つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

未来を生きる子どもたちにできることを考える上で

戦後、アメリカの傘下で、日本は最も成功した共産主義の国だった。

 

小学、中学、高校と集団型ベルトコンベア式の画一教育で良質の労働力を生産し、企業に送り込んだ。企業に入ると、生活設計が容易にできた。男子高卒であれば、18歳で入社し、25才あたりで主任となる。この頃に結婚し、社宅や寮から出て、近郊の団地住まいをする。子どもを授かり、女性は退社し専業主婦となる。30歳で係長。この頃に、退職金を見込んで30年のローンを組んで近郊にマイホームを立てる。関東なら、千葉や埼玉であった。

 

会社は年功序列である。何歳にはいくらの収入があるということが分かる。若いときは丁稚奉公とは言わないが、安い賃金で目一杯働かされる。しかし、それは将来の収入を約束されているから、働ける。福利厚生も中小企業でも充実していた。社員旅行や社内運動会など催し物もたくさんあったそうだ。飲み会もたくさんあった。日頃縁の薄い人や苦手な人ともお付き合いをしなくてはならなかった。それはそれで大切なことであった。

 

今じゃ、効率化の下、どこもかしこもワンオペにして、会社内の人間関係は薄くなっている。マンパワーだと言いながら、これではチームワークなんてできないんだよ。例えば、みんなのためにということでやっていることでも、粗ばかり探したり、粗があれば「あいつのことだから」と言って小バカにしたり、またやっているよ~とあきれたり…。

 

企業が社員を抱えられたのは、生産人口が多かったから。そして、消費人口も多かったから。また、発展に対して憧れがあったから。

 

戦後、第一次ベビーブームがあった。また、敗戦でなにもなくなった世の中のインフラを整備し、物質的豊かさを追求した。国内市場が豊かであったのである。人も物も規格品を大量に生産すれば良い時代であった。

 

私が中学1年のときに開かれた、つくば万博。私は遠足で行った。万博は、科学技術の発展への礼賛。私も明るく安心して生きていける未来を信じて疑わなかった。

 

日本の企業型共産主義の絶頂は、バブル景気だ。でも、このバブル景気は人為的なものだったとも。

1980年代

日本=ハイテク景気

日本は良いものをたくさん作り、世界に売る

 

アメリカ=双子の赤字

財政赤字貿易赤字

ドル高円安1ドル220円台

円の価値が低いから、日本の良質の製品がアメリカでドンドン売れる。困ったアメリカ製造業は政府を突き上げる。

アメリカは日本に対して「お前儲けすぎだから、何とかしろ~」と怒鳴ったとか、怒鳴らなかったとか😅

 

それで1985年に「ドルの価値を下げて円の価値を上げること」に合意した。これをプラザ合意という。

 

えっ❓😓。

ピントないかな🤔。

 

例えば1ドルが200円で交換できたものが、1ドルが150円で交換できるようになったとする。ドルが値段が安くなったよね。これをドル安という。反対に円の価値が上がったのだから、円高

 

例えば日本製の冷蔵庫。とても高性能で3万円☝️😄

1ドルが200円のときにアメリカで売れば150ドル。

それが1ドル150円のときにアメリカに売ると、200ドルなってしまう。

アメリカ国内の日本製品の値段が高くなる。アメリカ国内の日本製品が高くなれば、日本製品を買わず、国産品(アメリカ製品)を買うようになるということよ。

 

これに日本は合意して、円の価値が急激に高くなった。日本製品が売れなくなった。アメリカ国内では、品質が高くて高価な日本製より、少し品質が悪くても安価な自国の製品を買うようになった。バブル経済前は、日本は、このプラザ合意で不景気になったのよ。その打開策が金融政策であった。公定歩合をいじったのよ。

 

公定歩合とは、中央銀行日本銀行)が民間の金融機関に対して貸し出しを行う際に適用される基準金利中央銀行が民間の金融機関にお金を貸して、民間の金融機関が企業にお金を貸す。日本銀行は銀行の銀行なのよ。日本銀行の利率が高くなれば、お金を国が回収することになる。世の中に出回るお金が少なくなるので、お金の価値は上がり、物の価値は下がる。

 

好景気で物価が高くなりすぎると、公定歩合を引き上げて、お金を借りにくくし、お金の価値を高め、物価を下げる。

逆に不景気だと、公定歩合を下げてお金の価値を下げて物価値を上げるら、世の中にお金が出回るようになる。

さて、プラザ合意のあと、政府さ公定歩合をどうしたか☝️😄。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドル安円高で、日本製品が売れない。不景気だ。ドンドン企業にお金を貸して不景気を打開しようとした。したがって、公定歩合を引き下げた。

 

