つれづれなるままに

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時流を作る要素とは🤔~秀吉と劉邦から考える~

時流を作り出す手本となるのは、羽柴秀吉だわね🙄。

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大河ドラマの秀吉は、緒形拳、火野正平、西田敏行、武田鉄矢、勝新太郎、仲村トオル、竹中直人、香川照之、柄本明、笹野 高史、岸谷五朗、小日向文世、そして、佐々木蔵之介という俳優が演じた。

 

はまったのは、大河ドラマで二回秀吉を演じた緒形拳と竹中直人。私の中では、この二人が群を抜いているわ😄。

 

榎本明の秀吉は笑えるけれど、笑いの要素が有りすぎかしらね😁。

 

印象深いのは、勝新太郎。

「独眼竜正宗」で若かりし世界の渡辺謙が伊達政宗を演じた。大河最高視聴率。そのときの秀吉役が勝新太郎だったのよ。

 

勝新太郎はこの方よ👋😄。

遊びばなし集成

貫禄がありすぎて、彼が秀吉なんてミスキャストじゃないかしらって当時思っていた😅。

 

しかし、演出だったそうよ。

豊臣秀吉の小田原攻めに参戦するのが遅れた若い伊達政宗が白装束で秀吉に謝罪する。そのときの伊達政宗に立ちはだかる秀吉の大きさを表したかったとどこかの本に書かれていた。それを読んでなるほどなぁと思ったよ。

 

と枕が長いわね~😁。

やっと本題😄

 

大名や武将が、卑賎の出の秀吉に従ったのは、時流が秀吉にあったから。

 

主君織田信長が討たれた本能寺の変の時に、秀吉は中国地方で毛利氏と戦っていた。

 

秀吉は本能寺の変を知ると、即座に毛利氏と和睦し、何万という軍勢を岡山の高松城から京都へ引き返し、主君織田信長の仇である明智光秀を倒した。→勢い

 

主君の仇、明智光秀を倒した後、幼くとも織田家の嫡流三法師の後見人になった。→大義名分

 

秀吉は気前が良い。秀吉の名言に「金を溜め込んで使わないのは、良い侍を牢屋に入れておくことと同じ」というものがあるそうだ。→利

 

「勢い・大義名分・利」

この3つがあれば時流を作り、勝負に勝てるだろう🤔。しかし、この3つの中で、なくても勝てるものはどれか❓

 

それは「大義名分」よ☝️😅

 

勝てば官軍という言葉もあるじゃない。ほとんどの人は「大義名分(理屈)」だけだは動かない。人を動かすには、そこに「自分にとってうまみがあるか」という点が大切よ。そういえば、勝てば官軍って、孟子の易姓革命と考え方は同じよね🤔。

 

易姓革命とは、天子(支配者)の徳がなくなれば天命が別の姓の者を天子にするという王朝交代のことよ。ということは、勝てば「徳があったから勝った」とされ、負ければ「徳がなかった」とされる。「勝てば徳あり」ってことなのよ😥。

 

 

 

大義名分に拘ったのが後醍醐天皇かなぁ🙄。鎌倉幕府を倒すために実際に血を流して戦った武士に恩賞を与えず、後醍醐天皇の近辺で侍っている公家に恩賞を与えた。

 

でも、これは後醍醐天皇なりの理屈はあるのよ☝️😅。

 

それは、今で言うと差別思想。しかし、天皇や天皇に近侍する公家(貴族)にとっては常識だわ。

 

武士は違法な集団な上、人ではないという意識があるの。今回はここに深入りするのはやめよう。話がそれるわ😐️。

 

秀吉は金銀を家臣や民に気前よく与えた。敵だった武将を自分の家臣にした。五大老なんてほとんど秀吉の敵か同僚だった。

 

時流を作り、一気に天下人に駆け上った秀吉は、地盤を作るのには時間がなかった。というか、地盤がなかった。長期政権には地盤が大切だわ。

 

鎌倉幕府を作った源頼朝は、京都という政治と文化の中心地から流されてきた天皇の血を引く貴種。関東の武士たちは、その貴種の御家人となった。

 

北条氏も梶原氏も新田氏も足利氏も比企氏も、みんな頼朝様の家の人、つまり家人、そうよ御家人よ。将軍様の家の番頭(執権)になれても、将軍様にはなれない。それは身分が違うから。

 

次の幕府は足利氏。

足利氏は源氏の一族。足利という地名を支配している源さんが、足利氏。祖先を遡れば当然天皇にたどり着く。

 

しかし、そんな源氏の貴種の足利氏でも、大名となった武士を御すのに手こずった。

 

