つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

親心

いつの日か
キミは
巣から飛び立つ

 

 

青空を
希望で満たし
羽をひろげて
キミは
巣から飛び立つ

 

 

青空は
雨雲で覆われて
雷が鳴ることも
台風がくることもある

 

 

親鳥としての心配は
キミの個性が
障害となること

素直な心だけでは
大空で生きていけないということ

 

 

普通に生んでやれなかったことを

悔やむことも何度かあった

 

 

でもね
「普通はない」と気付いたときに
いや気づかせてもらったときに
悔やみがなくなり
君で良かったと思えた

 

 

いづれ飛び立つ日が来るまで
明日の幸せ求めずに
今の幸せ噛み締めて
明日の幸せに繋げていこう

 

 

近い将来
「私のもとを離れたい」と言ったら
私は笑顔で両手を広げるよ

羽ばたくキミをながめながら

心で「また帰っておいで」と言いうだろう

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~~~~~~~~~

 

これは、ブログを書き始めて間もない2019年1月27日に書いたブログよ😄。

 

子育てに正解はないわ。

 

だから、親は自分の信念を信じて自分の子どもを育てるしかないと思う。

 

 

~~~~~~~~~

2019年1月27日のブログ。

時が経つのがはやいなぁ😔

ここが本当に夢の国😱

夢の国はお金がかかる。

 

 

入国するのに入国料が発生する。

 

 

夢の国に入ると、夢の国の住人のキャラクターグッズを売るショップで溢れている。

 

 

割高な食べ物と飲み物。

 

 

夢の国の外から食べ物や飲み物を持ち込むのは禁じられている。

 

 

楽しもうとアトラクションを利用としたら、2時間待ち。

 

 

これが夢の国のなのかしら🤔。

 

 

銭ゲバの国じゃないかしら🙄。

 

 

入国者数が過多なのに、次から次へと入国させる。

 

 

入国する人には罪はないし、夢の国にも罪はないが、「夢の国」と言われているのが疑問なのよね🤔。

 

 

「資本主義の権化の国」とすればしっくりとするんだけれど😅。

 

 

夢の国の住人は、安い賃金なのに笑顔を絶やさず働いている。夢の国の外からやってきた観光客を最上の接待でもてなす。その笑顔、心からのものですか❓️

 

 

いや~、人で溢れ、アトラクションを利用するのに何時間も待たされ、物価が高騰している国に観光に行くんだろう❓️🤔。

 

 

この夢の国がキャバクラだったら流行るのかしら🙄。

 

 

入場料6000円

女の子がテーブルに来るまで2時間待ち。話せる時間は3分間。待たされている間に、キャバ嬢のキャラクターグッズの販売がある。

 

 

飲食はべらぼうに高い。その女の子がスーパーアイドルだったら流行るかも😅。

 

入国者は夢のような楽しさを求めているが、それと同時にMっ気が強いんじゃないかしらね。

 

 

だって夢から覚めて夢の国を後にして帰宅している人の顔を見ていると、みんな疲れきっている。

 

 

えっ、どこのことだって。

それは私の夢の中の国よ😎。

 

俺はまだ本気を出していないだけ😎~何を読まされているんだろうと思うわよ、きっと😅~

バラエティー番組を見ていたら、超有名なアイドルグループのメンバーが3人で出ていた。

 

 

そのうちの1人が、私の知っている珍しい名前だった。

 

 

昔、私が担当していた生徒と同じ名前だと思って、Wikipediaで調べたら、ほぼその子だろう。

 

出身が私と同じ市であった😄。

 

 

あんまり私に懐かなかった子だった。というか、私が塾長で、クラス担当ではなかったからなぁ。

 

 

あぁ、眩しい。彼女の人生はこれからだ。

 

 

その点、私の人生は、可もなく不可もなく、いや、家庭的には可であるが、会社的には不可だ。

 

 

何歳になってもやりたいことをやるのが正しいとされる。

 

 

自分が詰んだ会社をやめて、塾を開きたいとも思う。いや、それよりも臨床心理士の資格を取って、スクールカウンセラーになりたいとも思う。

 

 

しかし、そのために、私はだらけ過ぎている。何も積み上げてこなかったし、その勇気もない。

 

 

規則正しい生活を送れていない。惰性で生きている😣。

 

 

何事も上を見すぎるのは苦しいわよね🤔。

 

 

2つ担当している個別指導の教室で、私が常駐している教室は、夏期講習生が全員入塾してくれた。しかし、運営者に任せている方はの入塾率は極端に低かった。

 

 

その原因は運営者が悪いのではなく、集団授業を強く希望し、夏だけ個別を受けるという生徒ばかりだったのよ。

 

 

まぁ、入塾しそうなところまでこぎ着けたが、集団授業ニーズが強い保護者に「個別が良い」と言いきれなかった。なぜなら、私がその教室に常駐していないから😣。

 

 

そういう生徒も講習会だけ受け入れるのも、教室の収入が増えることにもなるから良いと思うが、会社としてはそうはならない。

 

 

講習会で来た生徒は入塾させないと評価されないし、入塾率が低すぎると、月イチの研修会に強制参加させられる😱。

 

 

だったら講習会のみ受講したいという生徒を受け付けず、入塾率を上げれば良いということになる。

 

 

それでご出世された方もいる😑。私はバカ正直だから、数値が出ないのよね😐️。

 

 

会社とは個々の事情は考えず、欠けたところばかり見るということの典型よね🤔。

 

 

不満があるが、そんなものよ、会社って。

 

 

会社内のルールを違反したって、良い結果を出せば問題はない。私はいつでもバカ正直に正攻法。腹が括れないとも言えるわけで、腹を括っていない分、強制参加させられた時間を辛抱すれば、あとは呑気に仕事ができると考えようかしらね😅。

 

 

今、塾生の保護者から感謝の言葉をいくつかいただいている。「7月に入塾して、先生の指導で、勉強に対する姿勢が変わりました」と面談で言われた。

 

 

偽善と言えば偽善よ😔。

塾で働いている者にとっては、保護者や生徒から感謝されても、会社の評価にはならないのよ。感謝が塾生に変わらなければ。意味がないのよ。

 

 

分かるかしら🤔。

 

 

言い換えると、塾生の感謝が外に広がり、新たな生徒の入塾に繋がらなければ、劣等の烙印を押される。担当している一方の教室の入塾率が100%でも、もう片方の教室の入塾率が低ければ、低能の烙印を押され、研修に駆り出される。

 

 

いや、それでも良いのよ👋😣。そういうものだから。

 

 

でも、ただ単に率を見て評価するなら、入塾の可能性の低い生徒は講習会を申し込ませなければ良いとなっちゃうわよね。

 

 

でも、そういうニーズもあるわけで。講習会のみを受ける講習リピーターがいる。そういうリピーターができちゃうと、塾長泣かせとなる。だって入塾率が落ちるんだもの😱。でも、それって変よね。

 

 

こんな経験が何度もある。

 

 

例えば小5~中2までずっと講習会のみを受け続け、中3になって入塾するとか。長期休みだけ、私の教室がある地域にある母親の実家で過ごすので、講習会のみ受け続けるとか。

 

 

今回のケースも、通常時も集団授業を受けたいと言われ、個別指導の塾で無理やり集団クラスを設定したのよ。せっかく来てくれたんだから受け入れる。講習生がいなかったし。

 

 

教室は個別仕様になっている。集団と言ってもたったの2名だ。これじゃ、集団授業を希望している家庭は入塾しないよ。だったら受け入れなければ良かったとなる。

 

 

しかし、満足してくれたと思う。まぁ、授業は私がやったんだから当然よね😎。と思っていないとやってられないわ😅

 

 

道を誤ったかもしれないと、この年齢になってつくづくと思う。

 

 

大学生のとき教育実習にいった先の私の教官は私を気に入ってくれて、「キミは塾よりも教員向きだよ」と言ってくれた。大人の世界よりも子どもと向き合う方に適性があると言ってくれた。

 

 

確かにそう思う。

 

 

