つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「衝動的な行動」を考察する🤔~ブロガーさんと交流すると自分の考えを確認でき、深めることも出来るわ😄~

はてなブロガーさんは優しいわ~☺️。だって私が「知りたいわ~」とブログに書いたら教えてくださるんだもの😄。

 

昨日、「暴風雨の中、何で畑や船を見に行くんだろう」というテーマのブログを書いたわ。そのブログがこちら👋😄

事故、病気、自殺、自然災害、人災など、人が亡くなる話を聞くと、心が痛む。でも、嵐の中、わざわざ外に出て亡くなったという話を聞くと、心が痛むよりも、「何で外に出たのだろう」と思うのよ🤔。

心配しているのは理解できる。そういう人は畑や船が心配なのだろう。裏を返せば、見て安心を得たいからとか、もしくは早く心の準備をしたいからとなるんじゃないかしら。

暴風雨の中で見に行っても何も出来ないことを知っているとしたら、その行為はある意味「好奇心」の一種が原因なんじゃないかしら?🤔

 

でも、なぜだかはっきりと分からない。だから、次のように書いたのよ😅。

私には畑もないし船もない。だから畑や船の知識もない。畑を耕していたり、船を所有していたりする人に教えてもらいたい。

 

3人のブロガーさんから答えをいただいたわ🙇‍♂️。

 

ブックマークでコメントしていただいた方が2名。ブログにコメントしていただいた方が1名。

 

今回のブログは、ブログがブログを産んだような感じだわ😄

 

 

tokinokasekiさん

野菜が心配なんでしょうね。川を見に行く人は、魚の様子を見に行くのです。水かさが増すと魚が集まるポイントを知っていてタモで獲るのです。共通しているのは自分が事故にあうとは絶対に思っていないところです。


copinoheyaさん

心のどっかで「自分は大丈夫」と思っているのでしょうね。年齢を重ねると、『大丈夫思想』が強くなるんですかね。マスクしなくても平気とか、息子の為に振り込むので詐欺じゃないとか🙄

私も、「教えてもらいたい」と言いながら、tokinokasekiさんやcopinoheyaさんと似た考えだったのよ。

 

「自分は事故に遭わない」 「自分は絶対大丈夫」と思っているから、命の危険を省みず、暴風雨の中、畑や船を見に行くんじゃないかと😱。

 

水かさが増すと魚が集まるポイントを知っていて、タモで獲る人がいるなんて😱😱😱。そういう人もいるわよね。身が破滅するまでギャンブルする人の神経よね。

 

「マスクしなくても平気」と言ったり、「コロナ脳」と言って揶揄する人と、「息子の為に振り込むので詐欺じゃない」と言って詐欺に引っ掛かるのも「自分は大丈夫信仰」よね。

 

と、私は暴風雨の中で畑や船を見に行く人は自業自得という気持ちもあった。

 

しかし、自業自得と思うには、あまりにも憐れで悲しいという思いも実はある。特に遺族の思いを想像すると、「自分が事故に遭うとは絶対に思っていない本人が悪いが、どうもそれを責め過ぎるのはおかしいんじゃないか」と思う人も多いのかもしれない。

 

亡くなった人の自業自得と考えながら、それが心の隅っこで納得できなかったのよね🙄。

 

だから、昨日のブログの最後に

暴風雨の中「気になるから見に行ってくる」と言って亡くなったというニュースを見ると、なんとももやっとしてしまう。後味の悪いニュースである。

と書いた。何かモヤモヤする後味の悪いニュースなのよね😥。

 

ブログに記入していただいたコメントがこちら👋

 satsumaim0さん

気乗りしませんが「…教えてもらいたい」とのことなので反論します。


当該行動は好奇心よりも危機感からの衝動だと思います。
人は損失の前で非常に弱く、絵に描いたような行動をとれる人は極一部です。


例えば、隣家の火事が小康状態で自宅車庫の新車だけなら移動できそうな状況を想像してみてはどうでしょうか。


ちなみに、畑を見回ると言っても堰を開閉したり支柱を直したりと、普通は興味本位で見物しに行くわけではないと思います。


また、人手が足りているわけでもないので、事前に十分な雨風対策すべきというのも無理があります。私の祖父も、自分は死なないといった慢心ではなく、畑の作物が心配で小康状態に度々見回っていました。

