つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

子育ての中でつれづれに思うこと😄

私がチューに残してやれるものは何かと考えることがある。今の状況だとお金を残してやるのは到底無理だ😱。お金を沢山残したところで、彼はうまく使えないだろう…。

 

だから、やはり「思い出」と「教育」であろう😔。

 

私がいなくなれば、彼には今の生活を維持するのは到底無理であろう。だから、外食したり、物を買ってやったり、外出したりするときは、よくこんなことを彼に言い諭してやる。「パパがいなくなって、あなたが一人で生きた行くことになったら、こんな生活はできないんだよ。」と。

 

だったら、今、我慢させれば良いとも思う。将来、今ほどの生活が出来ないと分かっているのなら、させない方が幸せなのかもしれない😣。

 

でもね。SNSを見ると、子どもを色々なところに連れていっている様子がアップされる。私は、そんな豪勢な旅行はしていない。一泊以上するのは、ここ数年は妻の実家のみ。ホント、妻の実家には助かっている。ジイジもバーバも、チューに分け隔てなく接してくれる。可愛がり、遊んでくれる。それが、課題のある子を持つ親にとっては、どれだけ救いになっているか、そして有り難いことか。チューも妻の実家に行きたがる。そして、チューにとっては楽しい、山に行ったり、電気街に行ったり、海に行ったり、って地名を書いていくと、地図とコンパスを使って場所を特定する方も出そうだからやめておこう😎。

 

子育てをしていて思うことは、子どもがどう思うかよりも、自分(親)がどう思うかというのも大切なんだなぁってことだわ。例えば、親が嬉しいと感じたことが子どもも嬉しいと感じることであれば、とても良いことだと思う。やはり、親自身が自分を大切にできないと子どもは自己肯定感を持たないと考える🤔。

 

①嬉しい時はどんなとなき🤔

=チューの成長を感じたとき。

 

これはとても嬉しい。チューはマイナスからのスタートだったから、0でも成長になるのよ。

 

10月の日曜日の朝、台風の影響で家の前が枯れ葉、枯れ草、枯れ枝が散乱していた。私が掃除していると、チューが手伝いに出てきた。後で祖母(私の母)に聞くと、「『パパはどこ❓』とチューちゃんが聞いたので、『パパは外で掃除しているよ』と言ったら、外に出ていったのよ。」だって。

私が小6だったらそんなことしなかったかもしれないなぁ😅。妻が言うには、気の優しい子だから、女の子にモテるそうだ。まぁ、モテるわな。校長先生やデイ・ケアの先生から「イケメン君」って言われているよ😌。顔も良いし、優しいし。パパもモテたかったよって、チューはモテようとしていないからなぁ😁。

 

②自分が楽しいときってどんなとき🤔

=考えごとをしているとき

 

私のブログの読者さんは「なるほどなぁ」と思うよね。私は「内向的志向タイプ」なのよ😅。まぁ、社交的ではない。社交的だったら、もっと出世しているわね😁。何かね、点と点が線になり、面になったときの面白さよ。実は、教室運営は好きではないが嫌いでもない。どちらかというと、教務的なことを考える方が得意なの。教室運営にも面白さはあるけれど、粗も探されるじゃない。嫌なのよね。そういう欠けたところをばかり見られるの😌。今ね。

 

③怒る時はどんなとき🤔

バカにされたと私が感じたときかなぁ。インナーチャイルドに問いかけると、やっぱり、そこが傷なのよね。50歳に近いのに、まだ中高生の頃の自分を乗り越えていない。これは仕方がないのかも。持病としておこう。自分でいうのもなんだけど、頭が良いんだけど、不器用なのよ。記憶力はあまり良くはないんだけど、分析力と、仮説を立てて道筋を作ることが得意。足りないのは勇気かなぁ🤔

 

④悲しい時はどんなとき🤔

真の悲しみって何だろう?辛いとか、不安であるとか、もどかしいとか。まだ、真の悲しみを感じたことがないのだろう。真の悲しみは家族との永遠の別れなのかもしれない。

雑談つれづれブログ

いや~、さすがに1万字を越えるブログは疲れた😅。それも、私のブログはつれづれだから話が纏まらずに、脱線し続ける。途中から自分が書きたいことが変わってきて、それを戻そうとしてもなかなか戻らなかった。そのブログがこちら👋😅。


つれづれなるままに人物を語る②石田三成(戦国武将)編 - つれづれなるままに

 

このブログを書き終えるのに3日間かかったわ。ということは、私のつれづれブログの限界は、1日1ブログ3000字なのかもしれないわね🤔。

 

でも、このブログ以外で、教室の通信を月に1回、8ページから12ページ書いているし、保護者会の資料やパンフや販促物の作成もしている。塾のライン記事も書いている。この日も、英語教育とうちの塾の英語の講座をリンクさせたライン記事作成の依頼があって、2500字弱の記事を授業や業務の合間をぬって、依頼があったその日の内に提出した💪😎。中身が良いかどうかは別にして、依頼された仕事はさっさと終わらすのが私の性分。だって1週間かけても、その日に終わらせても、中身のできは変わりがないから😅。だったら早い方が相手も喜ぶでしょ😉✨。

 

依頼のあったライン記事、割いた時間は実質1時間程度。会社が1文字1円で買ってくれないかしら😎。特殊な才能を使っているのだから。シンクタンクみたいな部署にいるのなら良いが、教室を運営して、生徒指導や授業もやっているんだからねぇ😁。まぁ、書くのは苦じゃないし、自己顕示欲を満たしてくれるから、良いかなぁと思っている🙃。でも、であれば、教室の業績が悪くても見逃してくれよ~とはいかないところが辛いところ😅。

 

いや~、昨日のブログは書き過ぎた。歴史系のブログは人気がないからアクセス数はそんなに伸びないだろう。そう。「だろう」ということは、このブログは、あの1万字のブログを投稿する前に書いているのよ😁。一応、このブログを書いている日付を残しておこう。11月9日(土)なの。

 

よくここまでブログを書き続けたなぁと自分自身に感心してしまう。自画自賛よ😁。400記事を達成したら、アクセス数を増やす努力しようと言っていたけれど、今のところ、400ブログを達成しても、このスタイルを貫き通そうと考えている😄。

書くこと以外に気を取られるのが嫌なのよね。だって書くことが好きだから。

 

誰か、私のブログのデコレーションをしてくれないかしら。

1万円で📢😁。

つれづれなるままに人物を語る②石田三成(戦国武将)編

(1)始めに

今回のブログは1万字近いわ😅。とても長いブログ😉✨。歴史好きの方はお読みになってね。歴史があまり得意でない方にも興味を持っていただけるように書いたつもりだけど、つまらなかったら飛ばしてね😌。軽い気持ちでアクセスした方は、悪くは言わないから、ここで退散した方が身のためよ😎。