しかし、教員は教員で大変よ。今、こんな愚痴を言うようじゃ、教員になっていたら、また違う愚痴を言っているだろう。

 

 

難関高校の劣等生で、一浪して、難関大学群の末席の大学に進学したんだから、会社でのこの結果も当然かしらね😅。

 

 

やはり、健全じゃないなぁ…、この心の状態は😥。

 

 

50才で、再出発するにはどうすれば良いかしらと悩むわ😣。いや、悩んでも仕方がないかも。

 

 

人脈なし、コネなし、友達なし、金なし、勇気なし。いや、この状態で脱サラしたら、それは勇敢ではなくて無謀だろう。

 

 

でもね、金がないと言っても、ローンもないのよ✌️😎。ホント、私は真っ白よ。

 

 

家あり、車あり、妻子あり、仕事もあって、休みもある。そして返済は一切ない。

 

 

そうか🤔。このぬるま湯から抜け出せないのか😅。ぬるま湯が私をダメにしたか🙄。これは他責か。ぬるま湯って気持ちが良いものね。温泉に行くと、温湯にずっと浸かっているのよ😁。

 

 

じゃぁ、今から熱湯か北極海に飛び込むか😤。それは自殺行為だろう😱。

 

 

男一匹だったら何とかなる。いや、まだ、その気概は少し残っている。家族を路頭に迷わせることはできない。


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晩酌が多くなった。カッコ良い男にはなれなかった。

 

 

0歳の時は世の中のことは何も分からなかった。

 

 

25歳の時は、世の中は自分中心に回っていた。25年後の自分はバラ色を想像していた。

 

 

今、そのバラ色を思い描いていた未来に来た。バラ色ではなかった。漆黒でもなかった。灰色にぼやけた世界だった。その灰色の世界の中での希望は家族だった。25年後の自分はいないと思う。

 

 

なぜ、生きているのだろう🤔。それは生きているからだ。これは答えにならない。しかし、生きていること自体が生きる理由なんじゃないかと、ふと思ったのよ🙄。

 

 

自分の人生に望みがなくなって、生きる理由を求めたら、生きることに理由はないと答えよう。

 

 

華やかな人生を送ろうとも、苦悩はある。

 

 

病になっても、認知症になっても、大怪我をしても、浮浪者になっても、生きることに理由はない。

 

 

自分の今の境遇は、幸せの範疇に入るだろう。

 

 

不幸ではない。

 

 

だから、私が今の自分を不幸だと嘆くのは、無い物ねだりであり、世間知らずだ。お子ちゃまだ。

 

 

腹黒なカラスの親子に誘われて、かごの外に飛び立ったかごの中の小鳥と五十歩よね。そんな話はこちら👋😅。

 

 

誰のことを言っているのなんて聞かないでね😎。私は誰のことだかなんて全然言っていないからね😅。

 

 

まぁ、なぜか知らないが、こちらのブログも添付しておこう👋😁。



 

 

 

燃えたい。自分のやりたいことをやり尽くしたい。

 

 

では、やりたいことって何だ🤔。

 

 

って、古本屋でこんな漫画を見つけた。

 

 

この年齢で読むと辛い😅。だらけた人生を送っている40才の男が、脱サラして漫画家になることに挑戦する話だ。

 

 

「人生を1日でたとえると、今は何時だ」という、子どもにやる気を出させる私の定番のお話も漫画のネタになっていた😅。

 

 

私が小中高生によく言う話しはこちら👋😄

例えば人生72年として、人の一生を1日に例えたら、高校生はまだ朝の6時にもなっていない。人生96年としたら、高3生でも朝の4時30分なのよ。まだ起きていない。今起きていることは、全て夢の中での出来事なんだよ。夢なのに「可能性がない」って諦めるのか。諦める必要はないんだよ。それに本当の夢とことなることは、努力すれば経験値が上がるということ。「可能性」なんか考えず、ひたすら、自分の夢を現実にするために努力すれば良いんだよ😄


高校生のあなたへ👋😄 - つれづれなるままに

 

「俺はまだ本気を出していないだけ」と思うアラフィフオヤジはいたい奴だなぁ😅。

 

 

これまで本気を出してきたよ😤。

 

 

だから、これが実力かも。

 

 

ざ~んねん😱

お墓は誰のためにあるの❓️🤔

お墓って誰のためにあるのだろうか❓️🤔。毎週月曜日に父の墓参りをしている私は、こんな疑問が生じた。

 

 

今日は、朝7時30分に中2のチューと車でゴミ出しをした。

 

 

その後、近くのコンビニに行き、チューが買い物をする。200円程度の買い物よ😅。アイスを買ったり、団子を買ったり、ジュースを買ったりする。

 

 

前にも書いたけれど、課題のあるチューに1人で買い物をする練習を兼ねている。

 

 

その後、チューは学校に行った。妻はパートに行った。

 

 

月イチの診療所に行く日だった。

 

 

母に「診療所に行くついでにお墓を見てくるよ。」と言った。

 

 

私の墓参りは大抵「~のついで」にしている。

 

 

チューとの散歩のついで。

チューをデイ・ケアに送迎するついで。

診療所に行くついで。

 

 

そして、そのついでに母の買い物をする😄。

 

飲料水

お茶

お米

お菓子

アイス

など。

 

 

飲料水やお米は母には重たいだろうということで、私が買ってくる。私から「買ってくるよ」と母に言う。

 

 

さて、お墓は誰のためにあるのか。

 

 

少なくとも私は毎週何のために父のお墓に行って、生花を供えてくるのかだろうか。


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お墓は死者のためにあるのではない。お墓は生者のためにあると私は思うのよ😔。

 

 

お墓参りは、死者を弔うためではない。お墓参りは、生者の気持ちを安らげるためにするのだろう。

 

 

いや、「弔う」とは 死者の霊を慰めるためするのではなく、生者の気持ちを慰めるためのものであろう。

 

 

死ぬ直前まで「悔しさ」「苦しさ」「痛み」と言った感情があるだろう。しかし、死ねばそういった感覚から解放されるはずだ。死ぬという経験をしたことがないから、分からないが。

 

 

死者に喜びと悲しみも怒りもない。存在が人の心に残るのだ。「死んだ者が残っている心」を慰めるために葬式もお墓も法要もあるのだろう🤔。

 

 

父を失った悲しみは、今はない。いや、心の奥底にはあるだろうが、父の死の悲しみを今はあまり認識していない。それでも私が父の墓参りをするのは、母が喜ぶからだろう。

 

 

父が亡くなり十三回忌を過ぎたが、母は父の話をよくする。良いことも悪いことも笑って父の話をする。その話を私はきく。

 

 

父の墓に行くと言うと、母の表情がとても柔らかくなる。普段が固いと言うわけではないが。

 

 

お墓にお供えする生花代は母が出している。毎週千円だ。

 

 

母は「お父さんが生きていたらお酒を飲むでしょ。お酒の代わりに毎週生花を備えていると思ったら安すぎるわよ。」と言う。今は全く心配もなく暮らせるのは父のおかげという。仏壇はいつも綺麗だ。

 

 

年老いた母は出不精になった。あまり外出しない。腰が重くなった。だから、私がお墓に行くと言うと、お墓が気になっている母は喜ぶ。

 

 

さて、私は母亡き後、お墓に足繁く通うだろうか。こんなに足繁く通わないと思う。それは母のように喜ぶ人がいないから。

 

 

あぁ、「お前がいるからお母さんは大丈夫だろう」と、死の1週間前に、助手席に乗っている父に言われた言葉がまたよみがえる。

 

 

あぁ、私も亡き父を弔っている。この言葉があってもなくても私の母への態度や接し方に変わりはないと思う。しかし、父が安心しているであろうと思う。

 

 

故人の気持ちに沿って生きるのは、生きている者の気持ちに沿っていることが前提であろう。

 

 

故人の気持ちに縛られているのではない。故人の気持ちと生きている私の気持ちが合致しているのだ。

 

暴行現場に居合わせたら、あなたはどうしますか。

今日のブログはあまり共感を得られないだろうなぁ🤔。私も迷っているのだから…。

 

でも、思ったことや感じたこと、考えたことを、なるべく正直に書くことを信条にしたブログだから、書くわね。

 

 

 

