つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

生活の中の心理学(つれづれなるままに心理を語る①)

(1)日々の出来事に心理がある

常に目の前に起きていることを深く洞察していくことが、心理学では大切なことだと考えるの🤔。心理学で学んだことが机上之論になってしまったり、本に載っているからだとか偉い先生が言っているからといって、それを鵜呑みにしたりするのは良くないのよ😅。私も色々な本を読んだり、先生に学んだりしたけれど、やはり自分の生活に役立ててこその心理だなぁって思うのよ😊。

 

(2)昨日の夜の出来事

とっても些細な出来事だけど、皆さん聞いてね😉

 

①コンビニのおにぎりから心理を語る

昨日の夜、コンビニでおにぎり🍙を買おうしたの。そしたら60代と思わしきおばさんが、おにぎりコーナーに立ちはだかっていたのよ。そしてね、前にあるおにぎりをかき分けて、後ろのおにぎりを取り出すの😱。何かベタベタ買わないおにぎりを触っていて、気分が良くなかったのよ。中々その場を離れないし💢。
まぁ、これはコンビニあるあるよね😅。しかし、ここで自分の感情について分析するの🙄。交流分析流に言うとCPやRCを下げて、Aを高めるのよ。分析するということ自体、自分を客観視することだから、怒りが収まるよ😄。アンガーマネジメントにも利用できるわね。
 
さて、何事も分析するには対比するものが必要なのよ。
例えばね、日本の文化の特徴を語りたいときは、日本の文化だけを語っても特徴は伝えられないわね。では、どうするか、文化を共通項にして、海外と比較するの。そうすれば日本の文化の特徴が語れるわね👨‍🏫。
同じように「おにぎりを触る」というものを共通項にする。私の目の前で、売り物となるおにぎりをお客が触った。では、私の目の前で、売り物であるおにぎりを店員が触って並べていたら私はどう感じるか?。
 
それが嫌な気持ちにならないのよ😱。不思議なものね😅。
 
こういう日常の気持ちの変化を意識するのが心理学を学ぶ第一歩なのよ😊。
 
では、私はこの件について、どう結論付けたか?気になる?😁。それは次回で~👋😅。とは言わずに、今回は書き切っちゃうわ😄

 

②分析

1.お客の触ったおにぎり
店員もお客も人間であることに変わりはない。このお客である女性も決して不潔そうな方ではなかった。でも、この女性が触ったおにぎりは私は買いたくなかった。店員が触ったおにぎりは買うのにも関わらず🤔。
 
この店員とお客という立場の変化でおにぎりをキレイか汚いかに分かれるということだ。そうそう、当然、このおにぎりは包装されているわよ😅
 
この触る人の立場の変化で物の見方が変わる。ここに私の心の傷があるか、もしくは心のフィルターがある可能性があるの。カウンセリングする際は、質問によって、こういう心の傷やフィルターを見つけることが大切だと考える☺️。
まぁ、今回はそこまでしないけれど、心の傷を見つけたら、催眠によってインナーチャイルドに問いかけることも有効な手段よ。催眠といっても、そんな大層なものではなく、あることに意識すれば誰にだってできるわよ。私ね、よく自分の子どもや生徒に催眠もどきをかけて学習意欲を高めさせるわよ💪😎。暗示はミルトンモデル、質問はメタモデルを使うわ😁。
 
話がそれたわ🙇
 
今回のコンビニの件は、私はお客が触ったものに「汚れ」ではなく、「穢れ」を感じたんじゃないかって考えたの。この2つの違いは何か。「汚れ」は物質的なもの。だから洗い流せる。「穢れ」は精神的なもの。だから洗い流せない。「禊」や「清め」といった宗教的儀式が必要というわけではないが😅。触穢に近いものがありそう。
 
じゃあ、お客が触ったものはなぜけがれているのか?
 
おにぎりは売り物である。売り物に売り主が触るのは当然である。
売り物に買い手が触った時点で、その売り物は中古という意識が生まれるのかな🤔。それとも買い手の「よりキレイなもの」「より新しいもの」を選ぼうという行為にあざとさを感じるのか🤔。だってコンビニのおにぎりって、賞味期限が切れたものをレジに持っていくと弾かれるのよね。だから、賞味期限切れを売られることはないし、おにぎりは基本すぐに、遅くとも夜中に買ったものは朝には食べるんじゃないかなぁ🙄。まぁ、食物廃棄の問題は、ここでは置いておくね😅。だから、後ろの方からとる行為に嫌悪感を抱いたのかもしれない。私がお客が触ったおにぎりを穢く感じたのは、この嫌悪感だと考える🤔。
 
これって、本当はおかしな感覚よ😓。だって私の嫌悪感は、この女性に対するものであり、おにぎりに対するものではない。おにぎりに非もなく嫌悪を抱くほどの汚れもない。しかし、この客の触ったおにぎりを買いたくないという気持ちになった。
 
2.差別やいじめ
こういう感情は、差別やいじめに繋がるのよ。穢れ思想は神道からきている。同和問題を考えるきっかけよ。
穢れたものが触った物は、その物も穢れる。そう伝染するの。これは科学的に証明できない汚れなのよ。
いじめや差別は制度の問題であるが意識や心の問題でもある。制度が先か、意識が先か。法が変われば意識が変わる。歴史的に見れば、織田信長の一銭切りや徳川綱吉の生類憐れみの令が良い例ね。一銭でも盗んだ者は首を切ることで治安が良くなった。生き物を殺すことを重罪にすることで、戦国の殺せば褒美をもらえるという遺風を消し去った。それには儒学を奨励し教育面からも改革があったからなのだが。この儒学(朱子学)って曲者なんだけど、これは次回以降のテーマにしようかしら😊。

 

(3)まとめ

心理を学ぶきっかけは、日々生きている中にたくさんあるの。心理学では学んだ型に人の心を当てはめようとすると失敗するわよ。確かに、それぞれの人の心には類似性があり、公式化や定型化はできる。でも、人はロボットではないから、当てはまらないことも多々あるの。
でも、座学で学んだことが、ほとんど当てはまるように見えることがあるわよね。当てはまるなぁって思わせる手法もあるのよね😁。
そうそう、客の触ったものに何か感じとるかとらないかは人それぞれの問題よ😅

 

今日はこれくらいにしておきます🎵