 

石田三成について書いていたら、彼の話だけでは収まらず、脱線しまくってしまった😜。司馬遼太郎は作品の中で「余談であるが…。」と言って、話を脱線する。しかし、私は、話が脱線したら、戻らなくなってしまった🙃🌀。それが「つれづれ」なんだけれど、力不足を痛感したわ😅。

 

最近、ブログの投稿の時間帯を変えたら、アクセス数が微増しているのよ。ここで、こんな長いブログを書いたら、アクセス数が少なくなるかもしれないと、戦々恐々😁。何事もチャレンジ精神が大切だわ。だってリスクはないのだから😄。

 

(2)石田三成

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石田三成は「義の人」と言われる。「義人」とは「堅く正義を守る人。わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人。」とある。彼の正義は豊臣氏が政権を担当することであったのよ。

 

では、「正義とは」と考えると、正義の定義付けは難しい。辞書には「人の道にかなっていて正しいこと」とある。それなら、豊臣氏が政権を担当することが、人の道にかなっていることなのだろうか🤔。

 

豊臣秀吉は、最下層の身分から位人臣を極めた人物だ。

 


最下層の身分の人が政権を担うことは人の道にかなっているのだろうか🙄。

 

現在の民主主義の観点からすると、「最下層」というものがあること自体、人の道に背くものだ。

 

しかし、当時の常識にあてはめてみよう☝️😄。

 

関白は藤原氏の中でも最高の家格である五摂家(近衛家九条家二条家一条家鷹司家)でなければなれなかった。だから、秀吉は、まずは藤原氏の猶子となり、関白となった。

 

 

三成が追い落とそうとした徳川家康三河守になるときに「藤原氏」、征夷大将軍になるときは「源氏」に姓を変えた。

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当時は、由緒が分からなければ、政治を行えなかった。そういえば、秀吉は、はじめは征夷大将軍になろうとして、室町幕府最後の将軍である足利義昭に「養子にしてくれ」と頼んで断られているのよね😄。「どこの馬の骨ともわからない奴を養子にできるか💢」と義昭は言ったとか言わなかったとか。公家よりプライドが高かったのね。藤原氏はお金をつまれてプライドを売った。

 

そりゃぁ、私だって、得たいの知れない人が「養子にしてくれ」と言ってきたら拒否するわ😅。私は家柄なんて○○食らえと思っているが、やはり、素性がわからない人は警戒する。だから、秀吉を養子にした藤原氏って寄生虫だなぁって思っちゃうの。

 

藤原氏寄生虫に似ている」と言及したブログはこちら👋😅


ブロト~ク第3弾 - つれづれなるままに

 

 

今でも、権力の構造は同じよ。

 

昔は天皇の血筋が政治の権威。

今は国民の信託が政治の権威。

 

権威とは、自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。権力の根拠となるのが権威なのよ。

 

さて、三成の「豊臣氏が政権を担い続ける」という正義は正しいのか。これは、彼にとっては正しい。

 

寺の小僧だった三成は、秀吉に気に入られ大名になった。政権の中枢を担うようになった。その恩は海よりも深く、山よりも高い。

 

しかし、その秀吉は主君信長の縁者に何をしたか。次男の信孝を切腹に追い込み、三男の信雄は改易し、御伽衆にした。御伽衆って権力者の話し相手。主君の子を自分の子分以下にしたってことよね。何の実権もない御伽衆。

 

これが戦国の世の習い。しかし、彼はもっと凄まじいことをしているのよ~😱。

 

信孝の母親と信孝の娘を磔にして殺したのよ😱。本能寺の変の翌年、信孝と勝家が再挙兵したため。主君が死んで1年も立たないのに、主君の妻として、そして、その孫娘として崇め奉っていた女性を磔にした😱。

 

主君の死後、主君を「信長」と呼び捨てた手紙も残っている😣。

 

従って、豊臣秀吉は忠義の人ではない。しかし、戦国の世を終わらせようとした稀代の英雄である。その英雄に、最後まで忠義を貫き通そうとしたのが石田三成である。

 

子どもの頃、私は石田三成を悪人だと思っていた。徳川家康に反旗を翻した悪い奴だと思っていた。

 

でも、今は違う。

 

豊臣秀吉は、織田の天下を簒奪した。織田家の家臣の主導権争いである清洲会議で、信長の直系の孫、三法師を奉じて実権を握り、賤ヶ岳の戦いで、反秀吉の急先鋒であり信長の妹お市と結婚した柴田勝家を破った。このとき、織田家の天下を羽柴(豊臣)に譲らないと頑張った忠臣は柴田勝家なのである。

 

徳川家康は、秀吉を真似て、豊臣の天下を簒奪した。豊臣家の中の内紛に乗じた。形の上では、家康は豊臣の家臣である。秀吉の子、豊臣秀頼を奉じて、反徳川の石田三成一派を関ヶ原の戦いで破った。

豊臣秀頼 写真立て グッズ 雑貨

このとき、豊臣の天下を徳川に譲らないと頑張ったのは石田三成である。

 

賤ヶ岳の戦い関ヶ原の戦いは規模が違う。賤ヶ岳の戦い織田家の内紛。関ヶ原の戦いは豊臣家の内紛。しかし、前者は天下に影響力があったといえども、天下はまだ統一していない織田家。だから、全国規模にならなかった。後者は天下統一した豊臣家の内紛。影響は天下に与えた。

 

戦国の世は弱肉強食、下剋上。だから、織田を乗っ取った豊臣も、豊臣から天下を奪った徳川も非難されるべきものではない。だって当時の人々も非難していないはずよ。

 

では、本能寺の変織田信長を討った明智光秀はどうか。彼の行動は、戦国の世であれば非難されるべきことではない。でも非難された。

 

秀吉や家康と、光秀の違いはなんだろうか?

