つれづれなるままに

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「日本は核でアメリカに仕返しが出来る権利がある」という子どもの発言~そんなに衝撃を受けることかしら🤔~ウィズコロナにつながる平和教育~

「小学5年の長男が『日本は核兵器を開発できるし、原爆を落とされた国として仕返しする権利がある』と言い出して衝撃を受けています。親子で原爆資料館に行っているのに…」。広島市内の40代会社員男性から、こんな声が編集局に届いた。核兵器廃絶を願う被爆地で平和教育を受けているはずの子どもたちは、どんな情報に囲まれているのか、調べてみた。


「日本は核で仕返しを」という子どもに衝撃 ネット動画の影響を考える【こちら編集局です あなたの声から】 | 中国新聞

 

うん❓️🤔

衝撃を受けるかしら❓️🙄

 

 

この小5の発言は、人道上問題がある発言だけれど、衝撃を受ける発言ではないと思う。

 

 

 

その子どもによると、学校で友達から教えられた動画投稿サイト「ユーチューブ」が情報源だという。

 

 

 

まぁ、何事も一長一短あるからなぁ🤔。ネット情報はテレビ以上に玉石混淆していることを注意しないといけないね。

 

 

第二次世界大戦中、イギリスの首相であるチャーチルは、日本への原爆の投下を躊躇うアメリカ大統領トルーマンに対して、次のように日本に原爆を投下を迫った。

 

 

「日本はアメリカに警告しないで真珠湾を攻撃したんだろう。それで多くのアメリカの若者を殺したんだ。だから日本に無警告で原爆を投下しても問題はない。」

と😨。

 

 

この考えが許されるから、いや許されなくともこういう考えがあるということを認めることが出来るなら、先程の小5の少年のアメリカに対する核兵器報復発言は衝撃的なものでもなんでもない。

 

 

「やられたら…。」

それは動物の本能の1つだ。

 

 

自分の力が相手よりも弱ければ、やられたら逃げる、もしくは従う。自分の力が相手と同じか強ければやり返す。

 

 

何も驚くべきことではない。それは子どもであって大人であっても同じだ。

 

 

しかし、それは負の連鎖を生む。

 

 

やられたら、やり返す。

やり返されたらやり返し返す。

やり返し返されたら、やり返し返しがえす。…。

 

 

わけが分からなくなる🤷‍♂️。

 

 

わけが分からなくなるくらいの争いの連鎖になる😱。その連鎖を断ち切らなければ、争いは終わらないだろう。

 

 

真珠湾攻撃には、日本に理があったのだろうか🤔。

 

 

原爆投下にはアメリカに理があったのだろうか🙄。

 

 

まず、真珠湾攻撃について。

 

 

たとえ日本に理があったとしても、アメリカを攻撃してはならないだろう。だって日本はアメリカに勝てないもの😥。

 

 

これは結果論ではなく、当時の外国通にとっては常識よ。

 

 

それにのび太がジャイアンを背後から殴ってただですむわけないじゃない😐️。

 

 

真珠湾攻撃を立案した山本五十六司令長官は、アメリカとの戦争には断固反対の立場を取っていた。駐米武官の経験があり、アメリカと日本の国力差は月とすっぽんだと分かっていた。

 

 

日本の終戦間際に日本の中枢を担った政治家や総理経験者などの重臣は

 

①岡田啓介

②近衛文麿 

③米内光政 

④吉田茂

⑤鈴木貫太郎

である。

 

 

戦争を推進し、太平洋戦争を始めたときの内閣総理大臣、東条英機から遠ざけられていた知米派・親米派ばかりだ。

 

 

そしてこのうち、①③⑤は元海軍大将なのよね🤔。

 

 

5・15事件の主犯は、海軍の青年将校達だから一概には言えないのだが、海軍の幹部は世界の情勢に詳しかったのよね🙄。

 

 

そう言えば、海軍の神様である東郷平八郎は、自身の権力と権威を使ってロンドン海軍軍縮会議の決定に従った政府を反対したのよね。

 

 

海軍の中にも世界が見えない者もいたか…😐️。

 

 

海外の情勢に無知、もしくは情緒を優先する人が国を指導すると国を危うくするんだなぁ😥。

 

 

「やり返したら、短絡的にやり返す」という感情を優先するのは過ちを犯すのよ😱。

 

 

アメリカが日本に原爆を落としたことに理があるか。

 

 

感情的には理由はあるが、理性的な理由はこじつけだろう。

 

 

戦争終結を早めた❓️🙄

いやいや、原爆投下は戦後のソ連とパワーバランスの駆け引きよ。

 

 

日本と中立条約を結んでいるソ連に米英は、ドイツ降服後3ヶ月で対日戦に賛成するように約束した。

 

 

1945年2月

ヤルタ会談で、日本と中立条約を結んでいるソ連は米英と、ドイツ降服後3ヶ月で対日戦に賛成するように密約した。

 

→米英にとっては、ソ連に対日戦の第二戦線をつくってもらうことが目的よ。ソ連にとっても旨味がある。

 

 

