つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

教育・子育て考②

「子どもの意見を、どこまで、どのていど聞くべきなのか。」
そう☝️😄。どこまでと言えば、全て聞くべきよ。言い直すわ。

 

「どこまで子どものいう通りにするべきか。」

 

私が子どもに接するときに、日々意識していることよ。
 
よく、「子どもの意思にまかせる」という親がいる。塾ならば、「中学受験をするかしないかは、子どもの意思にまかせています。だから、塾を続けるもやめるも子ども次第です。」という保護者 が多いのよ😊
 
とても、物わかりのよい親のように思えるよね🤔。しかし、子どもの意思って、どのようにして育まれるものなのだろうか?🙄。私は塾の講師なので、「中学受験」を例の1つとしてお伝えするわ😄。
 
まず「能動的」と「受動的」の話をするね。
「能動的」とは「自らの進んで」
「受動的」とは「相手に言われて」
とザックリと定義したわ😊
 
「~したい」という気持ちは能動的と言っても良いかな🤔。でも、「~したい」と思うようになったきっかけは何だろう🙄。
 
①(周りの友達が中学受験すると言っているから)僕も中学受験をしたい。
②(周りの友達がみんな遊んでいるから)僕は中学受験をしたくない。
「中学受験をしたい。」「中学受験をしたくない。」この部分だけをみれば、能動的な子どもの意思であり判断だ。しかし、その意思にいたる際に、影響を受けたことは必ずある。( )をつけた部分ね。何かの影響を受けて、意思が生まれると私は考えるの🙄。
もう少し、掘り下げると、
「(○○ちゃんに、一緒に受験しようと言われたから)受験したい。」
「(○○ちゃんがA中学を受験するから)僕はA中学を志望する。」
「(○○ちゃんが受験しないというから)僕は受験をやめる。」
こういった子どもの判断も、子どもの意思として先程の物わかりのよい親は受け入れるってことよね😓。ということは、「子どもが周りから影響を受けることは許して、親の影響を受けることは許さない」という考えにいたると私は考える。飛躍しすぎかしら😅。でも、突き詰めると、この考えにいたると考えてしまうのよね😌。
私は、この考えはおかしいと考える。だって○○ちゃんの影響が親の影響よりも優先されるってことよね。小学生の子どもに「子どもの意思にまかせます。」という親は、自分が成長していく中で、何かしら心の傷があることが多い。インナーチャイルドに問いかけるとよく分かる。
 
私は、「子どもの意思にまかせます」という保護者には、「子どもの意思を尊重するということですね」って再定義してあげるの。子どもを放任しないってことね。
 
「受動的」とは「やらされる」こと。「能動的」とは「周りの影響を受けて、自らの判断して行動に移すこと。」
この「周りの影響を受けて」がポイントで、その周りには、当然「保護者」が入るし、周りの影響の中で保護者の影響が最も優先されると位置付けている、だって、保護者は自分の子どもの将来に、その子以上に責任があるのだから😔。

 

極論を言うと、「子どもの意思にまかせる」と綺麗事を言って、親がその意思に関与しないとしたら、それは親の子に対する責任放棄よ。将来、「こうなったのは、あのときにあなたが判断したことなのよ~。私には責任がないからね😛」と親が思いたいだけなのよ。
極論よ。極論😎。あしからず🙇
 
子どもが将来自立した生活を送るために、親が子どもをどのようにしたいか考えなくてはならない。どういうコースをたどらせるべきか、親が自分の責任で決めなくてはならない。全て自己決定にするのは、何歳からかというのは判断に迷うことだが、まあ、二十歳かなぁ🤔。二十歳になるまでは、親は子に影響を与える。その影響を年齢が上がるに従って、薄めていくことは当然だが😊。
 
