つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「だから」思考にご注意を😅

①私は一生懸命練習した。だから、試合で勝つことができた。

②試合で勝つことができた。なぜなら私は一生懸命練習したからだ。

前者と後者の違いは何だろう🙄。

①=②ではない。

①≒②であろう。

この微妙な差を考えてみる🤔。

 

③電車が遅れて遅刻しました。申し訳ございません。

④申し訳ございません。遅刻しました。電車が遅れていました。

こうすると、前者と後者の違いが、明らかになってくるかな🙄。いや、これだとまだ、よく分からない🤷‍♂️。

 

~冬の午後、友達との待ち合わせに遅れて~

(その1)

👩「私は7時に家を出たのだけど、電車が30分も遅れてしまったの。もっと早く家を出たら間に合ったのに。ごめんね。」

👨「・・・。」

これは、遅れたことに対する謝罪になっていないよね。

 

(その2)

👩「ごめんね。遅れて。」

👨「どうしたの。」

👩「電車が遅れていて。」

👨「仕方がないね。」

👩「あなたと会うのが楽しみで、かなり早く家を出たんだけど😅」

こう言われたら、待った方も悪い気はしない。いや、私だったら、待たされても気分が良い😅。

 

確かに、電車の遅延は、このケースだったら女性に非はない。しかしね~。相手を待たせたのは事実よね。その事実に関して、女性は「いや、待たせた原因は鉄道会社にあるんだから、私が謝る必要はないわ。」と考えているかもしれない😱。

 

でもなぁ。私が日本人的な思考なのだろう。この思考には承認はできても、承諾や共感はないわ😅。

 

日本って、責任の所在をはっきりさせることが苦手なのよね。戦争の責任を「一億総懺悔」とする発想自体が良い例ね。

 

政治腐敗の原因は何か。

 

ゴーン逃亡の責任は誰か。

 

教育改革頓挫の責任は誰か。

 

などなど、挙げていったらきりがない。「言い訳重視」「責任の所在軽視」「謝罪軽視」の風潮と思考回路だと考える。

 

以前こんなことがあった☝️😌。

教室に電話がなった。

私「はい。□□校です」

 

講師「講師の○○です。」

 

私「どうしたの?」

 

講師「大学の授業が伸びて、電車まで遅れていて、授業の時刻に間に合わないんです。」

 

私「今、どこの駅にいて、電車は何分遅れていて、何時に教室につきそうなの。」

 

講師「分かりません。」

 

私「駅名は分かるだろう。」

 

講師「○○駅です。」

 

私「であれば、バスが出ているだろう。それに駅の放送で『復旧の見込み』で流れるだろう。駅員に聞けば、分かる。それで復旧の見込みがなければ、バスで来なさい。」

 

講師「それだと授業に遅れませんか?」

 

私「まず、あなたは『復旧の見込み』を確認しなさい。それにあなたは『授業に遅れる』と言って、私に電話をかけているんだよ。遅れるのなら、なるべく早く教室に到着できるような手段を考えるんだよ。」

いや~、このときは、ホント、イラついた。そのイラつきをおさえて、優しく話したが😌。でも、このような報告の仕方はよくあることなのよ。教室業務に追われているのにたまったものではない。

 

さて、この講師は遅刻について謝らなかった。まぁ、この遅刻の件は自分の責任ではないと考えているのだろう。しかし、たとえ自分の責任ではなかったとしても、謝るのが筋だ…、

 

 

 

 

 

 

 

 

とは私は考えないのよ😁。「筋だ」と言うと思ったでしょう。良いのよ。自分の責任じゃないから。私は謝るけれどね😅。

不可抗力で相手に迷惑をかけることがある。その不可抗力の出来事が起きたときに適切に対処する責任はあるのではないかなぁと私は考える。とくに謝りたくなければ。

「授業に間に合いません。電車が遅れているためで、復旧の見込みがありません。タクシーで教室に向かおうと考えていますが、よろしいでしょうか。」

と言えば、何分も時間をかけず、ものの1分もかからない話なのよ。それができないのなら、まずは素直に謝ってから話すことね。

 

「だから」の思考は、責任転嫁の思考法か🤔。他責の思考法なのは間違いないと思う。よくね、イラつきながら

「だから~・・・💢」

という人がいる。昔、私の教室に、こんな講師がいた。生徒が分からないと「だから~」と言って教え始める。カウントをしたら、80分の授業で50回以上、言っていた。カウントするのも暇人ね😅。いや、塾の業界は授業が商品。商品管理をしていたのよ😎。それでその講師に指摘すると、「そんなに言っていましたか。」とキョトンとしている。生徒には高圧的なところもあって、私が指導してもなおらない。

 

話始めに「だから」を使う人は、高圧的で上から目線が多い。

「だからさっき言ったでしょ。」

「だから、ミスるんだよ。」

「だから、何で出来ないの。」

これは全て悪魔の呪文。悪魔の呪文についてはこちら👋😅


悪魔の呪文(子育て考) - つれづれなるままに


自己肯定感を育むには😄 - つれづれなるままに

 

「だから」+「さっき」

「だから」+「なんで」

は「スーパー悪魔の呪文」になるのよ。なぜか。

「だから」の前にあるべき原因や理由に言及していない。これでも、思考回路が壊れている。それに加えて、「さっき言った」「なんで出来ないの」と相手を責めるフレーズが来る。「さっき言ったから相手が理解する」という根拠がない。「出来ないの理由」を答えてもらいたい訳ではない。要するに、このフレーズが出る人は自己チューなのよ。その講師も自己チューだった😅。

「だからさっき言ったでしょ。」という人は、「何だからさっき言った」と言いたいのだろうか🤔。ホント、論理力の弱い人って困った人なのよね。教師に向いていないよ。

「だから」を使う人は「あなたに非がある」と言いたいのだろう🤔

 

(だから思考)

電車が遅れていました。それで遅刻しました。申し訳ございません。

「原因」→「結果」→「謝罪」の思考回路。

 

(何故ならば思考)

申し訳ございません。遅刻してしまいました。電車が遅れていました。

これは「謝罪」→「結果」→「理由(原因)」の思考回路。

 

う~ん🤔。

 

どちらも大切だけど、人間関係が円滑になるのは「なぜなら思考」なのかもしれないなぁ🙄。