つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

戦争と平和についてどのようにして子どもたちに伝えていくか🤔~戦争の悲惨さだけでは足りないよ~

戦争体験者が減り、若者への継承が課題となる中、学校現場は平和学習にどう取り組むか模索している。生徒が戦争の歴史を学ぶのは「受験勉強のため」という傾向が強く、教員側は深掘りした授業を「腫れ物扱い」するかのように敬遠する向きもある。識者は「戦争は絶対にあってはならないと感じてもらうためにも、学校で戦争の悲惨さを伝える必要がある」と話す。

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なるほど…🤔。

戦争の悲惨さを伝えることによって、戦争ってなくなるの❓🙄

 

それに「戦争が絶対あってはならないもの」であるならば、「そのあってはならないものが、なぜ存在するのか。」と考えることが大切じゃないかしら🙄。

 

「悲惨だから戦争をやめよう」という思考は、「悲惨でも戦争をやろう」に転化するわよ。戦争の悲惨さを伝えることは当然として、歴史をひもとき、経済的視点や宗教的観点から戦争の原因を考えることが、科学なんじゃないかなぁ😔。

 

科学は、理科の専売特許ではない。国語も英語も社会も音楽も美術も、世の中の事象は、科学的に考えることが大切よ。それが抜け落ちて、感情面だけで教えるのは、科学ではない。だから、こんな学生が生まれるのかもしれないなぁ🤔

「戦争は“おとぎ話”のように思っていた」。関東の私立大。社会科の教え方を学ぶ授業で、教員を目指す学生の1人がそんな感想を寄せた。何不自由ない環境で育ち、あえて「暗い歴史」に目を向けることはなかった。高校で近現代史を暗記したのは、志望大に合格するため。戦争や平和について深く考えることはなかったという。

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おとぎ話にしたのは、この学生ではない。臭いものに蓋をする日本の大人たちだよ。それに、「歴史は暗記」をという考えを共通認識にした教育が良くない。

 

どの科目にも暗記はある😔。

 

英語は単語を暗記する。そして文法を理解して、それに単語を乗せていく。

 

国語も言葉の意味を知り、それを記憶する。漢字も暗記ではない。その言葉の意味を知ることが大切なのよ。

 

理科だって暗記するじゃない。E=RI。私は学生の頃、オームの法則は新田恵利って覚えたわ😄。

 

理解して覚える。勉強の基本よね。そして、理解して覚えた知識を、経験の中で知恵にしていくのよ☝️😄。

 

社会科だけが暗記科目とされてしまう。

地理だって、暗記だけじゃない。理解だ。

「その土地の位置と近くに流れる海流と風と地形で気候がきまり、そして、その気候に沿った産業が発達する。」

と理解すれば、あとはそれに知識を埋め込んでいけばよい。

 

宮崎平野は日本では南に位置し暖かい。それに加えて、暖流である黒潮が流れている。夏になると、その暖流の上を季節風が吹く。暖かい水蒸気を吹くんだ季節風が吹くんだから、宮崎平野はさらに温暖な気候だ。そこでは冬でも温暖な気候を利用して、ビニールハウスなどを使って夏野菜を冬につくって出荷する。夏野菜は冬は品薄で価値が高いから、高値で売れて農家の利益が上がるからよね。夏野菜は夏バテに効く栄養素が含まれる。そりゃ当然よ。野菜自身が夏バテしたら生きられないものね。カロテン、ビタミンC、ビタミンEなどを多く含む。きゅうり、ピーマン、カボチャ。野菜にはキューピーちゃんのマヨネーズを使おう。

 

キュー(きゅうり)

ピー(ピーマン)

ちゃ(カボチャ)ん。

 

さて、これが暗記だけの科目と言えるかしら🤔。暗記も必要。理解も必要。そして、知ったことを生かすのよ。

 

えっ❓

生かし方が分からないって😅。

 

様々な事象を理解する過程で、そういう思考回路ができるのよ。それがこれから生きていく上での糧となるのよ。

 

だから「戦争は“おとぎ話”のように思っていた」というこの学生は、これまで不幸だったのかもしれないわね。戦争をおとぎ話にしてしまった大人がいるのよ。

 

戦争が起こる因果関係よりも、悲惨だぞ~、大変だぞ~、怖いぞ~というストーリだけの教育だったのかもしれないよ。それに「戦争をおとぎ話のようだ」と思う教員に教わる子どもも不幸よね😥。

 

福岡県内の公立中では10年ほど前、沖縄戦を取り上げた授業に保護者から苦情が寄せられた。教員が作成した資料に「日本軍は住民を守らなかった」という記述があり、「守った日本兵もいる」との指摘が教育委員会にあった。教員は「配慮が足りなかった」とする始末書を提出させられた。

 同校の関係者は「あの件以降、校長が事前に資料をチェックし、授業後に回収している。生徒が家庭で戦争について話題にする材料がなくなった」と語る。

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とほほ😥。

「戦争が悲惨なことを教えることありき」だからこうなるんじゃない💢。

 

確かに戦争は悲惨よ。しかし、悲惨だと判断するのは教師ではない。生徒だぞ。

 

そうそう。この「住民を守った兵もいる」とクレームを入れるのは難癖をつける際の鉄則よ😅。100あるうちの99は当てはまるのに、1当てはまらなければ、そこを突くのよ。ヤクザの交渉術😌。

