昨日は感情的な東京オリンピック反対論を展開したわ。そのブログがこちら👋😅。
反対する理由は
①スキャンせダルが多い東京オリンピックを応援する気にはなれない。
②東京オリンピック運営者がコロナ対策で有効な手を打てていない状況でのオリンピック開催は、コロナ感染拡大という火に油を注ぐようなものである。
この2点に絞られる🤔。
では、この意見に理性的な反論は出来るだろうか🙄。それをしてみようと思う😄。
私の頭の中には、正反対の考えを持つ人がいる。だけど、最終的にはその人も私の方になびいてくる。だって私なんだもの😅
オリンピックの開催意義は、世界平和だと言われる。世界の国々の人々が一堂に会する意義は大きい。
サミットもそう。
サミットで何かしら決め事をするよりも、世界に影響のある国の首脳が顔を会わせることも世界平和の要因なのよね🙄。
嫌いな奴とでも、顔を会わせるのよ。嫌い嫌いと言っても、その嫌いな奴に会いにいくだけで、戦にはならない可能性が高まる。
だから、こういう世界の人が一堂に会する場所に参加しないということは、平和に対してはとても罪深いことなのよね😅。
日本もモスクワオリンピックをボイコットした。開催国ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻したことに対して、アメリカを中心とする西側諸国が不参加を表明し、日本もそれに倣った。
私はこれは罪深いとは思えない。オリンピックが国威発揚に利用されているからなぁ。
しかし、その政治的な思惑に巻き込まれた選手はかわいそう😣。
ほら☝️😔
世界が一堂に会する行事に不参加を表明する国があるということは、それだけ平和が危機的状況なのよ。
定期的に世界の首脳や各国の人々が集まるのは、とても有意義なことで、なるべく途絶えさせてはならないものだと私は考える。
選手には「国を背負うな」と言いたい。オリンピックで選手が国を背負うと、「世界平和」というオリンピックの趣旨が歪められる。
「スポーツでの勝負は殺しあいではない。スポーツは平和な戦争だ。」
そう位置付けてしまうと、国は国威発揚と権威付けのため、選手を犠牲にするようになる。練習で酷使するのよ。また、負けた選手には容赦ない非難を浴びせることになる。そうなっては悲しいことだわ😣。
前回のブログでは、その思いをこんな風に書いたわ👋
スポーツ選手は、日々の練習を「国民を元気にするため」なんて美化せずに、まずは自分が気持ち良くなるために頑張っているんで良いんじゃないかしら🤔。そして選手のプレーを見て私たちが楽しむ。
「自分の喜びがみんなの喜びになったら、とても嬉しい」だろう。まずは「自分の喜び」ありきだろう。これなら私は納得する。
さて、世界の人々が会する行事であるオリンピックの開催国に、自ら進んでなったのが日本よ。
いや、東京か🤔。
「私は開催国になることには消極的だった」という人がいるかもしれないが、世界はそうは見てくれない。
それは当然だわ。
日本が、少なくとも日本の都市である東京が開催都市に立候補して、オリンピックを開催することになったのよ。それを国内事情で中止にするのって、責任放棄ではないかしら🙄。
少なくとも「コロナの感染拡大を懸念して中止にする」と主張している人は、ご自身はコロナ感染拡大に関して細心の注意を払っているのかしらね。
私はポケットに除菌スプレーを携帯している😁。これがどれだけの効果があるかは分からないが😅
日本国内には、
「マスクをしない」
「路上で酒を飲む」
「ワクチンを接種しない」
「飲食店や公共の場所で騒ぐ」
といったコロナ感染拡大を助ける行為をする人がたくさんいる。たくさんいるから、感染が拡大しているとも考えられる。
いや、それぞれの見解や事情があろう。特にワクチンに関しては。
しかし、世界との約束は個人の事情よりも重要なのかもしれないわよ。(この思考の行き着く先は全体主義であることは百も承知よ😅)
どこぞの国は、国と国の条約を国内事情で一方的に破約したわ😱。私はそれは許されないと考える。それが許されないというのなら、オリンピックの開催も同じだわ。
コロナ感染拡大防止に、国民が最大の努力をするのが筋だ。それをして、それでもコロナの感染が拡大しているのなら、オリンピックの開催を中止することもあり得る。
「お店を閉じろ」ということではないわよ👋😨。
お店を利用するなら、利用者も感染拡大防止に意識した行動をするってことよ。
世界と比べると、感染拡大の規模が小さいのも事実だ。それをさざ波と言って「笑笑」となんて書くから、オリンピック開催反対論者の神経を逆撫でるのよ💢。