「今回の事件には、居合わせた皆が介入するべきでしたし、誰かが何かをしなければいけなかったと思います。この女性を助けるために何もしなかった人たちには、呆れるばかりです」というティモシー・ベルンハルト警察署長のコメントを、The New York Timesは伝えている。


電車内で性的暴行を受ける女性を乗客全員が見て見ぬふり | 女性自身

 

 

 

私の次の言葉に違和感がある人はいるだろうか。

 

 

 

「暴行されている女性を助けた人は、賞賛されるのは当然だろう。その勇気に敬服する。」

 

 

 

この言葉に違和感を持つならば、女性を助けなかったことを呆れても良い。

 

 

 

しかし、この言葉に違和感を持たない人が、女性を助けなかったことを呆れるのは矛盾していると私は考える。

 

 

 

なぜか。

 

 

 

電車内で乱暴されている女性を助けるという行為は、賞賛される行為なんでしょ。

 

 

 

賞賛とは褒め称えるということよ☝️😔。

 

 

 

褒め称えるだけの価値がある行為なのよね。当たり前の行為じゃないから褒め称えるのよ。

 

 

 

褒め称えられるのは、女性を助けるという勇気よね🙄。勇気がなくては、暴行を受けている女性を助けることは出来ない。

 

 

 

周りから賞賛される当たり前ではない勇気を全ての人に求められるのだろうか。

 

 

 

いや、当たり前の行為ではないのだから、全ての人に求められないものだろう。

 

 

 

賞賛される行為をしなかったからと言って、呆れても蔑視するのは矛盾しているじゃないかしら。

 

 

 

誰もがしなくてはならないことをしない人に対して呆れるんじゃないかと思うのよ🙄。

 

 

 

この警察署長は、暴行犯を取り押さえた市民に感謝状は贈らないのかしら。取り押さえないことを呆れるんだから、理屈の上では取り押さえても当然と思うわよね。

 

 

 

助けないと呆れて、助けたら感謝状を贈るのは、心に大きな矛盾を抱えていると私は思う。

 

 

 

「感謝する行為をしろ」と強制しているんだから、この思考の方が私は怖い。

 

 

 

なんかうまく説明できない😣。

 

 

 

つまり、「暴行犯を取り押さえることなんて、一市民にはハードルが高尾山くらい高い」ということよ。

 

 

 

自分が被害にあったら、助けてほしい。助けてほしいのなら、人が被害にあっているときに助けるべきだ。この理屈は正しい😔。

 

 

 

私は電車内で暴行受けている女性を助けるだろうか😣。

 
 

 

 

助けるという行為には勇気がいる。

 

 

 

電車内で女性を暴行する奴は、アタマのおかしい奴だといってもよいだろう。凶器を持っているかもしれない。腕っぷしが強いかもしれない。周りに凶悪な仲間がいるかもしれない。そういうことを想定すると、保身に走るのは人間の性だ。この警察署長は人間の性に対して呆れたと言えよう。

 

 

 

だって考えてみてよ😥。

 

 

 

学校で虐めにあって自殺しても、教師も級友も「虐めはなかった」とするじゃないか。

 

公文書を改竄することを強要されて自殺した役人がいても、もう過去の事として再調査をしないじゃないか。

 

暴力団にラチられた大学生が車内に監禁されている可能性を知りながら見殺しにしたのは警察官だったじゃないか。

 

挙げていったらキリがない。それらを追及しようとしたら、「もう終わったことを今更、もっとやるべきことがあるだろう」としたり顔でいう人がいるのよ。

 

 

 

こういう例がたくさんあるのに、女性が乱暴されている車内に居合わせた人が女性を助けなかったと言って呆れられるのは、理不尽なようにも思ったのよ😣。

 

 

 

それに、これとそれとには大きな違いがある。私が挙げた学校の虐めも役人の自殺にしても見殺しにされた大学生にしても、どれも助けるべき人、究明すべき人が、その役目を果たしていない。

 

 

 

学校の先生、政治家、警察官、どれも保身に走っているじゃないか。彼らが保身に走るから、私も保身に走って助けなくても良いとは言えないことは分かっている。

 

 

でも、助ける義務のない一市民が助けなかったからといって非難される謂れはないように思ったのよね。

 

 

 

それにアメリカじゃ、暴行犯がピストルを持っている可能性があるわね😣。

 

 

 

私がその電車に乗り合わせたら、その女性を助けたい。しかし脳裏には妻や子や母の顔が浮かぶ。その守らなくてはならない者を省みず、見知らぬ女性を助けられるだろうか😣。

 

 

助けられないよ❗️❗️😣

 

 

そう❗️

自分には出来ないことをした人を賞賛するのよ。そして敬服するのよ。私はそういう狂人に立ち向かう人を賞賛し、敬服する。そして、自分は賞賛され敬服される人になれない弱虫な小人よ😣。

 

 

 

助けなかった人を呆れたのは警察署長だ。貴方が職務中なら、そういう被害者を助けて当然だろう。それが使命なんだから。その使命を一般の人に求め、それが出来ないと蔑む性根が気に入らない。

 

 

 

「居合わせた皆が介入するべきでした」というけれど、その場に偶然居合わせた人たちが一致団結して暴行犯に立ち向かえないだろう。それに暴行犯に最初に立ち向かった人は殺されることだってある。

 

 

三國志の英雄である張飛は1人で、長坂橋で主君の宿敵曹操軍百万と対峙したと言われる。

 

 

 

誇張もあるが、これを荒唐無稽と言うことはできない。

 

 

百万人で一気に攻撃できれば張飛は死ぬが、最初に張飛を攻撃した兵士は確実に殺されるだろう。

 

 

 

張飛は一騎で1万人を相手に戦える豪傑と言われた。味方が大勢いたとしたも、一番槍を突くのは至難の技だ。誰も死にたくも怪我をしたくもないんだよ。

 

 

 

暴走族の喧嘩で、1人で千人を相手にしたなんて話も聞く。宇梶剛士さんだったかしら?🤔

 

 

 

一致団結するなんてとても難しいことよ。飛躍だが、SNSをやっているとよく分かる。自分にとって良いことが、他人にとっては全く共感できないってことがあるでしょう。

 

 

 

平時でも意見の一致や共感が難しいのに、緊急時だったら、尚更難しくなるわ。

 

 

 

昔、始発駅の終電に乗って帰る途中、車内で喧嘩しているオヤジと学生を見かけた。酔っぱらっているオヤジが学生に絡んでいる。学生はひ弱そうだ。2~3駅ずっと学生を絡んでいる。周りはオヤジを注意しない。

 

 

 

若かりし私はオヤジを注意してしまった😣。

 

 

 

そしたらオヤジは私に絡んできた。学生はその隙に下車してしまった😱。次の駅で駅員が入り、周りもとりなしてくれて、私に非がないことになったが、この経験から、金輪際、自分が他人のトラブルを直接解決しようとは思わなくなった😥。

 

 

 

そういえば、混浴温泉で溺れた女性を助けた旅館の従業員が、誤って逆に温泉に溺れて死んでしまったという事故を思い出した。その女性は男性と温泉に入っていたが、2人とも逃げてしまった。

 

 

 

他にもこんな痛ましい事故がある。

「夫が目の前で溺れている子供を見て、でも勇気が出なくて飛び込まなかったら、夫は心にトラウマを持つことになったかもしれません。でも私はね、飛び込まないでほしかった。」

近所のどこかで取材したのだろう。「子煩悩で、子供をよく肩車していた」とか「近所の子供を集めて遊んでいた」とかいう文字が目に入った。「肩こりで肩が痛くて、肩車なんてできなかったよな。」記事と実際との乖離が全然飲み込めなかった。そのほかにもいろいろと書かれていたけれども、それ以降、記事には目を通していない。

「これって美談なの?」冗談じゃない。私たちにとって大事な大事な夫でありお父さんが、突然いなくなったんだよ。他人から見れば、子供を救助しようとして命を捧げた人かもしれないけれども、家族からしてみれば「なんで、そんなことをしたの。」

 

 

 

車内で襲われている女性を目の前にして、その女性を助けなかった人たちを私は責められない。

 

 

 

その女性が私の身内だったら、私は助けなかった周りの人を責めただろうか。

 

 

 

