「畑が気になるから見に行ってくる 」~暴風雨の中で~
最初に断っておくわ😔。
今日のブログは不謹慎かもしれないよ。でも、どうしても疑問に感じちゃうのよ。お亡くなりになった方を茶化しているわけではないからね。それを踏まえてお読みください🙇♂️。
「畑が気になるから見に行ってくる」
「(自分の所有する)船が気になるから、海に行って見てくる」
と言って、暴風雨の中、家の外に出て、災害にあいお亡くなりになる人がいる。自然災害のときによく聞くニュースだ。
こういったニュースを聞くと、いつも思うのよ。あぁ、可愛そうだなぁ、不幸だなぁと思うよりも、「この暴風雨の中、畑や船を見に行って何がしたかったのかしら」と疑問に思ってしまう😣。
事故、病気、自殺、自然災害、人災など、人が亡くなる話を聞くと、心が痛む。でも、嵐の中、わざわざ外に出て亡くなったという話を聞くと、心が痛むよりも、「何で外に出たのだろう」と思うのよ🤔。
家の中で災難に遭遇したとか、外に出ざるを得ない状況であったというのなら痛ましい。でも、わざわざ危険なところにいくのがよくわからない🤷♂️。
嵐の中、畑を見に行ってどうするの?🤔台風で海が荒れている中、船を見に行って何が出来るのかしら?🙄
私には畑もないし船もない。だから畑や船の知識もない。畑を耕していたり、船を所有していたりする人に教えてもらいたい。
暴風雨の中、畑や船を見に行って何か出来ることがあるのかしらと。
何か出来ることがあったとしたら、それは暴風雨による命の危険をおかしてまでやるべきことなのかと。
命の危険をおかしてまでやらなくてはならないことなら、見に行っても仕方がない😣。
でも、そんなことはないだろう。
暴風雨がくることが予測できていたのなら、その準備は暴風雨がくる前にしなくてはならない。船なら、いつ暴風雨になって良いように、停泊しなくちゃいけないであろう🤔。
暴風雨の中、命の危険をおかして何がしたかったんだろう。
私は思う。
暴風雨の中、外に出て心配な田畑や船を見に行く人は、行っても何も出来ないことを知っていると思う。何も出来ないことを知って見に行くのよ。
心配しているのは理解できる。そういう人は畑や船が心配なのだろう。裏を返せば、見て安心を得たいからとか、もしくは早く心の準備をしたいからとなるんじゃないかしら。
暴風雨の中で見に行っても何も出来ないことを知っているとしたら、その行為はある意味「好奇心」の一種が原因なんじゃないかしら?🤔
嵐で、家族が、親戚が、知り合いが危険な目にあっていないか見に行くのは理解できる。私も見に行くかもしれない。そして危険な目にあっていたら助けるだろう。
そう。
助けに行って命を落としたということを聞いたら、それは他人のことであっても心が痛むし悲しい。
しかし、嵐の中、ただ見に行って、そして亡くなった方には、「大馬鹿者」と怒鳴り付けてやりたくなるわ。
何かね。亡くなった方には大変申し訳ないんだけれど…。
駅構内で喧嘩をしている人を遠巻きに見ている。
道で倒れている人を、既に救急車が来ているのにじっと見守っている。
自分の家とは関係ないところで家事が起こり、それをスマホで撮影している。
いや、私もそうよ😔。
自分と関係のない事件や事故のニュースを、そして人の不幸をテレビで見ている😥。
前にこんなブログを書いたわ👋
ホント、申し訳ないんだけれど、暴風雨の中で外に出て畑や船を見に行く行為って、そういう興味本位な心から出ているんじゃないかと思ってしまう。それも命の危険を冒してまで…。
命を懸けてもやらなければならないことがあったのなら、それは「大馬鹿者」ではない。命を懸けてもやらなければならないことがない、もしくはなにも出来ないのに見に行った人を大馬鹿者と言いたい。
たとえその人にとっては田畑や船が命より大事だとしても、その人の家族にとってはその人の命が畑や船よりも大切だろう。
暴風雨の中、外に出て見てくる行為は軽率である。
本人も死にたくて死んだのではない。しかし、軽率である。
亡くなった方には申し訳ないが、第三者である私は悲しさとかやるせなさよりは憤りを感じてしまう。
暴風雨の中、畑の様子を見る必要があるのか。大嵐の中、海の様子を見に行く必要があるのか。
様子を見て避難するかしないか決めるのなら、まだ分かる。しかし、そんなに大変なことになっているのなら、既に避難警報が出ているだろう。そういう地域に住んでいるのなら、避難警報が出たらすぐに避難しなければならない。だから避難するかしないかを決めるために様子を見に行ったわけではないだろう。
暴風雨の中「気になるから見に行ってくる」と言って亡くなったというニュースを見ると、なんとももやっとしてしまう。後味の悪いニュースである。