つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

近代史を学ぶと現代が見えてくる😄~

前政権が結んだ不平等条約。

 

日本は他国に治外法権を認めた。

 

外国人が日本国内で法を犯しても、日本の法では裁けない。

 

これは幕府の法が過酷だったからでもあるが、幕府が倒れ、明治政府になっても、この不平等な内容は引き継がれた。

 

日本に関税自主権がなかった。

 

貿易において,日本が自分の国の産業を保護するために,輸入品の税率をきめる権利がなかった。

 

その上、条約を結んだ国に最恵国待遇を与えた。ざっくりと言うと、最恵国待遇とは、他国に与えている最も良い待遇と同じ待遇を締結国に与えることよ☝️😄。

 

その上、金銀のレートが日本に不利で、外国人が日本に銀をもってくると、外国人は他国の3倍の金が手に入れることができた。

 

この辺は、幕府の役人に国際感覚がなく、無知で不平等と言う認識がなかったようである。だから、この幕末の不平等条約は押し付けではないという人もいるそうだ😱。

 

そうだなぁ🤔。

 

近代国家である欧米の法と比べると、前近代政権の幕府の法は人権思想が根底にない。だから、打ち首、斬り捨て御免など過酷なルールだ。欧米人にとっては治外法権を求めるのは当然だろう。

 

というのはどうなのかしら?🙄。

 

確かに幕府の法は近代国家には沿わない。

 

しかし当時の日本にとってはその法が常識だった。

 

こちら(日本)にお付き合い(通商)を強引に求めたのは相手(外国)の方だ。強引にお付き合いを求めて、こちらの常識を認めないって、今を生きる私の感覚からすると勝手なことだと思うのよ🙄。

 

しかし、あくまでも現代の視点で、歴史的に考えれば、欧米の近代法は正しいと私は思う😔。だから、この治外法権は近代国家ではない政府に対しては当然の要求だと認めよう😄。

 

しかし、欧米列強が日本に関税自主権を認めなかったことはどうだろう🙄。

 

確かに幕府の役人は無知で不平等という認識がなかったようだ。だから、この不平等は押し付けではない。しかし、不平等が押し付けではないからと言って、不平等で良いとはならないだろう😤。

 

押し付けでなければ不平等で良いという考えならば、相手の無知につけこんで詐欺をしてもかまわないということだろう😱。

 

それはいかんだろう😤。

 

しかし、当時の世界は弱肉強食の戦国時代。食うか食われるか、食われたら植民地にされてしまう世の中だった。その常識に当てはめれば、この不平等も仕方がないことだと認めよう。

 

その後、日本は国際ルールと国際常識に従って半世紀もかけてこの不平等を改正した😄。

 

国際ルールとは近代国家間のルールのことで、国際常識とは弱肉強食のことである。

 

日本は政権が変わっても、前政権が結んだ理不尽な条約を「理不尽であるから」という理由を訴えるだけで破棄しようとはせず、1つ1つ手順を踏んで、天文学的な経済的な損失や人的被害を受けながら、改正した。どこぞの国のように、政権が替わり、自分たちが理不尽に感じるからという主観的な視点で国家間の約束を踏みにじるようなことはしなかった😄。

 

日本が国を併合していったことに問題があるならば、

 

そして、第一次世界大戦後侵略行為を否定することが国際常識となるならば、

 

さらに言えば、日本の敗戦後、事後法で日本を裁けるのなら、

 

第一次世界大戦後、列強国すべてが植民地を解放しなくてはならなかったであろう。

 

それをせずに、日本の行為を連合国が裁くのは矛盾した行為であると言える。

 

その矛盾した行為が許されるのは、世界はいまだに「正義は強いことが何よりも優先される」ということが常識なのだ。

 

前にも紹介したが、私は石原莞爾の発言は、納得できる😄。

 

戦後、アメリカ軍の検事が

「満州事変の根源が日清・日露戦争だから、日本の戦争責任をそこまでさかのぼって追及したい」

と述べたら、

 

