つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

子どもの自己決定と保護者の責任について🤔

かなり昔、藤子・F・不二雄のマンガで、教育についてなるほどなぁと印象に残るものがあった。何というタイトルかは思い出せないが🤔

 

 

 

幼い男の子が助けを求める。

 

主人公がその理由を聞くと、朝から晩まで勉強や習い事漬けの毎日を送っていて他の子のように遊べないと嘆く。

 

主人公は男の子に対する同情と彼の親に対する怒りの感情がわき、彼の家に行って母親に「子どもは遊ばせた方が良い」と教育論を語る。

 

男の子の家は豪邸であった。

 

教育ママ風の母親の反応は、主人公の話を聞いて、冷静に「どうぞ、遊ばせてください」とすんなり受け入れる。

 

拍子抜けの主人公に「この子の人生に責任を持ってくれるならば」と付け加える。

 

「私(親)はこの子の将来に責任を持っている。あなた(主人公)がこの子の将来に責任を持ってくれるのであれば、どうぞ遊ばせてください」と。

 

主人公はぐうの音も出なかった。

 

 

 

こんなストーリーだったかしら🤔。何という名前のマンガだったかしら。私がかなり若いときに読んでいるのよね🙄。でも、そのときは塾で働いていた。

 

 

 

他人に教育論を語る人は、その子の将来に責任を持っているのかしら。

 

 

 

学校の教師も部活の顧問も塾の講師も、子どもの周りにいる大人の中で、親以上にその子どもの将来を責任をもって憂いでいる人はいるのだろうか🤔。毒親は別よ。

 

 

 

月曜日は塾

 

火曜日はダンス

 

水曜日は塾

 

木曜日は英会話

 

金曜日は習字

 

土曜日はプログラミングと水泳

 

日曜日はテニス

 

その上、通信教育をやっている。

というような小学低学年の子が実際にいるのよ😱。

 

 

 

6時半に起きて

 

7時半に登校班で登校し

 

8時から15時頃まで学校に拘束され

 

その後に習い事に行き

 

19時過ぎに夕食を取ったら

 

通信教育でお勉強。

 

ブラック企業並みの1日ね😱

 

 

 

「習い事を整理した方が良いかもしれません。」というアドバイスはできるが、その子の将来に責任は持てない。保護者がその子の将来に責任を持ち、判断するのだ。

 

 

 

子の進むべき道を判断するのは、親の務めである。それが明らかに誤ったものでない限り、周りは非難できない。

 

 

 

塾漬けにしたり習い事漬けにしたりするのと、子ども本人の自主性に任せ、放任するのとでは、どちらが良いのだろうか🤔。

 

 

 

私の考えではどちらも悪いと思う。

 

 

 

「子どもの自主性に任せる」という保護者がいる。では、そういう保護者に聞こう☝️😔。

 

「子どもの自主性に任せた結果に責任を持つんだろうな」

 

ってね。

 

 

 

いや、自主性は大切だ。

 

 

 

自主性と放任は異なる。

 

 

 

子どもの自主性による判断は尊重するべきもので、任せるものではない。だって、子どもは経験がないのだから。経験がない分、偏見のない良い判断となる可能性もある。

 

 

 

子どもがYouTuberになりたいと本気で訴えてきたら、私はどうするだろうか🤔。

「そうか。YouTuberになりたいか。それなら、どうしたらYouTuberになれるのか、YouTuberの楽しさと大変さをキチンと説明できたなら、パパも応援しよう」

かなぁ🙄。

 

 

 

ネットの発達した時代である。人気YouTuberにフィールドワークさせるかなぁ😅。どなたもクセがあるからなぁ。門前払いされるかなぁ🙄。

 

 

 

「~になりたい」というのは、子どもの成長であり、親としては喜ぶべきことだと思う😔。

 

 

 

ずっと塾漬けにして、最難関の名門私立中高一貫校に進学して、高校3年生になって、「俺は官僚よりも役者になりたい」と言われたら、私ならどうするかなぁ🤔。

 

 

 

こんなことは今後起きることはないが、もしもその立場に立たされたら、どう思うか。

 

 

 

小4から受験まで3~400万円かけたであろう。中高の6年間で学費は5~600万円かけたであろう。その他諸々を含めると、この子にかけたお金は1000万円~1300万円はかけたでろうか🙄。

 

 

 

お金と時間をかけて最難関の名門私立中高一貫校に6年間通わせて、子どもから「役者になる」とか「芸人になる」とか「塾の講師になる」なんて言われたら、私は承諾できるだろうか🙄。

 

 

 

それに、塾に入れて都内の最難関の名門私立中高一貫校に入れる保護者は、自分に自信がある人が多い。嫌いな言葉だけれど、ある意味「勝ち組」の保護者だ。思考回路は、○○エモンや□□ゆきに近い。自分の考えに固執し、相手の考えを認めない。子どもの価値観なんて鼻で笑う保護者が多そう。

 

 

 

と言うが、私もそうなるだろう。

 

 

 

だって学歴を勝ち進んで、社会人になってもある程度勝ち進んでいるから年収が多く、幼いときから塾に通わせ最難関の名門私立中高一貫校に入れるんだもの😅。自分の成功体験の呪縛から自分を解き放つことができないだろう。

 

 

 

私はそういう保護者も否定できない。でも、もしも、高3の我が子から「役者になる」と進路相談を受けたら、こう答えるだろう。

 

「貴方が成功して、端役でもテレビのドラマに出たら、誇らしく思うだろう。大学の演劇サークルに入っても良いんじゃないの。そこではまって中退しても、私は文句は言わない。しかし、援助は学費までだぞ。アルバイトして自分の力で役者になれ。」

 

 

 

今までかけたお金と時間を考えるのは、子どもを人格をもつものとして見ておらず、投資の対象として見ていると考える。

 

 

 

とすると、幼い頃から習い事漬けにするのも、子どもを自分と別人格を持つものとして見ていないんだろうなぁ🤔。

 

 

 

う~ん🤔。

習い事漬けにすること自体を否定しない。習い事をするのなら、保護者は習い事を吟味せよってことね🙄。

 

 

 

巷の塾でやっている「プログラミング」や「理科実験講座」「英会話」「速読」なんて、そのほとんどが効果としては眉唾物だと私は思う😑。

 

 

 

だって、ちょっと考えれば分かることよ。

 

 

 

講師は専門的な知識を持っているわけではない。いや、それだけで眉唾物だとは言えない。

 

 

 

子どもが在籍しなくては、その講座が商品として成り立たない。ということを踏まえると、その講座には、どうしても「面白さ」が加わる。いや、「面白さ」がメインとなる。その面白さをきっかけにして、子どもは高度な技術や知識を求め出す可能性もあるが、そんな子はごく一部で、多くの子は「楽しかった」だけで終わる。

 

 

 

小学生のときに「プログラミング講座」を受講して、そのうち何人がプログラミングを専門職にしたのだろうか。

 

 

 

「理科実験講座」を受講して、そのうち何人が理科が好きになり得意教科になっただろうか。

 

 

 

「英会話」を受講して、小学生のときに英検準2級取れた子の何人が、英検1級に合格ししたのだろうか。

 

 

 

というように、「小学生のときの習い事に、目に見える結果を求めない」のが、私の信条よ😄。

 

 

 

「楽しかった」で終わる習い事に、いかに価値を見いだせるかは、保護者次第。

 

 

 

子どもには可能性がある。

 

 

 

塾や習い事のその可能性を摘むこともあるんだよなぁ🤔。

 

 

 

小学生のお薦めの習い事は

水泳、ダンス、テニスなど、運動系を土日に入れる。

 

ピアノやバイオリンなど音楽系も良いわね。絵画なども良いわ。芸術系を習わせるとしても、型にはめ過ぎないことが大切だと思う。

 