何で助けてくれないんだと責めるだろう。

 

 

 

じゃぁ、自分は助けるかというと、助けることはできなかっただろう。

 

 

 

と、他人を助けるとか、助けないという行為の評価はとても難しく、一概には言えないものだと私は思う。

 

 

 

「絶対助ける」という信条を持つ人に対しては、私は賞賛するだろう。

 

 

 

私がK−1チャンピオンだったら、助けるかもしれないが、相手が凶器を持っているかもしれない。

 

 

 

でも、世間体を気にして助けるかも。いや、世間体を気にしている時点で、K−1チャンピオンになんてなれないだろう。

 

 

 

「助けない」という考えを持つ人に対しては、私はそれはそれで仕方がないと言うだろう。

 

 

 

「その場に遭遇してみないと分からない」という人に対しては、それは当然だろうと言うだろう。

 

 

 

「被害にあっている人を助けられなかった」という人に対しては、「怖かったんだね」と伝えるであろう。

 

 

 

私は…、影にかくれて、通報することで精一杯であろう。それだって見つかれば何をされるか分からないんだから。

 

 

 

人情や正義感に命を懸けられるのか。命を懸けられないことは非難されることなのだろうか。いや、非難されることではない。

 

 

 

それに、もしも暴漢を殺してしまったら、それが正当かどうかが争われ、女性を助けたのに犯罪者にされてしまう可能性だってあるのよ😱。

 

 

 

周りにそんなにたくさんの人がいるのに助けなかったと呆れたこの警察署長には、私は全く共感できないわ😣。

 

 

 

この警察署長は呆れる対象を間違えている。呆れる対象は助けなかった人ではなく、この強姦魔じゃないか❗️❗️

 

 

 

そういう犯罪を防ぐには、あらゆるところに防犯カメラを設置しなくてはならないかしら。

 

 

 

いや、防犯カメラを設置しても犯罪を防げないだろう。ドライブレコーダーがあんなに普及しても、あおり運転がなくならないからなぁ😣。

 

 

 

見知らぬ人が暴行を受けている現場に居合わせたら、皆さんは必ず助けると言えますか?

 

 

 

「腕力もない、武器もない、勇気もない、仲間もいない、若さもない」という5ナイオヤジは「必ず助ける」とは言えない。助けるとしたら、衝動的なものだろう。

 

 

 

目の前で人が襲われていたら、どういう行動をすることが正解なんだろう😣。分からない。

 

 

 

あぁ、こう考えていくと、虐めも不正もなくならないものなんだろうなぁ😣。誰も火中の栗を拾いたくはないし、自分に関係がなければ関わりたくない。

 

 

 

しかし、私は、これだけは断言できる。自分が出来ることをやる。通報すると。暴行犯を取り押さえるべき人に取り押さえさせる。暴行犯を取り押さえる義務のない人が取り押さえたら、賞賛する。

子どもの自己決定と保護者の責任について🤔

かなり昔、藤子・F・不二雄のマンガで、教育についてなるほどなぁと印象に残るものがあった。何というタイトルかは思い出せないが🤔

 

 

 

幼い男の子が助けを求める。

 

主人公がその理由を聞くと、朝から晩まで勉強や習い事漬けの毎日を送っていて他の子のように遊べないと嘆く。

 

主人公は男の子に対する同情と彼の親に対する怒りの感情がわき、彼の家に行って母親に「子どもは遊ばせた方が良い」と教育論を語る。

 

男の子の家は豪邸であった。

 

教育ママ風の母親の反応は、主人公の話を聞いて、冷静に「どうぞ、遊ばせてください」とすんなり受け入れる。

 

拍子抜けの主人公に「この子の人生に責任を持ってくれるならば」と付け加える。

 

「私(親)はこの子の将来に責任を持っている。あなた(主人公)がこの子の将来に責任を持ってくれるのであれば、どうぞ遊ばせてください」と。

 

主人公はぐうの音も出なかった。

 

 

 

こんなストーリーだったかしら🤔。何という名前のマンガだったかしら。私がかなり若いときに読んでいるのよね🙄。でも、そのときは塾で働いていた。

 

 

 

他人に教育論を語る人は、その子の将来に責任を持っているのかしら。

 

 

 

学校の教師も部活の顧問も塾の講師も、子どもの周りにいる大人の中で、親以上にその子どもの将来を責任をもって憂いでいる人はいるのだろうか🤔。毒親は別よ。

 

 

 

月曜日は塾

 

火曜日はダンス

 

水曜日は塾

 

木曜日は英会話

 

金曜日は習字

 

土曜日はプログラミングと水泳

 

日曜日はテニス

 

その上、通信教育をやっている。

というような小学低学年の子が実際にいるのよ😱。

 

 

 

6時半に起きて

 

7時半に登校班で登校し

 

8時から15時頃まで学校に拘束され

 

その後に習い事に行き

 

19時過ぎに夕食を取ったら

 

通信教育でお勉強。

 

ブラック企業並みの1日ね😱

 

 

 

「習い事を整理した方が良いかもしれません。」というアドバイスはできるが、その子の将来に責任は持てない。保護者がその子の将来に責任を持ち、判断するのだ。

 

 

 

子の進むべき道を判断するのは、親の務めである。それが明らかに誤ったものでない限り、周りは非難できない。

 

 

 

塾漬けにしたり習い事漬けにしたりするのと、子ども本人の自主性に任せ、放任するのとでは、どちらが良いのだろうか🤔。

 

 

 

私の考えではどちらも悪いと思う。

 

 

 

「子どもの自主性に任せる」という保護者がいる。では、そういう保護者に聞こう☝️😔。

 

「子どもの自主性に任せた結果に責任を持つんだろうな」

 

ってね。

 

 

 

いや、自主性は大切だ。

 

 

 

自主性と放任は異なる。

 

 

 

子どもの自主性による判断は尊重するべきもので、任せるものではない。だって、子どもは経験がないのだから。経験がない分、偏見のない良い判断となる可能性もある。

 

 

 

子どもがYouTuberになりたいと本気で訴えてきたら、私はどうするだろうか🤔。

「そうか。YouTuberになりたいか。それなら、どうしたらYouTuberになれるのか、YouTuberの楽しさと大変さをキチンと説明できたなら、パパも応援しよう」

かなぁ🙄。

 

 

 

ネットの発達した時代である。人気YouTuberにフィールドワークさせるかなぁ😅。どなたもクセがあるからなぁ。門前払いされるかなぁ🙄。

 

 

 

「~になりたい」というのは、子どもの成長であり、親としては喜ぶべきことだと思う😔。

 

 

 

ずっと塾漬けにして、最難関の名門私立中高一貫校に進学して、高校3年生になって、「俺は官僚よりも役者になりたい」と言われたら、私ならどうするかなぁ🤔。

 

 

 

こんなことは今後起きることはないが、もしもその立場に立たされたら、どう思うか。

 

 

 

小4から受験まで3~400万円かけたであろう。中高の6年間で学費は5~600万円かけたであろう。その他諸々を含めると、この子にかけたお金は1000万円~1300万円はかけたでろうか🙄。

 

 

 

お金と時間をかけて最難関の名門私立中高一貫校に6年間通わせて、子どもから「役者になる」とか「芸人になる」とか「塾の講師になる」なんて言われたら、私は承諾できるだろうか🙄。

 

 

 

それに、塾に入れて都内の最難関の名門私立中高一貫校に入れる保護者は、自分に自信がある人が多い。嫌いな言葉だけれど、ある意味「勝ち組」の保護者だ。思考回路は、○○エモンや□□ゆきに近い。自分の考えに固執し、相手の考えを認めない。子どもの価値観なんて鼻で笑う保護者が多そう。

 

 

 

と言うが、私もそうなるだろう。

 

 

 

だって学歴を勝ち進んで、社会人になってもある程度勝ち進んでいるから年収が多く、幼いときから塾に通わせ最難関の名門私立中高一貫校に入れるんだもの😅。自分の成功体験の呪縛から自分を解き放つことができないだろう。

 

 

 

私はそういう保護者も否定できない。でも、もしも、高3の我が子から「役者になる」と進路相談を受けたら、こう答えるだろう。

 

