人生の黄昏時❓🙄
47歳で黄昏時❗️❓
でも、人生を1日に例えると、15時40分。冬であれば、そろそろ黄昏てくるんじゃない😌。でも夏ならまだかぁ🤔。これは、寿命を72歳としたらで、寿命を96歳にしたら、私はまだ11時45分なのよね😅。でも、私が96歳まで生きるイメージがない。心の持ちようだから、私がプチ厭世的なのかもしれないわ😑。
あまり詳しく書けないけれど、そろそろ潮時なのかもしれないなぁって思うのよ😓。今後のことを考えると無駄遣いはいけないけれど、飲んだり食べたりしてしまう😣。今日も1人鳥貴族🐓
1605円💸。
試しに自分の価値を確かめる良い機会なのかも…🤔🍺
さて、お酒を飲みながらスマホのネット記事を読んでいると、ふと思った🤔。ホームレスやニート、そして非正規就労などの労働と貧困は、自己責任として個人の責任とするかなぁ🤔。自己責任な面もある人もいるが、多くは構造上の問題だと考える🤔。
個人が頑張って働いていたにも関わらず、会社が倒産した。そのときはすでに齢50を越えていた。就職先を探しても、建前では年齢や性別で差別してはいけないが、現実はどこも年齢で引っ掛かり、就職できない。そんな中で、病んでしまい、貧困となった。この人を私は「自己責任」とはできないなぁ。色々と備えておけという理由はあるけれど、備えができなかったのかもしれないし😣。
また、生れた家が貧しくて、良い教育が受けられず、弟妹を養うために風俗で働くようにっなった女性がいたとする。そこで病気になり、家計が回らなくなった。これも責任はその女性だけに帰するものなのか🤔。
いや、どちらも、個人ではどうしようもできない構造上の問題があると考えるのよ🙄。
就職氷河期に大学を卒業したとする。就職できないので起業して、上手くいかなかった。起業したのも上手くいかなかったのも自分の判断であり器量であるが、自分に器量もなく、起業の技量も学ばず起業せざるを得なかった当時の環境も考慮しなくてはならないだろう。まぁ、就職氷河期のお陰で就職せずに起業して成功した人もいるかもしれない。だから、就職氷河期のせいにするのは、他責かなぁ🤔。いや、理性的な思考だろう😅。自責と他責をテーマにしたブログの1つはこちら👋😄
うつ病と自責と他責(つれづれなるままに心理を語る④) - つれづれなるままに