習字やそろばんも良い。

 

英会話も良いわね。母国語以外の言語に触れるのは良い経験になる。

 

プログラミング講座も、プログラミングに楽しんで親しむという意味では悪くはない。

 

 

 

それをどれもこれもやるのではなく、絞ることが大切だ。

 

 

 

その能力を高めたいというのなら、1つに絞って徹底的に習うのも良い。

 

 

 

例えばピアノやバイオリン。小さい頃から習わせる。ピアノやバイオリン漬けにするのも悪くはない。

 

 

 

う~ん🤔。

本人が嫌がってもやらせるか🙄。

 

 

 

意思の弱い私だったらやめさせる可能性が高いけれど、嫌がっても続けさせても良いかなぁ🤔。それでもそれは小学生までと期限を付けるかな。

 

 

 

運動系も、野球やサッカー漬けも良い。

でも中学に進学しても音楽やスポーツ漬けにするかは、よくよく話し合った上だよなぁ。

 

 

 

遊びは大切といえども、私が子どものときのような、校庭で大勢の友達と遊ぶことが少なくなっている。ネットゲームなど大人の作った世界で遊んでいる。

 

 

 

友達との繋がりが希薄になっている現代では、習い事を詰め込まざるを得ないのかなぁ🙄。習い事には必ず大人が入るから、子どもだけの世界で遊ぶことができない。

 

 

 

現代は、子どもだけの世界を作ると陰湿な虐めとなる。

 

 

 

子どもだけの世界が少なくなったから子どもだけの世界が陰湿になったのかしら😱。

 

 

 

そうだ。思い出した。「スーパーサラリーマン左江内氏」よ❗️あのマンガ。

自分の進路は自分で決めるのが当たり前ってなったのも、個人主義が浸透したからかしらね🙄。

 

 

 

個人主義の自己決定権について書いたブログがこちら👋😄

 

 

 

子どもの自己決定権。

私の大学時代の専攻は「子どもの権利条約」なのよ。子どもの権利条約や家永教科書裁判に影響を与えた永井憲一のゼミで学んだの。

全く優秀なゼミ生ではなかったけれど😅

 

 

教育論ではなく法律論であったが、私の子育ての信条にとても大きな影響を与えた。

 

 

 

子どもの権利の一つ、「子どもの意見表明権」がある。この意見表明は子どもの意見を無条件に全て認めるというものではない。年齢や発達に応じて尊重するというものである。

 

 

 

だから「子どもの自主性」だって全て認められるものではないと私は考える。親の適切な助言と承認が必要なのよ😄。

 

 

 

子どもの自己決定権が、親が子どもの将来への責任逃れに使われているように感じることも多いのよね。塾で働いていると…😔。

 

 

 

そして、私はその片棒をかついでいるのかしらと自分の仕事に疑問を持つこともあるのよね😅。

 

投票しようよ🎵#わたしも投票します

「たった1票じゃ、世の中は変わらないよ~」

と思っている、そこのあなた❗️😆

 

 

権力者や高額納税者が「なんであんな低所得者や高校生のガキンチョと同じ1票なんだ」と不公平なことに不満を持つのはよく分かるわ😅。

 

 

 

おいらみたいな、権力がなく、彼らから見たら低所得の親父からしたら、彼らと同じ1票なんて、価値ありすぎて無駄にできないぜ😎

 

 

 

「世の中は不平等だ」

と嘆いたり、憤ったりしている、そこのあなた❗️😆

 

 

 

票はみんな1票なの。平等なの。1票の価値の格差なんてあるけれど、比例代表制なら、それは当てはまらないんじゃないの。

 

 

 

不平等だと嘆くくせに、平等になるとそれを享受しない😱。ホントワガママ😅。

 

 

 

1人1票の平等を享受しない奴は、世の中の不平等に不満を言うな😤。

 

 

 

雨が降れば、選挙に行くのが面倒と言って棄権する😓。

 

 

晴れれば、行楽に行くからと言って棄権する🙃。

 

 

曇れば、気分が乗らないから棄権する😑。

 

ハメハメハ大王か(゜o゜)\(-_-)。

風が吹いたら遅刻して🎵

雨が降ったらお休みで🎵

 

 

 

そして「俺は選挙に興味がないから」と言う。

 

 

 

国民主権のこの国で、国を滅ぼすのは政治家ではない。国を滅ぼすのは国民である☝️😣。

 

 

 

政治に興味がないとすかしている、そこのあなた❗️😆

 

 

 

国の政治とは何か❓

ざっくりと簡単に言うと

「話し合ってルールを決め、そのルール通りに国を納めること」

とっても身近なことなのよ😉。

 

市役所だって

警察だって

消防だって

病院だって

学校だって

年金だって

子ども手当だって

みんなみんな身近な問題🎶

行政なんだ~🎵🎤😄

 

 

 

朝起きて寝るまで、全て経済と行政がかかわるの。国政と地方行政の違いはあるけれど、どの選挙でも行きましょう☝️😄。

 

 

 

消費税を増やすのも、莫大な税金を使って戦闘機を買うのも、年金制度を作るのも、学校施設を誘致するのも、国有地を売却するのも、全てルールに従って行われるのであって、そこに忖度や権力者の介入は、疑惑であってもあってはならないのよ😓。

 

 

 

そういった諸々のことが、曖昧なままになっているのが今の日本であると私は解釈する。あくまでも私の解釈。

 

 

 

与党も野党も疑惑だらけ😱。どこに1票を投じて良いか分からなければ、あなたが最も納得できる政治家と政党に投じれば良いのよ。与党を支持するなら与党に、与党の政策に納得できないのなら野党に1票を投じる。

 

 

 

それは是々非々で良いのよ。

 

 

 

今回は○○党を支持し、次回は××党を支持する。それでいっこうに構わない。声なき声は、良いように解釈されてしまうわよ。

 

 