 

私の返信がこちら👋

さつま芋さん、コメントありがとうございます。やはり当事者か、当事者が近くにいる方の方が説得力があります。

 

危機感からの「衝動」という解釈がとても納得しました。

 

なるほど。衝動なのですね。その理解が欠けていましたね。衝動ならば、その行動は理屈ではないですね。

 

「見てどうするの」ではなく、「見る」ということが目的ですね。であれば、周りが行くのを止めたとしても、その言うことはなかなか聞かないのも納得できました。

 

とすると、暴風雨のときに、ニュースで「危険な場所に行かずに、安全な場所にいてください」という注意喚起も、危機感からの衝動で見に行く人にとっては虚しいものです。

 

暴風雨のときに何か出来るなら行くことに理解が出来るのですが、何も出来ずにただ見るだけであったら、恨まれてでも必死に行くのを止めようと改めて思いました😔。

 

気の進まない中、答えていただいて、ありがとうございます🙇‍♂️

 

そうか、衝動かって思ったのよ。

 

衝動とは、外部の強い刺激を受けて心が動かされ行動しようとする抑えにくい内面的な欲求のことだ。この衝動という心の動きは、目的が達成されると消滅する。

 

衝動買いを例にすると

①物が目に映る

→強い刺激

 

②欲しいという強い気持ち

→心が動かされる

 

③買う

→目的が達成される

となるだろう🤔。

 

暴風雨の中で畑や船を見に行く衝動は

①暴風雨

→強い刺激

 

②畑や船が心配で畑が見たいという強い気持ち

→心が動かされる・危機感

 

③畑や船を見に行く

→目的が達成される

となるだろう🤔。

 

あの行動を衝動が原因だと解釈すると、「自分だけは大丈夫」という信念の有無とは別次元の問題なのかもしれないと思ったのよ🤔。

 

詐欺も、あんなに「詐欺に引っ掛かるな」と言われているのに、何で引っ掛かるんだよって私は思ってしまっていた😥。

 

詐欺は詐欺師が悪いことは十分に分かっているはずなのに、このように被害者を責める感情も湧いてしまっていた。

 

でも、これが「衝動」の解釈すれば、説明がつく。

①詐欺師からの電話

→強い刺激

 

②子どもを助けたいという強い気持ち

→心が動かされる・危機感

 

③お金を振り込んでしまう

→目的が達成される

お金を振り込んで危機感を消滅したい、安心したいという気持ちなのではないかと。

 

衝動的な殺人の方が計画的な殺人よりも罪が軽いのは、一時的に強い刺激を受け、抑えにくい内面的な心の動きだからかしらね🤔

 

あんなに注意喚起しても詐欺に騙される人も、暴風雨の中で外に出て亡くなる人もいなくならないのは、動物の性なのかもしれない。

 

だからといって「仕方がない」ではなく、周りにいる冷静に判断できる人が止めることが求められる。

 

詐欺なら「詐欺の可能性が高い」と、自然災害なら「今、見に行っても無意味だ」と、必死に止めなくてはならない。

 

詐欺も天災の中で外に出るのも「衝動」であるなら、なおさら普段の心がけが大切だろう。

 

「これは詐欺ではないか」という疑う気持ちや、「暴風雨の中で外に出るのは危険な行為であり行っても何も出来ない状態なら外出しない」という意識を持つことを怠ってはならないということだ。

 

こんなにテレビで注意喚起をしている。衝動的にならない心がけが大切だと思った。

 

過去に衝動に関するブログをいくつか書いていたわ😄。そのうち2つがこちら👋。

 

おっと、「生活の中の心理学④」にはこんなことが書いてあったわ。

悪い衝動を抑えるのは、日頃の訓練なのよ☝️😎。日頃から意識することが大切なのよ😁。