俺はまだ本気を出していないだけ😎~何を読まされているんだろうと思うわよ、きっと😅~
バラエティー番組を見ていたら、超有名なアイドルグループのメンバーが3人で出ていた。
そのうちの1人が、私の知っている珍しい名前だった。
昔、私が担当していた生徒と同じ名前だと思って、Wikipediaで調べたら、ほぼその子だろう。
出身が私と同じ市であった😄。
あんまり私に懐かなかった子だった。というか、私が塾長で、クラス担当ではなかったからなぁ。
あぁ、眩しい。彼女の人生はこれからだ。
その点、私の人生は、可もなく不可もなく、いや、家庭的には可であるが、会社的には不可だ。
何歳になってもやりたいことをやるのが正しいとされる。
自分が詰んだ会社をやめて、塾を開きたいとも思う。いや、それよりも臨床心理士の資格を取って、スクールカウンセラーになりたいとも思う。
しかし、そのために、私はだらけ過ぎている。何も積み上げてこなかったし、その勇気もない。
規則正しい生活を送れていない。惰性で生きている😣。
何事も上を見すぎるのは苦しいわよね🤔。
2つ担当している個別指導の教室で、私が常駐している教室は、夏期講習生が全員入塾してくれた。しかし、運営者に任せている方はの入塾率は極端に低かった。
その原因は運営者が悪いのではなく、集団授業を強く希望し、夏だけ個別を受けるという生徒ばかりだったのよ。
まぁ、入塾しそうなところまでこぎ着けたが、集団授業ニーズが強い保護者に「個別が良い」と言いきれなかった。なぜなら、私がその教室に常駐していないから😣。
そういう生徒も講習会だけ受け入れるのも、教室の収入が増えることにもなるから良いと思うが、会社としてはそうはならない。
講習会で来た生徒は入塾させないと評価されないし、入塾率が低すぎると、月イチの研修会に強制参加させられる😱。
だったら講習会のみ受講したいという生徒を受け付けず、入塾率を上げれば良いということになる。
それでご出世された方もいる😑。私はバカ正直だから、数値が出ないのよね😐️。
会社とは個々の事情は考えず、欠けたところばかり見るということの典型よね🤔。
不満があるが、そんなものよ、会社って。
会社内のルールを違反したって、良い結果を出せば問題はない。私はいつでもバカ正直に正攻法。腹が括れないとも言えるわけで、腹を括っていない分、強制参加させられた時間を辛抱すれば、あとは呑気に仕事ができると考えようかしらね😅。
今、塾生の保護者から感謝の言葉をいくつかいただいている。「7月に入塾して、先生の指導で、勉強に対する姿勢が変わりました」と面談で言われた。
偽善と言えば偽善よ😔。
塾で働いている者にとっては、保護者や生徒から感謝されても、会社の評価にはならないのよ。感謝が塾生に変わらなければ。意味がないのよ。
分かるかしら🤔。
言い換えると、塾生の感謝が外に広がり、新たな生徒の入塾に繋がらなければ、劣等の烙印を押される。担当している一方の教室の入塾率が100%でも、もう片方の教室の入塾率が低ければ、低能の烙印を押され、研修に駆り出される。
いや、それでも良いのよ👋😣。そういうものだから。
でも、ただ単に率を見て評価するなら、入塾の可能性の低い生徒は講習会を申し込ませなければ良いとなっちゃうわよね。
でも、そういうニーズもあるわけで。講習会のみを受ける講習リピーターがいる。そういうリピーターができちゃうと、塾長泣かせとなる。だって入塾率が落ちるんだもの😱。でも、それって変よね。
こんな経験が何度もある。
例えば小5~中2までずっと講習会のみを受け続け、中3になって入塾するとか。長期休みだけ、私の教室がある地域にある母親の実家で過ごすので、講習会のみ受け続けるとか。
今回のケースも、通常時も集団授業を受けたいと言われ、個別指導の塾で無理やり集団クラスを設定したのよ。せっかく来てくれたんだから受け入れる。講習生がいなかったし。
