つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

悪魔の善意~断るのはどっち🤔~

主婦講師の身内にご不幸があった。ご主人の伯母がお亡くなりになったのだ。それも心筋梗塞で突然亡くなったとのこと。彼女とは血の繋がりは遠いが、同じ県内に住んでいる親戚で、齢は80を越えていて快活で朗らかな人だったそうだ。彼女のショックは大きい。

そのお通夜の日が勤務日(授業)と重なっていた。それにその日は彼女の授業に体験生が来ることになっていた。

彼女が「お通夜かお葬式のどちらか片方に出れば良いかもしれないから、(勤務するかどうかは)主人に確認する。」と私に言った。私は「勤務ができなければ、電話をください。」と言った。

翌日の夜、彼女から電話があった。ご主人は通夜から出てほしいと言っているが、通夜は夜の7時からだから、勤務に入りましょうかという内容だった。一瞬、お言葉に甘えようか迷ったが、「いえ、その日の勤務はなしにしましょう。授業は振り替えにして、体験授業は私が行います。」と伝えた。彼女は「申し訳ございません」と言った。

 

さて、皆さんは、私の対応についてどんな感想を持つかなぁ🤔。いたって普通だと思うだろうか🙄。でも、この中で、私は一つミスをしている。

 

もう、10年以上も前だ。まだ私は責任者としての経験が浅かったが、250名の生徒を抱え、その地区では中心となる教室の責任者を任された。出世コースという私の気負いもあり、部下の反乱もあり、講師がベテラン不満分子ばかりであったこともあり、空中分解させてしまった教室だ。まぁ、会社から、そういう者たちを纏め上げよという期待があったのだろう😔。その期待を見事に裏切り、その後、うだつの上がらないサラリーマンとなってしまった😜。

 

そのときの私の反省の一つが頭を過った。

 

小6の最難関クラスを担当している理系講師(契約社員)の父親が冬期講習会中に亡くなった。彼を休ませなければならない。しかし、彼の代わりはいない。私は文系だ。標準や応用クラスの理系ならなんとかなるが、ご三家を目指すような子の指導はできない。でも、なんとか代わりに担当してくれる講師を探すということで、その理系講師に休むことを勧めた。しかし彼は「受験生を抱えており、講習会が終われば受験です。受験が目の前に控えているので、休めません。」と私に言った。私は「いや、親が亡くなったんだから休みなさい。」と言ったが、彼は拒んだ。年末年始の休暇で実家に帰ると言うので、そこまで言うのならと、私は授業を頼んだ。

 

年が明けて、私に何かと反抗する途中入社の一年目のふてぶてしい正社員講師が、正義感面をして、「親が亡くなって、何で休ませないんですか。」と私に言ってきた。「おい、お前、職員室でのやり取りを見ていただろう。」と私が思いつつ、「私は休むように言っていただろう。」と言ったら、「○○先生が、休憩時間に『もっと休むように勧めてくれたら休んだのに』と言っていましたよ。」と彼は言う。「2度断っているんだぞ!。なんだその甘えは。ズルい。それに、こいつも鬼の首を取ったように言いやがって。」という気持ちを伏せて、「彼は自分がやりたいと言ったんだ。それを私のせいにされても困る。」とだけ伝えた。

 

社交辞令というものがある。また、「自分から断らない」、つまり「この判断は私がしたのではない。相手が判断したんだ。」という言い訳を人はほしがる。自分はいつでもどこでも善人なんだと思いたい心情が日本人にはある。つまり、ズルイのだ😒。

 

「親が亡くなったので休みます。」と言えば良いだけのことではないか。それに、これは私の穿った考えだが、これで休ませて生徒の受験の結果が悪かったら、「私は休まないと言ったのに、あなたが大切な時期に私を休ませたから、こういう結果になったのだ」とも言われそうだ。事実、このとき、私は職員の気持ちを束ねられていなかった。

 

このケースでは、教訓を1つ得た。それは、受けてはならない「悪魔の善意」があるということだ。

 

これは、言っている者が悪魔と言うわけではない。言っている者は、そのときは心からの善意なのかもしれない。しかし、その善意を受けてはならないのだ。

 

手紙に「近くに来たら、ぜひお立ち寄りください」と書かれていても、その家に立ち寄ってはいけない。

 

帰り際に夕食を勧められても、そこで夕食を食べてはいけない。

 

仕事を終えて帰ろうとしている後輩に、「お忙しそうですね。お手伝いしましょうか。」と言われて手伝わせてはならない。

 

そう☝️😌

お言葉にあまえてはいけないのだ😱。

 

でもなぁ🤔。引き受けられない仕事なら、「引き受けましょうか」と言ってはならないよ。こちらは、引き受けてほしいのだから。

 

という、過去の出来事が、主婦講師の「主人は通夜から出てほしいと言っていますが、通夜は夜の7時からだから、勤務に入りましょうか」と言われたとき、瞬時に頭を過った。こんな経験があったから、私は断ったのよ。そして、私のミスは、前日「主人と相談してきます。」と言われたときに、「お通夜から行った方がよい。こちらは何とかするから。」と言わなかったことなの😔。論理的に考えれば、次の日の電話の内容は当然の帰結だ。

 

①主婦講師は伯母が亡くなりショックを受けている。

②「遠い姻族ならばお通夜かお葬式のどちらかに出ればよい」という常識はない。「どちらしか出ない」「どちらとも出る」「どちらとも出ない」の判断は、この場合、血の遠近ではなく心の遠近である。

③主人にとっては、血族の不幸である。彼にとって自分とは関わりのない主婦のパート先の大変さと血族の不幸の義理事で優先順位が高い方は明らかであろう。私でもそうだ。後者である。

④従って、彼女がご主人と話し合っても、結論は見えていた。

⑤それに、自分から「不幸があってお休みする」とは言えないタイプである。

⑥であれば、私が配慮した方がよい。

 

でもなぁ🤔。私は結構思考タイプで、こういった場合、もともと勤務を依頼していたものを、私が配慮してその勤務を無くして良いものかという問題もある。労働に関する問題である。それは労働者側からの申請が前提である。だって「働きたかったのに」と言うともあり得るのだ😣。

 

とすると、やはり勤務を断るのは、勤務する側が本来の姿なのだろう。

私なら「悪魔の善意」、つまり、「できない」、もしくは「したくない」ことは言わずに、「申し訳ございません。身内に不幸があり、休ませていただきます。」と言うだろう。言われる方もいう方も、その方が心理的にも健全であろう🤔。