「貴方が成功して、端役でもテレビのドラマに出たら、誇らしく思うだろう。大学の演劇サークルに入っても良いんじゃないの。そこではまって中退しても、私は文句は言わない。しかし、援助は学費までだぞ。アルバイトして自分の力で役者になれ。」

 

 

 

今までかけたお金と時間を考えるのは、子どもを人格をもつものとして見ておらず、投資の対象として見ていると考える。

 

 

 

とすると、幼い頃から習い事漬けにするのも、子どもを自分と別人格を持つものとして見ていないんだろうなぁ🤔。

 

 

 

う~ん🤔。

習い事漬けにすること自体を否定しない。習い事をするのなら、保護者は習い事を吟味せよってことね🙄。

 

 

 

巷の塾でやっている「プログラミング」や「理科実験講座」「英会話」「速読」なんて、そのほとんどが効果としては眉唾物だと私は思う😑。

 

 

 

だって、ちょっと考えれば分かることよ。

 

 

 

講師は専門的な知識を持っているわけではない。いや、それだけで眉唾物だとは言えない。

 

 

 

子どもが在籍しなくては、その講座が商品として成り立たない。ということを踏まえると、その講座には、どうしても「面白さ」が加わる。いや、「面白さ」がメインとなる。その面白さをきっかけにして、子どもは高度な技術や知識を求め出す可能性もあるが、そんな子はごく一部で、多くの子は「楽しかった」だけで終わる。

 

 

 

小学生のときに「プログラミング講座」を受講して、そのうち何人がプログラミングを専門職にしたのだろうか。

 

 

 

「理科実験講座」を受講して、そのうち何人が理科が好きになり得意教科になっただろうか。

 

 

 

「英会話」を受講して、小学生のときに英検準2級取れた子の何人が、英検1級に合格ししたのだろうか。

 

 

 

というように、「小学生のときの習い事に、目に見える結果を求めない」のが、私の信条よ😄。

 

 

 

「楽しかった」で終わる習い事に、いかに価値を見いだせるかは、保護者次第。

 

 

 

子どもには可能性がある。

 

 

 

塾や習い事のその可能性を摘むこともあるんだよなぁ🤔。

 

 

 

小学生のお薦めの習い事は

水泳、ダンス、テニスなど、運動系を土日に入れる。

 

ピアノやバイオリンなど音楽系も良いわね。絵画なども良いわ。芸術系を習わせるとしても、型にはめ過ぎないことが大切だと思う。

 

習字やそろばんも良い。

 

英会話も良いわね。母国語以外の言語に触れるのは良い経験になる。

 

プログラミング講座も、プログラミングに楽しんで親しむという意味では悪くはない。

 

 

 

それをどれもこれもやるのではなく、絞ることが大切だ。

 

 

 

その能力を高めたいというのなら、1つに絞って徹底的に習うのも良い。

 

 

 

例えばピアノやバイオリン。小さい頃から習わせる。ピアノやバイオリン漬けにするのも悪くはない。

 

 

 

う~ん🤔。

本人が嫌がってもやらせるか🙄。

 

 

 

意思の弱い私だったらやめさせる可能性が高いけれど、嫌がっても続けさせても良いかなぁ🤔。それでもそれは小学生までと期限を付けるかな。

 

 

 

運動系も、野球やサッカー漬けも良い。

でも中学に進学しても音楽やスポーツ漬けにするかは、よくよく話し合った上だよなぁ。

 

 

 

遊びは大切といえども、私が子どものときのような、校庭で大勢の友達と遊ぶことが少なくなっている。ネットゲームなど大人の作った世界で遊んでいる。

 

 

 

友達との繋がりが希薄になっている現代では、習い事を詰め込まざるを得ないのかなぁ🙄。習い事には必ず大人が入るから、子どもだけの世界で遊ぶことができない。

 

 

 

現代は、子どもだけの世界を作ると陰湿な虐めとなる。

 

 

 

子どもだけの世界が少なくなったから子どもだけの世界が陰湿になったのかしら😱。

 

 

 

そうだ。思い出した。「スーパーサラリーマン左江内氏」よ❗️あのマンガ。

自分の進路は自分で決めるのが当たり前ってなったのも、個人主義が浸透したからかしらね🙄。

 

 

 

個人主義の自己決定権について書いたブログがこちら👋😄

 

 

 

子どもの自己決定権。

私の大学時代の専攻は「子どもの権利条約」なのよ。子どもの権利条約や家永教科書裁判に影響を与えた永井憲一のゼミで学んだの。

全く優秀なゼミ生ではなかったけれど😅

 

 

教育論ではなく法律論であったが、私の子育ての信条にとても大きな影響を与えた。

 

 

 

子どもの権利の一つ、「子どもの意見表明権」がある。この意見表明は子どもの意見を無条件に全て認めるというものではない。年齢や発達に応じて尊重するというものである。

 

 

 

だから「子どもの自主性」だって全て認められるものではないと私は考える。親の適切な助言と承認が必要なのよ😄。

 

 

 

子どもの自己決定権が、親が子どもの将来への責任逃れに使われているように感じることも多いのよね。塾で働いていると…😔。

 

 

 

そして、私はその片棒をかついでいるのかしらと自分の仕事に疑問を持つこともあるのよね😅。

 

投票しようよ🎵#わたしも投票します

「たった1票じゃ、世の中は変わらないよ~」

と思っている、そこのあなた❗️😆

 

 

権力者や高額納税者が「なんであんな低所得者や高校生のガキンチョと同じ1票なんだ」と不公平なことに不満を持つのはよく分かるわ😅。

 

 

 

おいらみたいな、権力がなく、彼らから見たら低所得の親父からしたら、彼らと同じ1票なんて、価値ありすぎて無駄にできないぜ😎

 

 

 

「世の中は不平等だ」

と嘆いたり、憤ったりしている、そこのあなた❗️😆

 

 

 

票はみんな1票なの。平等なの。1票の価値の格差なんてあるけれど、比例代表制なら、それは当てはまらないんじゃないの。

 

 

 

不平等だと嘆くくせに、平等になるとそれを享受しない😱。ホントワガママ😅。

 

 

 

1人1票の平等を享受しない奴は、世の中の不平等に不満を言うな😤。

 

 

 

雨が降れば、選挙に行くのが面倒と言って棄権する😓。

 

 

晴れれば、行楽に行くからと言って棄権する🙃。

 

 

曇れば、気分が乗らないから棄権する😑。

 

ハメハメハ大王か(゜o゜)\(-_-)。

風が吹いたら遅刻して🎵

雨が降ったらお休みで🎵

 

 

 

そして「俺は選挙に興味がないから」と言う。

 

 

 

国民主権のこの国で、国を滅ぼすのは政治家ではない。国を滅ぼすのは国民である☝️😣。

 

 

 

政治に興味がないとすかしている、そこのあなた❗️😆

 

 

 

国の政治とは何か❓

ざっくりと簡単に言うと

「話し合ってルールを決め、そのルール通りに国を納めること」

とっても身近なことなのよ😉。

 

市役所だって

警察だって

消防だって

病院だって

学校だって

年金だって

子ども手当だって

みんなみんな身近な問題🎶

行政なんだ~🎵🎤😄

 

 

 

朝起きて寝るまで、全て経済と行政がかかわるの。国政と地方行政の違いはあるけれど、どの選挙でも行きましょう☝️😄。

 

 

 

消費税を増やすのも、莫大な税金を使って戦闘機を買うのも、年金制度を作るのも、学校施設を誘致するのも、国有地を売却するのも、全てルールに従って行われるのであって、そこに忖度や権力者の介入は、疑惑であってもあってはならないのよ😓。

 

 

 

そういった諸々のことが、曖昧なままになっているのが今の日本であると私は解釈する。あくまでも私の解釈。

 

 

 

与党も野党も疑惑だらけ😱。どこに1票を投じて良いか分からなければ、あなたが最も納得できる政治家と政党に投じれば良いのよ。与党を支持するなら与党に、与党の政策に納得できないのなら野党に1票を投じる。

 

 

 

それは是々非々で良いのよ。

 

 

 

今回は○○党を支持し、次回は××党を支持する。それでいっこうに構わない。声なき声は、良いように解釈されてしまうわよ。

 

 

さぁ、選挙にいきましょう。

こちらも参考に👋😄

 

