つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「袖振り合っても他人」~注意すべきかしないべきか🤔~

バスの中で幼女が小窓から手を出して遊んでいる。隣にいる母親は注意をしない。その様子を眺めている。

 

その幼児が手を窓の外に出したとき、「危ないよ」と言葉が出そうになって、止めてしまった。

 

その様子を隣で見ている母親が注意をしない。彼女は、子どもが窓から手を出して「危ない」と注意する思考回路がないのだろう。そんな思考回路がないものを目の前にして、その子を注意したら、これもトラブルのもとである。いや、私がバスの運転手や車掌であれば注意したであろう。しかし、私はたまたま乗り合わせた乗客である。注意する義務はない。まぁ、睨み付けたら、私を見ながらヘラヘラ笑い、手を出すのをやめたが、暫くして、またやり始めた。私がやるのはここまで。泣かれても困るし。

 

という「ことなかれ主義」の考えが、日本に蔓延していると思う。注意されたことをありがたいと思わない人が結構いるのよね。塾の指導でも、生徒を注意する際は、かなり神経を使っている😓。

 

以前、こんなことがあった。

夏期講習中、私が担当していない小6女の子を注意した。自習室のルールを守らないから。その日の夜、母親から電話があった。

 

「申し訳ありません。娘が帰ってくるなり、ゆう先生がこんなことをしたあんなことをしたと私に言うものですから、『ゆう先生がそんなことをするわけがない。お姉ちゃんの担当だったからよく知っているんだから』と言ったのです。」

 

と言った。そして母親から聞く私が言ったとされる言葉は、「あることないこと」ではなく、「ないことないこと」であった😱。

 

いや~

👨‍🏫「小6生は朝の8時半から勉強しているから、授業後の自習室の利用は18時までで、帰りなさい。ルールではそうなっている。」

 

👧「どうしてなの。そのあとも残って勉強していく。」

 

👨‍🏫「もう、集中力を欠いているよ。友達とお話をずっとしていたよね。それに、午後から中学生が勉強するんだ。集中して勉強していたのなら特例も考えたところだけれど、注意しても聞かなかったよね。これでは学習効果もない。朝はしっかりと勉強していたのだから、そりゃ集中力も欠けるよね。」

 

こんな注意の仕方だった。これで家に帰って剥れるとは思わなかった。正直に母親に話した。

 

次の日、母親は姉と本人を伴って、菓子折りを持って謝りに来たのよ。それはやりすぎなんだけれど😓。

 

この母親の対応は、ホント稀なものよ。それにこのエピソードのポイントは、「母親と私の信頼関係が出来ていたこと」なのよ☝️😌。

 

姉を3年前に指導していた。小6から入塾して、受験までとても時間が足りなかった。第1志望が高かったのよ。夏は本人が無理しすぎて、体調を崩して半分しか授業に出られなかった。それを励まし続けてその子は第2志望(実質第1志望)に合格した。それから私は異動を重ねて、たまたまその妹が通っている別の教室に赴任したのよね。じゃなければ、親はこどもの言ったこと信用してしまう。

 

だから生徒を注意した後に、「こんな注意をしました」って保護者に連絡を入れるのよ😥。

 

そんなことを思い出しながら、その幼女を気にしていると、ふと数十年前に乗ったバスのバスの運転手さんを思い出した。

 

母親「運転手さんに叱られるでしょ。」

 

運転手「私が叱るからではなく、お母さんが叱ってください。」

凄いと思った😆。

「私は叱りませんよ。」という返しはよく聞くが、ハッキリと「あなたが叱ってください」という返しは聞いたことがなかった。母親は絶句していた。

 

いや~、先程の幼児は何事もなくて良かった。やはりああいうときは、注意した方が良いのかなぁ~🤔。自分の身に火の粉がかからない限り、注意するのはよそう。

 

というと、この考えも批判されるだろうなぁ😌。でもね、大人を大人としてみない子どもも多いし、逆ギレされることもあるからなぁ。

 

女性のスカートのファスナーが開いているのを指摘したら、痴漢扱いされた男性がいるというし😱。

 

女子高生を注意したお婆さんが、ホームから突き落とされたというニュースを聞いたことがあるし😣。

 

車内で足を突き出して座っている人に注意したら、蹴られたという話もあるようだし😥。

 

タバコのポイ捨てを条例違反だと指摘したら職員に、「罰金を払えば良いんだろう」と凄む人もいるようだし😨。

 

と考えていくと、やはり自分の身に火の粉がかからなければ、注意しないのが良いのかも。いや、火の粉がかからないところに逃げるのも良い。

 

「袖振り合うも他生の縁」

どんなに些細な縁でも大切にしなさいというが、その些細な縁が、とんでもない不味い縁になる可能性が高いのも現代である。だから、「知らぬ振り」も必要かもなぁ🤔。

 

「ブログを見合うも他生の縁」

たまに、この人に会いたいなぁと思うブロガーさんもいるが、会わずに緩くお付き合いするのもSNSの良さよね。

 

そうそう💡😅

ブログの内容で、「それは違うだろう❗️」と思っても、それを指摘したり注意したりせずに、「あぁこんな考えもあるんだなぁ」と私は思う。あまりにおかしな内容だったら、管理人が指摘する。

 

バスの乗り方の注意は、バスの運転手さんに任せるとしよう。注意や指導をするべき人に任せるとしよう。「袖振り合っても他人』なんだから。

 

まずは、自分の子どもと自分が預かっている生徒にキチンと指導しよう😔。

 

今さっきも、私より先にバスを降りた男性は、「バスを降車して、バスの前を渡らないように注意しましょう」というアナウンスを聞きながら、バスの前をはや歩きで渡った。それも夜中よ。危ないったらありゃしない😒💢。こういう人を注意するべきかしら🤔。

 

自動車を運転していて、私の前に強引に割り込んだり、危ない運転をしたりしている人を見かけたら、「人に迷惑をかけずにちょっと事故れ」と心で祈る🛐。

 

「人を呪わば穴二つ」と言うけれど、良いじゃない。煽り運転をするわけではないんだから😁。

 

えっ❗️❓

性格が悪いって😎。

行動に移さず、心で思っただけよ😜。大目に見てよ😅。

 

あっ❗️

ブログに書いたということは、心に浮かんだ呪いの言葉を行動に移してしまった😌。

 

「人に迷惑かけず」だし、「ちょっと」だから許容範囲の呪いかしら。呪いに許容範囲なんてないかしら。

 

私も反省しないとね。