石原莞爾は

「そんなに歴史的にさかのぼるなら、ペリーを呼んでこい」

と言った。

 

そして

「幕府は鎖国していて、満州も台湾も不要であったのに、アメリカからペリーが黒船で来て、大砲でおどかして通商を迫ったのだ。我々は生き残るために列強諸国を模範にして、日本も泥棒の侵略を倣ったのだ。ペリーをあの世から呼んできて戦犯にしたらどうか。」

と言ったそうだ。

 

う~ん🤔。卓見である。

 

戦争の主な原因の1つに「通商」があるのよね🙄。

 

交易というと、狭い意味では自給自足のための物々交換。広い意味ではお金を含めたもののやり取り全てを指すから、貿易も交易の一種ね😄。

 

貿易は国と国との商品の取引を言う。輸出と輸入を合わせて貿易よ。 通商とは外国と商取引をすることね。交易も貿易も通商である。

 

物々交換でも貨幣が間に入っても取引である。

 

取引するにはお互いに条件がある。条件が合えば取引は成立し、合わなければ不成立となる。

 

なるべく有利に取引がしたい。または力が弱い人や組織や国に対しては、理不尽な要求を突きつける。

 

通商は、お互いに少しでも有利になるようにするわけで、そこに摩擦が起こるものなのよ☝️😣。

 

だから、戦後間もない頃、自由貿易促進を目的として国際貿易機関創設されようとしたが、各国の批准が得られなかった。7回も話し合い😱、8回目に世界貿易機関ができた😌。

 

国際平和を守る組織に貿易関係の機関があると言うことは、貿易は平和を壊す原因となることを物語っているとも言える🤔。

 

「自由貿易の番人」とも呼ばれるWTOが、国どうしの貿易紛争を解決するための裁判機能を、十分に果たせなくなっていることからしても、貿易が紛争の火種になることを示している。

 

ということは、国際間の紛争の原因の大元は、交易をはじめたこととなるんじゃないかしら🙄。

 

世界紛争の原因は大航海時代。

日本の太平洋戦争の原因はペリー来航。

と解釈しても良いかもね。

 

恐慌を乗りきるために、残忍極まりないことをして得た植民地と本国(イギリス・フランス)の貿易を強化して、他の国との通商には高い関税をかけて他国を追い出す。

→ブロック経済

追い出された国はどうするの?💢

 

国力(資源や国民)の豊かな国(アメリカ)ならば自国の産業を活性化させれは良いだろう。

→ニューディール政策

国力の貧弱な国はどうすればよいのよ💢💢

 

敗戦の責任を容赦ない仕打ちによってドイツを追い込みヒトラーを生んだ。ヒトラーはドイツ国民の支持を得たのだが、その支持は容赦のない損害賠償が原因だ。そのくせヒトラーが登場すると、太陽政策でヒトラーに妥協する。

 

日本も同じよ。

アメリカはイギリスから植民された人々で作った国家。北アメリカ大陸の東の端の13州から始まった。西へ西へと侵略したり土地を買ったりして、領土を広げた。太平洋に出た。領土侵略の欲望は北アメリカ大陸だけでは飽き足らず、ハワイをアメリカのものにした。そして、日本…。

 

アメリカは日本に捕鯨基地を求めたとか、中国への中継基にしたかったなど諸説あるが、ハワイの先の自国の領土としたかったのだろう。

 

少なくとも、その後のアメリカの動きを見ると、中国への足掛かりにしたかったということは確かだと私は思う。

 

だって、明治期のアメリカの欧米諸国への中国に対する門戸開放の要求は、「中国の主権尊重」などという美辞麗句を唱っているが、実際は、「中国の旨味を俺にも味合わせろ」だものなぁ😤。

 

アメリカは大陸間で干渉しないという孤立主義の考えだった。だから植民地の獲得に無関心。

 

それが1890年代にフロンティア(新天地)が消滅したことにより方針を変えた。

 