さぁ、選挙にいきましょう。

こちらも参考に👋😄

 

~~~~~~~~~~~~

2019年7月19日に投稿したブログよ😄。この年の7月21日に参議院選挙があったのよね。
 
選挙区の投票率は、48.8%と国政選挙としては過去2番目に低かった選挙なのよ。
 
私はね、どこの党が勝とうがかまはない。それが民意ならば。しかし、有権者の半分も投票しない選挙って、民意なのって疑問に感じちゃうのよ。いや、棄権も民意と言えば民意なんだけれど、無責任な日本人が多いなぁって残念でならないのよね😣。

 

国会議員と地方議会議員の役目は異なるが、まぁ、そこは置いておくよ😅。

 

「私も投票します」という運動はとても共感したわ。

都道府県魅力度ランキング


私も「都道府県別のランキング」って好きじゃないけれど、これで「法的処置を検討」ってあり得ないなぁ😑。それに政治家が言っちゃ~ダメでしょ😅。下位なら、それを逆手に取れよなぁ。

 

 

ある知事さんは怒り心頭なようだけれど。民間会社のお遊びだし。お遊びだから何をしても良いとはならないが😔。

 

 

基準は明確にした方が良いが、曖昧だから面白いんじゃないの🤭。

 

 

この都道府県魅力度ランキングで分かることは、ある程度は「その都道府県に『旅行』に行きたいかランキング」よね🙄。

1位 北海道

2位 京都府

3位  沖縄県

4位  東京都

5位  大阪

6位  神奈川

7位  福岡

8位  長崎

9位  奈良

10位  長野

 

 

う~ん🤔。

まぁ、この順位に根拠がないなら、私も主観でディスっても文句はないわね😁。

 

 

ディスっても良いじゃん、ここに出ている都道府県は魅力度の順位が上なんだもの。私の故郷は埼玉県よ。負け犬の遠吠えよ🐶。

 

 

ここに挙がった都道府県は「旅行に行きたい」という魅力はあるけれどなぁ🙄。

 

 

「住みたいか」と聞かれても「住みたい」と言うだろうけれど、「実際に住むか」と聞かれたら、全国的には上位に来ないのではないかなぁ🤔。

 

 

「北海道に実際に住みますか」と聞かれたら、首都から遠いしなぁ。札幌周辺以外は不便そうだし。冬寒いのが苦手なのよね。

 

 

「京都に実際に住みますか」と聞かれたら、京都の他人って裏表がありそうで嫌だなぁ😅。十把一絡げで言うのもなんだけれど、私は白黒はっきりつける性格なんで、京都の「ぶぶ漬け文化」には嫌われそう。

 

 

沖縄も住みたいが、実際に住むとなると二の足を踏む。完全失業率の高さがダントツトップよ😱。沖縄県は完全失業率11%。2位は青森の8.9%。3位は大阪の7.9%。

 

 

ちなみに魅力度トップ10の都道府県の完全失業率の高さの順位は

1位 北海道→12位

2位 京都    →28位

3位  沖縄   →    1位

4位  東京   →33位

5位  大阪    →    3位

6位  神奈川→36位

7位  福岡     →   4位

8位  長崎     →21位

9位  奈良     →    8位

10位  長野    →39位

 

 

魅力度トップ10で、完全失業率ワースト10に入っているのが4つもあるのよ😲。完全失業率が高いのに魅力があるって矛盾している。いや、この魅力度はその都道府県の事情を加味していないことが分かる。主観的なのよ☝️😑。「魅力」自体が主観的要素が多いものだが😅。

 

 

自給自足をしているか、物価がさほど高くなく年金生活をしているお年寄りが多い田舎なら何とかなるかもしれないが、大都市で完全失業率が高かったら、住みにくいんじゃないかしら🙄。

 

 

大阪の人が「(魅力度ランキングが)何でこんなに高いんや~」と疑問に思ったのも納得できる。大阪の人って結構自分を客観視していてシビアなのかも🙄。

 

 

ちなみに、魅力度ランキングに怒り心頭の知事さん県の完全失業率は23位、我が埼玉は25位よ。まずまずなんじゃないの。

 

 

東京の魅力度4位は頷けるわ😄。

 

 

だって「花の都♪大東京♩」だもの。首都の魅力度が低い国ってあるのかしら🙄。

 

 

大阪って住みたいかなぁ🙄。地元の人も住みにくいって言うし。でも出身者の郷土愛は他の都道府県以上あるような気がする。他都道府県の人が大阪府に住んだら、大阪弁を使っていないだけで何か弄られそう😅。それが虐めにもなりそうで怖いわ😱。

 

 

と、「魅力」と「実際に住み町」は違うのよ☝️😄。

 

 

ちなみに我が埼玉県は、総務省消防庁の調査によると、自然災害による被害額が少ない都道府県のトップ10に入るのよ✌️😄。不謹慎なので他の都道府県のことは言及しないが。

 

 

うちのカーちゃん(妻)魅力は私にしか分からない。自分が住む都道府県の魅力は自分にしか分からない。

 

 

それで良いんじゃないのかしら😄。

 

 

それに上位ばかり狙わずに、下位だったことを逆手に取れば良いのよね😁。

 

佐賀県って素晴らしい❗️😆

 

 

埼玉県だって、ネタにされて嬉しいわ😁。

翔んで埼玉

翔んで埼玉

  • 二階堂ふみ
Amazon

 

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」 

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

 

 

 

①ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

 

ブログ名の由来は、兼好法師の徒然草の冒頭よ😄

つれづれなるままに、日暮らし、スマホにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

ハンドル名の由来は「言う」の話し言葉の「ゆう」に掛けて、「何でもゆうぞ❗️」と言うことよ😄。あと普段「ゆう」と呼ばれているから。

 

 

 

②はてなブログを始めたきっかけは?

 

Twitter、FacebookとSNSをやっていたが、自分にフィットしなかったのよね🙄。

 

Twitterは字数制限があるし、やりすぎるとブロックされちゃうしね😣。Facebookは知り合い同士のやり取りが多く、ちょっと蚊帳の外だった😅。

 

□チャット型のTwitter

□知り合いのプチ自慢もあるFacebook

□スピーチにコメントの入れ合うはてなブログ

が、それぞれの特徴だと思うのよね🙄。

 

その中で私に最もはまったのがはてなブログだったのよ。

 

言いたがりの自分にはぴったりで、かつ、適度な交流があり、かつ、1つのブログに際限なく「良いね(スター)」をつけられるところが良かった😄。

 

 

 

③自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

 

1つに絞れないわ~😁。私はナルシストだから😎

 

 

 

④ブログを書きたくなるのはどんなとき?

 

この約3年弱の間は、常に書きたくなっていたわ😁。

 

体調を崩したり、リアルな世界でうまく行っていなかったりしたときは、ブログを書くモチベーションが下がったけれど😅。この約3年弱で、書きたくなくなったのは3%の時間よ。

 

「ナイスツイ廃」と言われたことがあったけれど、今はでは「ナイスなブロ廃」よ😎、

 

ブログを書きたくなるのは起きているときは常にかな~😆。

 

 

 

⑤下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

 

現在6記事。一時期はストックブログが30弱になったこともあったわ😄。

 

テーマは色々よ。思い付いたらスマホで書き留めているから

 

 


⑥自分の記事を読み返すことはある?

 

よく読み返しているわ😁。

 

だって私のブログは私の頭の中身だもの。脳に浮かんだことを言葉にしてブログに書き留めていなかったら、消えていっていた考えであったり、思いであったり、感情であったり…。

 

そういったものは仕事の資料にもなっているわ。保護者会とか授業とか面談とか。ブログに書いたことをそのまま使わないけれどね。

 

でも、言葉にして、文字にして自分の頭の中を可視化して何度も読むと、自分の考えで凝り固まってしまうから注意が必要よ😔。

 

私は凝り固まらないようにするために、コメントは原則承認しようと努めているわ😉。承諾はなかなかしないけれど…。

 

 

⑦好きなはてなブロガーは?

 

ワ・タ・シ😆。

「ブロガーは、自分が自分のブログの1番の読者でなくてはならない」という考えよ☝️😄。

 

自分の読みたくないのを垂れ流すのって、汚物を垂れ流すのに等しくないかしら😱。

 

自分のブログを読み返して当たり前よ😁。自分のブログをよく読み返すんだから、好きなはてなブロガーはワタシとなるわよね😅。

 

「好きなブロガーはワタシ」と言い切るのは、私には次のような信条があるからよ👋😁

 

それに、ええかっこしーの私だから、私が好きなブロガーを公表するわけないじゃない😎。

 

相手に「好きです」って告って、「え~、私はあなたのことをそんな風に見ていない」なんて思われたら嫌だわ~。

 

好きな人に告白するなら、テレビやネットではしない👋😅。個別に告白するわ😆。

 

 

 

⑧はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

 

私を入社させてくれませんか🤭。

 

 

 

⑨10年前は何してた?

過去のことは忘れたよ😎🚬

って、覚えているわよ😁。

 

会社の中のシンクタンクのような部署に配属されてやりがいがあったわ。

 

そういえば、10年前の3月って東日本大震災が起きたのよね😔。あぁ、あれから10年か…。

 

 

 

⑩この10年を一言でまとめると?

 

子育て

王政と民主制~王に人権はあるか🤔~

