つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

障がい者を理解すること~自分のできる範囲で目の前のことを大切にし、優しさを持つ~

私が小学生のとき、とある療育施設について、「あそこはキチ◯イが行くところだ」と同級生が言い合っていた。そしてイエロー・ピーポーで運ばれるんだとも言っていた。級友が「イエロー・ピーポー、イエロー・ピーポー」と囃し立てていた。

 

私は嫌な感じがしたが、誰か特定の人をいじめているわけでもないので、咎めることはしなかった。いや、そう聞いて、「そういうところなんだ」と思ってしまっていた。

 

イエロー・ピーポーは都市伝説だそうだ。

 

今、考えると、その子どもがそんなことを言うということは、その子の家庭で保護者が障がい者について無理解で差別的なことを言っていたんだろうなぁ😣。

 

そういえば、小学生の頃、変わった子がいた。勉強ができなくて、行動も奇妙だった。今であれば特殊学級に行くような子であったのであろう。

 

私はクラスの班長をしていて、彼を自分の班に引き取り、彼の面倒を見ていた。でも、当時は「面倒を見る」という感覚はなかったのかもしれない。

 

そんな上から目線じゃなかったよなぁ🙄。

 

誰も自分の班に入れようとしないので、「こっちに来いよ」という感覚だったかしら。

 

班を決めるのにくじ引きだとかあみだくじだなどで決めることもあった。

 

小3~小6と同じクラスだったかしら🤔。

 

あれ❓️。どうだったかしら❓️🙄。

 

いつ一緒のクラスだったか定かじゃないわ😅。でも、彼とは何度も同じクラスになった。

 

中1~中2のクラス担任は、大学出たての東京理科大を卒業した女性だった。私はクラスの女ボスに嫌われていた。先生に気に入られていたのも目につけられた原因かもしれない😔。

 

この女性の先生は私が中3のときに、私とその変わった子を自分のクラスにしようとしたそうだ。私がその子の面倒を見ることを期待して。その目論見は外れて、私は違うクラスになった。

 

後々、私の中3の担任になった先生が「◯◯先生(私が中1と中2のときの担任)はゆう君を自分のクラスに入れたかったようで、引き抜こうとしたんですよ。□□君の面倒を見ることを期待して。」というようなことを言っていたと母から聞いた。

 

面倒を見たつもりはなかったが、その言葉を聞いて、私は彼を面倒を見ていたんだなぁという気持ちになった。

 

高校のときには、生徒会役員で、生徒会活動の一環として、特別支援高校を訪問したことがあった。うろ覚えだが、色盲の子や足の不自由な子等がいた。そんな障害を抱えながらも、生き生きとしていることが印象的だった。

 

私が子どもだった頃は、障害を持つ人に対する偏見や差別が今以上に多かっただろう。最近、発達障害や精神遅滞といった人が目立つようになった気もするが、そうではなくて、理解されずに表に出てこなかっただけだろうと思う。

 

LGBTQもそうだ。昔は女性的な男性をシスターボーイとも呼んだそうだ。

 

そうだよなぁ🙄。

 

とんねるずの貴さんが保毛尾田保毛男というキャラクターで笑いをとっていたんだからなぁ🤔。

 

私は、あのキャラクターは気持ち悪くて好きではなかった。気持ち悪いという表現は良くないのかもしれないが、あのキャラクターは嫌だったのよね。差別的だからという感覚はなかった。そういう人を誇張しているんだから、誇張したことによって気持ち悪さを感じていたのだろう。ああいうキャラクターは、それを見ている人に間違った理解を促すとも言える。

 

でもね、それでとんねるずの笑いを否定しようとは思わない。人はそのときそのときの常識の中で生きている。だから、その当時、それを性的マイノリティに対する差別だとは思わなかったのだろう。しかし、今、そのキャラクターをテレビに出したら良くないだろう。なぜなら、当時の常識と今の常識が違うから。

 

これはドリフターズの志村けんさんのキャラクターにも言えると思う。そんな話がこちら👋

 

 

性転換して女性になったアスリートが、女性として競技に出て優勝したことが問題になったと聞いた。

 