フロンティアなんていう耳障りの良い言葉を使っている。しかし、北アメリカ大陸にアメリカ人にとってのフロンティアがなくなったということは、先住民(インディアン)を駆逐し征服したというとなのよ😱。

 

そしたら、今度は中南米、カリブ諸島、太平洋上の島々へ急速に植民地を広げていった。そして、アメリカは中国大陸への進出も狙いだしのよね😥。

 

ハワイを併合し、戦争でフィリピン・グアム島を獲得した。フロンティアがなくなり、海外にフロンティアを求めた。

 

でもね🤔。

アメリカはハワイを併合した。

日本は韓国を併合した。

 

似ているようで差は大きい。

 

ハワイでアメリカに抵抗した動きがあったとは聞かない。しかし、朝鮮では日本への抵抗運動があった。

 

しかし、こんなブログもある👋

事実かどうかの確証は置いておいて、こういう証言もあるということだ。

 

日本が統治する前と日本が統治しているときと敗戦で日本が去ったあとの朝鮮半島を比較するのも良いと思う。

 

その結果が、たとえ日本統治の時代が良いものであると出ても、それが戦前の政府の免罪にはならない。

 

たとえ欧米列強の弱肉強食が常識であり、日本がそれに倣っただけだとしても

 

たとえ日本の大陸進出の原因が当時の世界情勢であったとしても

 

たとえ日本の韓国統治が本当はうまくいっていたとしても

 

戦前の日本の戦争責任者の免罪にはならないし、美化してもいけない。

 

それはなぜか🤔。

 

 

 

 

 

 

 

それは戦争に負けたからよ。

 

長州的なイケイケ朱子学や国学、そして言霊思想が原因だとしても、負け戦に導いた責任は逃れられない。

 

戦争指導者だった曾祖父を祖父を父を親戚を美化する人は政治家にしてはならない。戦争指導者の子孫が政治家になるのは問題はない。身内の戦争指導者を美化したり倣ったりする人がいけないのよ。

 

戦争を回避できる道はたくさんあった。分岐点はたくさんあった。妥協点もたくさんあった。

 

幕末維新を美化したくはないが、幕末から明治期の政治家はテロリストでありリアリストだ。

 

幕府のトップは征夷大将軍だ。「夷」を「征」服する大将軍だ。夷とは野蛮人のことで当時は外国人のことよ。その野蛮人と戦えない征夷大将軍は征夷大将軍ではない。

 

長州も薩摩も攘夷派だった。外国人と戦って追い払えという考えだった。

 

しかし、外国と戦ってコテンパにやられた。そしたら彼らは大攘夷を唱え、開国派となる。開国して外国に学び力をつけてから攘夷をしようというのが大攘夷である。

 

すごいよなぁ😲。

敵に学べということよ。なかなか出来るものではない。

 

明治政府発足が1868年。

列強と肩を並べた第一次世界大戦が1914年。

 

明治維新から数えてたったの46年後よ。

 

近代国家が出来たのが大日本帝国憲法発布の年(1889年)と考えたら、近代国家が出来てたったの35年後。

 

まだまだ歴史も国力も欧米列強とは差がある。それを十分に理解していたのが明治時代の政治家よ。日露戦争だって、国内世論の大反対を押しきって妥協してポーツマス条約を結んだ。

 

アメリカと中国と同時に戦って勝てるなんて到底あり得ない。

 

それを精神論をかざして戦争に突っ込んだのが、陸軍大学を卒業したガリ勉陸軍と帝国大を卒業した机上の空論と保身に走るエリート官僚。まぁ、日本国内もプロパガンダに煽られて、多くの人は戦争に賛成したのだが。

 

日本は鎖国していたわけではない。幕府が貿易を制限していたのだ。

 

その理由は、諸藩が富むのを抑えるためであろう。

 

それでは富むのを抑える理由は何かを考えると、幕府に反抗する経済力をつけさせないためであろう🤔。

 

