つれづれなるままに

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東出昌大さんの不倫謝罪会見から「好き」と「愛」について考える🤔~「唐田さんが好きなのか、杏さんを好きなのか」という質問を検証~

「好きである」と「愛する」は異なるんじゃないかなぁ🤔。まぁ、一致した方が良いとは思うけれど😌。

 

いまだ唐田が好き? 東出の失敗 (日刊ゲンダイDIGITAL) - auヘッドライン - auサービスTOP https://news.headlines.auone.jp/stories/showbiz/news/13223985?genreid=3&subgenreid=7&articleid=13223985&cpid=10130104&rf=passtop_%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9

リポーターの「唐田さんが好きなのか、杏さんが好きなのか」と言う質問に対して「申し訳ございませんが、お相手のこともあるので、また私の心の内をここで話すことは妻を傷つけることになるので話せません」と東出さんは答えたそうだ。

 

「私の心の内を話すのは妻を傷つけることになる。」

 

「妻のことが好きだ。」と言っても、「唐田さんのことが好きだ。」と言っても妻を傷つけることになるんじゃないかなぁ🤔。

 

「妻のことが好きだ」と即答したら、東出さんは相当の悪者よ。

 

だって3年も唐田さんと付き合っていたんでしょ。

妻の妊娠中も付き合っていたんでしょ。

バレなければ、今もそのお付き合いが続いているんでしょ。

 

そういう背景があって、それで、唐田さんか妻かの二択を迫られて、「妻が好きだ」と答えたら、「それって嘘じゃん」となるだろう😔。

 

不倫がバレて、好きと言う感情が妻に戻るものなのか🤔。

 

「好き」って「好きだ」という様子や状態、いや、感情なのよ。

 

今まで不倫相手が好きだったのに、不倫がばれて、叩かれて、好きと言う感情が妻に戻ったとしよう。

妻からしたら、「あなたのその好きっていう感情って何?。叩かれて反省して好きになったの?それって『好き』という感情じゃないじゃん💢😭」となるんじゃないかなぁ🤔。

だから、この状況で「妻を好きだ」と安易に言えない。

 

一方で「唐田さんのことを好きだ」と答えたとする。

 

私は、この「好きと言う感情」を否定しない。好きって自発的なのものなのよ。

 

「好きになれ」と言われて好きになるかしら🤔。

「好きになるな」と言われて好きにならなくなるのかしら🙄。

 

いや、どちらもできない。好きなものは好きだし、好きではないものは好きではない。

 

しかし、この状況で「唐田さんを好きだ」と答えたら、私はこれは感情の問題なので問題視しないが、「好き」を抑えられない感情の問題だと理解できない人がほとんどなので、炎上するのは火を見るより明らかだわ😱。

 

そう☝️😄

「好き」は理性ではなく感情なのよ。この感情は、誰も強制してはならぬ。心は自由だ。

 

私の妻が不倫したとする。妻が復縁を望んだとする。そのときに、妻が「今でも不倫相手のことが好きだ」と言ったら、私が傷つくだろうか🙄。

 

それは仕方がないよなぁ🤔。

 

不倫したことには怒りの感情が出るが、「好きである」ことには怒りの感情が出なさそう。

「あぁ、俺も好かれなくちゃなぁ。」とか「仕方がないなぁ」かも😅。

 

不倫には烈火のごとく怒る😡。だって感情を行動に移したら、そこには責任が生まれるんだから💢。

 

「不倫相手を好きになったのは良い。感情の問題だから。しかし、不倫という行為は許せない。不倫という行動をとったことによって、私や息子や、その他、家族に迷惑がかかるだろう。『不貞感情』は許せるが、『不貞行為』は許せない。」

 

不貞行為は違法でしょ😣

 

さて、どうするだろうか?🤔一発免停ならぬ、一発離婚か?🙄。しかし、チューがいるからなぁ。

 

そこで「愛」が出てくる。「愛」は様子や状態ではない。行為である。「愛する」という行為である。だから、責任が生まれる。

 

私は古い考えなのか、できるなら血の繋がった父母が子どもを育てた方が良いと言う考えである。

育ての親がどんなに愛情を込めて育てたとしても、自分と血が繋がっていないと知ると、産みの親を探すということも多い。ということは、人間にとって血の繋がりは重要なものなのかもしれないと私は考えるのよ😔。

 

今後、その好きと言う感情を行動に移さず、家族を愛するならば、一度の過ちは許すかもしれない。

 

という葛藤を、杏さんはしているかもしれない。「好き」と「愛」の狭間で葛藤しているかもしれない。東出さんが自分よりも唐田さんを好きであることは百も承知で、それでも今後「好き」ではなくても「愛」と言う形で、家族を纏めようと感情の模索をしているかもしれない。

 

と考えると、あのどちらが好きかという質問は、唐田さんを選んでも杏さんを選んでも、両方を選んでも、両方を選ばなくても、答えなくても、あの質問を受けた時点で、全当事者を傷つけると私は考える😔。

 

だから、この質問をしたリポーターは素晴らしい仕事をしたのだろうが、プライベートではお付き合いをしたくない😣。近くにもいてほしくない😒。

 

これから修復を図ろうとしている人に、その努力を無にする言葉を投げ掛ける品性が、私と相容れない。

 

東出さんは、自分の感情に正直だったのであろう。その正直さによって、相手を傷つけることを学んでこなかったのだろう。感情を素直に行動に移してはならぬこともある。

 

私も、町を歩いていると、「あぁこの人は私の好みだなぁ」としばしば思う。車の中で、妻に「あの人綺麗だよね」と言うこともある😜。妻も私に「あそこに綺麗な人がいるよ」とけしかけることもある😁。

好きという感情を、言葉にするという行動に移している。許されないのは、そのタイプの女性に対して直接行動することよ。そこが、良い悪いの線引きかなぁ🤔。

 

あの質問に対する模範解答はない。どうしたって、誰かが傷つく。それを踏まえた上で、私なら、論点をずらし、こう答えただろう。

 

「唐田さんが好きでした。この好きであるという感情がないとしたら嘘になります。妻には謝罪の限りを尽くしますが、3年も妻を傷をつけ、今でも傷つけています。でも、今後、愛すべき人は妻です。妻を愛します。家族を愛します。妻が私を許してくれるかは分かりませんが、許そうかどうか迷ってもらえているだけでも感謝しかありません。こんな私でも許そうとしてくれている妻が好きです。」

 

私がリポーターなら、東出さんにこう聞いたであろう。

 

「唐田さんと杏さんのどちらを愛していますか。」と。

 

東出さん、この質問なら、即答しなくちゃダメよ。答えは、分かっているわよね😔。

 

不倫に関する記事はこちら👋😅


不倫とプリン - つれづれなるままに

 

愛に関するブログはこちら👋😄


愛190313 - つれづれなるままに

 

 

愛については、ブログの中で結構語っているのよね。だって、日記シリーズや家族に関するものは、全て私の愛が詰まっているものだもの💕😁