つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

つれづれなるままに歴史を語る~平安時代の政治史~

歴史は、ざっくりと理解しよう。そうすると歴史の知識が頭にざっくりと入るわよ☝️😄。

 

平安時代は

①天皇の時代

②摂関政治の時代

③院政の時代

④平氏の時代(武士の時代)

と大きく4つに分けると理解しやすいわよ☝️😄。

 

権力者が

天皇→藤原氏→上皇→平氏(武士)

と移っていった。

 

①天皇の時代

平安時代の初期は、天皇が力を持っていた。

 

その代表が「桓武天皇」よ☝️😄。

桓武天皇―平安の覇王

桓武天皇は794年に平安京という大きな都を作った。

 

この都は、明治維新の1868年まで、天皇の住まいとなった。1000年の都を作ったのよ。どれだけ力があったか想像できるわよね🤔。

 

それに加えて、坂上田村麻呂を征夷大将軍にして、朝廷の力の及ぶ範囲を、関東地方から東北地方まで伸ばした😄。

 

1000年に及ぶ都を作り、領土を広げたんだから、桓武天皇はどれだけ偉大だったか分かるわよね😁。

 

そういえば、世界の中でも一目おかれる名君が日本にはいるのよ。

 

徳川家康も260年に渡る平和の礎を作った人として、世界に名前が知られている。しかし、その平和は日本国内の話で、あの方よりもスケールは小さい。

 

その世界史的なスケールのでかい日本の君主は、明治天皇よ☝️😄

明治天皇と日露大戦争 [DVD]

進歩的文化人は、天皇を嫌う😒。天皇を嫌っても構わないが、その事績は過小評価してはならぬ😔。

 

明治天皇の治世で、武士の時代を終わり、日本は近代国家なった。

 

社会のシステムも武器も人々の意識も200年前と同じだった。欧米に200年の遅れを取っていた国が、たったの50年弱で、大国清に勝ち、強国ロシアに優勢に引き分けた😆。

 

領土を広げた。

今の価値観で考えてはダメよ。当時は「侵略戦争」という概念はない。侵略戦争が「悪」となったのは1930年頃よ。それに、「自衛」と言えば、侵略だって自衛戦争になるんだから。今だってどこぞの国は、侵略を内政問題だと片付けているじゃないか🤣。それに漢の武帝だってジンギスカンだってエリザベス一世だって、領土を広げた君主は名君でしょ。

 

今の常識では侵略でも、当時の常識では侵略ではない。それは当時の世界だって認めていたじゃないか。ホント、戦前の日本の政治家や軍人は、子孫に負の十字架を背負わせたものよ😣。

 

明治天皇を世界史的に見れば、日本を短期間で近代化させ、世界の大国に2度にわたり破り、領土を広げた名君となるのよ。

 

また、西洋のキリスト教という精神的支柱を天皇が担ったと言える。

 

平等思想って、絶対的なものがいないと成り立たないのよ。造物主という絶対的な立場があって初めて、造物主のもとでは皆平等だとなる。日本には天皇がいた。だから、絶対的な天皇のもとでは皆平等だ。ということで、四民平等となる。

 

でも、君主のもとには寄生虫はつきもの😅。それが華族よ。まぁ、よくいえば、天皇の藩屏ね😌。

 

寄生虫って言い過ぎかしら😅。

 

でも、君主の権威や権力を盾にして甘い汁を吸いけっして君主にはならないというのは、人間に寄生して栄養を吸い取り、しかし人間にはならない寄生虫に似ているわよね😎。

 

話はそれたが、明治天皇は偉大だということよ。

 

そうなのよね😌。

 

織田信長は偉大だといっても問題にならないのに、○○天皇は偉大だというと直ぐに問題視する人がいるのよ😓。ホント、それこそ歴史を色眼鏡で見ているわ😥。

 

もっと話を戻そう😅。

 

平安時代の初期は天皇が権力も権威も持っていた時代なのよ。

 

 

②摂関政治の時代

天皇から権力を奪ったのが藤原氏よ。

藤原道長:男は妻がらなり (ミネルヴァ日本評伝選)

 

天皇との血縁を利用した。

 