今日のブログはとても長いわよ😅。2つのブログを1つにしたから。その理由は後で書くわね😉。

 

 

私はブログの中で政体についてよく話している。たとえばこちらのブログよ👋😄

 

 

ここに挙げた3つのブログは、政体を語ったブログの中で私のお気に入りよ😁。

 

 

また、ふと思ったのよ🤔。

王政と民主制って両立するのかしらってね🙄。

 

 

いや、イギリスも日本も「立憲君主」という制度で王政と民主制を両立させている。共和政(王のいない政体)にしないですんでいる。

 

 

では、その両立させたものは何だろう🤔。

 

 

う~ん🙄。

頭の中でまとまっていない😣。

 

 

まぁ、そんなの毎度のことよね😅。私のブログはつれづれなるままに書いているから😁。

 

 

政体を考える上で避けて通れないのが「人は平等か否か」という問いよね🤔。

 

 

人は元々平等なんだから、王政や貴族制、独裁制なんてとんでもないとなるんだから。

 

 

そうか😲。

王政という政体の中に独裁制や貴族制、民主制があると理解しても良いんだわ☝️😄。あくまでも思い付きの私の理解よ。

 

 

王政の中で貴族制や民主制をとる場合、立憲君主制となると考えても良いだろう。

 

 

話がそれたわ🙇。

目の前の現実は人は平等じゃない。能力、容姿、性別、財力…、人と人にはたくさんの差が現実にある。目の前にある状態は、不平等なことばかりだ。平等な社会なんてないといって良い。

 

 

その目の前の不平等な状態を見て、「人って本質的に平等だ」と考える。そう考えて、現実の世の中も平等にしようとしている。そこに無理が生じる。

 

 

王政とは、そもそも不平等な政体なのだ。「人権なんてない」という政体なのである。

 

 

キリスト教から派生し、啓蒙思想から生まれた近代民主制は、「自由」「平等」「人権」を基本とし、主権は国民にあるとする。

 

 

国王も造物主の前では市民と同じ人間である。

 

 

主権は民のものなのに、あいつは王と名乗ってその主権を独り占めにした。

 

 

これはとんでもないことよ😲。

 

 

国民が持つべき主権を独り占めにしたんだから、大犯罪者よ😱。

 

 

えっ❗️❓️

この意味が分からないって😅。

 

 

立法権(法律を作る権能)、行政権(政治を行う権能)、司法権(法を管理する権能)を独り占めにして、国民の命と財産を勝手気儘に使ったんだから、これは大強盗よ😱。

 

 

う~ん😣。

うまい表現が見つからない。

 

 

比べてはいけないのだが、主権を独り占めした王は、毎日テレビに流れてくる犯罪とはけた違いの犯罪者となるのよ。

 

 

だからフランス革命では、ルイ16世とマリー・アントワネットはギロチンで公開処刑されたのよね。ロシア革命ではロシアの皇帝も一族もろとも惨殺された😱。

 

 

共和政となった国では、国王は犯罪者であると言ってよい。

 

 

王政とは国王に主権があって成り立つ政体であるから、貴族や国民に主権を奪われたら矛盾が生じるのよ。

 

 

今、「皇族にも人権がある」という意見が主流になってきている。

 

 

しかし王政自体が人権と相性が良くないのよね🙄。

 

 

だって王政は血縁主義であり、身分制であり、世襲制だ。

 

 

個人主義を土台とする人権や近代民主制と相反する制度だ。

 

 

いや、個人的な組織や宗教で血縁主義で身分制を敷いているのは構わないわ👋😔。パブリックな組織はダメよ。あくまでも宗教やパーソナルな組織よ。

 

 

王には人権はないと私は考える。王や王族に人権があるなら、王政を廃止しないといけない。

 

 

さて、その相反する王政と民主制を両立させているものは何か。

 

 

それは主権を持つ国民からの信頼よ。

 

 

天皇と皇室制度は国民の税金で成り立っている。その生活も教育も皇室の行事もレジャーも何から何まで税金で成り立っている。

 

日本国憲法にも書いてあるよ。

日本国憲法

第1章 天皇

第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 

天皇の存在を否定したいのであれば、日本国憲法を変えなくてはならない。天皇制がおかしいと考える人は、改憲運動をして国会で多数を取らなければならない。

 

 

日本国憲法には「この(天皇が象徴であるという)地位は、主権の存する『日本国民の総意』に基づく」とある。

 

 

日本国民の総意を得るために、天皇と皇族は国民からの信頼を得るために努力しなくてはならないと私は考える。それは結婚という個人的なことであっても。

 

 

世襲で身分と生活が保証されている。その保証を享受するには、国民からの信頼を得る努力が必要だと私は考える。その努力を怠るのなら、皇室制度を廃止するか、それなりのペナルティが課せられるのも仕方がないわね。

 

 

 

でも、皇族は大変よ。だって生活が保証されていても、私は成りたくないもの。生まれながら大衆の好奇な目に晒され、自由が制限されている。人権なんてないに等しいもの😔。

 

 

王政と近代民主制は油と水なのよ。それをどうにか両立させるのは、国民から信頼を得るために、王や王族には絶え間ない努力が必要だ。それが理不尽なものであっても国民主権の国家で王政を続けるのなら。だってフランスやロシアだったら滅ぼされているのよね😱。

 

 

てね、ここからが長~い蛇足。

もう1つのブログよ。

 

秋篠宮家のトラブルの話なんだけれど、眞子さまに関する話をブログに書くのはこれで打ち止めにするわ。

 

 

私は、この志らくさん意見を違和感を持つ😣。

志らくは「なんでここまでこじれちゃったのかって週刊誌なんて入れるからいけないんだし、小室さんの方も銭がないわけじゃない、ニューヨークまで行ってたら400万くらい叩きつけて返してやりゃあいいし、こっちの男の人(元婚約者)だって、いったん惚れてあげたお金だったらいらねえって言えばいいじゃん、そんなもの。なんでこんなグズグズやってんだろうね、もう結婚するんだから」と自らの思いを述べた。

 

 

週刊誌を入れたからこれだけ問題になったと言うなら、週刊誌を入れなかったら元婚約者は泣き寝入りしていた可能性もあるわけよね🤔。
 
 

「400万くらい叩きつけて返してやりゃあいい」と言うが、もう既に銭金の問題じゃなくて感情のもつれになっているんじゃないかしら🙄。
  

 

それに「400万くらい」とか「叩きつけて返せ」と言うが、お金に困っていたときに助けてもらったという感謝の念がないから感情のもつれになったと私は思うわ🙄。
 
 

なんで「いったん惚れてあげたお金だったらいらねえって言えばいいじゃん、そんなもの」なんて言えるのかしら😱。
 
 
一旦惚れてあげた金でも、その金額の桁が違う。私の年収に近い金額よ😱。

 

 

惚れてあげたお金なら、騙されたとしてもいらねぇって言わなくちゃいけないのかしら😤。
 
 

「なんでこんなグズグズやってんだろうね、もう結婚するんだから」って、何かしら?

 

 

皇族との結婚が免罪になると言うの😣。まぁ、小室佳代さんに罪があるかどうかは、定かではないけれど🙄。
 

 

私が不思議に思うのは、眞子さまの精神的なご病気が発表されたことによって、マスコミの論調が急変したことよ。彼女がご病気だからと言って小室家のスキャンダルの追及の手を緩めろってことかしら🙄。
 
 
とあるジャーナリストが、小室佳代さんを告発したという。
 
 
政治家でも一民間人でも、不正疑惑が明らかになったら疑惑を追及し正すのは当たり前のことよ😔。疑惑を疑惑のままにしようとする人を糾弾するのは当たり前と私は考える🙄。
 
 
銭の貸し借りは個人の問題だが、税金の不正受給疑惑となったら、これは個人の問題ではないわね🤔。
 
 
キチンと説明し釈明すれば済むことよ。あんな論文調の言い訳文を書かなくても、済むこと。

 

 

私が奇妙に思うのは、一方に関与する方が精神的な病気になったら、もう一方を責めるということよ😣。どちらも責めるなと言いたい。
 
 
元婚約者が責められる謂れはないわ。納得するまでやりあう人を責める謂れはない。
 
 
この志らくさんのコメントこそ元婚約者に対する誹謗中傷といえないかしら🙄。私は誹謗中傷だと感じる。彼が精神的な病気になったらどうするのかしらね🤔。
 

 

今回のトラブルの最大の原因は、眞子さまでも小室圭氏でもない。元婚約者から返金を求められて、それに子どもを巻き込むことになった親に責任があろう。
 
 
「この金銭トラブルは息子とは関係がないこと」となぜ言えないのか。それですむことだ。私だったらそう言うだろう。妻も自分のトラブルにチューを巻き込まないだろう。
 


ホント、無視したもの勝ちに見える。

 

 

平成から令和は、どこもかしこも

「嘘を突き通せば本当になる」

「 無視したもの勝ち」

「正直者が馬鹿を見る」

よね~😣。

不正疑惑の対処法は、無視するか言い張るのがベスト。

 


訴える者を責めてはならぬ。元婚約者を責めるのなら、歴史問題を盾にする国に対して「なんでこんなグズグズ言っているんだろうね、もう済んだことなのに」って言えるのかしらね🙄。
 
 
国と国の関係でそう言えないのから、個人と個人の関係にもそう言ってはならないと思うのよ。
 
 
志らくさん、元婚約者を責めるなら、かの国に対しても「なんでこんなグズグズ言っているんだろうね、もう済んだことなのに」ってテレビでぜひコメントしてほしいものだわ😤。
 
 
皇族が人権問題を出すのなら、皇族制度は廃止だわね🙄。この制度があるから皇族の人権問題が発生するのだから。
 
 
今後、皇族の女性は支度金を受け取りにくくなるだろうなぁ🙄。それで迷惑を被る方も出そうだ🤔。
 
 
「自分の人権を守るためには、他人の迷惑を省みない。」
これって真理かもしれない🙄。
 
 
