でも借りたいときもある。そんなときに、この曖昧な言葉で断るのは、私はなんかしっくりこないのよ。だって、「その日は予定があって、勤務できません、」って言えば良いんだもの。まぁ、「厳しい」は「できない」という意味に受けとれば良いんだけど。「ハッキリと断るのは気が引けるから、この言葉で俺の事情を分かれよ」って、ネジ曲がった解釈を私はしてしまうのよ😎。
でも、他の職員がいる前で、「やりたくありません」と断った講師もいた😱。この人、翌月から公立中の教師になった方。「えっ、中学でもそういう断り方をするの?」と聞くと、「いえ、ここはアルバイトですから。」というような言葉を笑顔で返してきた。二ヶ月後には職場を去る人だし、それ以上、指導しなかった😒。そういうときは、「予定があって勤務できません。」で良いんだよ。
「厳しい」って曖昧な言葉でなのよ。この校長も「『厳しい』部分もあるなと思っています。」ではなく、「『できない』部分もあるなと思っています。」と言え。それを言わず、ぼかすのが私にはとっても嫌らしく聞こえる。
今回の校長の発言の模範解答は
「『厳しい』部分もあると思っていますが、業務の効率化や職員の増員を可能な限り行い、職員の長時間労働をなくしていかなくてはならないと考えます。」
だろう😅。
文科省や教育制度が悪いという捉え方もあるけれど、それはまた別の話よね。だってブラック企業の経営者に対して、「資本主義が悪いからブラック企業になるのも仕方がないね。」とはならないじゃない😅。
(7)私は❓
そうそう😅
こういうことを書くと「あなたが働いている会社はどうなの?」と思う方がいるでしょう😌。繁忙期に愚痴の1つや2つ言いたくなることもあるけれど、勤務時間に関しては概ね不満はないのよ😄。だって、午後出勤の方が多いし、通勤でラッシュの経験なんてほとんどない。まぁ、この仕事が天職だから😊。
えっ❓不満って何❓😅。
サラリーマンをやっていたら誰にでもあるわよ👋😎
「いや~、ゆうさん。それを社畜というのよ。」と言われそう😅。
いや、良いんです。
私は社畜だから🙃☺️🙃☺️
モ~🐮
(追伸)
時事ネタの方がアクセスが多いわ~😅。私は歴史系のブログの方が思い入れがあるんだけどね😌。