つれづれなるままに歴史を語る(第3部①)
第3部は歴史と現代を絡めた話をするよ☝️😄
テーマは「政権交代と憲法」
「ゆうさん。またまたそういう話をするとアクセス数が下がってしまうよ。あなた苦い経験をしたでしょ。」って言われそう😅。
でも、私にとっては、とっても大切なお話で、ブログしておきたいのよ😊。
参院選も近いことだし、時の権力者が改憲を叫んでいるでしょ。私が何を支持しているかは言わないわ。また、何を支持してくれという事も言わない。
ただ、私が皆さんに知っておいてほしいことをブログするわ。
(1)近代より前の政権交代
①世界の政権交代
近代より前と近現代の違いは何か。正確な理解は他に任せるとして、私は選挙による政権交代が可能かどうかを挙げる。
近代より前は、前政権の権力者を滅ぼしたり、遠島にしたりするのよね😱。
東洋に目を向ければ、堯舜の世を理想とする儒学の本場中国でも、真の意味での禅譲はない。というよりか、堯舜の世って神話だから。神話の世を実現しようという点においても、儒学って宗教ね😅。だから儒教っていった方が、私はしっくりするの。
西洋に目を向ければ、フランス革命、ロシア革命…、と前政権というよりか、主権者だった者を血祭りにあげる。まだ少年であったルイ17世の末路、ニコライ二世一家の斬殺。目を覆うものがある😣。崇めていた者を、手のひら返したように血祭りにあげることができるには、それ相応の哲学とかいうか信条が必要で、ヨーロッパではそれが啓蒙思想だったのよ。アジアでは、中国では孟子の易姓革命がそれに当たるかなぁ🤔。
前政権を否定し、血祭りに上げることでしか政権交代ができなかったのが近代前までと言える。
②日本の政権交代
しかし、日本はあまり血祭りに上げないのよね。流罪にはするけれど。これは怨霊信仰が原因だとも言われる。
平安までは古代と位置付ける。主権者は天皇を中心とする貴族政権である朝廷よ。そこから征夷大将軍を主権者とする武士政権である幕府に政権交代した。でも、武士は朝廷を滅ぼさなかった。権力と権威を分離して、朝廷を権力の根拠となる権威とした。じゃぁ、朝廷の権威の根拠は何かというと、それは、天皇よ。では、天皇の権威の根拠は?これはつれづれなるままに歴史を語る第1部(慰霊で君が代を流すそもそもの理由は?)で語ったわ。ご興味があれば、こちらのブログを読んでね👋😄
つれづれなるままに歴史を語る⑦190325 - つれづれなるままに
武士の中の政権交代も、真の意味で一族を根絶やしにしていない。
平清盛は、源頼朝や義経の死罪を免じた。その二人に平家一族は滅ぼされたが😱
足利氏は北条高時の遺児に中先代の乱を起こされた😣。
織田信長は室町幕府最後の将軍足利義昭を殺さず追放した。あの信長でさえ、根絶やしにしていないのよ。でも、義昭の裏工作信長包囲網に手こずって、殺されかけているのよ😓。
豊臣秀吉も信長の孫に政権は返さずとも、祖父の岐阜城の城主にしている。
そう☝️😄。
徳川家康が人気のないのは、豊臣氏を根絶やしにしたことなのよ。日本人の気質に合わないの。秀頼を自害に追い込み、国松という遺児を探し回し、見つけ、公開処刑にした。これって歴史好きな家康は、中先代の乱を教訓にしたはずよ😔。そのお陰で、前政権の血筋の者の反乱もなく、太平の世となった一面もある😓。
武士の世の中を考える上では、幕府を与党、朝廷を野党ともとらえることができるし、朝廷を株主、幕府を労働組合とも捉えることもできる。大政奉還で政権を朝廷に返上したという点を踏まえると、与党と野党というのも何かしっくりこないなが🤔。
権威を具体的に象徴したのが錦の御旗。薩摩と長州は天皇を手元に起き、錦の御旗を作り、徳川から政権を奪った。それでも最後の将軍慶喜を殺さなかった。
(2)日本人の気質
太平洋戦争中、アメリカって、敵である日本人の気質を研究したとのこと。代表的な本が「菊と刀」。アメリカ人の日本人論。