つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

己を律して国事に当たる~改憲案を提示されたら~憲法記念日に考えたこと🤔~

特に今日のブログは主義主張が強いかも😅。

 

食あたり、いや読みあたりしても補償しないわよ👋😎。だから、公開するか迷ったのよ😌。憲法記念日に書いて、そのあと加筆していったわ。

 

安易に星をつけない方が良いかもよ~😁。

 

 

フィットネスで考えようか🙄。

 

フィットネスに通ってもブヨブヨの体の人が、「ここのフィットネスはダイエットに効果があります。美しい体になります。」と言ったら、その言葉を信じるか🤔。

 

当然、その言葉は嘘だろうということになるだろう😅。そのフィットネスを信じないし、行かないだろう。

 

ブヨブヨの体を切れのある体にして、「このフィットネスはダイエットに効果があります。」と言ったら、人々はその言葉を信用するだろう😄。

 

「私のカウンセリングを受けると、自己肯定感が育まれ、自分に誇りを持てるようになります。」とうたうカウンセラーが、家で自分の子どもを虐げていることを知っても、そのカウンセラーのセッションを受けたいかしら❓🤔。

 

受けたいという人がいたら、お会いしたいわ😌。理由を聞きたい。

 

そのセッションを受ける人はいないだろう😔。

 

美しい体になることを売るのなら、自分が美しい体でなくてはならぬ。

 

相手に誇りを持たせることを売りにするなら、相手の誇りを傷つけてはならぬ。

 

これって当然よね🙄。

 

自分が美しい体でなくても、美しい体にして見せますという人がいるかも🤔。理論(方法)と実践は違うというケースもあるが、でも、まずは自分の体の自己管理が優先だろうなぁ🤔。それに美しいの定義はなにかしらね😌

 

人の誇りを傷つけ、自身は疑惑のオンパレードなのに、人々に美しいと思わせ、人々に誇りを持たせると豪語するお店がある。いや店ではないが、そういった組織がある。

 

「え~、そんな矛盾したことを公言する人がいるの~、そんなお店の言うことなんて信じない」となるのが当然なのだが、そうならないのが日本なのよ😌。いや、お店ならそうなるが、ある組織に対してはそうならず、支持するのよね😨。

 

何の話をしているのか、察しの良い読者さんは分かるわね😅。

 

美しい国になる憲法を提案する組織は、自分の組織の灰色の疑惑に真摯に向かい合い、疑惑を晴らさねばならぬ。

 

私は疑惑や不正が起こることは仕方がないという考えなのよ😓。

 

どんなに優秀な人が集まっても、3割は優秀で、4割は凡人となり、残りの3割は何もせず足を引っ張る存在になるというような働き蟻の法則があるとすれば、人の世から不正はなくならない。組織から不正はなくならない。

 

不正が起きたときに、その不正に真摯に向き合うことが組織としては大切だと私は考える🤔。それが美しさだと私は思う😔。

 

子どもたちが誇りを持つことができる国になる憲法を提案する組織は、人の誇りを傷つけて、死にいたるようなことをしてはならぬ。いや、そういう事件が起きたなら、真摯にかつ迅速に捜査しなくてはならぬ。

 

もしも、もしもだよ。

 

もしも、疑惑に真摯に向かい合わず、人の誇りを傷つけても平気な顔をしたり、 身内の不祥事なのに「他山の石にしなくてはならない」などと言ったりする組織があって、その組織が改憲案を出したとしたら、私はその改憲案は内容など見ずに反対だな🤔。

 

いや~、幹事長代理が幹事長におもねって「幹事長がおっしゃっているのだから、党の内部のことを根掘り葉掘り聞くな」なんていう党を信用も信頼もできないな😎。

 

何様のつもりだろう。まぁ、国民のことを主権者様とは思っていないことは確かなようね。国政を担わせるのは他に担わせる党がないので仕方がないが、国の形まで決めさせてはいけないと私は思うのよね🙄。

 

だって、主権者の代表として主権者に奉仕するという意識があれば、「根掘り葉掘り聞くな」なんて言葉は出てこない。そんな意識の方々が主権者のためになる、言い換えれば国民のためになる憲法なんて作れっこないわ😎。

 

これって主観的かしら🙄。

主観的よね😅。

 

そしてこんなことをツイートしようものなら、そういう人たちが作ったものであっても、私たちは冷静に判断しなくちゃならないなんて反論される😌。

 

政治家は主観的な感情論が許されて、国民には許されないのは何故かしら🤔。それに、ここまで私が述べたことは、主観的ではあるが、人の世の常識と照らし合わせたら、大きくは外していないと思うんだけれど😌。

 

政治家さんたちの中には、国を思えども、国民のことを思っていない可能性が高い人が多いように思うのよね🙄。政権を担っている党に所属する議員に対しては、権力を持っているのだから、特に目を光らせなくてはならないわね🤔。

 

余談だけれど、末世よね😨。あの人が衆議院議員になったら。誰とは言わないけれど😎。

 

今の憲法は不完全ながら、私は不満がないし😌。アメリカさんの方が、日本政府より日本国民のことを考えて作ってくれていたわ。

 