人権は、何よりも優先される。少なくとも、天皇制や皇族制度よりも優先されることを眞子さまと小室圭氏の結婚問題は証明したことに、日本史上の意義を見い出せるかもしれない。
 
 
でも、それって世界史上は当たり前のことよね。人権は何よりも優先されるという思想が貴族制も王制も壊してきた。そして私たちはその人権思想を享受している。
 
 
ということは、小室家の不正疑惑(あくまでも疑惑よ)の追及の手を緩めてはならないと考えるが、眞子さまを批判してはならないと考えるようになった😔。
 
 
彼女を批判するのなら、人権思想の賜物を享受している私たちに対しても批判しなくてはならない。人権思想の賜物を私たちが享受するなら、彼女を批判してはならない。

 

 

何か切なくなっちゃうのよね😣。不敬だけれど、自分の娘だったらと思うと。

 

 

アメリカという新天地での生活は大丈夫だろうか。

 

 

夫はいつでも妻である彼女を守ってくれるだろうか。

 

 

夫婦喧嘩をしたら、彼女には逃げ場がない。嫁姑の問題になったときに、夫は彼女の味方になってくれるだろうか。身寄りもいない異国の土地で夫に実母の肩を持たれたら、彼女はどうなるのだろうか。

 

 

母国には居場所がなく、実家にも帰れない。

 

 

私の思考はチョイ右寄りで立憲君主制を支持してきたが、天皇制や皇室制度は時代にあわず、なくすべきものなのかもしれないという思いが芽生えている。

 

 

理性的に考えて、彼女の結婚を肯定するなら、私はこのように考えるしかないんだよなぁ😣。

 

 

元婚約者を非難するなら、ここまでテレビで言えば良いのに🙄。

 

 

マスコミには信念がない。コメンテーターにも信念がない。後だしじゃんけんのように、小室圭氏を擁護し、今度は元婚約者を非難する。

 

 

私はどうだろう🙄。

 

 

①特に社会に影響力のある人は言動に注意する

 

 

②贈与かどうかは別にして、人にお金を出してもらったら感謝し、関係が途絶えたらそのお金を返す。

 

 

③疑惑は晴らす(不正受給疑惑・経歴詐称疑惑など)

 

 

④心情的には眞子さまに同情する。

 

 

⑤皇室が人権問題を言い出したら、皇室制度の廃止まで発展する。


 
同意をえらるかどうかは分からないけれど、ぶれてはいないと思うのよね…🤔。

 

 

天皇・皇室好きだから、この問題に関する記事が多くなっちゃうのよね😔。

 

 

歴史を踏まえると王や王族には人権はない。王政のもとで民主制を取るなら、王や王族の人権は、世襲特権階級であるがゆえに制限されるものと私は考えるようになった。

 

 

民主制に世襲特権階級があることが矛盾しているのよ。

 

 

その矛盾を解消し、王や王族に人権をもたらすのなら、王政を廃しなくてはならない。いや人権は人が元来持っているものなので、もたらすものではない。とすると、やはり王政は廃止するべきだとなる。

 

 

 

2つのブログを1つにしたのは、眞子さまのご結婚に関してこれ以上ブログで言及するのはしつこいかなぁって思ったからよ。

 

 

今でもしつこいかもしれないが、私の信条が変わった大きなことなのよね😣。

 

 

天皇や皇室制度に賛成だった私だが、これは私のエゴなのだろうと自己否定し始めたから、とっても気になっちゃうの😱。

 

はてなブログのスターをみると、人は十人十色を実感できる😄

なるほど🤔。

やはり、私のブログの内容は偏っているのね😅。

 

 

そう思うようになったきっかけは、アクセス数が減ったこともあるんだけれど、それ以上に私のブログへのアクセス時刻の傾向が変化しているからよ😅。

 

 

以前までなら、午前中のアクセスが多かった。しかし最近は午前中のアクセスが少なくなり、その分、夜のアクセスが多くなった。

 

 

その理由は、私のブログが、これから1日が始まる時間に読みたくなる内容ではないからかしらって思ったのよ😅。

 

 

こちらのブログを出した9月29日からアクセス数が下り出した😲

 

 

こちらのブログを投稿した10月2日のアクセスもよくなかったわ😔。

 

 

10月6日に投稿したこちらのブログは賛否があった👋😅

 

 

こんな弱小ブロガーなのに、賛否があったと分かるかは内緒😁。分かるのよ~😎。

 

 

なるほどなぁ🤔。

 

 

自分が良いと思ったことでも、他人から見たら良くないことってあるんだなぁ🙄。当然のことではあるけれどね。

 

 

私のブログは私の頭の中よ。良いことだって良くないことだって思ったことを書いている。SNSで書いちゃならないことは書いてはいないと思うが😅。

 

 

思ったことを行動に移すと責任が生じる。その行動に対する賛否はあるが、思いに関しては賛否はないんじゃないかと思うのよ。

 

 

う~ん🙄。

うまく言えないんだけれどね😅。

 

 

頭の中で思うのは自由。

発信する場合は、発信して良いかどうかの基準と判断が必要だ。

 

 

誹謗中傷はしない。

しかし、この誹謗中傷の基準が曖昧なような気がするわ🤔。こちらは意見として書いても、取り方によっては誹謗中傷となる。

 

 

最近、改めて思ったことがある。身内に喜ばれたことが、他人には共感されないことがあるんだなぁと。それは当然なんだけれど🙄。

 

 

ブログの星の数って面白いのよね😄。人それぞれ星の付け方が違う。

 

 

「ブログを読んだよ」と伝えたくて星をつける人もいれば、読んだブログの評価として星をつける人もいる。

 

 

私はほとんど星3つ。「読んだよ」の意味合いが強い。とても共感したときに星を4つから5つ付けている。ホント時々よ😁。

 

 

星をそのブログの採点として使っている方もいる。それってとても嬉しい😄。

 

 

星を採点として使われるのは励みになるし、分析したり、予想したりして楽しんでいる😁。

 

 

今日のブログの内容だったら、彼なら星1つだろうなぁとか、彼女なら星4つかなぁって考えて、結構当たっているのよ😉。

 

 

えっ❗️❓️

こういう予想をするのって失礼かしら🙄。失礼じゃないわよね😄。

 

 

だって共感できたか出来ないかを意思表示しているのだから、それを無視する方が失礼よね😉。

 

 

これもコミュニケーションの1つかも🙄。

 

 

ブログを始めて、私はたくさんの気付きを得たが、星の付け方からはこんなことを実感した。

 

 

それは「人は1つにはならない」ということよ😅。

 

 

自分が良いと思ったことが、他人からは良くないと思われることがある。自分が良くないと考えたことが、その考えを良いと考える人もいる。これでは人はまとまらない。

 

 

でも、それが面白いのよね😄。

 

 

考えや思い、好みは十人十色だから面白い。十人一色な世界ってつまらないわよね😅。

 

 

はてなブログは画期的だったんだろうなぁ🤔。

 

 

Twitterやフェイスブックは「いいね」を1つしかつけられない。はてなブログではスターをいくらでもつけられる。

 

 

1つのブログに何百個もスターを付けている方がいた😱。すごいと思いつつ、どういうつもりなのだろうかと思ってしまったわ😅。

 

 

非難しているわけではなく、私の常識外だったということよ。チョービックリした😲。

 

 

スターをつけてコメントをしてブログで交流し合えるなんて、今では当たり前だけれど、最初に考え出した人はすごいなぁ😄。

 

 

って何の話だったっけ🤔。

 

 

そうそう、私のブログの内容が偏っているという話だわ😄。

 

 

もともと、私のブログの内容に偏りがあるなぁと感じていたのだが、それが確信に近くなったのは

 

①アクセス数が減ったこと

②アクセス時刻が変わったこと

③スターのつき方

 

 

の3点に加えて、こちらの嬉しいコメントがあったことよ👋😁。

f:id:yujisyuji:20211014184058j:image

「こういう記事」とはこちらのブログよ👋😄

スターを21人の方につけていただいて、スターの数が64個。ブックマークは2つ。

 

 

自分では意識したいなかったんだけれど、「こういう記事を」書いてこなかったわ😅。関連記事が1つだけしか出てこない。この関連記事に出てきたブログだって、どこが関連しているのかが分からない🤷‍♂️。

 

 

私の頭の中には、「食欲」「睡眠欲」「性欲」「物欲」「自己顕示欲」となど脂ぎった欲がたくさんつまっているのよ😁。

 

 

私のブログは「自己顕示欲」が強いわね~😅。だから私のブログから離れていった方は数知れずかも😱。

 

 

この前の月曜日は、弟分との1年ぶりの定例会。月イチだったのにコロナで途絶えちゃっていたのよね😅。
f:id:yujisyuji:20211014212250j:image

 

このときは、「食欲」「性欲」「物欲」の話が多いかしら😁。政治の話はしないわね🤔。子どもの話や歴史の話、内容はとりとめがないんだけど。あっ、「逃避欲」もあるかも😁。

 

 

去年の2月にはこんな話をしていた。ブログの傾向と同じだわ。

 

 

ブログの内容が偏っていたというよりも、これまでの私のブログの傾向とは違っているってことよね🤔。私は全く意識していないんだけれど。

 

最近になく最もスターが多かったブログは、こちら👋😁。

スターを26人の方につけていただいて、スターの数が94個。ブックマークは2つ。

 

 

ブログを書き始めた頃の記事をリトライし始めてから、アクセス数やスターのつき方が少しだけ好転している。

 

 

ということは、今よりもブログをやり始めたころの内容の方が読者さんの共感を得られていたってことかしら🙄。

 

 

これからもリトライしよう😁。

日本と歴史

今日紹介するブログは2019年2月5日に投稿したものよ。私のブログの読者さんはこのブログを読んで、どう感じるかしらね😁。では、どうぞ👋😄

 

