つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

子どもの自己決定と保護者の責任について🤔

かなり昔、藤子・F・不二雄のマンガで、教育についてなるほどなぁと印象に残るものがあった。何というタイトルかは思い出せないが🤔

 

 

 

幼い男の子が助けを求める。

 

主人公がその理由を聞くと、朝から晩まで勉強や習い事漬けの毎日を送っていて他の子のように遊べないと嘆く。

 

主人公は男の子に対する同情と彼の親に対する怒りの感情がわき、彼の家に行って母親に「子どもは遊ばせた方が良い」と教育論を語る。

 

男の子の家は豪邸であった。

 

教育ママ風の母親の反応は、主人公の話を聞いて、冷静に「どうぞ、遊ばせてください」とすんなり受け入れる。

 

拍子抜けの主人公に「この子の人生に責任を持ってくれるならば」と付け加える。

 

「私(親)はこの子の将来に責任を持っている。あなた(主人公)がこの子の将来に責任を持ってくれるのであれば、どうぞ遊ばせてください」と。

 

主人公はぐうの音も出なかった。

 

 

 

こんなストーリーだったかしら🤔。何という名前のマンガだったかしら。私がかなり若いときに読んでいるのよね🙄。でも、そのときは塾で働いていた。

 

 

 

他人に教育論を語る人は、その子の将来に責任を持っているのかしら。

 

 

 

学校の教師も部活の顧問も塾の講師も、子どもの周りにいる大人の中で、親以上にその子どもの将来を責任をもって憂いでいる人はいるのだろうか🤔。毒親は別よ。

 

 

 

月曜日は塾

 

火曜日はダンス

 

水曜日は塾

 

木曜日は英会話

 

金曜日は習字

 

土曜日はプログラミングと水泳

 

日曜日はテニス

 

その上、通信教育をやっている。

というような小学低学年の子が実際にいるのよ😱。

 

 

 

6時半に起きて

 

7時半に登校班で登校し

 

8時から15時頃まで学校に拘束され

 

その後に習い事に行き

 

19時過ぎに夕食を取ったら

 

通信教育でお勉強。

 

ブラック企業並みの1日ね😱

 

 

 

「習い事を整理した方が良いかもしれません。」というアドバイスはできるが、その子の将来に責任は持てない。保護者がその子の将来に責任を持ち、判断するのだ。

 

 

 

子の進むべき道を判断するのは、親の務めである。それが明らかに誤ったものでない限り、周りは非難できない。

 

 

 

塾漬けにしたり習い事漬けにしたりするのと、子ども本人の自主性に任せ、放任するのとでは、どちらが良いのだろうか🤔。

 

 

 

私の考えではどちらも悪いと思う。

 

 

 

「子どもの自主性に任せる」という保護者がいる。では、そういう保護者に聞こう☝️😔。

 

「子どもの自主性に任せた結果に責任を持つんだろうな」

 

ってね。

 

 

 

いや、自主性は大切だ。

 

 

 

自主性と放任は異なる。

 

 

 

子どもの自主性による判断は尊重するべきもので、任せるものではない。だって、子どもは経験がないのだから。経験がない分、偏見のない良い判断となる可能性もある。

 

 

 

子どもがYouTuberになりたいと本気で訴えてきたら、私はどうするだろうか🤔。

「そうか。YouTuberになりたいか。それなら、どうしたらYouTuberになれるのか、YouTuberの楽しさと大変さをキチンと説明できたなら、パパも応援しよう」

かなぁ🙄。

 

 

 

ネットの発達した時代である。人気YouTuberにフィールドワークさせるかなぁ😅。どなたもクセがあるからなぁ。門前払いされるかなぁ🙄。

 

 

 

「~になりたい」というのは、子どもの成長であり、親としては喜ぶべきことだと思う😔。

 

 

 

ずっと塾漬けにして、最難関の名門私立中高一貫校に進学して、高校3年生になって、「俺は官僚よりも役者になりたい」と言われたら、私ならどうするかなぁ🤔。

 

 

 

こんなことは今後起きることはないが、もしもその立場に立たされたら、どう思うか。

 

 

 

小4から受験まで3~400万円かけたであろう。中高の6年間で学費は5~600万円かけたであろう。その他諸々を含めると、この子にかけたお金は1000万円~1300万円はかけたでろうか🙄。

 

 

 

お金と時間をかけて最難関の名門私立中高一貫校に6年間通わせて、子どもから「役者になる」とか「芸人になる」とか「塾の講師になる」なんて言われたら、私は承諾できるだろうか🙄。

 

 

 

それに、塾に入れて都内の最難関の名門私立中高一貫校に入れる保護者は、自分に自信がある人が多い。嫌いな言葉だけれど、ある意味「勝ち組」の保護者だ。思考回路は、○○エモンや□□ゆきに近い。自分の考えに固執し、相手の考えを認めない。子どもの価値観なんて鼻で笑う保護者が多そう。

 

 

 

と言うが、私もそうなるだろう。

 

 

 

だって学歴を勝ち進んで、社会人になってもある程度勝ち進んでいるから年収が多く、幼いときから塾に通わせ最難関の名門私立中高一貫校に入れるんだもの😅。自分の成功体験の呪縛から自分を解き放つことができないだろう。

 

 

 

私はそういう保護者も否定できない。でも、もしも、高3の我が子から「役者になる」と進路相談を受けたら、こう答えるだろう。

 