じゃあ、親はどう実践すれば良いのか。私がしていることはブログしている。
最近のブログはこちら👋😊


教育・子育て考 - つれづれなるままに

少し引用してお話しするね。
チュー(小6)の通っている特別支援級には理社の授業はない。でも、大学に行きたい。算国は当然として、理社をどうするか。私のシビアな見立てでは、チューが大学に入学できる可能性はE判定だ😓。だから「まずは、国語と算数の力をつけようね」と言うことだってできる😔。しかし、せっかく彼は向学心を持ったのだから、それを大きく伸ばすのも親の務めだし、彼にとっても良いことなのよ😄。
 
「じゃあ、どこから始めさせるか。」と迷い、私が選んだのがこのドリル。買うときに、彼に配慮したわよ。


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👨「社会はこの教材にしようか。」
👦「はい。」
👨「じゃあ、このページの問題を解いてみよう。」
👦「解けました。」
👨「あなたにとっては簡単だよね。」
👦「はい。」
👨「簡単なことから始めるって大切なんだよ。あなたは小6生。これは小1や小2用。簡単でも学校で学んでいないのだから、ここから始めてみようよ。」
👦「はい。」
👨「夏休み前までに終わらせたら、小3用の教材を買うからね。やってみるか。」
👦「はい。やってみます。」

(つれづれなるままに)

妻の実家の近くの書店で購入したんだけれど、その日の夜、妻の実家で、チューは私のところにこの教材を持ってきて、勉強しますって言ってきたのよ😆
 
詳しくは、さっきのブログをクリックしてね😉。ここでは「能動的」と「受動的」と「子どもの意思」に言及するわ。

 

教材を決めたのは保護者である私だ。ただ単にこれをやりなさいと言って渡したら、これは子どもにとっては受動的、つまり、やらされたことになる。この教材に決定するのに受動的にさせないために、子どもにその場で問題を見せ、試しに解かせた。教材の購入の決定に子どもを参加させたのね。これで受動から能動に移行したわ。でも、私はこの教材を子どもにやらせたい。「簡単すぎる~」って子どもに思わせないために、簡単なことから始める意義を説明し、納得感を持たせて、『~しようよ』と誘ったの。「しなさい」ではなく、「しようよ」も大切なポイント。

 

教育信条はこちら👋☺️


チューパパの黄昏日記番外編(教育信条) - つれづれなるままに

 

こんな子に育ってますっていうのがこちら👋😄

 

親バカ🐴🦌ブログ① - つれづれなるままに

挙げていったら切りがないわ😱。興味を持った方は、他の私のブログを読んでほしいわ😳。1月中旬から1日1ブログ投稿しているの。仕事がら、教育や心理の話しも多いわよ🎵
 
あら~、アクセス数を増やすための、「ブロ宣」してしまったわ😎。プロのアフィリエイトじゃないわよ😁。なれたらいいなぁっていう気持ちも少しあるけどね😉✨。そうそう。ブロ宣っていうのは、私の造語よ。「ブログ宣伝」の略ね。
 
話を戻すわ🙇。

 

私は、自分の息子を特別支援学級に入れた。今、息子は、将来、大学に進学したいと言い出した。これから先、私が特別支援学級に進学させたことを恨む日も来るかもしれない。恨まれたとしたら、その恨みも受け止めてやるよ。息子に良かれと考えて、親の責任でそのコースを選んだんだから、恨まれることは覚悟の上だよ。でもね、この大枠のコースは決めたが、このコースの中での判断は息子の考えを最大限に尊重するよ。そして、親が決めたコースの外に出たいという意思があれば、いくらでも出ていって良いよ。失敗しても良いよ。海原へと出向した船は、いつか港に帰ってくる。親は子どもという船の港でもあるのよ。いつでも帰っていらっしゃい👋😊。
って思っているの。どんな親であれば良いかには正解もマニュアルもないのよ😅。私は、息子を大人へと育てていく中で、私も親になっていったわ😊。私は親としては今年で12歳となるのよ。私は自分のしてきたことを正解だとは思わない😔。正解ではなく、私の信条なの😊。参考になればうれしいわ😆。