当時は通い婚。

男性が女性の家に行って逢い引きをする。結婚したら、女性は実家で暮らし、夫が家に来るのを待つ。生まれた子どもは妻の家で育てられる。だから、子どもは父親よりも母親の父親、つまり母方の祖父の影響を受ける。それが外戚ね。

 

藤原氏は生まれた娘を天皇の后にして男の子が生まれたら、その子を天皇にして操った。

 

天皇が幼いときは摂政(天皇代理)となり、天皇が成人したら関白(天皇補佐)となった。これを摂関政治という。摂政や関白は平安時代以降も続くのだが、平安時代が最盛期となった。

 

天皇が権力を貴族(藤原氏は)に血縁を理由に奪われた時代ね。

 

 

③院政の時代

天皇家は天皇に権力を取り戻すのを諦めた。天皇は権威があるだけでよい。

 

「藤原よ。お前は天皇の母ちゃんの父ちゃんってだけだろう。俺は元天皇だ。文句あるか!それに、俺には藤原氏と血が遠いし」

 

と言ったか言わなかったかは分からないが😌、天皇家として藤原氏から権力を取り戻したのが上皇であり、院政よ。

 

天皇は色々と制約がある。

朝廷の制度の中にあり儀式も多い。摂政や関白、太政大臣、左大臣、右大臣、等に気を遣わなくてはならない。上皇になれば、そんなしがらみをなくすことができる。

 

上皇が独自に政治を行う所を「院」という。院で政を行うから院政と言う。そこに朝廷のしがらみにとらわれない身分が低くても優柔な人材を集める。今風に言うと「シンクタンク」ね。その中に、平清盛や源義朝などがいた。

 

この院政の時の天皇家は性に乱れていた😱。

 

白河法王の孫が鳥羽上皇。

 

鳥羽上皇には、皇后美福門院藤原得子と中宮藤原璋子という2人の妻がいた。

 

璋子は超美人で、鳥羽上皇と璋子の間には後白河と崇徳という息子がいたのだが、鳥羽上皇はこの崇徳が大嫌いだった。

 

崇徳に冷たく接し、彼に権力を譲らなかった。そして鳥羽上皇は崇徳を「叔父子」と呼んだ。

 

その心は、崇徳は祖父である白河と璋子との間に出来た子どもだということよ😱。白河は美人の璋子を養女に、異様に可愛がったという。

 

鳥羽は崇徳を毛嫌いした。しかし、崇徳は父である鳥羽に嫌われる理由がわからない。崇徳の身になると、崇徳がかわいそう😨。

 

その恨みが原因となったのが、鳥羽の死後起きた、保元の乱。

保元・平治の乱-貴族と武士の争い-

 

崇徳上皇VS後白河天皇。

 

勝ったのは後白河天皇。

 

でも、上皇と天皇が殴りあったわけではない。代わりに戦ったのは武士よ。そして後白河天側についたのが平清盛と源義朝。保元の乱は天皇家の争い。

 

な~んだ。天皇、上皇といっても喧嘩の1つも出来ないひ弱な奴なんだ。だったら奴等の権力を奪ってしまえと武士が権力を握り始める。

 

となると、平清盛と源義朝、どちらが武士のリーダーか決めなくてはならない。両雄並び立たず、争いが始まる。

 

それが平治の乱。

 

平清盛が勝ち、源義朝は負けた。源義朝は殺されたが、その息子の頼朝と義経は助けられた。

 

④平氏の時代(武士の時代)

そして平清盛が権力を握り、平氏一門で権勢を誇った。

平 清盛 完結編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

 

平清盛は太政大臣となり、一門が高位高官となり領地をたくさん得た。

 

武士たちは、平氏は武士だから俺たちのためになる政治をしてくれるものだと思ったが、そうではなかったことに落胆し、怒りを感じただろう。その武士たちをまとめたのが源頼朝だが、それ次回のお話ね😉✨。

 

平安時代は

 

9世紀末頃

桓武天皇の政治

 

8世紀中~11世紀

藤原氏の政治(摂関政治)

 

11世紀末

上皇の政治(院政)

 

12世紀中頃

平清盛の政治(平氏政権)

 

とざっくりととらえよう。

と言いながら、脱線しすぎたわ😅