景気は回復した。しかし、公定歩合を引き下げたままにした。好景気で、ただでさえお金が世の中に出回っているのに、さらに銀行がお金を貸し付けた。物価はドンドン高くなった。だから投資に走ったのよ。特に株と土地。日本は国土が狭いから土地の値段は下がらないと言われた。いわゆる土地神話

 

あまりにも景気が加熱するので、政府は公定歩合を引き上げた。

 

みんな投資を控えだした。もともと必要のない土地を投資目的で買ったものだ。売れなくなれば、不良債権になる。バブル崩壊

 

なんで長々と、バブル景気のことを書いたのか。今の日本を考える上で大切だから😔。

 

アメリカは、自分の国の経済が悪くなると、他国のせいにする。プラザ合意も、ドルの価値を下げろと各国に合意を迫った。ジャイアンだわな。まぁ、それだけ影響力の強い国なんだけど😌。

 

日本は、その合意のために、不景気になり、自力で打開しようとした。それが金融政策。

しかしね。日本は敗戦国。その敗戦から復興できたのは、どう考えてもアメリカのおかげなのよ。ここは直視する。

 

バブル崩壊は、アメリカ傘下型企業共産主義の終焉であったと私は解釈する☝️☺️。

あの1951年の日本の独立より、1991年の40年間が革新日本国憲法のもと、企業共産主義が最も成功し謳歌した時代であったと考える。そして企業共産主義が崩壊したのと同じ年、約75年続いた社会主義国ソビエト連邦も崩壊した。

 

企業優遇は、労働者の生活の保証があってこそ。1991年以降、企業は労働者を使い捨てにするようになった。派遣社員、非正規労働、それを推し進めたのが、小泉・竹中コンビ。成果主義という大義名分のもと、企業は労働者の生活の保証をしなくなったのにも関わらず、前時代の企業優遇は残した。格差社会が生れた由縁である。

 

さて、こんなに社会情勢が変わったのに、教育は旧態依然としている。規格品大量生産型工場が学校である。

その私の持論がこちら👋😅


普通に拘らない190116② - つれづれなるままに

抜粋する。

 

工場では

生産工程に従って、ベルトコンベアで運ばれてきたものに手を加えていき、規格品が大量生産される。

 

学校では

カリキュラムをもとにシラバスを作り、そのシラバス通りに授業を受ければ「規格人」が大量生産される仕組みだ。ベルトコンベア式の教育と呼べる。

 

そこで学んでいる子どもの中には、精神を病む子がいて当然。工場なら機械の生産だが、学校は心を持つ子どもの教育だ。製品を作るのと同じようにされたらたまったものではない。これでは不登校も生まれるし、ストレス耐性のない子はいじめたりいじめられたり、社会不適合になったり、果ては自死にいたったりする。そういう教育の中で育った私だが、私の方が異常なのかと思ったりもする。まあ、制度が先か意識が先かという哲学的な話に及んでしまうが。

 

そういう大量規格品生産工場型教育を、普通科教育の教育方法に採用しているのが日本だと理解している。(普通科教育の厳密な定義は置いておく)。この「普通」という言葉のチョイスが良くない。普通とは広く通用する状態のこと。日本人は「普通」≒「みんな」ととらえ、普通でないと異常とらえる。没個性、みんな一緒でなければならないと思ってしまう。普通科教育を「普通の子が学ぶ教育」と誤解し、普通科にいないとダメだと親は判断する。普通科教育は「広く通用する科目」を教えるという意味であり、決して普通の子が受ける教育ではない。ここを親が誤解すると子どもに悲劇が生まれる。

 

大学入試改革というが、結局は国や企業が求める人材育成が主目的で、子ども個々の幸せを求め教え育むという視点が欠けている。文科相の方針に従って、文系学部の入試に数学を取り入れることを早速取り入れたのが早稲田大学だということも興味深い。大学はいわゆるエリート教育であって、国や企業の求める人材を育成しても結構だが。それが義務教育にまで浸透していき、そういう国策に乗れない多数の子どもは劣等感を持ち行き続けるのではないかなぁ。そこが心配。

 

身内に話したら「じゃぁ、どうすれば良いの」と言われた😅。

 

答えはないよ😎。

そういう現実を踏まえて、子どもに与えることは保護者が考える。

 

私の子育ては、このブログに書いたことと、こちらのブログに書いたことを踏まえている👋😄


未来を生きる子に対して今できることは。 - つれづれなるままに

その子育ての仕方は、たくさんブログに書いているわよ😉✨

考えすぎでしょ😌

 

長いブログ、ご清聴、いやご清読ありがとうございました🙇。

(追伸)

浅学な点や解釈が不十分な点はご容赦ください。ご指摘いただけたら幸いです。