 

それは、大義名分がないことと、味方を作らなかったことなのよ。そして負けたこと。彼は敗者なので、味方しようとした人がいたら、証拠は抹殺されているけれど、その後の秀吉との山崎の合戦では、明智の兵力が16000に対して秀吉は40000である。倍以上の兵力差である。これでは勝てない。皆が秀吉に味方したのは、大義名分があったことと、利があったこと。

 

そう❗️☝️😄

 

味方すれば良いことがあって、加えて味方するのを躊躇う気持ちをなくす「大義名分」があれば、人は動く。大義名分とは、儒教の考え方で、臣下としての守るべき道義や節度のことである。つまり、「行動の正当性の根拠」であると考えれば良い。

 

人を殺したくない。しかし、殺して首を取ってくれば殿様の覚えめでたく(名誉)、加増される(給料が上がる)。主家や自分の家族を守る(大義名分)ためならば、人は喜んで人を殺すだろう。それが戦国時代だ。

 

これは、現代にも当てはまるところもあろう。戦争がそうであることは、皆さんは分かるだろう。仕事もそうである。自社の発展という大義名分と、給料をもらうという利があれば、多少の無理もやるだろう。ここは、あまり詳しくは書けない😎。多かれ少なかれ、現代でも、人を動かすのは「大義名分」と「利」だ。

 

石田三成は、最後まで豊臣に殉じようとした義人である。

 

(3)三成に足りなかったもの

関ヶ原の戦いで彼に足りなかったのは、身分が対等か目上の人に対する礼と仁だ。

 

よき友人の大谷吉継からも指摘されている。「お前は勇気がなく、横柄だ」と。大谷吉継は徳川につこうとしていたが、彼は三成との友情を優先し、三成に味方した。

 

でもね😄。友情ではないかも😳

戦国武将の分析には衆道が必要不可欠だと私は考える。男が男を好きになるということね。

 

織田信長前田利家

徳川家康井伊直政

伊達政宗片倉小十郎

武田信玄と春日源助

 

挙げていったらキリがない。男に興味を示さなかった武将は、豊臣秀吉ぐらいなものだと言われる。

 

男同士のちぎりはとても強い絆である。石田三成大谷吉継衆道だったという説があるが、私は頷ける。

 

石田三成は、どの戦国武将よりも凄いと私は考える。だって石田三成は19万石よ。徳川家康は250万石。経済力の差は13倍。

 

動員できる兵数に換算する☝️😄。その方が分かりやすい。

 

1万石あたり250人と言われる。だから、石田三成の動員できる兵数は5000人程度である。徳川家康は65000人弱。それがあと一歩のところまで家康を追い詰めたのよ。さすが戦国の世を生き残った家康の老獪さに負けてしまったが。13倍の国力の差で、あと一歩のところまで追い詰めるその力。プロデュース力は半端ない😎。

豊臣物産の課長クラスの社員(石田三成)が、創業2代目社長(豊臣秀頼)を蔑ろにする老獪な副社長(徳川家康)の追い落としを図った。もっと人望があればと悔やまれるし、才能があっても勇気と人望のない自分にダブらせている。

 

いや、ある意味、彼は勇気があったわ😳。13倍の相手に戦いを挑んだのだから。

 

石田三成型の官僚は、国を滅ぼすことにもなる。

 

明智光秀は主君を討った。そこに主君に対する義はない。義とは「堅く正義を守る人。わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人」とある。三成の正義は豊臣氏が政権を担当することであった。一見、人の道に沿っているように見えるのがくせ者なのよ。「正しさ」とか「正義」って抽象的なものなの。だから、危ないの。「正義」っていう言葉は美しいでしょ。でも、抽象的だから、中身がなく、何でも中に入れられるのよ。宝石箱に似ている。

 

宝石箱は美しい。何か素晴らしいものが入っているかもしれない。中身は糞尿かもしれない。でも、宝石箱を見ている限りは美しい。

 

正義って美しい言葉。何か素晴らしいことを語っているかもしれない。中身は戦争かもしれない。でも、正義という言葉を見ている限りは美しい。美しい言葉だから、その言葉にうっとりして酔ってしまう。

 

「豊太閤(秀吉)様のご恩を忘れたか。その豊太閤様が秀頼様を後継者とお考えなっておられた。そのことは五大老どもも知っていることだろう。それなのに、そのご遺志に反することを行うのは正義ではない。正義は政権が豊臣氏にある状態なのだ。」

 

正義は独善的になる。なぜなら、我が身の利害を考えないからだ。

 

人は我が身の利害を考えるものなのである。三成さん、あなたは我が身の利害を考えなかったのであろう。それは素晴らしいことなのかもしれない。いや、素晴らしいこととしておこう。しかし、それを他人に求めてはいけない。あの秀吉さえ、実質的には天下を治めきれなかった。なぜなら、織田信長が死ぬまで、信長の一家臣だった。それも「サル」とか「ハゲネズミ」と小バカにされていたのである。それを才能ではね除けた。

 

考えてみる。会社の出世競争。

 

ずっと年下の後輩が自分の上司になったとしよう。その後輩上司に心から従える奴は稀である。加えて、自分は高学歴、後輩上司は名の知らぬ大学卒だったらなおさらではないか🤔。それが人の自然な感情である。そして、それを理性の力で抑えているのではないかなぁ🙄。

 

秀吉は、身分制が厳しい時代に生きた。身分の最下層の卑賎の出。それは小牧長久手の戦いのときの家康の家臣である榊原康政の檄文からも分かる。

それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。しかるに、いったん信長公の寵遇を受けて将帥にあげられ、大禄を食みだすと、天よりも高く、海よりも深きその大恩を忘却して、公の没後ついに君位の略奪を企つのみか、亡君の子の信孝公を、その生母や娘とともに虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。その言語に絶した大逆無道 黙視するあたわず、わが主君 源家康は、信長公との旧交を思い、信義を重んじて信雄公の微弱を助けんとして蹶起せり…。

秀吉の痛いところを突いた名文である。現在、こんなことを書いたら、書いた者の人格を疑うが、当時はこれが常識なのよ。そんな状況の中で、信長が死んで8年で天下を統一した。でも、天下の武将は秀吉を心の底から臣従していないわ。気性の荒い戦国時代の人々は「あいつが天下人になれたのだから、俺もなれるはず」と思ったはず。そう思わなくても「あいつが天下人になれたのだから、俺も今以上の身分にはなれるはず」と思ったわ。だから、関ヶ原の戦い前後の家康の言動も、その後、家康が豊臣を滅ぼしたのも、当然であると受け止めていた可能性が高い。「力がある者が天下を治めるのは当然である」と当時の人々は思っていたのよ。その「力がある者が天下を治める」という常識を覆したのが、徳川幕府であるのよ。この辺は、後日語りたいわ。

 

(4)私の石田三成

長々と、石田三成の評価を語るための時代背景を語ってきたわ。私は、それでも石田三成が好きなのよ。理念先行、利害無視。自分の理念に反したら、どんなに強者であっても立ち向かう勇気。短所である「横柄」「不器用」も、私にとっては好感度が高い。横柄なのは自分より目上の人に対してだ。良民には慕われていたとも言われる。豊臣家に対して忠義の人であった。その忠義が正しかっかたというと、それは難しい。結果、豊臣家の滅亡の原因となったという解釈が可能だ。

 

しかし、野党(政権を取って変わる者)の存在を認めるようになったのは、民主主義が善となった近現代だ。近世までは、野党の存在を認めない。政権をとる手段は戦争だ。平和な選挙ではない。だから、選挙は戦争とも言い換えられるのかもしれない。