~~~~~~~~~~~~

2019年7月19日に投稿したブログよ😄。この年の7月21日に参議院選挙があったのよね。
 
選挙区の投票率は、48.8%と国政選挙としては過去2番目に低かった選挙なのよ。
 
私はね、どこの党が勝とうがかまはない。それが民意ならば。しかし、有権者の半分も投票しない選挙って、民意なのって疑問に感じちゃうのよ。いや、棄権も民意と言えば民意なんだけれど、無責任な日本人が多いなぁって残念でならないのよね😣。

 

国会議員と地方議会議員の役目は異なるが、まぁ、そこは置いておくよ😅。

 

「私も投票します」という運動はとても共感したわ。

都道府県魅力度ランキング


私も「都道府県別のランキング」って好きじゃないけれど、これで「法的処置を検討」ってあり得ないなぁ😑。それに政治家が言っちゃ~ダメでしょ😅。下位なら、それを逆手に取れよなぁ。

 

 

ある知事さんは怒り心頭なようだけれど。民間会社のお遊びだし。お遊びだから何をしても良いとはならないが😔。

 

 

基準は明確にした方が良いが、曖昧だから面白いんじゃないの🤭。

 

 

この都道府県魅力度ランキングで分かることは、ある程度は「その都道府県に『旅行』に行きたいかランキング」よね🙄。

1位 北海道

2位 京都府

3位  沖縄県

4位  東京都

5位  大阪

6位  神奈川

7位  福岡

8位  長崎

9位  奈良

10位  長野

 

 

う~ん🤔。

まぁ、この順位に根拠がないなら、私も主観でディスっても文句はないわね😁。

 

 

ディスっても良いじゃん、ここに出ている都道府県は魅力度の順位が上なんだもの。私の故郷は埼玉県よ。負け犬の遠吠えよ🐶。

 

 

ここに挙がった都道府県は「旅行に行きたい」という魅力はあるけれどなぁ🙄。

 

 

「住みたいか」と聞かれても「住みたい」と言うだろうけれど、「実際に住むか」と聞かれたら、全国的には上位に来ないのではないかなぁ🤔。

 

 

「北海道に実際に住みますか」と聞かれたら、首都から遠いしなぁ。札幌周辺以外は不便そうだし。冬寒いのが苦手なのよね。

 

 

「京都に実際に住みますか」と聞かれたら、京都の他人って裏表がありそうで嫌だなぁ😅。十把一絡げで言うのもなんだけれど、私は白黒はっきりつける性格なんで、京都の「ぶぶ漬け文化」には嫌われそう。

 

 

沖縄も住みたいが、実際に住むとなると二の足を踏む。完全失業率の高さがダントツトップよ😱。沖縄県は完全失業率11%。2位は青森の8.9%。3位は大阪の7.9%。

 

 

ちなみに魅力度トップ10の都道府県の完全失業率の高さの順位は

1位 北海道→12位

2位 京都    →28位

3位  沖縄   →    1位

4位  東京   →33位

5位  大阪    →    3位

6位  神奈川→36位

7位  福岡     →   4位

8位  長崎     →21位

9位  奈良     →    8位

10位  長野    →39位

 

 

魅力度トップ10で、完全失業率ワースト10に入っているのが4つもあるのよ😲。完全失業率が高いのに魅力があるって矛盾している。いや、この魅力度はその都道府県の事情を加味していないことが分かる。主観的なのよ☝️😑。「魅力」自体が主観的要素が多いものだが😅。

 

 

自給自足をしているか、物価がさほど高くなく年金生活をしているお年寄りが多い田舎なら何とかなるかもしれないが、大都市で完全失業率が高かったら、住みにくいんじゃないかしら🙄。

 

 

大阪の人が「(魅力度ランキングが)何でこんなに高いんや~」と疑問に思ったのも納得できる。大阪の人って結構自分を客観視していてシビアなのかも🙄。

 

 

ちなみに、魅力度ランキングに怒り心頭の知事さん県の完全失業率は23位、我が埼玉は25位よ。まずまずなんじゃないの。

 

 

東京の魅力度4位は頷けるわ😄。

 

 

だって「花の都♪大東京♩」だもの。首都の魅力度が低い国ってあるのかしら🙄。

 

 

大阪って住みたいかなぁ🙄。地元の人も住みにくいって言うし。でも出身者の郷土愛は他の都道府県以上あるような気がする。他都道府県の人が大阪府に住んだら、大阪弁を使っていないだけで何か弄られそう😅。それが虐めにもなりそうで怖いわ😱。

 

 

と、「魅力」と「実際に住み町」は違うのよ☝️😄。

 

 

ちなみに我が埼玉県は、総務省消防庁の調査によると、自然災害による被害額が少ない都道府県のトップ10に入るのよ✌️😄。不謹慎なので他の都道府県のことは言及しないが。

 

 

うちのカーちゃん(妻)魅力は私にしか分からない。自分が住む都道府県の魅力は自分にしか分からない。

 

 

それで良いんじゃないのかしら😄。

 

 

それに上位ばかり狙わずに、下位だったことを逆手に取れば良いのよね😁。

 

佐賀県って素晴らしい❗️😆

 

 

埼玉県だって、ネタにされて嬉しいわ😁。

翔んで埼玉

翔んで埼玉

  • 二階堂ふみ
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はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」 

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

 

 

 

①ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

 

ブログ名の由来は、兼好法師の徒然草の冒頭よ😄

つれづれなるままに、日暮らし、スマホにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

ハンドル名の由来は「言う」の話し言葉の「ゆう」に掛けて、「何でもゆうぞ❗️」と言うことよ😄。あと普段「ゆう」と呼ばれているから。

 

 

 

②はてなブログを始めたきっかけは?

 

Twitter、FacebookとSNSをやっていたが、自分にフィットしなかったのよね🙄。

 

Twitterは字数制限があるし、やりすぎるとブロックされちゃうしね😣。Facebookは知り合い同士のやり取りが多く、ちょっと蚊帳の外だった😅。

 

□チャット型のTwitter

□知り合いのプチ自慢もあるFacebook

□スピーチにコメントの入れ合うはてなブログ

が、それぞれの特徴だと思うのよね🙄。

 

その中で私に最もはまったのがはてなブログだったのよ。

 

言いたがりの自分にはぴったりで、かつ、適度な交流があり、かつ、1つのブログに際限なく「良いね(スター)」をつけられるところが良かった😄。

 

 

 

③自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

 

1つに絞れないわ~😁。私はナルシストだから😎

 

 

 

④ブログを書きたくなるのはどんなとき?