結果としてアメリカに利益があるように作ったものだし、いまだにアメリカとは不平等な条約を結んでいるし😌。

 

ここまで書いてきた私の考えを安易に承諾しちゃダメよ😎。

 

この池田教授の発言はホント含蓄ある名言だなぁと私は思うのよね🤔。

フジテレビ「ホンマでっか!?TV」(水曜、後9・00)に出演する生物学者の池田清彦氏が4日までにツイッターに投稿。正解が分からない時は、「とりあえず政権とは反対に」とツイートして反響を呼んでいる。

 

「正しいかどうか分からないときは、とりあえず政権の言うことに反対する」って、民の知恵よね。正しいかわからなければ賛成するなってこと。

 

憲法って国民を縛るものではないわ。権力者が自分勝手なことを出来ないようにする檻のようなもの。

 

ということは自分で自分の行動を制限する決まりを作ることができるかしら🤔。自分の檻を自分で作ったら、鉄格子と鉄格子の間を広くするわよね😣。それに、法律だってザル法ってものもあるし。

 

今の日本国憲法には、欠陥があることも分かる。だから、改憲論議は多いにして良いわ😄。改憲論議や有事論議をすること自体に反対という考えはとんでもないことだと思う。改憲しても良い。でも、改憲するにはハードルを高くしてほしい。

 

国民投票が有効になる条件

①投票率70%以上

②賛成票が72%以上

の2つを満たしたら、改憲決定とする。

 

もしくは

①投票率80%以上

②賛成票が63%以上

の2つを満たしたら、改憲決定とする。

 

なぜか分かるかな😄。

それは、有権者の過半数が賛成したことになるからよ。

 

投票率100%で、賛成票が70%としたいところだけれど、それは非現実的だしなぁ🤔。せめて、改憲は、有権者の過半数が賛成しているものでなくちゃならないと思うのよね🙄。

 

日本が連合国軍に敗れて作られた憲法は、少なくとも日本国民のためになったと私は考える。当時の日本人は、大日本帝国憲法から日本国憲法になって喜んだ。その日本国憲法下で、政府は戦争をしてこなかった。

 

当時の政府は大日本帝国憲法とさして変わらない憲法を提示したのよね。日本の政府って、戦争に負けても心から反省しない😵。

 

戦争で負けた者が全て悪で、勝った者が全て善といった、ホイッグ史観なんて肯定しないが😌。

 

コテンパに負けたことは反省してよね😣。国を滅ぼしたんだから。一億総懺悔なんて、責任を曖昧にしないで。

 

国を滅ぼした政府の系譜が、いまだに国政を担う謎の国ニッポン🗾😁。自・社が野合したときに、日本の野党がなくなったのかも😓。

 

戦前の政権から引き継がれている組織が作る憲法なんて、重箱の隅を突っつくぐらい入念に熟読して、少しでも怪しければ賛成しないことに限ると私は思うのよね😎。すぐに戦犯を賛美したがるしなぁ🤔。

 

 

入念に改憲案を読んだら、「根掘り葉掘り読むな。◯◯党様が作った憲法なんだから。」と言われそう🤣。

 

いや、私は何でも反対といっているわけではないわ👋😓。

 

美しい国、誇りを持てる国を作る憲法を作るのなら、国民が美しいと思える政党、国民が誇りを持てる政党をまず作りなさいってことよ。自分の党を美しくも誇りを持たれることもできずに、国を美しく誇りを持てるようにできるのかしら🙄。そこが疑問なのよね🤔。

 

美しいと感じるのも、誇りに持つのも主観なのよね🙄。だから、今のあの政党を美しく誇りに思っている方もいても良いわ。私がそう感じないだけかもね😅。

 

だから、私は私の考えを主張すれども他人に押し付けないし、私にも押し付けられないわ。それに、美しさや誇りという主観で訴えてきたのはあちらの方々なのだから、私も主観で判断しても非難される謂れはないわよね😎。

 

こんなことを書いても、国民投票になったら改憲案を根掘り葉掘り読むけどね😅。

 

憲法9条があってもこれだけの軍事力があるんだから、それをなくせば、際限がなくなる可能性があるわ😱。でも、独立国なんだから、国の自衛権はハッキリと憲法に規定すべきであるというのは私の考えよ😔。

 

こちらのお話もお勧めよ👋😅。改憲案に書かれている「公共の福祉」について。日本国憲法だと「みんなの幸福」っていういう意味で説明できるんだけれど、それが危ないものに変わるかもしれないよ~👻

 

 

他にはこんなブログも書いたわね👋😄

 

他にも憲法について書いたブログがあるわ。

 

なんで、今日のようなブログを書き続けるのか😄。

 

それはね、改憲が少しずつ現実味を帯びてきているからよ。そして憲法改正の発議がされたら、私が書いているような主張が出来なくなる可能性もあるからよ😨。どうしても書き残して起きたかったの。

 

 

考え過ぎと思う人がいたら、こういうことって考えすぎていてちょうどよいものよと言い返すわ😎。

 

当然、国民投票で賛成するも反対するも個人の自由だわ。私だってこんなことを書いていながら、賛成に票を入れるかもしれないよ😁。