つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

チューパパの黄昏日記番外編(教育信条)

チューパパでございます🙇。今日は私が働いている塾で、私がどのような指導方針で指導しているのか、そして、チューを育てているのかを皆様にお伝えします。

 

これまでのチューシリーズはこちら👋😄

https://yujisyuji.hatenablog.com/entry/2019/04/14/214829
https://yujisyuji.hatenablog.com/entry/2019/04/14/214829

 

 

チューパパの小学生対象の時事・記述・作文講座はとても好評で、6人ぐらいを定員と考えていたのだが、現在の在籍は5名で、体験希望が2名いるよ😆。なぜ少人数なのか。それは私がその場で添削するからなの😊
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速読講座とセットで受講する。速脳速読講座で情報処理能力をつけ、作文講座で論理力を養う。私のこの講座のキャッチコピーは

 

「母国語で考え表現する力が思考力の土台です」

 

である。

 

英語4技能というが、あくまでも技能なのよ。4技能をしっかりと技能として駆使するには母国語で考える力が大切だ。

 

そう。国語力が土台となって、英語の4技能だと考える。海外で暮らしているのなら、英語でものを考える力が必要だが。

 

英語4技能であれば、オンライン英会話をやっている😄。カリキュラムに沿って、海外のネイティブ講師と約30分個人レッスンが破格の値段で受けられる😁。

 

こちらは中学生の授業風景

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うちのチューもやっているのよf:id:yujisyuji:20190421210941j:image

高校受験対策と聞くと、出るところをパターン演習を繰り返して点を取らせたり、語呂合わせ暗記にしたりするというイメージが強いらしい。今日、うちに子どもを連れて遊びに来た姉からも言われた😅。確かに受験直前期にはそういう指導もやる。でも、本当の受験対策は、小手先だけでは通用しないというのが私の信念。今までにも何度もブログの中で言及してきた。最近のブログはこちら


私の生徒指導法190419 - つれづれなるままに

 

対策指導って、土台ができていることが前提なのよ😔。定期試験対策で学校毎の対策プリントや過去問を配布しなくても、点数をとれるようにしないといけない。でも、定期試験の過去問を配る塾の方が人気があるの。これを配ることは、教育的観点からも法的観点からも悪いことなのに・・・。

 

提供する側が悪いのか❓

提供される革が悪いのか❓

 

「○○中の定期試験の過去問は配ってくれないのですか❓」という問い合わせもあるのよ😱。相手に違法を求めている消費者という構図よね😓。まぁ、グレーゾーンがあるということは分かるし、杓子定規な対応はしないが、強要されるものではない😎。

 

それに高校受験で浦和高校をはじめとする、県内トップ公立校を志望している生徒で、過去問コピーや対策プリントを配布するような定期試験対策を求めている生徒は、たとえそういった学校に合格しても、高校の授業にはついていけないわね😌。

前回は、SEO対策の試し原稿として、こんなブログを投稿したよ😅


埼玉県立浦和高校に受かる国語 - つれづれなるままに

 

「対策ありきの点取り指導では、子どもの能力を引き出しづらい」が私の持論😔。自分の子どもには実践している😊。

 

その一例。

今日は書道教室だった。

 

「先生のお手本をもらいにいけば」と促すと「自分で書きます」と言う😄。

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この書道教室自体が、子どもに伸び伸びと毛筆をさせるということが指導方針なのだが、多くの保護者は「そのようなことは言わずにお手本をもらいに行って、お手本通りに書きなさい」では無いかなぁ🤔

 

そして、最初は自分の行きたい地名や好きな字を書いていたの😊。

 

書く言葉がなくて手が止まっていたので「時計と書けば」と言ったら

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時計という字ではなく、時計の絵を描きはじめて、止まらなくなったよ😁。書道の師匠も、チューの落書きに興味津々で、けっこう長い間、チューが書いている絵をご覧になっていた。味があると言って、師匠が選ぶ、展覧会に出展するチューの作品はいつも絵なの。

 

イマジナリーって、楽しさの基本であり、個性や自己肯定感を育む力となるものなの😊。何でもやって良いということではないのよ。枠はある。例えば書道教室では、筆と墨汁を使うという枠はある。その中で色々と発想を飛ばした結果を承認する。これが日本の教育で欠けているものだと、私は考える🤔。

 

全員が高級官僚を目指しているわけではない。まあ、こういう時代だからこそ、高級官僚にイマジナリーと発想力、そして強い責任感が問われているのだが。

全員が前例踏襲の役人になるわけでもない。まぁ、役人にもイマジナリーが必要だが。

 

こんな教育や子育てがあっても良いじゃない。ホントお陰さまで、チューは今のところみんなに愛されて育っている。

 

教育の目的は自立。自立への道は一本道ではない。そして、母国語で考える力とイマジナリーが大切である。これが私の教育上の信念である。