 

この約3年弱の間は、常に書きたくなっていたわ😁。

 

体調を崩したり、リアルな世界でうまく行っていなかったりしたときは、ブログを書くモチベーションが下がったけれど😅。この約3年弱で、書きたくなくなったのは3%の時間よ。

 

「ナイスツイ廃」と言われたことがあったけれど、今はでは「ナイスなブロ廃」よ😎、

 

ブログを書きたくなるのは起きているときは常にかな~😆。

 

 

 

⑤下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

 

現在6記事。一時期はストックブログが30弱になったこともあったわ😄。

 

テーマは色々よ。思い付いたらスマホで書き留めているから

 

 


⑥自分の記事を読み返すことはある?

 

よく読み返しているわ😁。

 

だって私のブログは私の頭の中身だもの。脳に浮かんだことを言葉にしてブログに書き留めていなかったら、消えていっていた考えであったり、思いであったり、感情であったり…。

 

そういったものは仕事の資料にもなっているわ。保護者会とか授業とか面談とか。ブログに書いたことをそのまま使わないけれどね。

 

でも、言葉にして、文字にして自分の頭の中を可視化して何度も読むと、自分の考えで凝り固まってしまうから注意が必要よ😔。

 

私は凝り固まらないようにするために、コメントは原則承認しようと努めているわ😉。承諾はなかなかしないけれど…。

 

 

⑦好きなはてなブロガーは?

 

ワ・タ・シ😆。

「ブロガーは、自分が自分のブログの1番の読者でなくてはならない」という考えよ☝️😄。

 

自分の読みたくないのを垂れ流すのって、汚物を垂れ流すのに等しくないかしら😱。

 

自分のブログを読み返して当たり前よ😁。自分のブログをよく読み返すんだから、好きなはてなブロガーはワタシとなるわよね😅。

 

「好きなブロガーはワタシ」と言い切るのは、私には次のような信条があるからよ👋😁

 

それに、ええかっこしーの私だから、私が好きなブロガーを公表するわけないじゃない😎。

 

相手に「好きです」って告って、「え~、私はあなたのことをそんな風に見ていない」なんて思われたら嫌だわ~。

 

好きな人に告白するなら、テレビやネットではしない👋😅。個別に告白するわ😆。

 

 

 

⑧はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

 

私を入社させてくれませんか🤭。

 

 

 

⑨10年前は何してた?

過去のことは忘れたよ😎🚬

って、覚えているわよ😁。

 

会社の中のシンクタンクのような部署に配属されてやりがいがあったわ。

 

そういえば、10年前の3月って東日本大震災が起きたのよね😔。あぁ、あれから10年か…。

 

 

 

⑩この10年を一言でまとめると?

 

子育て

王政と民主制~王に人権はあるか🤔~

今日のブログはとても長いわよ😅。2つのブログを1つにしたから。その理由は後で書くわね😉。

 

 

私はブログの中で政体についてよく話している。たとえばこちらのブログよ👋😄

 

 

ここに挙げた3つのブログは、政体を語ったブログの中で私のお気に入りよ😁。

 

 

また、ふと思ったのよ🤔。

王政と民主制って両立するのかしらってね🙄。

 

 

いや、イギリスも日本も「立憲君主」という制度で王政と民主制を両立させている。共和政(王のいない政体)にしないですんでいる。

 

 

では、その両立させたものは何だろう🤔。

 

 

う~ん🙄。

頭の中でまとまっていない😣。

 

 

まぁ、そんなの毎度のことよね😅。私のブログはつれづれなるままに書いているから😁。

 

 

政体を考える上で避けて通れないのが「人は平等か否か」という問いよね🤔。

 

 

人は元々平等なんだから、王政や貴族制、独裁制なんてとんでもないとなるんだから。

 

 

そうか😲。

王政という政体の中に独裁制や貴族制、民主制があると理解しても良いんだわ☝️😄。あくまでも思い付きの私の理解よ。

 

 

王政の中で貴族制や民主制をとる場合、立憲君主制となると考えても良いだろう。

 

 

話がそれたわ🙇。

目の前の現実は人は平等じゃない。能力、容姿、性別、財力…、人と人にはたくさんの差が現実にある。目の前にある状態は、不平等なことばかりだ。平等な社会なんてないといって良い。

 

 

その目の前の不平等な状態を見て、「人って本質的に平等だ」と考える。そう考えて、現実の世の中も平等にしようとしている。そこに無理が生じる。

 

 

王政とは、そもそも不平等な政体なのだ。「人権なんてない」という政体なのである。

 

 

キリスト教から派生し、啓蒙思想から生まれた近代民主制は、「自由」「平等」「人権」を基本とし、主権は国民にあるとする。

 

 

国王も造物主の前では市民と同じ人間である。

 

 

主権は民のものなのに、あいつは王と名乗ってその主権を独り占めにした。

 

 

これはとんでもないことよ😲。

 

 

国民が持つべき主権を独り占めにしたんだから、大犯罪者よ😱。

 

 

えっ❗️❓️

この意味が分からないって😅。

 

 

立法権(法律を作る権能)、行政権(政治を行う権能)、司法権(法を管理する権能)を独り占めにして、国民の命と財産を勝手気儘に使ったんだから、これは大強盗よ😱。

 

 

う~ん😣。

うまい表現が見つからない。

 

 

比べてはいけないのだが、主権を独り占めした王は、毎日テレビに流れてくる犯罪とはけた違いの犯罪者となるのよ。

 

 

だからフランス革命では、ルイ16世とマリー・アントワネットはギロチンで公開処刑されたのよね。ロシア革命ではロシアの皇帝も一族もろとも惨殺された😱。

 

 

共和政となった国では、国王は犯罪者であると言ってよい。

 

 

王政とは国王に主権があって成り立つ政体であるから、貴族や国民に主権を奪われたら矛盾が生じるのよ。

 

 

今、「皇族にも人権がある」という意見が主流になってきている。

 

 

しかし王政自体が人権と相性が良くないのよね🙄。

 

 

だって王政は血縁主義であり、身分制であり、世襲制だ。

 

 

個人主義を土台とする人権や近代民主制と相反する制度だ。

 

 

いや、個人的な組織や宗教で血縁主義で身分制を敷いているのは構わないわ👋😔。パブリックな組織はダメよ。あくまでも宗教やパーソナルな組織よ。

 

 

王には人権はないと私は考える。王や王族に人権があるなら、王政を廃止しないといけない。

 

 

さて、その相反する王政と民主制を両立させているものは何か。

 

 

それは主権を持つ国民からの信頼よ。

 

 

天皇と皇室制度は国民の税金で成り立っている。その生活も教育も皇室の行事もレジャーも何から何まで税金で成り立っている。

 

日本国憲法にも書いてあるよ。

日本国憲法

第1章 天皇

第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 

天皇の存在を否定したいのであれば、日本国憲法を変えなくてはならない。天皇制がおかしいと考える人は、改憲運動をして国会で多数を取らなければならない。

 

 

日本国憲法には「この(天皇が象徴であるという)地位は、主権の存する『日本国民の総意』に基づく」とある。

 

 

日本国民の総意を得るために、天皇と皇族は国民からの信頼を得るために努力しなくてはならないと私は考える。それは結婚という個人的なことであっても。

 

 

世襲で身分と生活が保証されている。その保証を享受するには、国民からの信頼を得る努力が必要だと私は考える。その努力を怠るのなら、皇室制度を廃止するか、それなりのペナルティが課せられるのも仕方がないわね。

 

 

 

でも、皇族は大変よ。だって生活が保証されていても、私は成りたくないもの。生まれながら大衆の好奇な目に晒され、自由が制限されている。人権なんてないに等しいもの😔。

 

 

王政と近代民主制は油と水なのよ。それをどうにか両立させるのは、国民から信頼を得るために、王や王族には絶え間ない努力が必要だ。それが理不尽なものであっても国民主権の国家で王政を続けるのなら。だってフランスやロシアだったら滅ぼされているのよね😱。

 

 

てね、ここからが長~い蛇足。

もう1つのブログよ。

 

秋篠宮家のトラブルの話なんだけれど、眞子さまに関する話をブログに書くのはこれで打ち止めにするわ。

 