「貴方が成功して、端役でもテレビのドラマに出たら、誇らしく思うだろう。大学の演劇サークルに入っても良いんじゃないの。そこではまって中退しても、私は文句は言わない。しかし、援助は学費までだぞ。アルバイトして自分の力で役者になれ。」

 

 

 

今までかけたお金と時間を考えるのは、子どもを人格をもつものとして見ておらず、投資の対象として見ていると考える。

 

 

 

とすると、幼い頃から習い事漬けにするのも、子どもを自分と別人格を持つものとして見ていないんだろうなぁ🤔。

 

 

 

う~ん🤔。

習い事漬けにすること自体を否定しない。習い事をするのなら、保護者は習い事を吟味せよってことね🙄。

 

 

 

巷の塾でやっている「プログラミング」や「理科実験講座」「英会話」「速読」なんて、そのほとんどが効果としては眉唾物だと私は思う😑。

 

 

 

だって、ちょっと考えれば分かることよ。

 

 

 

講師は専門的な知識を持っているわけではない。いや、それだけで眉唾物だとは言えない。

 

 

 

子どもが在籍しなくては、その講座が商品として成り立たない。ということを踏まえると、その講座には、どうしても「面白さ」が加わる。いや、「面白さ」がメインとなる。その面白さをきっかけにして、子どもは高度な技術や知識を求め出す可能性もあるが、そんな子はごく一部で、多くの子は「楽しかった」だけで終わる。

 

 

 

小学生のときに「プログラミング講座」を受講して、そのうち何人がプログラミングを専門職にしたのだろうか。

 

 

 

「理科実験講座」を受講して、そのうち何人が理科が好きになり得意教科になっただろうか。

 

 

 

「英会話」を受講して、小学生のときに英検準2級取れた子の何人が、英検1級に合格ししたのだろうか。

 

 

 

というように、「小学生のときの習い事に、目に見える結果を求めない」のが、私の信条よ😄。

 

 

 

「楽しかった」で終わる習い事に、いかに価値を見いだせるかは、保護者次第。

 

 

 

子どもには可能性がある。

 

 

 

塾や習い事のその可能性を摘むこともあるんだよなぁ🤔。

 

 

 

小学生のお薦めの習い事は

水泳、ダンス、テニスなど、運動系を土日に入れる。

 

ピアノやバイオリンなど音楽系も良いわね。絵画なども良いわ。芸術系を習わせるとしても、型にはめ過ぎないことが大切だと思う。

 

習字やそろばんも良い。

 

英会話も良いわね。母国語以外の言語に触れるのは良い経験になる。

 

プログラミング講座も、プログラミングに楽しんで親しむという意味では悪くはない。

 

 

 

それをどれもこれもやるのではなく、絞ることが大切だ。

 

 

 

その能力を高めたいというのなら、1つに絞って徹底的に習うのも良い。

 

 

 

例えばピアノやバイオリン。小さい頃から習わせる。ピアノやバイオリン漬けにするのも悪くはない。

 

 

 

う~ん🤔。

本人が嫌がってもやらせるか🙄。

 

 

 

意思の弱い私だったらやめさせる可能性が高いけれど、嫌がっても続けさせても良いかなぁ🤔。それでもそれは小学生までと期限を付けるかな。

 

 

 

運動系も、野球やサッカー漬けも良い。

でも中学に進学しても音楽やスポーツ漬けにするかは、よくよく話し合った上だよなぁ。

 

 

 

遊びは大切といえども、私が子どものときのような、校庭で大勢の友達と遊ぶことが少なくなっている。ネットゲームなど大人の作った世界で遊んでいる。

 

 

 

友達との繋がりが希薄になっている現代では、習い事を詰め込まざるを得ないのかなぁ🙄。習い事には必ず大人が入るから、子どもだけの世界で遊ぶことができない。

 

 

 

現代は、子どもだけの世界を作ると陰湿な虐めとなる。

 

 

 

子どもだけの世界が少なくなったから子どもだけの世界が陰湿になったのかしら😱。

 

 

 

そうだ。思い出した。「スーパーサラリーマン左江内氏」よ❗️あのマンガ。

自分の進路は自分で決めるのが当たり前ってなったのも、個人主義が浸透したからかしらね🙄。

 

 

 

個人主義の自己決定権について書いたブログがこちら👋😄

 

 

 

子どもの自己決定権。

私の大学時代の専攻は「子どもの権利条約」なのよ。子どもの権利条約や家永教科書裁判に影響を与えた永井憲一のゼミで学んだの。

全く優秀なゼミ生ではなかったけれど😅

 

 

教育論ではなく法律論であったが、私の子育ての信条にとても大きな影響を与えた。

 

 

 

子どもの権利の一つ、「子どもの意見表明権」がある。この意見表明は子どもの意見を無条件に全て認めるというものではない。年齢や発達に応じて尊重するというものである。

 

 

 

だから「子どもの自主性」だって全て認められるものではないと私は考える。親の適切な助言と承認が必要なのよ😄。

 

 

 

子どもの自己決定権が、親が子どもの将来への責任逃れに使われているように感じることも多いのよね。塾で働いていると…😔。

 

 

 

そして、私はその片棒をかついでいるのかしらと自分の仕事に疑問を持つこともあるのよね😅。