~~~~~~~~~~

 

日本と歴史

 

これまでのブログの内容とは毛色が異なるよ😅。たまに、歴史を語ります。

 

 

(1)日本と宗教

 

私は、特定の宗教に入信していない。⛩️に行くこともあれば、お寺にも行く。キリスト教の行事に参加することもあれば、イスラム教やユダヤ教も、その存在自体を否定する気は更々ない。

 

 

1年間で神社仏閣に参拝する人数は、イスラム教徒がメッカに参拝する人数よりも遥かに上回る。

 

お賽銭の行方を追っていくと、その利権は物凄いことに😱。だって非課税だしね。

 

まぁ、お賽銭の行方は、別の機会に回すとして、日本って、宗教国家とも言えるよね🤔。それも国民がそれを意識していないのが特徴的なの。

 

宗教国家の是非は問わない。だって、かの民主主義国家アメリカも、大統領就任時には、聖書に手を置いて宣誓するんだもの。

 

日本の宗教観を考える上では、山本七平の「日本教」が参考になる。あと、芥川龍之介の「神神の微笑」も。

 

日本人とその歴史を考える上で避けて通れないのが「天皇」について。

 

 

(2)元号

今年は平成最後の年。また新たな元号が使われることになる。この元号に関して、天皇が変わるごとに変えるのは不便だからなくせという声もある。

 

暦って、「時」の支配を表す。支配者は、空間(空と土地)と民とそこから産み出されるものを支配する。そして、「時」は時間、過去、現在、そして未来である。

 

西暦を使うということは、欧米の支配を受け入れることでもあるんだよなぁって考えてしまうの🤔。

 

その西暦を受け入れて、日本の元号は「天皇制」に通ずるといって非難するのは理屈に合わないし、合理性だけで考えられない世界もあると思う🤔。第一、「天皇制」という概念は、あるイデオロギーから生まれたものとも言うからなぁ😔

 

 

(3)天皇

 

キリスト教と天皇(教)の違いは何か。

 

それは、神を形而上のものとしたか、形而下のものにしたかの違いもあるかも。日本人って形而上のものを考えるのは苦手だというしね😌

 

歴史を学ぶと、天皇とは日本の独立の象徴だとも言える。華夷秩序に入らず、冊封体制からの自立。向こうが皇帝なら、こちらは天皇だという気概。こういった、悪い意味であれば島国の孤立、良い意味であれば自立の表れでもある。

 

また、天皇が絶対的な存在であったのはほとんどなく、天智天武朝や後醍醐天皇の時代ぐらいかなぁ。

 

えっ、明治維新から敗戦までの間は、天皇は絶対的な存在であったって❓。

 

いやいや、天皇が絶対的な存在であれば、満州事変も5・15事件も2・26事件も起きていない。絶対的な存在ではないから、あんな事件が起きるの。政党は政局に「統帥権の干犯」を使い、自分の首を締めてしまった。

 

そうそう。幕末の志士たちは、幕府の政治は天皇の御心に沿わないので、幕府を倒してしまえという思考法だったとか。当時の天皇(孝明天皇)は佐幕(幕府が政治を行うことに肯定的な立場)であった。

 

また、昔から「君側之悪」という言葉がある。悪い世の中になっているのは、君主が悪いのではなく、君主の周りの家臣が悪いという考えである。

 

2・26事件を起こした青年将校たちは、大臣たち君側之奸を取り除き、天皇親政とすれば世の中が良くなると考えたとか。そこでクーデターを起こし、大臣たちを暗殺した。昭和天皇はクーデターを怒り、鎮圧した。しかし、彼らは「天皇の方が間違っている」と考えたとも。

