つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

日本の教育制度の問題をダラダラと~学校を夏休み短縮する、冬休みを短縮するというけれど『休校中は子どもたちは羽を伸ばしていたわけではないのよ』~

教育論を中心にした、ダラダラブログ😅。まぁ、いつものことと許してください😁。


今回のコロナ禍で、日本の教育に新しい価値観が生まれる可能性がある気がする🤔
 
明治時代から、教室に子どもたちを集めて黒板を使って教える集団授業が続いている。そして、映像やネットでの授業よりも、ライブ型集団授業の方が価値がある人が多い。
 
「映像授業」自体は良いものだと私は考える🤔。授業の品質も保てる。映像授業は、高品質な授業の補償ができるわけだ。ようは「映像授業が全て」ということではなく、「映像授業の使い方」なんじゃないかなぁ🤔
 
参考書を読めばわかる子には映像授業の必要はない。文字という視覚の刺激だけでは足りない子には、映像と音声と、そして噛み砕いた説明が必要だ。それをたくさんの生徒の前で授業しようと、映像で授業しようと同じだ。

 

いや、異なる大きな点がある。それは、戻したり速めたり、停止したり、倍速にできるという点だ。説明する講師を自分にあったペースで動かせるのだ。
 
映像授業は、集団授業よりも生徒に自分を律する姿勢が必要だと言われるが、それは集団授業でも寝る奴はいるわけで😌。
 
それに、zoomなどのネットを使って、講師が直に生徒に関われる双方向指導も可能になった。ただ単に映像授業の流しっぱなしということを防げる。
 
この少子時代、教室に集めて集団授業をすることが割りに合わないシステムになっている。それは教師側にしても生徒側にしても😌。
 
オンラインで家で授業を受けるようになれば、子どもにとっても教師にとっても利点がある。
 
その、大きな利点は、わざわざ学校や塾にいかなくて良い点だ。
 
でも、学校は学力をつけるためだけの場所ではないからなぁ~🙄。社会に出る前の人間関係も学ぶ場である。
 
その中で理不尽なこともあろう。理不尽なことがなければそれに越したことはないが、社会に出れば理不尽なことだらけだ。

 

副次的なことではあるが、学校という閉ざされた空間の中で、理不尽なことをどう対処するのかということも学んでいると個人的に思う🤔。学校の中に理不尽なことはあってはならぬが、あるのは事実だ。
 
しかし、人と人との繋がりを学び育むのであれば、週5日、1日7時間も閉ざされた学校という空間に居続ける必要もないかもしれないわけで。
 
通信制の高校では、映像授業を見て、課題をやって提出して、スクーリングをやって…。
 
スクーリングを週に2回~3回やって、後は自宅で勉強するというのもありなんじゃないかしら🤔。
 
自宅学習するときも、朝の9時にはネットを通して教師と各生徒が顔を合わせる。そして、それぞれの課題に取り組む。
 
塾であれば、経営的には場所代(家賃)を抑えることができるのが大きい。それに人件費も抑えられる。
 
でも、これもリクルート(スタディサプリ)のように異業種から乗り込んで、激安な値段で提供するようになるかもしれない😥。
 
資本主義、自由主義経済だから仕方がないが、不当に安くして相手の生活を脅かせるのはおかしいと私は考えるの🙄。これを「企業努力」と言って、零細会社は淘汰されていく。まぁ、人間社会も動物と同じで「弱肉強食」だから仕方がないのかも😥。
 
教育の形を変えるきっかけになるかもしれない。
 
と、ここまでは表層的な教育論。もう少し、話を深めたい。
 
教育とは何かと聞かれたら、私は「自立した社会生活を送る力を養うこと」の答えるだろう。そして真の学力とは「自分で学びとる力」であるの考えると☝️😄。
 
さて、学生の子どもを持つ保護者は、この意見に賛成してくれるだろうか🤔。
 
まぁ、頷いてくれるだろう。
 
そして、そのあと、こう続くだろう。「どうすればそのような力がつくのか」と。
 
私がどんなに素晴らしい教育論を語ろうとも、結局多くの保護者は、「それは学校のテストで良い点が取れるのか」という短期的な成果を望んでくる。
 
長期的な視点にたって、問題をじっくりと解くことを勧めても、5通りの解き方を考えるように指導しても、保護者も生徒も「効率的」で「短期的」に効果が上がる勉強法を求めてくる。それがニーズってやつだ😌。
 