女性からはズルいだの、男性からはゲスだなどといった言葉が並んでいた。

 

う~ん😣。

 

外国では、オリンピックで金メダルを取ると一生生活に困らないとも聞いた。だから、男性があえて性転換をしたんじゃないかと。

 

男女平等の世の中である。それは本質的な点での平等だ。体力的な性差は当然ある。だから、性別ではなくて体力で階級を分けて、男女混合で競技をした方が良いんじゃないかなぁと思ったのよ🤔。

 

LGBTQ、この場合はTransgenderか。本当にTransgenderだったとしたら、これほど悲しいことはない。自分は女性だから男性から女性になったのに、女性からも白眼視され排除される。男性からは揶揄される。

 

性転換してまで女性になったのだ。それまで苦しかったろう。なぜその人をその性として受け入れないのだろうか。その元男性は、女性だ。

 

確かに競技である。元男性ならば、その分、体力的なメリットがあろう。

 

競技に勝つために性転換をしたんだと思う人たちは、宦官に対する認識があるんじゃないかしら😣。宦官の中には、皇帝に近侍し、権力を握るため、自らの意思で一物を切り落とした者もいたそうだ。

 

宦官と一緒にするなよ~😣。

 

いや、たとえ勝つために性転換をしたとしても、それは本人しか分からない。としたら、私は性善説の立場で考えるようにしている。

 

その非難は性転換した選手に向けるのではなく、男女に分ける制度に対してであろう。

 

 

これはジェンダーレスの立場かしら、ジェンダーフリーの立場かしら🤔

 

ジェンダーレスは性別の区別そのものをなくすのに対し、ジェンダーフリーは性別による社会的差別をなくすことよね。

 

そうすると、これはジェンダーレスか🤔。レスかフリーかは、時と場合によりけりよね。

 

障がい者とは、今の常識や諸制度などから外れた人ということだと考える。ということは、今の常識や諸制度に問題があると考えても良いわけで。

 

「常識を疑え」とはマルクスの言葉。彼の言葉はノーマライゼーションやバリアフリーにも通じるのかも。

 

なんでこんなことをブログに書き留めたのだろうか。

 

夜中3時に目を覚まし、そのあと寝付けなかった。色々な不安に襲われたのよね😅。友もいなけりゃ、家族も少ない。今の気がかりは、課題を持ったチューのことだけ。彼でも生きていける世の中になってくれれば良いのだが。

 

贅沢な生活は送れなくてよいのよ。彼に「物を言い過ぎる障がい者」にはなってほしくはない。矢面には立ってほしくないのよ。

 

しかし、物を言い過ぎる方がいたからこそ、極論を言っていったからこそ、理解が深まり社会が変わったとも言えるとも思う😔。

 

だって例えば自由・平等・参政権は、世界史を学べば血を流して勝ち取った権利よ。物を言い過ぎる方々が勝ち取ってくれた権利よ。

 

今の日本では、空気と同じような感覚の人が多いと思う。私もその一人だ。

 

日本人はそれらを勝ち取ったわけではなく、「負け取った」ものだ。所詮、アメリカさんから賜ったものだから、軽く考える。今の日本国憲法の理念を捨てようとする。

 

いや、改憲しても良いのよ。しかし、そこは慎重に。

 

天皇を元首にすることの意味、今の平和主義を変えることの意味、公共の福祉とは何か、自由権・平等権・社会権・基本的人権を守るための権利はどういうものなのか、戦前の政権の系譜を持つ政権に緊急事態条項を持たせる危険性…、など考えるべきことはたくさんある。

 

今の政権に改憲までさせるだけ信用できるのか。信用するなとは言わない。しかし信用するだけの担保は確認しないとね😔。

 

世の中を変えていくには、それだけの血と汗と括った腹が必要で、私はその先人の恩恵を受けていることも忘れないようにしている。

 

チューよ、私もあなたも凡人以下だ。

 

社会など変えようと思わなくて良い。私もあなたも社会を変える才能も強い心も持っていないし、そこまで自信もない。

 

自分のできることをして、理不尽なことがあれば自分の範囲で改善をお願いして、感謝を持てば良い。