1945年5月8日

ドイツが降服した。

 

→日ソ中立条約は1946年4月25日までは有効なのに、8月9日にはソ連は対日戦に参加することになる😱。

 

 

1945日7月2日

アメリカは沖縄作戦を終了を宣言した。

 

→沖縄戦が公式に終了したのは1945年9月7日なのよ。玉音放送が流れた8月15日、日本が降服文書に調印したのが9月2日なのよね😔。

 

 

1945年7月16日

アメリカ、核実験成功した。

 

→アメリカが沖縄を勢力圏にし、核兵器を所有できた時点で、ソ連の対日戦参戦の価値がなくなった。米英にとっては、ソ連の戦後の影響力をなるべく小さくしたい。一方でソ連にとっては対日戦に参戦して、戦後の世界で影響力を持ちたい。

 

 

ポツダム宣言後、ソ連が参戦する前に日本に原爆を落として、ソ連を対日戦の蚊帳の外に置こうとしたのよね🙄。

 

 

原爆投下は、アメリカの人的被害を防ぐためもあるかもしれないが、政治的判断の色彩が強いと私は考える🤔。

 

 

とこのように考えていくと、現実の世界は、生き馬の目を引き抜くようである。

 

 

だから、「日本は核兵器を開発できるし、原爆を落とされた国として仕返しする権利がある」と考えること自体は、さほど驚くようなものではない。

 

「日本は核兵器を開発できるし、原爆を落とされた国として仕返しする権利がある」とい主張の問題点を指摘することが大切だと私は考える。

 

 

①核兵器を持つことは正しいことなのか。

 

 

②現代に生きる人が過去に生きた人にかわって仕返しする権利の根拠は何か。

 

 

③原爆を落とすことに直接関与していない人に仕返しをすることは正しいのか。

 

 

④発言者自身が自分が関与していない過去の出来事の仕返しをされたら、納得が出来るのか。

 

 

⑤たまたまその国に生まれただけだで、その民族や国民がした過去の過ちを死をもって償わなければならない根拠は何か。

 

 

などなど、私はこの発言に対する疑問はたくさん出てくる。

 

 

たとえ誤った考えであっても、子どもが社会や歴史に興味を持ったことを喜んで、子どもと一緒に考えるけれどなぁ🙄。

 

 

「親子で原爆資料館に行っているのに…」。広島市内の40代会社員男性から、こんな声が編集局に届いた。

という。

 

 

広島の子ども達は

核兵器廃絶を願う被爆地で平和教育を受けているはず

とも言う。

 

 

としたら、原爆資料館や被爆地の平和教育に問題があるのかもしれないよ。

 

 

以前こんなブログを書いたわ👋😔

「悲惨だから戦争をやめよう」という思考は、「悲惨でも戦争をやろう」に転化するわよ。戦争の悲惨さを伝えることは当然として、歴史をひもとき、経済的視点や宗教的観点から戦争の原因を考えることが、科学なんじゃないかなぁ😔。

]
戦争と平和についてどのようにして子どもたちに伝えていくか🤔~戦争の悲惨さだけでは足りないよ~ - つれづれなるままに

戦争が起こる因果関係よりも、悲惨だぞ~、大変だぞ~、怖いぞ~というストーリだけの教育だったのかもしれないよ。それに「戦争をおとぎ話のようだ」と思う教員に教わる子どもも不幸よね😥。

(戦争と平和についてどのようにして子どもたちに伝えていくか🤔~戦争の悲惨さだけでは足りないよ~)

平和教育とは、戦争の悲惨さを伝えることだけではない。戦争が起こる原因を客観的に考えることも大切だ。やはり、ここが抜け落ちているんじゃないかしら🤔。

(戦争と平和についてどのようにして子どもたちに伝えていくか🤔~戦争の悲惨さだけでは足りないよ~)

 

 

それにね。

「同じ教育を受ければ、その教育を受けた結果は皆同じである」というのは、教育や学校を規格人を大量生産する工場と考えていそうね😥。

 

 

工場型教育への批判はこちら👋😔

 

 

人の心は十人十色。

 

 

造物主も人間に自由意思(心)を持たせたために、ご自身が造った物(人間)なのに、ご自身の言うことをきかなくなった。

 

 

造物主でさえそうなのに、人が教える教育で、教えた人の意図通りの人間になるなんていう考えって傲慢よ😤。人間はロボットじゃないわよ💢。

 

 

教育をすれば、その教育の目的に沿った人格が育まれるのなら、あのメンタリストのような思想は生まれないはずよね🙄。

 

 

社会を賑わすインフルエンサーの人たちは、あの思考を持ち得ないわ😅。

 

 

「親子で原爆資料館に行っているのに…」とか、「核兵器廃絶を願う被爆地で平和教育を受けているはずの」と思うことは、戦前の教育と根本的には変わらないわ😨。

 

 

「お国のため」や「天皇のため」が「平和のため」と変わっただけで、教え育むことは子ども個々に異なるという教育の個人主義になっていない。

 

 

平和教育を受けた子は、全員戦争が嫌いになるような悲惨さだけを訴えているんじゃないかしら🤔。

 

