つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

連載小説~深夜の謀議その1~「つれづれなるままに歴史を語る第5部」

(1)始めに

あまりアクセス数が多くないのだけど、コアなファンがいるのが、このつれ歴。最後に書いたのが6月14日。もう4ヶ月以上、間が空いちゃった😅


つれづれなるままに語る(国語・心理・歴史・政治) - つれづれなるままに

お義父さんも、私のブログを読んでいて、チューの日記シリーズと写真や絵画1枚は1000文字分シリーズと、つれづれなるままに歴史を語るの中の小説シリーズが面白いと言ってくださった😅。1000文字シリーズはこちら。


絵画や写真は1000文字分②190413② - つれづれなるままに

昔のシリーズを再開しようと思ったの😄。それでは、今回は「つれ歴第5部」ということで、連載歴小説「深夜の謀議」を書くことにしたわ。不定期連載で、気が向いたときに書くわ😁。行き当たりばったりで書くので、どんな結末になるか分からず、歴史的事実と異なるところはご容赦を🙇。あと、1回の文字数は1500字を越えないようにするわ。文字の量も気軽に読んでいただくためね😉✨。でも、調子に乗ったら3000文字を越えるかもしれないわよ~😎。ここまでで470文字くらいだけど、これは文字数に含まないことにしようっと😁。

 

(2)深夜の謀議その1

 

①背景

1600年、豊臣政権内の派閥抗争である関ヶ原の戦いに勝った家康は、主である豊臣秀頼が幼いことを利用して、勝手に論功行賞を行った。このときは、緒大名は家康が天下を豊臣から奪うとは考えていなかった。しかし、朝廷工作をして、1603年に武家のトップである征夷大将軍につくと、武家政治を始めた。後に「幕府」と呼ばれる武家武家による武家のための政治である。

 

一方、豊臣家は公家のトップである関白に就ける家格(家柄)である。卑しい身分であった豊臣秀吉は、朝廷(天皇)の権威で身分の卑しさを乗り越えようとした。

 

公家も武家も自分の権力下に置いて、権力も権威も1つにまとめようとしていた家康にとっては、豊臣も朝廷も目の上のこぶなのである。取り除くか、凌駕しなくてはならなかったのである。これは徳川家のエゴではなく、戦国の世に戻らないようにするには、権力を一極に集中させるしかなかったのである。

 

豊臣に恩を受けた、浅野長政が65歳、堀尾吉晴が69歳、加藤清正がまだ53歳、池田輝政が50歳、浅野幸長は38歳の若さで死去した。豊臣恩顧の大名が、家康よりもかなり若いのに、次から次へと死んでいったのである。

 

②深夜の謀議その1

そして、1613年のとある春の日の密談である。

家康

「今後徳川家に仇をなす可能性があるものを挙げよ。」

 

林羅山

「それは、豊臣家でございましょう。」

 

家康

「すでに関ヶ原の戦いが終わり、豊臣政権内でわしの意に反する奴はいなくなったと思うが。」

 

林羅山

「確かに、豊臣贔屓の大名は、残すところ福島正則ぐらいになりました。しかし、戦国の世が終わり、浪人どもが溢れてます。これを一掃しないことには、天下は安泰ではございません。」

 

天海僧正

「確かに豊臣は関白となり、公家の頂点となりました。しかし、それでも朝廷の中の公家の1つに過ぎません。」

 

家康

「ほう。豊臣は公家か。」

 

天海僧正

「豊臣など滅ぼせばすむこと。滅ぼせない相手がございます。」

 

家康

天皇だな。」

 

天海僧正

「信長公は、ご自身が神となり天皇の権威を乗り越えようとしたが、あまりに性急だったため、明智が撃ちました。」

天海は不適な笑みを浮かべた。家康も微笑んでいる。

 

家康

「他人事のような話し方だな(笑)。」

 

今朝はここまでにいたしとうござる。良い一日を👋😄