 

そう。自分の正義を天皇の心と思いこみ、天皇の意思に沿うものだと考え、行動する。実際の天皇の考えに沿っていなくても良いのである。

 

天皇(制)の存続の是非に関しては、「天皇は日本国憲法に規定されている」というだけに留めておくよ😊。見解が大きく分かれることに関しては言及しない😔。

 

(4)まとめ

う~ん🤔。なんだか、現代にも通じるなあ😅

 

そう。歴史を学ぶということは、人類の叡智を学び、失敗を学ぶということでもある。

 

そして、宗教も学ばなくてはならないと思う。人の行動原理となるのだから。

 

って、朝から小難しいことを考えてしまった😅。持論であるところもあるので、理解不足や間違いがあればご容赦を🙇。出典も書いていないので、あくまでも参考程度にお聞きください😄。反響が良ければ、またの機会に👋😄

 

~~~~~~~~~~

 
ブログを始めた頃だけに、持論を恐る恐る書いているわね😅。
 
「これまでのブログの内容とは毛色が異なるよ😅。たまに、歴史を語ります。」って、私のブログの読者さんから「全く異なっていないじゃないか」と突っ込まれそうね😁。
 
最後に「朝から小難しいことを考えてしまった」と、いつもはこんなことばかり考えていませんアピールをしているところも、今読み返すと新鮮ね😄。
 
過去のブログをリメイクするではなく、リトライと言うのかしらね🤔。一旦下書きに戻して書き直したり書き加えしたりして再投稿すると、これまでの星やブックマークがなくなるのが残念だわ😣。前に星やブックマークをつけてくださった方々、ごめんなさい🙇‍♂️。

あ~、美味しいものを食って飲んで遊びたい😁。

日々の出来事の中で私が幸せに感じるとき。食事かなぁ😄。

 

 

焼肉であれば「安楽亭」

f:id:yujisyuji:20211013003824j:image

 

 

焼き鳥でれば「鳥貴族」f:id:yujisyuji:20211013004004j:image

 

 

ラーメンであれば長年行きつけの地元のラーメン屋「○○」
f:id:yujisyuji:20211013004234j:image

あと「日高屋」も良いわ~。f:id:yujisyuji:20211013004411j:image

 

 

回転寿司屋であれば「はま寿司」

f:id:yujisyuji:20211013005626j:image

 

 

居酒屋であれば「和民」f:id:yujisyuji:20211013010018j:image

 

カレー屋であれば「CoCo壱番屋」f:id:yujisyuji:20211013010116j:image

 

 

ファミレスであれば「サイゼリヤ」

f:id:yujisyuji:20211013011858j:image

 

 

な安いド定番なお店ばかりね😅。

 

 

ビールだったら「キリン一番搾り」

 

 

日本酒だったら「獺祭」

 

 

焼酎だったら「一刻者」

 

 

チューハイだったら「ほろよい」

 

 

ワインだったら「セブンイレブンプレミアム
アンデスキーパー カベルネ・ソーヴィニヨン」

f:id:yujisyuji:20211013011556j:image

 

コンビニのワインってコスパがの良いわ😄

 

 

お酒であれば、ハイボールやレッドアイも好きよ。

 

 

年を取ると一時的欲求よりも二次的欲求の方が強くなるが、まだまだ油が抜けたわけではない。

 

 

あ~😁、家庭があるしお金はないからかわいい女の子をはべらせることは出来ないわ😅。いや、そんな器量は私にはない。

 

 

だから、美味しいものを食べて飲んで、食欲を満たすことで一時的欲求を満足させたいわ🍴😆。

 

 

仕事は先が見えているんだもの。昔ほどの張り合いはない😅。

 

 

温泉で食って飲んで1ヶ月ぐらい過ごしたいわ~。怠惰よね~😁。

「セールスお断り」の貼り紙の効果🤔

各家庭の郵便受けにチラシを入れていると、「チラシお断り」の貼り紙が貼ってある家があった。

 

 

郵便受けにゴミを入れられているのと同じようなものだから、チラシを入れられるのを断る理由は分かる。

 

 

つぎの家に行くと「セールスお断り」のシールが貼ってあった。まぁ、セールスマンが来るのが嫌なのだろう。

 

 

うん❗️❓️待てよ🤔。

 

 

なぜ、不特定多数の人にこんなことを公表するのだろうか❓️🙄

 

 

「チラシお断り」ならまだ分かる。勝手にポストに入れられるのだから。玄関にずっと立っていて、郵便受けにチラシを入れようとした人に「やめてください」なんて言えないだろう。そんなに暇ではない。

 

 

しかし「セールスマン」であれば事情は異なる。セールスマンが呼び鈴を鳴らしたら、ドアを開けずに断ればよいのだ。

 

 

同じ「お断り」でも、「チラシお断り」と「セールスお断り」では、大きな違いがあるとふと思ったのよ🤔。

 

 

「チラシお断り」は「チラシ(ゴミ)を郵便受けに入れるな」という意味で、「セールスお断り」は「セールスマンと会いたくない」と言う意味よね。どちらも共通した気持ちは「煩わしい」だろう🤔

 

 

「チラシを入れるな」であれば、誰がチラシを入れるかは分からないのだから、不特定多数の人に貼り紙で訴える必要はある。

 

 

しかしセールスマンは特定の人だ。来たら、ドアを開けずに断ればよいのよ。それにインターフォンで断ることもできる。

 

 

それが煩わしいから「セールスマンお断り」と貼り紙を出しているのだろうが🤔。解釈次第では「私は直接断れない小心者です」と公表していることになるんじゃないかしら😲。

 

 

とすると、何かにかこつけてドアを開けさせたら、強引に物が売れる可能性もある。

 

 

~~~~~~~~~~~

「セールスお断り」のステッカーを貼っている家の庭にいる女性に業者が声をかける。

 

🧔「奥さん、家の壁を見るとかなり年季が入っているね」

 

👩「そうですか。」

 

🧔「これは、塗装をしておかなくては危ないよ。最近、ひどい雨が降るし、日差しも強いからね。」

 

👩「まだ大丈夫ですよ。」

 

🧔「分からないものですよ。塗装ってね、防水や防カビにも役立つんですよね。最近、体調が選れないなんてことないですか。」

 

