つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

三大幕府とその出先機関

私の歴史系ブログの中で、アクセス数が多いのがこちら👋😄

 

このブログのアクセス数を数えたわけじゃないのよ👋😄。

 

☆の数が少ない、はてな界では人気のないブログなのよ😅

 

アクセス数を確認するのは、はてなブログのアクセス解析ぐらい。他のブロガーさんのブログを読むと、アクセス数をかなり細かく分析できるツールがあるようだけれど、私はアクセス数にいまだそこまで拘りがない弱小ブロガーなのよ😉。

 

じゃぁ、なんでこの「文化の担い手」というタイトルのブログのアクセス数が多いと分かるのか。それは、私の注目記事にしばしば登場するからなのよ😄。

 

2019年11月29日に書いたブログだから、1年半前に書いたブログよね🤔。このブログを書いたときは、1年半経っても注目記事に登場するなんて思ってもいなかった。そこまで思い入れがあるブログではなかったのよね😅。

 

思い入れのあるブログは駄作となり、あまり思い入れのないブログが注目されるってことってあるわ。

 

それじゃ、幕府と出先機関の関係を書こうかしらって思ったの🙄。

 

まぁ「文化の担い手」というタイトルが良かったのかもしれないが、文化の担い手の変遷に興味がある人がいるなら、幕府の所在地と幕府の出先機関の関係にも興味があるかしらって、飛躍して思ったのよね😁。

 

この幕府と出先機関の関係は当たり前のことなんだけれど、中学生に教えると、生徒が目から鱗を落とすのよね。いや、「ふ~ん、興味がないや」という生徒の方がずっと多いかしら😅。

 

「文化の担い手」も「幕府と出先機関の関係」も、言われて目から鱗を落とすとしたら、時代ごとのぶつ切り教育が原因かも🤔。

 

 

①鎌倉幕府と六波羅探題

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鎌倉幕府って、京都から見て東国の一地方政権だったのよね。

 

ざっくり言うと、公家政権から独立した東国武士独立政権。

 

幕府の影響力は関東周辺で強く、京都や西日本まで勢力があまり及んでいなかった。

 

それが承久の乱(1221年)で朝廷方(後鳥羽上皇)と幕府方(北条義時)が争って、朝廷方が負けた。その結果、幕府の力が朝廷や西国武士にまで広がったのよ。

 

朝廷を監視し西国武士を統制する役割を担ったのが、六波羅探題だと理解しよう☝️😄

 

六波羅は京都の地名。その六波羅に置かれた探題が六波羅探題。探題とは裁判権や軍事指揮権を持つ役職のことよ。

 

②室町幕府と鎌倉府

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室町幕府って、幕府の失敗作なのよね😐️。

 

約230年間の始めの約60年間は南北朝の動乱期、終わりまでの100年間は戦国時代よ。

じゃぁ、残りの70年間は平和かというとそうではないわ。3代将軍の足利義満の時代に、南北朝が統一され、一時的に政治の安定期があっただけ。

 

各地では土一揆が起こるし、謀反、暗殺、何でもござれ。くじ引きで将軍になった恐怖の大魔王足利義教は家臣に暗殺されてしまう。混乱の時代が室町時代と理解する。このくじ引き将軍も話すと面白いんだけれど、長くなるのでやめておくわ😁。面白いと感じるのは私のような歴史好きかしら。

 

初代将軍足利尊氏から3代将軍足利義満が南北朝を統一するまで京都が混乱していた。それ以降も混乱する。こんな状態では京都を留守にできなくて、京都に幕府を置かざるを得なかった。

 

一方で、前政権があった遠い鎌倉の地も放ったらかしにはできない。前政権の残党が反室町幕府の拠点にするかもしれない。

 

そこで、足利尊氏は自分の子である足利基氏を鎌倉へ派遣した。鎌倉府の長官の鎌倉公方は基氏の子孫に受け継がれた。鎌倉公方を補佐する関東管領は上杉氏が世襲した。

 

普通に考えると、これは不味いわ~❗️😱。

 

「公方」って「将軍」とほぼ同義よ。管領とは将軍を補佐して幕府の政治を司る役職だ。

 

ということは、京都に公方と管領がいて、鎌倉に鎌倉公方と関東管領がいる。

 