徳川が政権を取れば、前政権を担当した豊臣が滅ぼされるのが、この時代の常識だ。

優しい男だった平清盛は、野党となる者を残してしまった。源頼朝である。平清盛源頼朝の父と争って勝った。頼朝の父は殺された。まだ、12歳の頼朝は、清盛の義理の母の助命嘆願で処刑されなかった。

 

義理の母の願いだったのがポイントよ☝️😉✨。

 

実母だったら、清盛は彼女の言うことを聞かなかったと私は思うの。義理の母への遠慮が清盛にはあったはず。また、義理の母は清盛に我が儘を言って、清盛の心を試したのよ、きっと😣。

「この子、私の言うことを聞くかしら。キチンと母としてたててくれるかしら。」ってね。

だって、敵の御曹司、源頼朝を「私の亡くなった子どもに似ているから殺さないで~。」なんて言えるか~🤔。私が平清盛で、実母に言われたら、「母上。全く似てません。」とか、「母上、似ていても、あの子ではありません。憎っくき源義朝の息子です。」とか、「母上、眼科に行ってください。」と言うだろう😎。しかし、義理の母に言われたら…、私も許してしまうだろうなぁ😅。清盛の継母は池禅尼である。清盛の父親のもう一人の妻だ。だから、比較はできないのだが、私にも義理の母がいる。妻の母親だ。義母に「亡くなった息子に似ているから助けてほしい。」と言われたら…。それは非情になれないな😌。実母であれば「俺がいるだろう。ふざけるな。」と言える。いや、そういう気持ちで接することができる。しかし、義理の母にはそんなことはできない。「俺がいるだろう。」と言ったら、「だってお前は実の子ではないじゃないか」となるだろう😓。それに、義理の母に無慈悲なことをしたら、妻からも詰られるだろう😱。まぁ、こんな想像をすること自体、詰られてしまうのだが😅。

 

頼朝を殺さなかったために、平氏は滅びた…とは、私は考えない😔。源頼朝がいなくても滅びたであろう。それかしばらくの間、一地方政権となってその後滅びたであろう。なぜそう言えるのか。それは歴史の流れに逆らっているから。次代の歴史の主役は武士である。これは、この時点で確定している。土地が富を生むものだから、土地を誰が支配するかが重要なのだ。朝廷は権威はあったが、実力はない。土地の支配も名義貸しみたいなもので、実際は武士が支配していた。しかし、名義を借りている手前、武士は、多額の名義貸し料を貴族に払っていた。貴族は不労所得を得ていたのね。それで「幕府」という武士の労働組合を作って、労働争議を起こしていたのよ。当時は「幕府」なんていう言葉はなかったけれど。武士が土地を実質支配しているのだから、次の主役は武士なのに、平氏は、武士の武士による武士のための政権にしなかった。だから、平氏政権は潰れるのは自明之理。

 

と考えると、豊臣政権も、大きな歴史の視点で見れば、豊臣氏が武士を治めようとする限り、滅びるのは自明之理。だって、秀吉のワンマン経営だったから、行政組織も不完全なものだった。その上、トップは子どもとお嬢様。さらには譜代の家臣がいない。譜代の家臣とは何代も渡って仕えた家臣である。ナイナイ尽くしの急ごしらえの政権であった。

と考えると、私は石田三成に同情してしまう。そして、無理をしなくては滅びることが分かっていて、それでも何とかしようとするところが、今の私と被ってしまうのよ😅。また、主流だった人が主流から外れても、慕う気持ちに変わりがないところも、私と被ってしまうのよ。「この人は」と思う人とは、損得抜きなのよ。家族が大変な思いをしていると聞いたなら、何の確認もせずに、疑いもせず、会社のことなんて放っておいて、家族に尽くせと言える人に私はついていく。やはり、人と人とを繋ぐのは情である。

 

石田三成は、多くの人と情で結ばれず、利も説くことができなかったが、主人に尽くし、大谷吉継という親友がいて、良民に慕われた人である。私はそんな石田三成が好きだ。

でも、最後に1つ三成さんに言いたいことがある。豊臣家を存続させたかったのなら、武家のトップは徳川に譲り、公家のトップとして残り続けることも可能だったのよ。大阪城を出て、天皇にすがれば良かったの。それでも生き残れなかったかもしれないけれどね。でも、それを三成に言うのは酷かもしれない。だって、家康に味方した、秀吉の子飼い、福島正則加藤清正などは、豊臣家に反抗している気は更々なかった。奸賊三成を殺せば良かった。彼を取り除けば豊臣氏は安泰だと考えていた。徳川家康はその気持ちを利用し政権を奪ったのよ。公家になることを勧めなかった非は、関ヶ原後、豊臣氏内で実権を握った者達にあろう。大野治長とかね。豊臣氏を滅ぼした一番の原因は誰だと考えるかな🤔。私には答えがある。それは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊臣秀吉よ。小牧長久手の戦いで徳川家康を滅ぼせなかった。戦闘では秀吉は家康に負けたのよ。しかし、戦略で勝った。家康は、織田信長の三男信雄を旗頭に秀吉と戦った。秀吉が織田家を乗っ取ろうとしているので助けてほしいと信雄が家康に頼った。家康は「織田家の同盟国として助けるのが義である」と、秀吉と戦った。戦闘では2度も勝った。一方、秀吉軍は利に集まった烏合の衆。ただ勝ち馬に乗りに来ただけの味方ばかり。忠義の譜代の家臣はいない。負け始めれば、裏切ったり、逃げたりしてしまう。秀吉軍は崩壊してしまう。それを熟知していたのは他ならぬ秀吉だ。だから、家康を差し置いて、旗頭の信雄と和解した。ホント、信雄は不義理なバカ殿。家康に相談なく和解した。家康は天晴れ、その事を非難することなく「戦がなくなるのは天下にとって素晴らしいこと」と言って軍を収めた。こんな腹芸できないわ。信雄に怒って当然よ。彼のためにお金も人も使い、死者も出ている。腸は煮えくり返ったであろう。しかし、怒らずに矛を収めた。これは敵わない。秀吉は家康が怖かったであろう。色々なエピソードがあるが、最も印象的なのは、その最期である。泣きながら、家康を筆頭とした五大老に「秀頼を頼む」と頭を下げ、誓紙も書かせた。でも、無理よ。そんなこと。家康は腹の中で「それは身勝手だよ。ハゲザルよ。お前が織田家にやったことを今度は俺が豊臣にしてやるよ。だって、政治の組織もできていないし、こんなはな垂れ小僧(秀頼)と深窓のお嬢様(淀)に天下を治められるものか(笑)」と、言ったはず😎。秀吉でも敵わなかった相手に、家康からしたら小役人三成が敵うはずがない。

