つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

車社会に思うこと~足が不自由でも車の運転をすることについて~

今日は一日中天気があまりよくなかった😌。雨がぱらついていた。

 

午後4時30分にチューが学校から帰ってくると、私はチューを発達の教室に車で送った。もう薄暗い🌆。

 

迎えに行くまで1時間弱ある。その間で、母に頼まれたものを買いに行った。頼まれたものはお米(10㎏)とお茶とお水とお刺身。カートで屋上(2階)の駐車場に持っていくため、エレベーターを利用した。

 

私の後ろに、杖をつき、足の悪いおばあさんが並んだ。

 

ちょっと、そのとき違和感があった🙄。

 

このエレベーターは駐車場に行くために使うものである。

 

「えっ❗️❓こんなに足が悪いのに、車を運転するのかな。」と思ったが、車の中で旦那さんが待っているのだろうと思い直した。

 

2階につき、私は「開く」のボタンを押し、彼女を先にエレベーターから降ろした。

 

駐車場に出ると、外は真っ暗。雨も降っていて視界が悪い。

 

彼女の車は私の隣にあった🚘🚘。

 

彼女の車の中に乗っている人はいない。彼女は運転席に座った。

 

えっ❗️あなた運転をするの❗️❓

 

車には障害者用のマークも老人用のマークもついていない。

 

確か、彼女が引きずっていた足は左だったかしら🤔。もしもそうなら、運転には影響しないということかしら🙄。この記憶は定かではない。

 

「足の不自由な人も安心して乗れる車を作ってほしい。」と言うのは、たしかあの池袋暴走事故の飯塚被告の言葉だった覚えがある。

 

私も足が悪くなるかもしれない。私が当事者だったら、そう思うかもしれない。

 

でも、今の自動車の性能だったら、足が悪くなった時点で、運転資格の欠格事項にしても妥当じゃないかしら🤔。

これって差別❓🙄。

いや、区別だろう😔。

運転って業務上のことなんでしょ。車の運転って、それだけ責任が重いんでしょ😣。

 

安易な気持ちで車を運転していないかしら❓🤔。いえ、これは、この足が悪いおばあさんに対してだけではない。私を含めた、一般のドライバーに対してよ😔。

 

運転中の事故には「業務上過失」となり、一般の過失よりも刑が重くなる。「業務」とは、法律で、社会生活において何度と繰り返したりずっと続けて行う活動のことよ。車の運転は業務となる。そりゃ、普通の過失とは異なるよなぁ。だって、社会の中で、車の運転という危険な行為となる可能性がある行為を何度も繰り返し、継続しているんだから。そりゃぁ、責任が重くなって当然だよ。

 

免許に年齢の上限がないことも不自然よ😣。

 

年を取っても、能力の衰えに個人差があるだろうという考えは間違っていると私は思う。

 

それを言うなら、下限制限も廃止しなくてはならぬ😔。

 

だって、能力と年齢の相関関係がない、もしくは、あまりないと言うなら、15才の子どもにだって、運転免許を取らせれば良い。責任能力がないからダメだというのなら、親に責任を取らせればよいという考えもあってよい。

 

下限の年齢制限に賛成するなら、上限の年齢制限も賛成しなくては理屈に合わないと思うのよ😅。

 

身体が不自由になった時点で免許の欠格事項とすれば良い。運転する際には医師の診断が必要とするのよ。

 

それができないのは…。

確かに基準をどうするかという問題はあるだろう。どうなったら診断が必要なのかということも含めてね。

しかし、私は思う🤔。

それは自動車が日本の基幹産業だからなんじゃないかと😥。

 

それに免許の交付や更新には警察の利権も絡んでいる。だって、何よ、免許の更新の際に配られるあのテキスト😒。あんなの必要ないじゃない。

 

それを更新のたびに配るのは、きっとどす黒い利権が絡んでいるからよ。

 

決まりが新しくなったからというのが新しいテキストを配布する理由であるのなら、新しくなったところだけ配ればよい。免許の更新時には、ドライバーに前にもらったテキストを持ってこさせればよい。忘れた人にだけ買わせるのよ。それが合理的だが、合理的ではない因習が続いているのであれば、合理的ではない原因があると考えて良いものね😱。

 

それに免許センターや自動車教習所っ○○○などの○○○先らしいのよね~😥。事実なんだけれど、ハッキリとは書かないわ😎。

 

経済と国家の利権は命よりも優先されるということかしら🤔。

 

これって穿ち過ぎかしら😎。

 

でも、あんなに交通事故が起きるのに、規制がかからないものね。

 

消費税はこの30年間で0%から10%になった。消費税を0%にして、その分、自動車税を上げれば良いんじゃない。それが議案に出ないのは、与党は当然として野党にも触れられない暗部が自動車業界にあるのかもしれない。

 

こんなことを書くと、交通機関がなく不便な田舎暮らしの人から文句が来そう😌。

 

一票の価値は、都会に住む人は田舎に住む人の半分ほどだから、消費税分を賄うだけ自動車税を上げるなんていう公約なんかしたら、議員さんは落選してしまうわね。

 

いや、バスやタクシー業界、旅行業界、自動車産業と経済界の各方面から非難されるだろう。

 

「人の命は何よりも重い」は理念であり、奇麗事と肝に命じて、「経済と利権、つまり人の欲は人の命よりも重い」のが実社会だと考えて身を守らなくてはならない🙄。

 

先程のおばあさんは、独り暮らしで足が悪く、買い物には車が欠かせないのかもしれない。

 

私の母には、80歳を越えたり、体が悪くなったら、免許を返すこと勧めている。

 

でも、この前の認知症検査で100点を取ったと自慢していた😅。体もいたって健康。そんなお年寄りを見ていると、ある年齢に達したら一律に免許を返すのもいかがなものかなぁとも思えてしまうのよね🤔。

 

車社会になったことの弊害が交通事故なのだろう。車社会には車が必需品だしね。

 

あと免許を返すのは個々の善意に任されている。ということは、善意が信じられない日本社会なのかもしれないわ🙄。

 

それに高齢社会よ。日本社会の中心がお年寄りになっている。日本の消費の中心に位置していた団塊の世代の人たちが、お年寄りになっているのである。だから、お年寄りの事故が多くなるのは当然よ。

 

若者も事故を起こす。

少なくとも私は事故の加害者にも被害者にもならないように注意しよう。さらには、私の身内だけでも😔。