では、なぜそのようなニーズが生まれるのかというと、学校制度に原因がある。
 
何度もブログに書いた日本の学校制度に関する私の考えはこちらだ👋😅。抜粋するね。

工場では
生産工程に従って、ベルトコンベアで運ばれてきたものに手を加えていき、規格品が大量生産される。
 

学校では

カリキュラムをもとにシラバスを作り、そのシラバス通りに授業を受ければ「規格人」が大量生産される仕組みだ。ベルトコンベア式の教育と呼べる。

 

そこで学んでいる子どもの中には、精神を病む子がいて当然。工場なら機械の生産だが、学校は心を持つ子どもの教育だ。製品を作るのと同じようにされたらたまったものではない。これでは不登校も生まれるし、ストレス耐性のない子はいじめたりいじめられたり、社会不適合になったり、果ては自死にいたったりする。そういう教育の中で育った私だが、私の方が異常なのかと思ったりもする。

そういう大量規格品生産工場型教育を、普通科教育の教育方法に採用しているのが日本だと理解している。

ここに書かれているようなことを、小中学生の子を持つ、夫婦そろって地方公務員の私の姉に言ったら、「でもそれが日本の教育制度なんでしょ。」と一蹴された😌。

 

私はNLPと交流分析を、1年間100万円かけて習った。結構、仕事にも人間関係にも役に立っている。仕事面では、かなりの成果も出した。
 
でも、これって100万円かけたから効果があったというよりも、自分に目的意識があったから効果があったと思うのよ😄。
 
この目的意識って、持たされるものではなく持つものである。
 
受験も目的の1つだが、受験を目的に勉強している奴の多くは点取り虫なのよ。私の仕事を否定しているようだけど、自分のやっていることに批判的な目を向けるのは大切なことだと私は考える🤔。
 
人生の途中で挫折した方が良い。
 
太平洋戦争で日本を滅ぼしたのは、陸軍大学校で恩賜の刀をもらった点取り虫エリートだし。それは今の日本も変わらないか🤔。
 
こう言うと、「お前何様か」って言われそう😅。
 
 
教育制度を変えるのが先か、人の意識を変えるのが先か。
 
制度を変えれば、人の意識が変わって、社会が変わる🤔。そんな考えは、青臭い理想主義者😅。昨今の教育改革がそうよね。入試制度を変えれば、教育が変わる。頭の良い人が考えそうなことよ。
 
 
今、コロナ禍で、制度を変えざるを得なくなってきている。
 
こんなに長く休校にしているのなら、9月新学期、新年度だって良いじゃないか。
 
外に出るのは危険なら、学校に行かずインターネットで家で授業をしても良いじゃないか。
 
明治以来の学校制度を根幹から変えても良いじゃないか。
 
それでも、人間は基本的には保守。お偉いさんも踏襲を好む。なかなか変わらない。
 
しかし、しかしだよ。コロナ禍が原因で、今の教育制度、いや、社会制度を変えざるを得なくなってきている。

 

ここがポイント☝️😁。
 
社会や制度は変えるのではない。社会や制度が変わるには、変えざるを得ない状況が必要なのよ。特に日本は😔。
 
明治維新もそう。黒船がやって来て社会を変えざるを得なかった。
 
戦後の民主化もそう。戦争で負けて社会を変えざるを得なかった。
 
外的要因がないと、なかなか変えないのよね。日本は…😑。
 
平安時代が象徴的よ。形骸化した儀式税を寄生虫のように吸い取る朝廷の政権が400年も続いたのよ。平安時代は、平安時代にあらず。不安時代、戦乱時代なのよ😱。じゃなきゃ、武士なんていう階級は発生しないのよ。まぁ、ここは深掘りしないでおこう😅。
 
「悪夢の民主党政権」というけれど、今も悪夢よ。
 
なぜ悪夢なのか。
 
政権担当能力を持つ野党をこれまで国民が育まなかったため腐ったまま、ズルズルズルズルと○○一強にしてしまった。
 
彼のこれまでの性格を見たら、身内やお友だちを優遇するお坊っちゃまじゃない。英断ができない方なのよ。
 
平安時代に刀伊が入寇して、現場の武士が撃退しても、報告書の形式が違うと言ったり、命令が出ていない中勝手に戦ったとして恩賞をやらない腐った政府だった。
 
コロナ禍で、一世帯マスク2枚を配布。批判した新聞社に「御社も高額なマスクを売っている」と、そのマスクの良さも知らずに嫌みをいう軽薄な総理。それでいて、自分の妻に鈴も首輪もつけられぬ。
 
