つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

急がば回れ🤔。

エスカレーターにて

駅の下りのエスカレーター。私の2段先に母親と幼児が手を繋いで立っていた。左側に母親、右側に幼児。チューもあんな頃があったなぁと思って眺めていると、後ろからベージュのコートを着た、頭髪の薄いやさ男がエスカレーターを歩いて降りてきた。そして、幼児の真後ろにピタリと止まった。下に到着するまでにあと4段ほどのところ。でも、母親は、幼児を左側に寄せて、その優男に道(エスカレーター)を譲った。

 

エスカレーターって歩く方が優先なの🤔。大人しく行儀よく母親と手を繋いで立っている幼子をどかしてまで、先に行く意図は何なのだろう?🤔。だって、電車も来ていないし、プラットホームは空いているのよ。もしかして、この男性は他動なのかしらと思ったけれど、ホームに降りたら、大人しく立って電車を待っているのよ。

 

早く降りるために幼児をエスカレーターで移動させて、がら空きのホームで電車を待つ。動いているエスカレーターで幼児をどかしたら、幼児にとっては危険だわ。他人に危険をおかさせてまで、先を急ぐ理由がなかった。しかし、私がこの母親の立場でも、幼児を移動させて、男性に道を譲っただろう🙄。なぜなら、こういう自己中な人は、何をするか分からないから😔。

 

何がなんでも急ぐ人を優先する社会ってなんなのよ😑。片側を空けてエスカレーターに乗るのもやめさせたい。だって、エスカレーターの左側は長蛇の列。右側はがら空き。その隣には階段があるのよ😒💢。エスカレーターを歩く危険をおかすなら、階段を2段飛ばしでかけ上がれ、もしくは、かけ降りろ。そして、他人に迷惑をかけずにスッ転べば良いわ~😎。って、人の不幸を望んではダメね😅。

 

急ぐんだったら、家を早く出る。時間に余裕を持つ。その時間を惜しんだのは、その人自身。自分の時間を惜しんだくせに、相手に配慮させる風潮が私は気にくわない。たしかに、急がざるを得ない状況の人に対しては別よ。そりゃ配慮するわ😄。しかし、今日のエスカレーターのやさ男のような人には配慮する必要はないなぁ。

そうか☝️😄。

配慮したのではなく、避けたのかもしれない😌。それなら納得😄。

②通学路にて

横に5人並んで歩く中学生。これも迷惑。横に5人並んで歩くと、通せんぼになることが分からないほどアホなのかしら🤔。

以前、女子中学生が横に並んで通れなかったので、脇の芝生に避けて通ろうとしたら、「ビックリした。」「キモい。」と言われたことがある😱。中学校のジャージ姿のその子達の名札を見て、学年とクラスが分かった。その場はそのまま通りすぎ、後日、中学校にチクってやった😎。まぁ、教育的配慮よ。中学校の先生には、「下校した後のことまで、大変でしょうけれど…。」と同情しながら話したが😅。その後、私はしばらくの間、別の道を歩くようにしたわ。

 

③対向車

自宅前は、自動車1台しか通れない小道。抜け道にされているのよね。大通りがあるのにそこを通らず、ほんの数メートルのショートカットに使われる。この日も対向車の運転手はご近所さんではなかった。バックして対向車に道を譲ると、対向車の運転手が手をかざす。これは、私の受け取り方なんだけど、なんか偉そうに見えるのよね😅。手をかざすのであれば、会釈すれば良いのに。私は、相手に道を譲ってもらったときは会釈するわよ😄。でも、運転しながら会釈するのは危ないのかしら🤔。そんな数秒なショートカットをせずに本道を行った方が事故の可能性も少ないだろうになぁ🙄。

 

ほんのちょっと得をして、危険の可能性を高めるのはバカらしいと私は思うの。

急がば回れ

ホント逆説的真理だわ~😄