それに他国と自由に貿易をすれば、他国と摩擦が生じる。その摩擦を避けるためでもあったかもしれない。ということは、日本にとっては制限貿易をしていた日本をこじ開けたペリーがもっとも罪深いのかもしれないぞ🙄。

 

でも🤔

 

1791年、政治経済論者の林子平は、開国兵談という書物で「ひそかに思ふに江戸日本橋より唐土及び阿蘭陀迄も境目なき水路なり」と述べた。

 

これは、江戸の日本橋から中国、そして遠くオランダまで水で繋がっているということだ。江戸湾への外国船侵入の可能性を説き、江戸湾の防備を訴えた。

 

しかし幕府の老中である松平定信は「世間に無用の不安をおこす」といい、この本の絶版し、子平を罰した。でも、4か月後、ロシアのラックスマンが通商を求めて根室に来航して、彼の指摘が現実となった。

 

いや~、林子平は卓見である😲。

 

その事実に基づく彼の指摘を退け罰する松平定信は、政治家としては評価できない。

 

この松平定信のような人は戦前の日本の中枢にもたくさんいて、大日本帝国を滅ぼした。

 

今の政府のコロナ禍の対応も、松平定信と似ているように思う。

 

人流が増えればコロナの感染は拡大するという至極全うな指摘に耳を傾けず、水際対策も甘くオリンピック選手を受け入れ、オリンピックを開催する。

 

いえね。ブログで何度もで指摘しているようにオリンピックの開催を断固として反対しているわけではないわよ👋😅。開催するなら、リスクマネジメントを示してほしいってことよ。

 

話を戻す。

 

世界の潮流からすると、ペリーのような人がくるのは必然よね🤔。誰かが鎖国していた日本の扉を開けただろう。

 

と考えると、世界の潮流にうまく対処できなかった、戦前の日本の指導者が、やはり最も罪深いだろう😤。

 

戦前の状態がいまだに続くのはゴメンだ。今でさえ戦前の指導者の系譜が政治の世界にのさばっているのに、先の大戦で日本が負けていなければ、彼らはさらに横柄になっているだろう😨。

 

人の思想を取り締まる治安維持法、議会を無視して人の命も船倉資源としてしまう国家総動員法、そして議会を形骸化した大政翼賛会、そんなものが残り、東条英機と彼に連なる者が我が物顔になっている状態はゾッとする😱。

 

いや、今いる東条英機の家族や子孫を揶揄しているわけではない。もしもあのままであったらということよ。

 

それに東条英機を美化してはならぬ。あの「戦陣訓」1つとってもとんでもないものよ。「捕虜になるなら死ね」って😱。そのくせ自分は自決に失敗し、敵に裁判にかけられて死刑にされた。

 

「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」という「戦陣訓」を示達したのが東条英機である。「軍人の鑑」が自決に失敗して敵の虜囚となったのだから、これほどバカなことはない。

 

モラルなんてあったものではない。

 

自分が示達した究極のモラルを本人が破るなんて。このモラルのために死んでいった国民がいる。その国民の遺族をはじめ国民全体が愕然としただろう。

 

国のいうことなんてきかぬに限る。現代のコロナ禍の日本人につながっている。指導する人がモラルを守っていないのに、指導される人が守るわけはないだろう。

 

さて、長々と近現代史を語ってきたが、何を私は言いたかったのか🙄。

 

①戦前の日本の外交や戦争にも理はある。

 

②理があるからと言ってそれが許されるものではない。

 

③その理由は戦争に負けたからだ。

 

④勝てなくても負けないことも出来ただろうし、戦争を避けることも出来たが、それをしなかった当時の戦争指導者を罰するのは当然である。

 

⑤戦争に負けたからと言って、自虐史観はゴメンだ。理不尽であっても、相手のルールに従いながら、前政権の負の遺産を克服した歴史を日本は持っている。

 

昭和初期の国の指導者も、国民も、子孫に重い十字架を背負わせたんだなぁ😣。

 

近代史を学ぶと、現代が見えてくる😄