大名ってざっくりいうと広大な領地を支配している者よ。名は名田という個人所有の田んぼのこと。広い名(私田)を持っている者を大名という。その大名を手こずるというよりも統制できなかった。

 

なぜ足利氏のいうことを大名たちは聞かなかったのか。山名氏も、細川氏も、赤松氏も、もとをただせば御家人で、足利氏も御家人よ。元同僚なのよ。

 

「俺たちに領地や巨大な権限をくれればいうことを聞いてやっても良い」

 

という感じかしらね😏。

 

いや、言うことを聞いてやっても良いというよりも、大名連合政権の議長みたいな感じかしら🤔。みんなの話し合いをまとめる役割で、権力はそんなになかった。

 

権力があったのは、三大将軍の足利義満と六代将軍の足利義教の二人ぐらいよ。この足利義教も話せば面白い人なんなけれどやめておこう。やはり話が脱線してしまうわね😅。

 

秀吉は徒手空拳、最下層の身分から成り上がった。お金も家臣もいなかった。だから、気前が良く、敵にも寛大にしなくてはならなかったとも言える。

 

気前が良く、敵も味方にする器量の持ち主なら、人は従う。→味方すれば利がある。

 

しかし、心の底から付き従う、代々仕えている家臣が少なかったんじゃないかしら🤔。いや、忠誠心のある家臣はいたが、忠誠心のある実力者はほとんどいなかったんじゃないかしら🤔。利をエサにしても、心まで従えない。

 

祖先をたどれば源氏の貴種である足利氏でさえ、元同僚である大名たちを抑えきれなかった。卑賤の出の秀吉に対しては、「猿が何をいう。」なんて思う大名が多かったのかも。

 

日本って今でも血筋信仰がある。

 

国を治めるには血筋が大切だったことはこちらで書いたわ👋😄

 

時流にのって成功しても、その成功が長続きしなかった原因の1つが地盤かもよね🙄。そして、とくに日本では血筋。

 

私は、時流を作るのは、勢い、大義名分、そして利益。この3つが必要なんじゃないかなぁ🤔。あとは時流を作る人の才能や運、そして寛容さかなぁ。

 

卑賎の身から立身出世した、劉邦もそうよね。紀元前200年頃に、中国で漢王朝を作ったのが劉邦よ。

 

彼も勢いを作る五要素、

「勢い」

「大義名分」

「利益」

「運」

「寛容」

さがあった。

劉邦はライバルの項羽に連戦連敗。韓信は劉邦の配下となり大将軍となり実力をつけ、劉邦から独立するところまでになった。

 

劉邦は、大盤振る舞いをした。項羽は追い詰められても強い。その項羽を倒した暁には王にしてやる、広大な領土をやるとエサを巻き、烏合の衆ながらも諸侯の味方につけ、項羽を倒した。劉邦の天下統一後と劉邦亡き後の話も面白いんだけれど、別の機会に譲ろう。

 

秀吉と劉邦はともに卑賎の身から天下を取った。また時流を作る五要素を持つ才能のある人であった。

 

しかし秀吉は劉邦と違って、頭が良かった。

 

劉邦のことを「桶」に例えた歴史小説家がいた。劉邦は中身の入っていない大きな桶だから、誰でも入る。蕭何も張良も韓信も盧綰も樊噲も曹参も皆、劉邦と言う桶に入る。何か手助けをしたくなる人物だったようだ。

 

秀吉にはそんな印象はない。ある意味、小賢しさがある。心から秀吉を支えようというものはいたが、豊臣家の将来を見据えた上で心から支えようというものはいなかったのではなかろうか🙄。

 

関ヶ原の戦いで東軍についた福島正則も加藤清正も黒田長政も秀吉の小飼である。石田三成が憎かったろう。幼君豊臣秀頼のために石田三成と戦うという意識だったろう。

 

関ヶ原の戦いは、豊臣政権の内部抗争という意味合いが強い。

 

豊臣秀頼の下、徳川家康派の石田三成派の2つに割れた。どちらも「豊臣秀頼の御為」という大義名分がある。石田三成は徳川家康ほど武力も財力も名声もない。月とすっぽんだ。だから、名門であり五大老の毛利輝元を旗頭にした。しかし所詮烏合の衆よ。

 

と言いたいところだが、関ヶ原の戦いの結果を知っているから言えることであって、徳川家康の勝利は結構危うかったとも言われている。

 

利によって味方した者は利がなくなれば離れていく者だ。信用できない。だから粛清させる者が多い。

 

劉邦配下の、韓信、黥布、彭越しかり、関ヶ原の戦いで徳川方についた小早川しかり、福島しかり、加藤家も改易されている。

 

利によって味方したり、勝ち馬に乗ろうとしたりする人の末路って悲惨になることも多いのだろう。