 

しかし、歴史を学ぶ際には、このヤクザの交渉術が大切なのよ。

 

みんな戦争に賛成していた。いやいや、反対した人もいるぞ。

 

みんなに戦争に反対していた。いやいや、みんな反対していたら、いくら独裁者でも戦争はできないぞ。豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)なんて良い例ね。

 

住民を守らなかった、自決を強制した日本兵もいただろう。最後まで住民を守った兵もいただろう。双方の資料を生徒に示して、その事実から何が分かるか考えさせる。どちらも導き出されるのは戦争の悲惨さよ😔。

 

「(教師に)配慮が足りなかった」のではなく、「教師に科学的思考力がなかった」のよ😓。

 

「戦争は悲惨だ」とか「戦争は怖い」という感情的なもので教えていたら、「怖いから見たくない」となるのは当然の帰結。感情的なものだけではなく、理性的に学ぶことも大切なのよ。

 

①戦争をしてはいけない。

②なぜなら人が殺し合うからだ。

③なぜ人は殺し合うのか。

④それは殺し合いの道具を持つからだ。

⑤その殺し合いの道具、つまり武器を持たなければ戦争は起こらないんだ。

⑥武器は持ってはいけないんだ。

 

さて、この①~⑥の思考回路の不味い点はわかるかしら🤔。こう考える日本人って結構いるとも思う。自衛隊を貶す人に、この思考回路が多いんじゃないかしら。

 

どこから不味いか。

 

それは④の飛躍よ☝️😎。

 

武器をもつから殺し合うのではない。殺し合い、戦争する理由はそんな単純なものではない。しかし、戦争の悲惨さばかりを訴えると、こんなとんでもない因果関係を導き出すことになる。

 

戦争の起こる原因は武器があるからではない。ある原因をもとに争いが起こり、武器をもって殺し合うのだ。

 

そのある原因とは何か。

宗教・領土・領海・領空…。その根本原因は、すべて経済的なものであると言ってもよいかもしれない。まあ、これはこのくらいにしておこう😅。

 

そういう根本理解と手法の検討なく、校長が授業の資料をチェックし、家庭に配らないとなってしまった。これが事実なら、教育の末路だなぁ😨。

 

県内の別の公立中に勤めるベテラン教員の女性は最近、日本軍による中国侵略を学習テーマにしようと同僚に提案。同僚はこう断ったという。「このご時世だし、あんまり触れん方がいいっちゃない」

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とほほ😥。ダメだこりゃ😑。教員も保護者も両方ともに質が落ちている。

中学教員として長く平和学習を行ってきた立教大兼任講師の中條克俊さん(64)は「学校側が外部からの苦情を恐れて、沖縄戦や侵略といったテーマを避けるケースは少なくない。教員は戦争体験者から話を聞いたり、子どもたちと一緒に戦跡を調査したりすることを起点に授業をしてはどうだろうか」と語った。

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これが「平和教育」すべてに通じるものならば、これまでの平和教育自体が良くなかったのかも🤔

 

だって「平和教育」を受けてきた人たちが、今、大人になっているわけでしょ。その大人たちが平和教育を避けたり、「戦争はおとぎ話のようだ」と言ったりしているんだよね。これが、これまでの教育の結果だ、それであれば苦情を言われるよ。

 

平和教育とは、戦争の悲惨さを伝えることだけではない。戦争が起こる原因を客観的に考えることも大切だ。やはり、ここが抜け落ちているんじゃないかしら🤔。

 

戦争体験した者は、当然、戦争の悲惨さを語る。その一個人の体験を、一般化する際には注意が必要よ☝️。

 

例えばさっきの話で言えば、日本兵が住民を守らなかったという戦争体験をした人の話を聞いたとする。それでもって、「(全ての)日本兵は住民を守らない。」という結論を導き出して良いものかということなの😔。

 

戦争体験者の話は事実であろう。いや、体験者の話は、事実を体験者の主観を通して話していると考えなくてはならない😔。だって残念ながら事実を歪曲する人もいるから。誰だとは言わない。どこの国かとも言わない。でも、いるでしょ。

 

だから戦争体験者に話を聞くときは注意が必要だ。原爆だってそう。被害者と加害者の両方の証言を聞いて、そのときの客観的に世界状況も踏まえて、生徒自身が自分の考えを導き出すことが大切だ。

 

結論は「平和は尊いものなんだ」だけでよい。その結論が正しくても、その結論に恣意的に導いてはならない。

 

「侵略は悪」となったのは、いつ頃からか知っているのよね🤔。それを知っていれば、中国に日本が進出したことも教えることができる。教える側が、そういう基本的なことを知らなかったり、知っていてもその重要性に気づいていなかったりするから、外部からの苦情も恐れてしまうのよ。

 

キチンとしたことを教えているのなら、苦情なんて恐れる必要はない。威圧的なクレームだったら、「教員の教育する権限」と「教育の自由」を侵すものであると強気に言えばよい。なんなら大人の解決をしましょうかと。教員はそれだけ腹をくくればよいのだ。

 

あぁ、学校の社会の教師になれば良かった。でも、なっていたら、長いものに巻かれろで、今のような考えにはなっていなかったかもしれないなぁ😅。

 

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