教室は個別仕様になっている。集団と言ってもたったの2名だ。これじゃ、集団授業を希望している家庭は入塾しないよ。だったら受け入れなければ良かったとなる。
しかし、満足してくれたと思う。まぁ、授業は私がやったんだから当然よね😎。と思っていないとやってられないわ😅
道を誤ったかもしれないと、この年齢になってつくづくと思う。
大学生のとき教育実習にいった先の私の教官は私を気に入ってくれて、「キミは塾よりも教員向きだよ」と言ってくれた。大人の世界よりも子どもと向き合う方に適性があると言ってくれた。
確かにそう思う。
しかし、教員は教員で大変よ。今、こんな愚痴を言うようじゃ、教員になっていたら、また違う愚痴を言っているだろう。
難関高校の劣等生で、一浪して、難関大学群の末席の大学に進学したんだから、会社でのこの結果も当然かしらね😅。
やはり、健全じゃないなぁ…、この心の状態は😥。
50才で、再出発するにはどうすれば良いかしらと悩むわ😣。いや、悩んでも仕方がないかも。
人脈なし、コネなし、友達なし、金なし、勇気なし。いや、この状態で脱サラしたら、それは勇敢ではなくて無謀だろう。
でもね、金がないと言っても、ローンもないのよ✌️😎。ホント、私は真っ白よ。
家あり、車あり、妻子あり、仕事もあって、休みもある。そして返済は一切ない。
そうか🤔。このぬるま湯から抜け出せないのか😅。ぬるま湯が私をダメにしたか🙄。これは他責か。ぬるま湯って気持ちが良いものね。温泉に行くと、温湯にずっと浸かっているのよ😁。
じゃぁ、今から熱湯か北極海に飛び込むか😤。それは自殺行為だろう😱。
男一匹だったら何とかなる。いや、まだ、その気概は少し残っている。家族を路頭に迷わせることはできない。
晩酌が多くなった。カッコ良い男にはなれなかった。
0歳の時は世の中のことは何も分からなかった。
25歳の時は、世の中は自分中心に回っていた。25年後の自分はバラ色を想像していた。
今、そのバラ色を思い描いていた未来に来た。バラ色ではなかった。漆黒でもなかった。灰色にぼやけた世界だった。その灰色の世界の中での希望は家族だった。25年後の自分はいないと思う。
なぜ、生きているのだろう🤔。それは生きているからだ。これは答えにならない。しかし、生きていること自体が生きる理由なんじゃないかと、ふと思ったのよ🙄。
自分の人生に望みがなくなって、生きる理由を求めたら、生きることに理由はないと答えよう。
華やかな人生を送ろうとも、苦悩はある。
病になっても、認知症になっても、大怪我をしても、浮浪者になっても、生きることに理由はない。
自分の今の境遇は、幸せの範疇に入るだろう。
不幸ではない。
だから、私が今の自分を不幸だと嘆くのは、無い物ねだりであり、世間知らずだ。お子ちゃまだ。
腹黒なカラスの親子に誘われて、かごの外に飛び立ったかごの中の小鳥と五十歩よね。そんな話はこちら👋😅。
誰のことを言っているのなんて聞かないでね😎。私は誰のことだかなんて全然言っていないからね😅。
まぁ、なぜか知らないが、こちらのブログも添付しておこう👋😁。
燃えたい。自分のやりたいことをやり尽くしたい。
では、やりたいことって何だ🤔。
って、古本屋でこんな漫画を見つけた。
この年齢で読むと辛い😅。だらけた人生を送っている40才の男が、脱サラして漫画家になることに挑戦する話だ。
「人生を1日でたとえると、今は何時だ」という、子どもにやる気を出させる私の定番のお話も漫画のネタになっていた😅。
私が小中高生によく言う話しはこちら👋😄
例えば人生72年として、人の一生を1日に例えたら、高校生はまだ朝の6時にもなっていない。人生96年としたら、高3生でも朝の4時30分なのよ。まだ起きていない。今起きていることは、全て夢の中での出来事なんだよ。夢なのに「可能性がない」って諦めるのか。諦める必要はないんだよ。それに本当の夢とことなることは、努力すれば経験値が上がるということ。「可能性」なんか考えず、ひたすら、自分の夢を現実にするために努力すれば良いんだよ😄