 

私は、この志らくさん意見を違和感を持つ😣。

志らくは「なんでここまでこじれちゃったのかって週刊誌なんて入れるからいけないんだし、小室さんの方も銭がないわけじゃない、ニューヨークまで行ってたら400万くらい叩きつけて返してやりゃあいいし、こっちの男の人(元婚約者)だって、いったん惚れてあげたお金だったらいらねえって言えばいいじゃん、そんなもの。なんでこんなグズグズやってんだろうね、もう結婚するんだから」と自らの思いを述べた。

 

 

週刊誌を入れたからこれだけ問題になったと言うなら、週刊誌を入れなかったら元婚約者は泣き寝入りしていた可能性もあるわけよね🤔。
 
 

「400万くらい叩きつけて返してやりゃあいい」と言うが、もう既に銭金の問題じゃなくて感情のもつれになっているんじゃないかしら🙄。
  

 

それに「400万くらい」とか「叩きつけて返せ」と言うが、お金に困っていたときに助けてもらったという感謝の念がないから感情のもつれになったと私は思うわ🙄。
 
 

なんで「いったん惚れてあげたお金だったらいらねえって言えばいいじゃん、そんなもの」なんて言えるのかしら😱。
 
 
一旦惚れてあげた金でも、その金額の桁が違う。私の年収に近い金額よ😱。

 

 

惚れてあげたお金なら、騙されたとしてもいらねぇって言わなくちゃいけないのかしら😤。
 
 

「なんでこんなグズグズやってんだろうね、もう結婚するんだから」って、何かしら?

 

 

皇族との結婚が免罪になると言うの😣。まぁ、小室佳代さんに罪があるかどうかは、定かではないけれど🙄。
 

 

私が不思議に思うのは、眞子さまの精神的なご病気が発表されたことによって、マスコミの論調が急変したことよ。彼女がご病気だからと言って小室家のスキャンダルの追及の手を緩めろってことかしら🙄。
 
 
とあるジャーナリストが、小室佳代さんを告発したという。
 
 
政治家でも一民間人でも、不正疑惑が明らかになったら疑惑を追及し正すのは当たり前のことよ😔。疑惑を疑惑のままにしようとする人を糾弾するのは当たり前と私は考える🙄。
 
 
銭の貸し借りは個人の問題だが、税金の不正受給疑惑となったら、これは個人の問題ではないわね🤔。
 
 
キチンと説明し釈明すれば済むことよ。あんな論文調の言い訳文を書かなくても、済むこと。

 

 

私が奇妙に思うのは、一方に関与する方が精神的な病気になったら、もう一方を責めるということよ😣。どちらも責めるなと言いたい。
 
 
元婚約者が責められる謂れはないわ。納得するまでやりあう人を責める謂れはない。
 
 
この志らくさんのコメントこそ元婚約者に対する誹謗中傷といえないかしら🙄。私は誹謗中傷だと感じる。彼が精神的な病気になったらどうするのかしらね🤔。
 

 

今回のトラブルの最大の原因は、眞子さまでも小室圭氏でもない。元婚約者から返金を求められて、それに子どもを巻き込むことになった親に責任があろう。
 
 
「この金銭トラブルは息子とは関係がないこと」となぜ言えないのか。それですむことだ。私だったらそう言うだろう。妻も自分のトラブルにチューを巻き込まないだろう。
 


ホント、無視したもの勝ちに見える。

 

 

平成から令和は、どこもかしこも

「嘘を突き通せば本当になる」

「 無視したもの勝ち」

「正直者が馬鹿を見る」

よね~😣。

不正疑惑の対処法は、無視するか言い張るのがベスト。

 


訴える者を責めてはならぬ。元婚約者を責めるのなら、歴史問題を盾にする国に対して「なんでこんなグズグズ言っているんだろうね、もう済んだことなのに」って言えるのかしらね🙄。
 
 
国と国の関係でそう言えないのから、個人と個人の関係にもそう言ってはならないと思うのよ。
 
 
志らくさん、元婚約者を責めるなら、かの国に対しても「なんでこんなグズグズ言っているんだろうね、もう済んだことなのに」ってテレビでぜひコメントしてほしいものだわ😤。
 
 
皇族が人権問題を出すのなら、皇族制度は廃止だわね🙄。この制度があるから皇族の人権問題が発生するのだから。
 
 
今後、皇族の女性は支度金を受け取りにくくなるだろうなぁ🙄。それで迷惑を被る方も出そうだ🤔。
 
 
「自分の人権を守るためには、他人の迷惑を省みない。」
これって真理かもしれない🙄。
 
 
人権は、何よりも優先される。少なくとも、天皇制や皇族制度よりも優先されることを眞子さまと小室圭氏の結婚問題は証明したことに、日本史上の意義を見い出せるかもしれない。
 
 
でも、それって世界史上は当たり前のことよね。人権は何よりも優先されるという思想が貴族制も王制も壊してきた。そして私たちはその人権思想を享受している。
 
 
ということは、小室家の不正疑惑(あくまでも疑惑よ)の追及の手を緩めてはならないと考えるが、眞子さまを批判してはならないと考えるようになった😔。
 
 
彼女を批判するのなら、人権思想の賜物を享受している私たちに対しても批判しなくてはならない。人権思想の賜物を私たちが享受するなら、彼女を批判してはならない。

 

 

何か切なくなっちゃうのよね😣。不敬だけれど、自分の娘だったらと思うと。

 

 

アメリカという新天地での生活は大丈夫だろうか。

 

 

夫はいつでも妻である彼女を守ってくれるだろうか。

 

 

夫婦喧嘩をしたら、彼女には逃げ場がない。嫁姑の問題になったときに、夫は彼女の味方になってくれるだろうか。身寄りもいない異国の土地で夫に実母の肩を持たれたら、彼女はどうなるのだろうか。

 

 

母国には居場所がなく、実家にも帰れない。

 

 

私の思考はチョイ右寄りで立憲君主制を支持してきたが、天皇制や皇室制度は時代にあわず、なくすべきものなのかもしれないという思いが芽生えている。

 

 

理性的に考えて、彼女の結婚を肯定するなら、私はこのように考えるしかないんだよなぁ😣。

 

 

元婚約者を非難するなら、ここまでテレビで言えば良いのに🙄。

 

 

マスコミには信念がない。コメンテーターにも信念がない。後だしじゃんけんのように、小室圭氏を擁護し、今度は元婚約者を非難する。

 

 

私はどうだろう🙄。

 

 

①特に社会に影響力のある人は言動に注意する

 

 

②贈与かどうかは別にして、人にお金を出してもらったら感謝し、関係が途絶えたらそのお金を返す。

 

 

③疑惑は晴らす(不正受給疑惑・経歴詐称疑惑など)

 

 

④心情的には眞子さまに同情する。

 

 

⑤皇室が人権問題を言い出したら、皇室制度の廃止まで発展する。


 
同意をえらるかどうかは分からないけれど、ぶれてはいないと思うのよね…🤔。

 

 

天皇・皇室好きだから、この問題に関する記事が多くなっちゃうのよね😔。

 

 

歴史を踏まえると王や王族には人権はない。王政のもとで民主制を取るなら、王や王族の人権は、世襲特権階級であるがゆえに制限されるものと私は考えるようになった。

 

 

民主制に世襲特権階級があることが矛盾しているのよ。

 

 

その矛盾を解消し、王や王族に人権をもたらすのなら、王政を廃しなくてはならない。いや人権は人が元来持っているものなので、もたらすものではない。とすると、やはり王政は廃止するべきだとなる。

 

 

 

2つのブログを1つにしたのは、眞子さまのご結婚に関してこれ以上ブログで言及するのはしつこいかなぁって思ったからよ。

 

 

今でもしつこいかもしれないが、私の信条が変わった大きなことなのよね😣。

 

 

天皇や皇室制度に賛成だった私だが、これは私のエゴなのだろうと自己否定し始めたから、とっても気になっちゃうの😱。