もしも、秀吉が死に際に、秀頼と淀と諸大名と家臣を全員集めてこんなことをしたら、家康は手が出なかったかもしれない。

「秀頼よ。私が死んだあと、家康公を父とせよ。主人とせよ。家康公よ。もし、秀頼が成人して立派な武将になればよく補佐をしてほしい。無能ならば廃し、あなたが天下の主となれ。」

こう言ったら、その場では「はい」と言えないだろう。そこに畳み掛けて

あなたを征夷大将軍にするよう朝廷に伝えよう。

と言ったら、彼は辞退せざるを得ないだろう。これは、三国志で死に際の劉備諸葛亮に伝えた言葉を参考にした。

 

さて、長々と書いてきたが、私がこのブログで言いたかったことは、石田三成が好きだということなのよ。たった「石田三成が好きだ」と8字のことが言いたいがために、10000文字近く使ったことになる。しかし、こうも言える。一文字に1000倍以上の情報が入っていると。言葉って面白いね。最後までお読みになった方は、「ゆうのことがとっても好き」か、「歴史がとっても好き」か、「とっても暇か」のどれかよね。とっても暇だった人が、このブログを読んで、私のことを好きになるか、歴史を好きになったら、と~っても嬉しいわ😆。

 

最後まで付き合ってくれてありがとうございます🙇

ブログ考~投稿時間を変えてアクセス数がどうなったか~

10/31からブログの投稿時間を朝の7時から夜の8時に変更した。その告知ブログがこちら👋😄


ブログの投稿時刻変更のお知らせ😅 - つれづれなるままに

さて、ここでホントザックリとした検証をしてみるわ😅。私は分析好きだが、ブログではそんな精密な分析をしない。だって私のブログは「つれづれ」なんだもん😎。

 

(1)アクセス数

最近、私が気にしている数値は、アクセス数。フェイスブックに投稿し、たまにツイッターにも投稿するから、はてなブログ所属のブロガーではない方が私のブログを読んでくれるようになったから。だから、星の数は30いけばとても満足している😄。

【アクセス数推移】

1日(金)55

2日(土)81

3日(日)88

4日(月)51

5日(火)59

6日(水)42

7日(木)82

8日(金)85

9日(土)73

 

変更後のアクセス数616

日数9日

1日平均68.4アクセス

 

変更前のアクセス数23040

日数291日

1日平均79.1アクセス

 

え~😱。

アクセス数が減った❗️❓😱

 

チョ待てよ❗️😎

いやこの表現は嫌い😁

ちょっと待てよ❓🤔

 

以前は1日に2~3ブログ投稿したこともあった。今は1日1ブログだ。だからブログ数で割らなければ、比較できない。

 

変更前のアクセス数23040

ブログ数363

1ブログ平均63.4

 

おっと、63.4→68.4

5も増えた😆✌️

 

あと曜日によってアクセス数の傾向ってあるわよね🤔

 

週末アクセス数が増えて、週が始まると一旦減る。

月~水ってこれまでもアクセス数が少なかったのよね。木曜日からアクセス数が増えていく。これは、ブログを始めた頃から、何となく感じていたことなの😄

 

まず考えられることは、私のブログが週の始めに読みたくなるような内容ではないから😱。もしくは、ブログの読者さん全体の傾向なのかもしれない。

例えば、これから1週間仕事を頑張ろう💪としているときに、一般のオヤジのグチが書かれているブログは読みたくないなぁ😅

ということは、曜日によって、ブログの内容を変えるのも、アクセス数を増やす方法の1つなのかもしれない。

 

【曜日別ブログの内容の方針】

月曜日

人が聞いて楽しい話。ライト系の話が良いのかもしれない。

 

火曜日

情報系の話題かなぁ🤔。今度の休みはどうしようかと考えている方に参考になるようなものね😉✨

 

水曜日

アクセス数が底になるから、この日はブログをお休みにするかなぁ🤔。

 

木曜日

徐々にアクセス数が多くなるので、共感系の話にする。

 

金曜日

明日からお休みの人が多いと思うので、ハッピーな話が良いのかも😄。

 

土・日

自分が本当に書きたい内容にする。

 

と書いていったが、私がこのようにするかって❗️❓😎

 

しないわよ~😁。

だって私のブログは「つれづれブログ」なんだもの😄

思い出の1コマ

妻と息子が妻の実家から帰宅携帯電話に息子から
「今、家の近くまで来ています。ラーメン食べに連れて行ってください。」と連絡が入った。

妻はラーメン
息子はコーンラーメンとコーラ
私は瓶ビールともつ煮込み

👦「パパはビールを飲むんですね」
👨「お前も飲むか❓😁」
👦「お酒は大人になってから
パパと一緒にワインとビールを飲みます」
👩「ママは大人になっても飲めないの」
👦「ママはコーラで大丈夫です」

息子はお肉が苦手。ママのメンマや🍥や海苔をもらい、息子はチャーシューをママに渡すいつもの光景。

そう。
いつもの光景に幸せかみしめ、ビールが旨い。

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連載小説~深夜の謀議その3~「つれづれなるままに歴史を語る第5部」

(1)前回までのお話

さて、前回のお話はこちら👋😄。リンクを押していくと、第1話まで遡れるわ😉✨


連載小説~深夜の謀議その2~「つれづれなるままに歴史を語る第5部」 - つれづれなるままに

 

(2)第3話~天皇家とは~

林羅山の「徳川家が関東の天皇になる」と言う発言に「我が意を得たり」と思ったが、渋い顔をした。

天海

「道春よ。お主は若い。だから、口が軽い。そのようなことを単刀直入に言うものではない。」

家康

「京都の天皇家はどうする。」

 

天皇家の権威は絶大である。天皇家が日本を治める正当性が覆ったのは、戦後である。明治維新の五ヶ条の御誓文は、明治大帝が、祖先神に誓いを立てるという形で出された。武家政治は天皇から武士に政を委託されたという形を取る。だから、日本は戦後、外圧に屈するまで、天皇支配の正当性を乗り越えられなかったということにもなるのだ。

 

日本の始まりはいつかは分からない。神話時代の神武天皇が即位したのが紀元前660年と言われる。時代区分で言うと縄文時代となるから、この神武天皇の即位は神話の中の架空の話と言える。卑弥呼天皇家の祖先だとか、万世一系天皇家と言えども、少なくとも2~3回、王朝が変わったという説もある。しかし、そうは言っても、これだけ長く続く王朝は珍しい。

 

天皇家が日本を治める根拠は「天壌無窮の神勅」である。戦前の国史の教科書の1ページ目にも載っていた。天皇支配の神学においては、とても大切なものである。

 