しかし、このコロナ禍によって、制度も政権も変わるかも🤔。
 
災害で制度が変わるのは良い。
しかし、こういった災害がなければ、政権が変わらないなんて、ホント情けない😥。
 
私も、その情けない国民の一人。
 
でも、こんなクサシじゃ、何も変わらない。
 
まずは、zoomを使って、子どもたちに、私と関わりのある子どもたちに、良い授業を届けよう😄。
 
授業がなくても、自分で勉強するのが理想だ。しかし、そんな子どもはほとんどいない。世の親は、自分のことを棚に上げてはいるが、自分の子どもに勉強してほしいと願っていることは事実だ。そのニーズに応えよう😅。
 
意識が先でもない。
制度が先でもない。
 
まずは目の前にあるものに一生懸命取り組もう。
 
でも、社会が変わったら、これはコロナのせいで❓🤔
それとも
「コロナのおかげで」なのかしら❓😓。

そうそう、こちらは先日のニュースよ👋😄 

大阪府の吉村洋文知事は29日、新型コロナウイルス対策に伴い、6月1日から授業を再開する府立高校の夏休みを42日間から10日間に、冬休みを14日間から7日間にそれぞれ短縮する方針を明らかにした。3月から続く休校で学習状況に遅れが生じる中、来年3月までに履修課程を終える前提で、必要な授業時間を確保する考え。

大阪府、夏休み10日 冬… (産経新聞) - auヘッドライン - auサービスTOP https://news.headlines.auone.jp/stories/domestic/social/13415064?genreid=4&subgenreid=12&articleid=13415064&cpid=10130017&rf=passtop_%E5%9B%BD%E5%86%85

私は、コロナ禍の吉村知事の政治姿勢とその行動力は賞賛する一人だ。今回の、この処置も、今の学校制度下では、当然のものだと思っている。

 

そう☝️😔

「今の学校制度下では」ということが前提ね。

 

年齢によって、学ぶ内容が決まっているベルトコンベア式の学校制度にあっては、3ヶ月の遅れを取り戻さなくてはならない。

 

これって、まさに規格品を大量生産する工場の発想なのよ😱。

 

でも、人は心を持っている。子どもたちは、この休校期間中、過度なストレスを強いられてきた。それが仕方がないことであっても。

 

来年の3月までのカリキュラムに間に合わないから、休みを返上して授業を受けることを強制することを仕方がないと考えるのならば…。

 

来年の3月までの納期に間に合わないから、休みを返上して仕事をしろと言われても、仕方がないと考えるのかしら🙄。

 

後者なら、労働問題となるわね。

 

コロナで納期が間に合わないのなら、まず納期を伸ばしてくれるよう頼むのが筋であろう。納税もそうなったしね。

 

コロナでカリキュラム通りいかないのなら、まず終業日を伸ばすことを考えるのが筋ではないかなと考えちゃうのよ。

 

制度がこうなんだから、その制度に沿おうとした吉村知事を責めることはできない。

 

しかし、国政を預かるものたちは、この制度自体の課題を克服しなくてはならない。でも、国全体としては、規格型の労働者を効率的に多く作った方が、国力がつくから、このシステムを捨てがたいわけで。だから、生徒個々のことなんて、あまり考えていないのよ。これはあながち責めるものではなく、全体を預かるものは、細部を気にしていたら、運営ができない。いわゆる「鈍感力」が大切なのよ。でも、昨今の政治家は「鈍感力」というよりも、「鈍感」になりすぎている面目否めない。だから、政治家として当たり前のことをやっている一部の知事さんが脚光を浴びているのよ。

 

吉村さんは素晴らしいと言える。しかし、国やその地域を憂いでその職につき、名誉と収入を得たのだから、当たり前と言えば当たり前なのよ。だから「政治家は使い捨てでよい」と言ってのけた吉村さんは、私にとっては清々しかった。また、大臣への謝罪も早く適切だった。自分の非はすぐに認めた。

 

おっと、私は彼の支持者ではないから、このくらいにしておこう。一地方の知事としての仕事を立派にこなしても、国政はまた違うからなぁ🙄。歴史で言えば、松平定信がよい例ね😅。

 

日本の教育の諸問題って、このベルトコンベア式の日本の学校教育制度に行きつくのよ😔。

 

だらだらの教育語り😌。結論はありません😎。