 

まぁ、平和ボケよね😅。悲惨なことを言い続けたら、戦争を嫌い、平和になると。

 

 

平和ボケは罪深い。

人と人とが殺し合うだけが戦争じゃないのよ。このコロナ禍は、人と人とが殺し合うほどの凄惨な戦争ではないけれど、戦争の1つだという認識が必要だという考えよ。

 

 

感染症になる人がたくさんいて、苦しんでいる人がいて、助からない人がいて…。医療関係者の中には、昼夜問わずコロナに罹患した人たちを助けていて、病院は戦場さながらだという…。特に飲食業界や観光業界は死活問題だ。

 

 

彼らに平和ですかと尋ねたら、「平和です」って答えないんじゃないかしらね😣。

 

 

そこを想像できない、いや想像しない人が多いのよね🙄。

 

 

平和ボケとは、想像力と理性が欠けたことを意味すると考える🤔。

 

 

自粛を促してもマラソンの沿道に詰めかけ、音楽フェスでは酒が振る舞われて躍り絶叫する。

 

 

ウィズコロナは、想像力と理性がより一層求められるんじゃないかしら🙄。インフルエンザでいうタミフルのような新薬が出来ない限り。

 

 

そういう新薬がなく、これだけ広まっているんだから、今はコロナとインフルエンザを同一視出来ないよなぁ🤔。同一視するのは飛躍が過ぎるわね🙄。

 

 

まぁ、コロナと戦争も飛躍が過ぎるんだけれど、大きな違いがある。

 

 

それは、緊張と弛緩だ。

 

 

コロナと戦争を繋げるのは、自制を促すことを目的としている。

 

 

コロナとインフルエンザを繋げる人は自制の緩和を目的としているように私は思うのよね。

 

 

私は前者の立場であり、後者の立場ではないが、後者の立場を承認はするわ。承諾はしないけれど。

 

空爆もない、火炎放射器もない、銃撃戦もない。

 

 

だから、コロナを舐めまくる。

 

 

自粛オンリーにせよとは言えないわ。私も干上がっちゃうもの😥。その自粛オンリーと言えないのは、私も平和ボケよね😐️。

 

 

でも、テレビを見ていると平和ボケねと思ってしまう。

 

 

戦前:アメリカ何するものぞ❗️

 

現代:コロナ何するものぞ❗️

 

 

あらまぁ、ここまで似ているとは😱。日本人はアメリカには負けているのよね😥。

 

 

もしも、コロナウィルスがどこかの国の細菌兵器だとしたら、これほど優秀な兵器はないよなぁ🤔。

 

 

相手が戦争だと認識しないんだから。それでいて相手国民に傷をつけ、後遺症を患わせ、殺すこともある。国力も削げる。相手国の国民は自分の国は平和だと思っているのよ。スゲー兵器😱。

 

 

まぁ、ショートした私の思考回路の与太話よ😅。どこの国とも言っていないし、もしもの話だしね。

 

私の住む市内でも、救急車のサイレンが多くなった。救急車に乗っている人が怪我なのかコロナなのか他の病気かは分からないが…。

 

 

さっき右に曲がり病院に入った救急車がグルット回って私の前から来てすれ違ったことも何回かある。病院で受け付けてくれなかったのかしら😨。

 

 

平和ボケで権利意識が低いから、外国のように暴動も起こらないのだろうが。それは平和だ。

 

 

それにコロナを戦争にたとえること自体か、平和ボケだと戦争経験者に言われそう😱。

 

 

いいのよ。

だってウィルスと【戦】い【争】っているんだから、戦争よ😤。

 

 

平和教育とウィズコロナが繋がってしまうのよね😔。飛躍をする私の思考回路では。

 

 

どちらも想像力と理性がより一層求められるという点でね。

 

 

平和教育とは「戦争を嫌いにする」というものではなく、「人はなぜ戦争をするのか」を客観的に学び問うものにしなくてはならないんじゃないのかしら🤔。

 

 

あの太平洋戦争が題材なら、「どうすれば戦争を避けられたのか」、そして、「どうしたら戦争に勝てたのか」という問いもあってもよい。

 

教育は感情的な批判だけになってはならないと考えるわ😔。

 

 

子どもは様々なものに影響を受けながら大人になる。誤った道に逸れることは当たり前である。誤った道に逸れたなら、軌道修正をするのが大人の務めだ。

 

 

受けた教育の意図通りの考えを全ての子どもがもつとしたら、大人の驕りだ。いや、洗脳教育となり得る。

 

 

教育目的を達成することが正しいのなら、その正しいゴールに行く道は1つではない。子どもの数だけ道がある。

 

 

ホームレスになるのは国への感謝が足りないことが原因だと論じた小6生の話しはこちら👋

 

 

子どもが純白無垢という考えは捨てた方がよい。子どもには意地悪な面もずる賢い面も残酷な面もある。そんな発言をしたら、衝撃を受けたで終わらせず、子どもの話を聞いてみよう。

 

私はそんな大人でありたい。