天照大御神瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に

この日本の国は、私の子孫が王となるべき土地である。皇孫であるあなたが治めなさい。無事でいるように。皇室が栄えることは、天地がある限り永遠である。

と神勅を与えた。これが日本支配の正当性である。

 

その天皇寄生虫のように纏わりついたのが藤原氏だ。天皇の権力をなくし権威化し、日本の土地は全て天皇のものにした(公地公民)のに、それを荘園制という脱税システムで無力化した。

宿主の養分を吸って、宿主にはならないのが寄生虫

天皇家の財産(税)を荘園制で吸い上げて、天皇にはならないのが藤原氏だ。

平安時代とは、全く平安ではなかった。地方は荒れまくり、自衛しなくては財産を守れない。栄えたのは京のそれも一部だけ。全人口の1%が日本の富を独占しているという状態であった。

 

だって見てよ。

平等院鳳凰堂を。

藤原氏の私財で作ったのだ。あれを見ると、国風文化の素晴らしさと藤原氏の横暴を私は感じてしまう。

 

その支配に反旗を翻したのが平将門。天壌無窮の神勅による支配ではなく、力の支配を訴えた。しかし、その将門ももとをたどれば天皇となる。

家康は三河の女ったらしの坊主が祖先だと言われるが、系図を買い、源氏の血筋とした。源氏の血筋ということは、もとをたどれば天皇家だ。天皇家の血筋を買わなければ、征夷大将軍として世の中を治められない。その後の「パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」と世界から称賛されたことを踏まえると、藤原氏の政治と比較するのは徳川氏に失礼だろう。

 

支配の権威付けは「天皇家」である。天皇に任命された天皇家の血筋の者が日本を支配する。これは中世とされる武士の世の中でも変わりがなかった。その天皇家に対抗して、東の天皇家になるとはどういうことか。

天海「天皇家は、黄泉の国に封じ込め、あの世を治めてもらいましょう。穢土は徳川家、浄土は天皇家とすればよろしいかと思います。天皇家大国主命を浄土の主としたように。」

天海は不敵な笑みを浮かべていた。

 

(3)終わりに

あぁ、1500字を越えてしまった。もっと話を続けたいのですが、今夜はここまで👋😄。

思い出の道

私の後を追っていたキミ

私と常に手を繋いでいたキミ

私よりもそんなに先を歩けるようになったんだね

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私も父と歩いた道

この道を通るたびに

ふと父も同じことを感じていたんじゃないかと思う

 

父との印象深い思いでは

亡くなる1週間前

駅まで車で送る途中

「お前がいるからお母さんは大丈夫だな」と私に言ったこと

病状が進んでいるとは露知らず

あまり重くは考えなかった

 

父は母が気になっていたのか

人に託すも愛

 

私には

子の幸せ 妻の幸せ 母の幸せ

3つの責任がある

 

愛とは責任と赦し、そして感謝

父の期待に応えられたかな

けっこう大変なのよ

不器用な私には

 

子はよく成長してくれた

彼に妻を託すことは出来ないが

道さえ作ってやれば

そして良い人を見つけてやれば

何とか暮らしていけるだろう

 

やはり気がかりは妻

妻が気がかりなのは

父と変わりないが…。

郷愁

何かね。

最近、学生時代を思い出すことがある。歳を取ったのだろうか。それともあんな夢を見たからかもしれない。


短編小説①「ダイアモンド💎」 - つれづれなるままに

 

何かね。

胸が、胸が浮いていくような感覚に襲われるんだ。

 

チューは女の子にも男の子にもモテている。何か、それが嬉しくもあり、微笑ましくもあり、そして、羨ましくもある。ジェラシーではない👋😅。

 

う~ん🤔。

 

嬉しくて羨ましいのよ😆。

 

パパは堅くて不器用だったのよ。それでも、小学生のときに、結果として女の子を振ってしまったことがある😣。背が高い、かわいい子だったなぁ。○田○○子さん。小3~小4のときに同じクラスだった。今まで忘れていたのに、フッと名前を思い出すんだ😅

 

夏。陽射しの強い放課後。彼女と仲の良いおさげ髪の女の子が下駄箱のところで、おもむろにボクに聞く。

「ゆうは○○子のこと好き❓」。

このとき、心はドギマギして、でも素直になれなくて、「う~ん。好きではないよ(普通だよ)。」と答える。そしたら、その子が「○○子、振られた~」って言って、去って行く。

 

今の私が、その時に戻っていたら、何と言うだろうか。「うん。好きだよ。」ってサラッと言うだろう。

 

このあと、今の妻と出会うまで、女運がなかったなぁ🤔。まぁ、最後、女運を引き当てたから、良しとしようとノロケておこう😁。

 

中学時代、女の子のボスに嫌われ、嫌がらせを受けてきたことが、女性に対する傷になったことは否めない。詳しくはこちらのブログで👋☺️


自分を見つめる190123 - つれづれなるままに


インナーチャイルド190124 - つれづれなるままに


思い出とインナーチャイルド190223② - つれづれなるままに

 

そのとき、そのときで、良いなぁと思う子はいたのだが、今と違って、口下手な上、聞き下手だったのよね、私は😜。

 

高校生のとき、卒業旅行だったかなぁ🤔。同級生と後輩と一緒に箱根に一泊旅行に行ったのよ。電車でせっかく隣に後輩の女の子が座ったのに、気の利いた話ができず、重い雰囲気に😱。長い時間、彼女に悪いことをしたなぁって、今でも後悔している😅。

 

これって後悔なのかなぁ🤔

妻にもチューにも満足しているというか、この二人と出会えたから、私の人生が有意義になったのだし、この選択肢しかあり得ないと思う。この選択に後悔は全くない😄。

 

じゃぁ、このざわつく気持ちは何だろう😅。もう一方の道に進んでいたらどうだったのだろうという好奇心か❓🙄。いや、それとも違う気がする。だって見たくないもの。今の私が当時の私に乗り移ったら成功するだろうが😎、当時の私では、告白しても、その先は見えている。

 

えっ❓😁。何よ、今の自分に対するその自信は❓😎。

 

包容力も、聞き上手になったのも、優しくなれたのも、全て妻とチューのおかげよ。それなのに、感謝を忘れて、当時の私にタイムスリップするなんて、あり得ないわ😊

 

とすると、この心のざわつきが郷愁というものなのだろうか。郷愁とは「故郷を懐かしく思う気持ち」の他に、「過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち」もある。あぁ、あのとき、あの子のことが好きだったんだなぁと、そのときの自分の気持ちを味わっているのだろう。

 

郷愁(作詞)ゆう

どこか遠くに行ってみたい

そして誰かと会ってみたい

 

この川はどこから流れているのか

この川はどこへと流れているのか

 