仲良くなるわけないじゃない😣。京都の幕府と鎌倉府が対立し、京都の幕府の中でも将軍家同士、将軍と管領、管領の中でも対立が起こる。これは鎌倉府でも同じこと。

 

南北朝で朝廷という権威が割れた。そのため権威や伝統なんて屁とも思わない婆娑羅大名という人たちもでてきた。

 

権力を行使した幕府も割れた。そのため戦国時代となり、弱肉強食が常識となった。

 

中世において権威や権力を分けるのは混乱の原因となる。

 

室町幕府は京都にあったため、前政権の地盤である関東を治めるという目的で鎌倉府が作られたと理解しよう☝️😄

 

③江戸幕府と京都所司代

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江戸幕府は三大幕府の最高傑作。特に室町幕府のダメっぷりを教訓にした。

 

室町幕府では有力大名を政治に参加させたため、権力抗争が全国に広がったので、江戸幕府では有力外様大名には政治に参加させず、政治は忠誠心の高い譜代大名で固めた。外様は領地の石高は高いが政治に参加できず、譜代は領地の石高は低いが政治に参加できるという仕組みにした。

 

そして親族の親藩、徳川に代々仕える譜代は、江戸の近くや重要な土地を治めさせた。

 

それに改易(取り潰し)や大名の配置換えを頻繁にし、国と大名の関係を希薄にした。室町時代は関係が濃かったのよね。

 

跡継ぎは長男としたことも大きい。能力や力がある者が跡継ぎになるとすると、争いが起きる。俺の方が能力がある、いや私の方だとね。その最たる争いが応仁の乱。全国で跡継ぎ争いが起きた。それを「長男が跡を継ぐ」と決めておけば相続争いはなくてすむ。

 

大名や朝廷や寺社を法で縛ったのも大きい。

□武家諸法度

□禁中並公家諸法度

□諸宗寺院法度

 

と江戸幕府のすごさを挙げていったらキリがないわ😁。檀家制なんて宗教を骨抜きにし、寺を政権側の一機関にしてしまった。

 

人々が必ずどこかの寺に所属しなくてはいけない(檀家制)のなら、寺は今後信者を増やさなくて良い。檀家からお布施が沢山はいるから、経済的に困らない。それに通行手形を発行しや宗門改で戸籍を管理した。寺が国家権力の手先となった。

 

檀家なんて、寺の奴隷かも😱。生きているときも死んだあとも寺に縛られ絞られる。寺が冠婚葬祭を取り仕切るとなれば、寺に多額のお金を納めねばならぬ。先祖を人質にとられ身動きが取れない。宗門改で、個人の信条まで自由がない。

 

とまぁ、江戸幕府はすごいのよ。だから260年も続いたと言えるのよね🤔。

 

江戸幕府が怖れるもの。

それは朝廷(天皇)と外様大名。

 

特に関ヶ原の戦いの敗者である、長州(山口)の毛利氏と薩摩(鹿児島)の島津氏。結局はリメンバー関ヶ原で、朝廷を担いで幕府を倒してしまったが😲。

 

京都の治安・朝廷や西国の大名を監視と支配を目的として、京都に所司代を置いた。それが京都所司代よ☝️😄。

 

その後、京都の支配は京都町奉行に移され、京都所司代は譜代の家臣が老中に出世するコースとなり、名誉職のようなものになり、政治的には無力となった。そこで、幕末に京都所司代の上の機関として、京都守護職が置かれた。この京都守護職で有名なのは、会津藩主松平容保よ。

 

鎌倉幕府(関東)

    -六波羅探題(京都)

 

(六波羅探題の目的)

朝廷の監視と西国武士の統制

 

 

室町幕府(京都)

    -鎌倉府(関東)

 

(鎌倉府の目的)

前政権の地盤である関東の統治

 

 

江戸幕府(関東)

    -京都所司代(京都)

 

(京都所司代の目的)

京都の治安維持・朝廷や西国の大名を監視と支配

 

六波羅探題では「武士」という説明だったのが、京都所司代では「大名」という説明に変わったのもポイントよ。

 

名とは田んぼのこと。大名は広大な田んぼ(領地)を持っているもののこと。大名が現れたのは室町時代以降と理解すれば良いのよ。

 

歴史は暗記一辺倒の科目ではないわ。因果関係や繋がりを理解して暗記するのよ~😄。