しかし、政府の感染拡大防止は杜撰だわ😣。
「あの先の大戦は、日本に戦争をする資格がなかった」という主張がある。兵站も落とし所も考えず精神論と楽観的展望だけで戦争を推し進めた。
現在の政府は戦前の政府の系統である。
と考えると、「現在の日本政府も、日本でコロナ禍のオリンピックを開催する資格がない」のかもしれない。いや、コロナ禍で、たむろし、騒ぎ、会食し、外で酒をのみ、マスクをつけることを「コロナ脳」と揶揄するような国民が多いとしたら、日本国民に資格がないのかもしれないわね😣。
リスクマネジメントに欠けている。
しかし、オリンピックは世界との約束であり、開催しなくてはならない。コロナ禍でオリンピックを開催する資格のない政府と国民がオリンピックを開催しなくてはならないところに、今回の東京オリンピックの悲劇があるのではないかしら😣。
そして、東京オリンピックのスキャンダルが多いことをもって開催に反対するのは非常識だ。
だってその多くは国内の問題なんだもの。諸外国の笑い者にはなるが、自ら進んで開催国になったのに、スキャンダルという国内問題を理由に開催を中止にするのはおかしいわ。
例えば旅行会社に旅行の契約をしたとする。その会社内でパワハラやセクハラ、不正があったとしても、その是正はその会社で行われるべきで、契約者はきちんと旅行ができれば問題がないんだもの。
IOCからしたら、スキャンダルはそちらで何とかしてくれ。こちらは契約通りオリンピックを開催してもらえればそれで良いってことよね🙄。
オリンピック開催に関して、私が賛成の立場で話すなら、以下のようになるだろう😔。
オリンピックは世界平和に繋がる祭典だ。
その世界的に重要なイベントであるオリンピックを自ら請け負ったからには、その国には開催する義務がある。
その義務を遂行するために、国民は最大限の努力をするべきだ。
日本人はコロナ感染拡大防止に関して最大限努力しているとは言いがたい。「国民がコロナ感染の拡大の防止に協力してくれないので、オリンピックを中止する」とは日本政府は世界に言えないだろう。
今後どうなるかは分からないが、幸いにも現時点では、世界と比べるとコロナ感染はさざ波程度だ。この程度でオリンピックを中止にするとは言えない。
不正やスキャンダルは主に日本側の問題である。中止の理由にはならない。
現状ではオリンピックを開催するのは当然だろう。
まぁ、利権とか、上級国民の接待とか、突っ込みどころはたくさんあるけれど。一定の理はあるわよね🤔。
選手が一生懸命練習してきたことが無になるとか、選手が可哀想だという感情論で私は開催を主張しない。
「可哀想だから」という感情論なら、「可哀想ではない」という感情も肯定せねばならない。それに私は後者の立場だ。
えっ❗️❓️私は無慈悲だって😱。
そう思う人は短慮よ😨。
「自分のことしか考えていない」「この人が表に出れば出るほど嫌悪感が増してくる!五輪なんかニコニコやってる場合じゃねえ!」「オリンピックに利用されるから嫌な感じ」「あんたがどんな記録を出そうが、私たちには全く関係ない。感染拡大している中で、お祭り騒ぎをしている場合ではない。私たちは1年以上自粛をしている」
厳しい言葉を浴びせている人々の背景には「東京オリンピック開催の反対」があり、その象徴的な存在になりつつある池江選手に矛先を向けている様子が伝わってきます。
大病を克服しオリンピックに出場する競泳の池江璃花子選手に対する異常なバッシング。そして彼女にSNSを通じて代表の辞退や五輪への反対を求める声が寄せられた。
このバッシングの原因が「選手が可哀想だからオリンピックを開催しよう」という意見の中に含まれているのよ。
オリンピックの開催に、選手に対する感情が影響するなら、その選手を利用すれば良いとなる。開催賛成者も反対者も選手を利用することになる。
そうさせないためには、開催か中止かの判断に選手の気持ちなんて考えず、そして選手は自分のためにオリンピックに参加し、全力を尽くせば良いとした方が良いと私は考えるのよ🤔。
昨日のブログは、東京オリンピック開催反対論を展開したが、今日のブログは東京オリンピック開催賛成論を展開した。
自分の考えが賛成でも反対でも、どちらの立場に立っても主張できるようにしておくのが大切なことと思うのよ🙄。
賛成派は賛成である根拠を並べるだけ。
反対派は反対である根拠を並べるだけ。
そして、双方とも選手を利用して自分の意見を主張する。