川が行き着く先は黄昏の海

黄昏の先にはあのときのボクが

 

放課後のドッジボール

駄菓子屋のカップめん

 

あぁ

あのときの友はどこにいるのだろうか

 

空は黄昏

心は暁

 

キミの隣にいるだけで

世界の色がこんなに変わる

 

あのときの

トランプ占い

花びら占い

何度も試して喜んだ

 

好きだった人を思うと胸が高鳴る

 

高鳴るだけで良い

やり直したくはない

 

今に戻ろう

愛する人を幸せにするのが

ボクの幸せ

宗教談義

もう20年近く前になるかな🤔。会社の飲み会で、哲学的な話になった。そこで、私がいまだに印象に残っている出来事がある。

 

どんな流れだったかは定かではない。私が「神様って人の心ですよね。」と言ったら、「それって結構大切な視点だよ」と上司が言った。また、「弱いことって、結局強いことなんじゃないですか。」と私が言ったら、その上司は「その考えって危ない面があるよ。」と言った。それがなぜかという話にはならなかったのだが、その言葉が妙に耳について離れなかった。まぁ、こんな話をお酒を飲みながら上司とできる良い時代だった。だから、生徒指導も充実していたんだと思う😔。

 

彼の大学での専攻が「宗教」だったのも頷ける。今なら、彼が言いたかったことは、よく分かる。

 

信仰って、やはり人の心なのよ。

 

神は人の心とするならば、「神はいない」とか「宗教は阿片である」というのは、その人には人の心がないということに等しい。だから、そういう考え方に対して人は衝撃的でもあり、憎悪もするのだろう。

 

ユダヤ教という母は3人の子を生んだ。長兄キリスト教と、次兄イスラム教の仲は良くない。しかし、末弟の共産主義は「私には母(神)はいない」と言い出した。

 

無神論は、「私には『母はいない』」もしくは、「私には『心がない』」と聞こえるのだろうか🤔。

 

マルクスニーチェもほぼ同じ世代であり、ドイツ出身であることに興味がある。

 

この辺りの話は、他に譲る。

 

哲学や宗教を知ることは大切だと思うの。

 

マルクスさん、人の宗教心を否定しては、なかなか受け入れられないよ。確かに、宗教心を利用する権力者は後を絶たない。

世界宗教もそうだろう。キリスト教もその一つ。免罪符という集金システムがあった。

また、民族宗教であれば神道も同じだろう。いまだにお賽銭という集金システムがある。

 

仏教であれば浄財か🤔。

 

例を挙げたら、キリがない。ここで考えてもらいたいのは、このたくさんの例をもって「宗教は阿片(覚せい剤)」と言い切って良いものだろうか。この言い切りとは一般化ね😄。

 

3つの連続する整数の和は3の倍数になる。

0+1+2=3

1+2+3=6

21+22+23=63

 

😎「ほ~ら、3つの連続する整数を足すと3の倍数になるだろう。」

 

👦「いや、もっとたくさんの試してみたら、3の倍数にならないかもしれないじゃん。」

 

111+112+123

=336

 

999+1000+1001

=3000

 

😎「ほ~らこれで納得したかい。」

 

👦「いや、もっとたくさんの試してみたら、3の倍数にならないかもしれないじゃん」

 

😎「数は無限にあるんだ。全て試せるわけないだろう💢。」

 

👨‍🏫「じゃぁ、私が説明しよう。」

 

😎「そんなことができるのかい。」

 

👨‍🏫「整数をXとおこう。このXにはどんな整数をいれても良いとする。」

整数=X

3つの連続する整数

X-1,X,X+1

これを足すと

(X-1)+X+(X+1)=3X

 

👨‍🏫「Xにどんな整数にしても、その整数を3倍しているのだから、必ず3の倍数になるよね。」

 

👦「納得~❗️」

 

なぜこんな話をしたのか🤔。これは私の大好物の具体と一般化。言い換えると、公式化と言っても良いだろう。

 

いくら具体的な例を挙げても、一般化をする場合は飛躍が入るもの。数学の公式には飛躍はない。しかし、事象の公式化には飛躍が入るのよ気をつけて。

 

「宗教=阿片」という公式には飛躍が入るというか、欠落した部分がある。この公式を成り立たせる私の見解をお伝えするわ☝️😄。

 

キリスト教+教会(国家)

=腐敗

(教会は組織化といっても良いかも)

 

神道(の教え)+日本

全体主義(戦争)

 

仏教+幕府=檀家制(堕落)

 

どれも、宗教が人を縛り付ける、もしくは人を不幸せにするのは、権力者に利用されたときなのよ。だから、

 

宗教+権力=阿片

 

いや、宗教と権力が化学反応したときだから

 

宗教+権力→阿片

 

となることが多いとしておく😄。「ことが多い」がポイントね😉✨

 

従って、宗教が阿片(覚せい剤)であるわけではない。宗教に権力が絡んだときに阿片となることが多いと言えるのよ。

 

だから、「宗教は阿片ではなく、宗教を使うものが宗教を阿片に変える」というのが私の考えなのよ。私のマルクス論はこちら👋😄


つれづれなるままに歴史を語る(第2部①) - つれづれなるままに

私はニーチェも好きよ💕。彼は晩年狂ってしまった。いや、あんなことを考えていたら狂うわよ😱。

 

昔は「強い者が善」であり、「弱い者が悪」だった。強い者に憧れるのは、生き物として当たり前の事だ。それを倒錯させたのがユダヤ教であり、キリスト教であるとする。

 

国が滅びて虜囚の目に遭い、「いつか救世主が現れて、憎いあん畜生の顔めがけて、叩いて、倒してくれる」と思っていた🥊。しかし、いつまで経っても救世主が現れない。すると、「私に暴力をふるうのならふるいなさい。私は抵抗しません。いや、私達の財産を狙うなら私達の上着をも与えなさい。」と言うようになり、「何て悲しい人たちなのでしょう。」と心の中で蔑むようになった(ルサンチマン)。そして、強者が弱者になり、弱者が強者になったターニングポイントがキリストの磔刑であると言う。

 

これを知ったとき、私は、スゲ~😱と思ったよ。これは狂うわ。ここまで分析してしまうなんて。

 

その上、彼は「ツァラトゥストラはかく語りき」で「神は死んだ」と言う。「髪は死んだ」じゃないのよ😅。「神」よ、「神」😱。神様なんて人間の妬みが作り上げたものと看破し、その神を人間はよってたかって集団リンチして殺してしまったのよ。

 

キリスト教絶対の世界でそう言いきったのが凄い⤴️⤴️。

 

彼は、その神が死んだあとの世界まで言及し、そんな神がいない世界をどう生きるかまで考えたことも凄い⤴️⤴️。

 

