つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

つれづれなるままに心理を語る⑩

(1)つれ心

そういえば、「つれづれなるままに心理を語る(つれ心)」が6月から絶えていた😅。これまでの「つれ心」はこちら👋😄


欠陥人間(不良品)❓🤔(つれづれなるままに心理を語る⑨) - つれづれなるままに

 

「つれ心」のテーマは、身近な出来事から、心理を考えることよ。

 

「つれ国(つれづれなるままに国語を語る)」では、

「世の中は、言葉で埋め尽くされている。」

ということを主張したが、

 

「つれ心」では、

「人の世は、心理で埋め尽くされている。」

だろうか🤔

 

心理学を座学として学ぶことも大切だが、私の心理学の解釈は、「経験則の法則化」である😄。

 

例えばね。斜向かいに二才にもならない幼女と、二十代と思える母親が、電車の中で戯れている。幼女を壁側にして、母親がそれをトウセンボしている。母親は「カンカンカンカン」言っているので、踏み切りのつもりだろうか。幼女はキヤッキヤッ言っている。母親のズボンを引っ張って、幼女は母親の股の下を潜ろうとしている。

 

さて、この様子をどのように分析するか🙄。

 

母親の心理。子どもの心理。そしてそれを見ている周囲の心理。

 

周りの人は「ほほえましい」と感じるか🤔。「それともここは遊ぶ場所ではない」とイラつき感じるか🙄。そこで深める。「ほほえましい」と感じる理由は何だろうか?「イラつき」を感じる理由は何だろうか?

 

こういうことを考える際は、自分の中の大人(A)の部分を高くする。客観的な思考の訓練になる。そして、今回は自分の中の寛容的な親(NP)と規範的な親(CP)で物事を考えてみる。

 

これは交流分析というのよ。

ここで考えてみる☝️😄。

 

交流分析というものがあるからこのように考えたわけではない。私はもともとこういう思考を楽しんでやっていて、心理学を勉強してみたら、こういう思考を「交流分析」と呼ばれていたというわけよ😁。

 

心理を扱う人は、この視点が大切だと考えるの🤔。

「心理学ではこのように言っているから、現実はこのはずだ」とは考えない。

「偉い教授がこのように言っているから、正しいはずだ」とは考えない。

 

現実が先。学問は後。

教授が言っていることが常に正しいわけではない。

 

学びは大切。

座学も大切。

経験の中で学ぶことも大切。

 

(2)アンガーマネジメント

朝の電車内での出来事。

私が乗り換える電車は始発。朝の時間帯は長くとも10分後には、次の電車が出発する。それに1つのホームに、二本の電車が停車している。先発と次発というように。私は、次発が次々発の電車にいつも乗る。座りやすい場所を確保したいからだ。

 

端席に座る。

私🈳👨👩👨👨👩

という形になった。

 

出発1分前になって、ベビーカーを引いた女性が乗ってきて、この空席の前で、幼児を降ろして、ベビーカーをたたもうとしている。そんな最中に、電車は出発した。

 

もう、見ていられない💢。

 

電車が動いているのに、カタカタカタカタベビーカーをたたもうとしているが、たためない。幼児はフラフラしている。私はイラつきながら「どうぞ」と言って、端の席を譲った。そして、別の車両に移った。

 

私は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「次に出発する電車が隣のホームにあるでしょ。5分後に出発するんですよ。そちらの電車はまだがら空きだし、この電車だって、後方の車両はがら空きなんですよ。5分を待てず、さらに、ベビーカーをたたんでまで座りたい理由を聞かせてもらいたい。動いている車内で、何も捕まらず幼児を立たせたままにするのも危険なんですよ。」

 

いや母親の事情もあろう。

体調が良くないのかもしれない。

この電車でなければならない理由があるのかもしれない。

 

それでも、自分の事情で周りに配慮させるような行為は、私の常識にはない。だって5分後に次の電車が出発するのよ。体調が悪いならその電車に乗れるように、時間の余裕を持てばよいだけ。

 

私は、目的地に到着した。チラッと、その女性の車両を見ると、たたもうとしていたベビーカーはたたまず、端席の隣の空きスペースにベビーカーを置き、そこに幼児を乗せ、スマホをいじくって笑っていた。

 

いや~😣。私は百歩譲れる。譲っても、イライラはなくならなかった。自分勝手な女だと思った。

 

とこのエピソードを読んで、みなさんはどう考えるかな🤔。

 

私は心理的にしてはならないことをしているのよ😅。

 

それは、席を譲ったことでもなく、言葉を飲み込んだことでもない。言葉を飲み込んで、席を譲ったからには、してはいけないことをしてしまったのよ。

 

それは、その後の嫌な相手の様子を見たこと。嫌なものから離れるのは大切なこと。だから、譲ったあとに別の車両に行った。だったら、降車時に、その嫌なものを見る必要はないのよ。

 

それを見ても、どうしようもないもの😔。それがどうなっていたら良かったのか。いや、どうなっていても嫌な思いしかならないもの。嫌な思いにしかならないものを見る理由は何なのか🤔。

 

嫌な結果になるとわかっていながら、それを見てしまう。怖いもの見たさに通ずるのか🤔

 

「見たい」「聞きたい」「感じたい」。これらを一般化したら、「知りたい」だろう。これを名詞化すると、「好奇心」か🙄。

 

好奇心は、未知のものを知りたいという心のことだと考えると、今回、私は嫌な気持ちになることは十分に分かっていたのだが、それでも確認したいという気持ちに負けた😌。

 

いや、負けて良かったんだ😎。

 

心理的にはストレスになったが、深く思索することができた・・・、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということにしておこう😎

 

そう☝️😄。

 

私の得意なアンガーマネジメントは、分析することなのよ😁。分析すると、客観的にならざるを得ないので、冷静なる😄。

 

皆さんには是非こちらを読んでいただきたいわ😉✨


生活の中の心理学(つれづれなるままに心理を語る①) - つれづれなるままに