👩「そうね…。」

 

~~~~~~~~~~~

ほらほら、セールスのトークに乗せられている。たまたま通りがかって話をした形にすれば奥さんに文句を言われる筋合いはない。「セールスお断り」って貼る人は、口のうまいセールスマンの格好の餌食になりそう🤭。

 

 

それに、「セールスお断り」を「私は気の弱い人です」と読み取ったら、強盗の餌食にもなるわ😱。「セールスお断り」のシールは貼るべきじゃないなぁ。

 

 

と、考えると「チラシお断り」も貼るべきではないかも🙄。

 

 

だってチラシがポストに入っているくらいで「ギスギスし過ぎ」とご近所さんに思われないかしらね🤔。

 

 

毎日100枚ものチラシが入っているなら、そういうチラシを貼るのも理解できるが、多くともホンノ数枚程度でしょ。

 

 

「チラシお断り」のステッカーを貼っている人は、ご近所さんに「あの人は些細なことを気にする狭量な人」と思われているかもしれないよ😅。

 

 

そんなことを気にしないのならそれでも良いが、チラシの数枚を気にしてご近所さんの目を気にしないってどうなのかしらね😲。

 

 

それか「チラシお断り」を貼っているうちは、1日数十枚のチラシが入って困ったという特殊な家と理解しておこう😁。

 

 

チラシで言えば、FAXでチラシを送りつける業者に対してはプチ不満がある😤。この紙は私の紙よ。他人の紙を無駄にして、広告を送りつけるのはおかしいと思う。

 

 

まぁ、これも些細なことかもしれないが、FAXで広告を送りつける業者を私は利用しない😤。

 

 

「猛犬注意」のステッカーも笑っちゃう。どう注意すれば良いのかしら🤔。自分の敷地の中といえども、呼び鈴を鳴らそうとしている来客を敷地内で飼い犬が噛んだら、それは飼い主の責任となるだろう。

 

 

猛犬だったら、犬が人を噛まないようにしつけて、犬の首に縄をつける義務が飼い主にあるだろう。

 

あと、猛犬注意のステッカーが防犯になるって考えものだなぁ🤔。

 

 

こんなステッカーが防犯になると考える甘い人なら、オレオレ詐欺の餌食にあうぞ。だってあんなものが防犯になると考える甘い人だもの。

 

 

泥棒に注意書をしているのなら、お人好しよね。

 

 

猛犬がいることをステッカーで告知しなくてもよいじゃない🤔。

 

 

私が言いたいことは、「不特定多数の人に情報を与えすぎ」ってことよ😅。

 

 

私が悪徳業者や詐欺師だったら、そんなステッカーを貼っている家を狙うわ。だって強く言えないお人好しの可能性が高いから。

 

 

だから、郵便受けや玄関に何か貼る場合はご注意を😎。

ブログのリメイク投稿~自分のブログを読み返してみると~

ブログの記事数が1000を超えて、自分の記事をいくつか読み返したのよ😄。

 

 

その感想は…、当初ブログに書こうとしていたものと、今は違う内容になっているということね😅。

 

 

当初は息子の成長や教育、日々の出来事、そして歴史や国語などの勉強について書いていた。ややライトな内容だったのよね🤔。

 

 

過去のブログをリメイクして昨日投稿したブログはこちら👋😄

 

 

 

こちらはチューの成長日記の1作目👋😁

よく書いていたのよね。「チューの成長日記」と「チューパパの黄昏日記」を。最近は全く書かなくなった😅。

 

 

 

今は社会派評論家、社会派コメンテーター、社会派コラムニスト気取りの内容が多くなったわ😎。

 

 

それでも良いとも思っている😁。

 

 

例えば連載マンガも内容が当初とは大きく変わっていくことが多い。

 

 

有名どころで言うと…。

 

 

ドラゴンボールなんてそうよね😅。最初はライトなギャグの要素の多いマンガだったんだから。それが友情&戦闘&冒険&成長so-on…、と様々な要素を含むシリアスなマンガになってきた。

 

 

 

エリートヤンキー三郎って知っているかしら🤔。最初は笑えるマンガだったけれど、後の方になるとごちゃごちゃしてよく分からなくなったわ😅。

 

 

 

深夜に実写版ドラマとやっていたのよね😄。インパルス板倉さんの、副番長河井星矢がはまっていたわ🤭。

エリートヤンキー三郎 DVD-BOX

エリートヤンキー三郎 DVD-BOX

  • 石黒英雄.板倉俊之(インパルス).倉科カナ.小沢仁志.小沢和義
Amazon

 

 

途中で最も話が変わったと思うマンガは「とどろけ!一番」よ😅。

私が小学生の頃に読んでいた「コロコロコミック」で連載していたマンガよ。最初は受験勉強の話だったのに、自分が代々拳闘家だったことを知ると、命がけの試験戦士からボクシングで一番になると言い出してボクサーマンガに変わった😲。

 

 

そう言ったら、キン肉マンもそうよね🤔

ギャグマンガだったのに、いつのまにかシリアスなプロレスマンガになったわ。

 

 

だから私のブログも、連載?を重ねるに従って内容が変化しても仕方がない。いや、内容を変化させた方が長続きするのかもしれないわね🙄。

 

 

しかし、ここのところ、私のブログは政治色が強いような気がするわ🤔。はてなブロガーさんのニーズにあっていなさそう。

 

 

だってスターがたくさんついているブロガーさんの傾向は「ポジティブ」「日々の生活」「小咄的で面白い」「写真がきれい」「食べログ」なのよね🤔。それとも私が入っているグループがそうなのかしら🙄。

 

 

いや、毎朝読むなら、そう言ったものの方がよいだろうなぁ🤔。だって朝から親父のうんちくや政治の話を読むと言う人は、マジョリティーではないわ😅。プロの記者が書く新聞も読まなくなっているのだから。

 

 

と自分のブログの傾向を分析し、さて、これこらどうするか。

 

 

ボリューム層相手とするブロガーさんには太刀打ちできない。だって私のブログは「つれづれなるままに」というブログ名にあるように、退屈しのぎなんだもの😅。

 

 

だったらニッチな層を狙うことにしよう☝️😁。

 

 

って。狙っているわけでもない。でも、私のブログを気に入ってくださっている方がいるのよね😄。勝手気儘に書いて、気に入ってくださる人が複数いるって嬉しいことよね~😊。

 

 

そうそう。今後のブログについて。昔のブログを読み返して、昔のブログをリメイクして再投稿しようと思ったのよ👋。

 

 

ブログが作成順に並ばなくなるのが嫌なんだけれど、日の目に当たらずブログを腐らせるのはもったいない。

 

 

それにブログを始めた頃のブログのテイストは、そんなにシニカルなものではなかったわ。しかし、最近はシニカルなものが多くなくなった。

 

 

何が私をそうさせたのか🤔。

 

 

もともと世の中をシニカルにみる傾向が私にはあった。ブログの傾向が変わったのは、そういう私のネガティブな面が全面にで出たからであろう。

 

 

それなら、ブログの傾向がシニカルになっていった原因は何かしらね❓️🙄。

 

 

やはり大きな原因はコロナ禍かなぁ🤔。

 

 

どんなに仕事で嫌なことがあっても、休みの日は家族で色々なところに行っていたのよ。だから、その日のブログは家族との思い出が中心で、政治だの不正だの疑惑だのがあまりブログのネタにはならなかった。

 

 

シリーズ化した「チューの成長日記」の連載が途絶えたのは、チューが成長したことも原因だが、それ以上に外に行かなくなってネタがなかっことが原因だわ😲。

 

 

次に、仕事がうまく行っていなかったことも原因だわ。これは会社批判になるので、書くのは控えるわね😅。

 

 

さらには、バズったことも原因よね🤔。

 

 

こちらのブログは3日間で2万~3万のアクセスがあったブログよ👋😅。

 

 

こちらは3日間で2万程度だったかしら🤔。いまだにアクセスが多い。

 

 

こちらも2年以上前に出して、いまだに注目記事2位のブログよ。

 

 

そして、こちらは少しバズって、今年の卒業シーズンにも注目記事に浮上したブログ。

 

 

今、紹介したブログは、どれも時事的なものなのよね🙄。それがバズったものだから、「私に求められているものはこれだ❗️」と思ったのかもしれない。断定できないのは、私が意識したとことではないから。今、振り返ってみるとこう思うのよね🙄。

 

 

バズるって、基本、外部流入だと考える。相互フォローしてバズらせるという手もあるようだが、それって真のバズりではないと思うのよね🙄。

 

 

いや、「真のバズり」の定義が定かではないが😅。

 

 

たまにはてなブログを散策していると、何でこれでこんなにスターやブックマークがあるのかしらって思うブログが結構ある。そう思うから、読者にならずスルーしている😅。

 

 

でも、それがはてな界の中で求められているものだとすると、それと私のブログは違うわ。

 

 

いや、すごい社会派はてなブロガーもいるから、私の文章力とブランディング力がないだけか😐️。

 

 

長々と書いてきたが、つまり、これまで書いたブログのリメイクを投稿することもあることを言いたかっただけなのよね😅。

 

 

これもブログを沢山書いたからできることだと自画自賛しよう😁