そして、現在、日本に住む多くの人に当てはまっちゃうのだから、さらにすごい。興味があったら調べてみてね😉✨

 

たまにこんな偏った内容もあるのが、つれづれブログたるゆえん。お付き合いありがとうございました🙇。

チューの成長を感じるとき

チューの成長を感じるとき①

先日、合唱祭があった。小学生最後の合唱際なので、見に行きたかったが、朝から会社で「塾の講師の学力テスト」と「正社員の会議」で行けなかった😣。まぁ、これはこれで仕方がないのだが。だから、家でチューに「どんな歌を歌ったのか」と聞いた。するとチョーは「次の空へ」と答えた。


YouTube

👨「いや~、パパはチューの唄うところがた見たかったなぁ。歌ってくれるかなぁ😊。」

👦「…😅。」

ずっとはにかんだ笑顔。でも、なかなか歌わない。

そこでバーちゃんが

👵「出だしがなかなか思い出せないんだよね。」

👦「…😌」

👨「ハハハ、よく分かったよ。節をつけなくても良いから、最初のフレーズだけ教えて。」

👦「…😅。」

👵「そうね。みんなで歌うものだものね。」

そこで、私は意地悪く

👨「ふ~ん、じゃぁパパも今日はどこにも行きたくないから、家にいるよ😁。」

👦「…😓。10年前の僕は、僕の夢を知らない。」

👨「良い歌詞だね。ありがとう。チューは、歌うのが恥ずかしかったんだよな。」

👦「はい。」

👨「ありがとうなぁ。もう小6で、来年中1だものなぁ。」

私が、まだまだチューが小さいと思い込んでいるのだろう🤔。親のいうことをきかないことも大切よ。自我か目覚めているんだなぁと少し嬉しくなった生活の中の一コマであった。

 

チューの成長を感じるとき②

月曜日は私が休みの日だ。登下校は車で彼を送迎をする。帰りは妻と一緒に学校に行き、家にランドセルを置いて、そのまま駅へと向かう。電車に乗って30分先の、私が勤める塾に彼を連れて行き、勉強させるのだ。

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職員室には、私が休みの日に教室の留守番をするパートさんしかいない。別室で、彼が学習するオンライン英会話の準備を私がする。チューがその部屋にやって来た。パソコンにパスワードを入力しなくてはならない。このパスワードは速読速脳のパスワードと同じ会員番号である。チューは番号を覚えている。

👨「チューよ。あなたのパスワードは❓」

👦「…😑。」

👨「パスワードを入力した後、マイクチェックがあるんだ。教えて。」

👦「個人情報です。」

管理簿を調べれば、聞かなくても分かるのだが、管理簿を見に行くのが面倒臭くて、チューに聞いた😅。

👨「おぉ、小難しい言葉を知っているんだなぁ😅。まぁ、周りに人はいないんだし、パパなんだから、教室の管理者で調べれば分かるんだから教えなさい😌」

チューは少し不満顔。誰がそんな小難しい言葉を教えたのか聞くと「ママ」とのこと。

難しい言葉を覚えたら、すぐに使うのは良いことだ。でも、パパが中1のときに失敗したようなことはしなさんなよ😅。

掃除をサボっている女子に「掃除をサボる正当な理由を言え」と言ったら、その中に女子のボスがいて、2年間いじめられたなぁ😌。部活に打ち込んでいて意に介さなかったけれど。でも、言い方は注意しないとね。

 

チューの成長を感じるとき③

ひげよ髭😁f:id:yujisyuji:20191104102511j:image

1階からパパが髭を剃る音が聞こえてくると、チューは2階から笑いながら降りてくる。髭剃りの音が好きなのよね。それで、パパの真似をして髭剃り機を使って髭を剃っていたから、髭が濃くなってしまったのかもしれないなぁ😁。

 

チューの課題を感じるとき

最後に彼の課題。

成長していると日々感じているよ。あなたには。今日は「ごみを一緒に持っていこうぜ」と言えば、「はい」と言う。素直で嬉しいんだけど、その優しさに一抹の不安を感じる😔。

 

それは言葉、つまり国語力よ。それと自己主張。

 

チューがお風呂に入っているので、私はチューのベッドに寝そべってテレビを見ていた。お風呂から出てきたチューは、私の隣にニコニコしながら寝そべった。

👨「パパが先にここで寝ていたんだぞ。」

👦「…😓。」

👨「パパに何か言うことがあるだろう。」

👦「ありがとうございます。」

👨「そうではないなぁ。それじゃ、パパが先に寝ていたんだから、チューよ、ベッドに入ってこないでくれるかなぁ。」

👦「…😌。」

👨「チューは、このベッドで寝たいのだろう。」

👦「はい。」

👨「それならパパに何か言うことがあるだろう。」

ベッドの下からママが答えを言おうとした。

👨「それをあなたが言ったらダメだ。チューよ。ママの声が聞こえたか。」

👦「聞こえませんでした。」

👨「このベッドは誰のものだ。」

👦「僕のです。」

👨「であればパパに言うことがあるだろう。」

👦「これは、僕のベッドです。」

👨「だから。」

👦「どいてください。」

👨「分かりました(笑)。」

なぜ国語力を養うのか。それは、自分の意見を相手に伝えるためであり、相手の意見を理解するためである。国語力は塾で育むものではない。家庭で育むものである。このケースでは「一緒に寝ても良いですか。」も正解であろう。でも、自分のものを勝手に人が使っていたら、キチンと自己主張してもらいたかった。

 

「何事も他人任せにしちゃダメだよ。」と一塾講師が世の保護者に言いたい。国語力を育む土台は、家庭でのしつけでもあるのよ。

 

塾でこんなことをやると、子どもが嫌がり、親も嫌がることがある。塾に来なくなる子どももいる。塾に行きたがらなくなれば、塾の指導力を問われる。やめれば会社内の評価も下がる。どんな理不尽な状況だって、塾生がやめれば、まずは私が責められる。会社からよりも家庭から言われることの方が辛い。喉元まで

「家庭で甘やかしているから、注意される耐性がないんだろ。」

と出かかることもあるのよ。

 

こういうケースでの保護者のお得意のフレーズは

「確かにうちの子も…。」

なのよね😅。

 

このフレーズが出たら、絶対うちの子が悪いとは親は思っていない。もう話し合いの余地はない。こちらはサービス業。「指導不足な面があり申し訳ございません」と言わざるを得ない。こういう子が大人になって就職するとどうなるかは分かってしまう😎。

 

そうならないように、私も意識して少なくともチューには接している。いえ、塾生にもよ。でも、弱小塾のサラリーマン講師。さじ加減を良い加減にはしているが😅。いわゆる「いい加減」じゃないわよ😄。「良い加減に」ね😉✨