つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「男の子だって泣いても良いんだよ」と言われても😌~婚活においては男らしさを求められることって多いんじゃないかしら🤔~

さて、この2つの記事から何が言えるだろうか❓🤔。何か引っ掛かったのよね🙄。

 

1つ目の記事がこちら👋😄

というわけで、いま現在、息子が何かで泣いたときに、「男の子だから泣くな」と叱咤する夫の横で、わたしは「男の子だって泣いていいんだよ~」と慰めるのが常なのですが、最近は夫が「ママは『男だって泣いていいんだよ』って言うかもしれないけれど、違うぞ。男はそんなことで泣くな」とややこしく激励するようになり、さらにそこにわたしが「パパは泣くなっていうけどねぇ、ママは悲しいときや寂しいときは、男の子でも女の子でも、大人でも子どもでも泣いてもいいって思ってるよ~」とマウントを返すというややこしいやりとりが行われることになるのですが、ママとパパは別々の人間。だから、それぞれ別々の考え方がある。そういう多様性を息子が理解してくれたらいいなと思っています。


夫は「女性だから」と押し付けないのに「男の子なんだから」と言いたがる-AM

 

2つ目の記事がこちら👋😊

仲人の立場から言えば、男性はやはり、女性にはごちそうできる器であってほしいなと思います。その方が断然、かっこいいです。しかし、女性はそこにあぐらをかかず、まだ結婚するかどうかも分からない関係のうちは、男性の支出をなるべく抑えてあげる配慮も大切です。「遠慮する気持ち」を忘れないでくださいね。


39歳エリート男性、初デートで"1万2000円"すし懐石ランチを頼まれ交際終了へ | オトナンサー

 

1つ目の記事にある夫婦の息子への接し方の違い。

 

夫:「男の子だから泣くな」

 

妻:「男だって泣いていいんだよ」

 

昨今のジェンダーフリーやジェンダーレスの観点からしたら、妻の言い分が正しいのだろう🙄。ジェンダー思想は「男らしく」「女らしく」を否定する。「男や女の二元論ではない。色々な性があって良い。そして、どんな性であっても人間だよね。」というスタンスが多様性を尊重する社会で、現代はそれが正しいとされている。

 

もって回った言い方になるのは、今の常識が未来の常識とは限らないから😄。

 

過去を否定した現代の常識は、未来において否定される可能性がある。だから「現代ではそれが正しいとされている」という表現となる。そして、私も現代の常識の中で生きているので、「色々な性があって良い」という思想は正しいと考える🤔。

 

しかし、その「色々な性があって良いし、どんな性であっても人間だし、平等だよね。」という意識が、日本にはほとんど浸透していないとも私は考える。

 

それを物語っているのが、2つ目の記事よ😔。

 

もう、分かるわよね。

 

2つ目の記事にはこのようなことも書かれている👋😑

婚活においては「お見合いのお茶代やデートの食事代を男性が負担する」というのが、暗黙の了解事項になっています。男女平等の社会なのですが、「デート代や食事代を払える男性はかっこいい」という風潮はまだまだ残っているのです。

 

ここに書かれていることに違和感がない人は多いと思う。そして、これも日本の現状なのよ😌。論理的にはおかしいわよ😅

 

「デート代や食事代を払える男性はかっこいい」という風潮がまだ残っていて、男性にデート代や食事代を支払わせていたら、それでは男女平等社会になってはないだろう😰。

 

日本は男性の意識も女性の意識も、そして諸制度も男女平等社会じゃないわよ。

 

今回の記事に限定すれば、男女平等社会の実現を強く願うのならば、男性にデート代や食事代を支払わせる風潮に対しても強く批判するべきなのよね🤔。まぁ、そういうと男女の収入格差という現実もあるのだが😔。

 

日本はジェンダーの理念に現実が追い付いていないのよ。それなら理念に現実を追い付かせることが必要なのよね🤔。

 

でも、人の意識ってそう簡単に変わるものではない。

 

1つ目の記事の夫婦の会話であれば、今の日本において、

「男の子だから泣くな」という夫の考えは現実

「男だって泣いていいんだよ」という妻の考えは理想

なのよね🤔。

 

さて、「男だって泣いていいんだ」と教えられた男の子が、幼稚園や学校で泣いたとしよう☝️😔。泣いたこの子は、幼稚園や学校の友達にどのような扱いを受ける可能性があるか。

 

周りの男の子や女の子は(こう書くのもジェンダー的には不味いのかしら🙄)、「男のくせに」と思う可能性が高い。だから「男の子だから泣くな」って父親が言っているのかも🤔。

 

でもなぁ~🙄。「男の子だから泣くな」って生きづらいわ😣。言い直すとしたら「外でむやみやたらと泣くな」かしら🤔。

 

「デート代や食事代を支払うのは男」と考える人は「男のくせに」と考える人だろう。だって「男のくせにデート代を支払わない」となるんだから😑。

 

仲人という立場の人が「男性はやはり、女性にはごちそうできる器であってほしいなと思います」なんて書いて、ネット記事にできるんだもの。この記事は炎上しないわよね😅。でも、「女性はやはり…」と女性論を言ったら総バッシングとなるわ~😨。

 

全ての結婚相談所で「デート代は収入によって比例配分して支払う」という規約を作れば良いのに😎。だって男女平等なんでしょ😅。

 

「花嫁修行」とか「専業主婦」といったことを時代錯誤という人は、「男性はやはり、女性にはごちそうできる器であってほしいなと思います」という考えも時代錯誤と糾弾してほしいわ😎。私からしたらどちらも時代錯誤だもの😌。

 

それはしないのよね。
と、断定してはダメか😌。
 
「それはしない人が多い可能性が高いのよね~」とでもしておこうかしら😁。

 

よくこんな考えの私が結婚できたなって思うかしら😅。

 

デート代は私もちだったもの😁。だから結婚できたとは言えないが、やはり現実はこうなのよ😎。

 

「男女平等なんだから、デート代は折半ね。」

 

理屈は正しい。しかし、感情としては、特に日本的感情としては、正しくないのよね😅。

 

妻にはデート代を払わない分、結婚後の資金に貯めておけば良いさと言っていたわ。そういえば、後ろめたさがなくなるでしょ😉。

 

あっ、しかし「専業主婦」と「専業主夫」の両方あれば「せんぎょうしゅふ」は肯定派よ😄。

 

何だか、2つ目の記事を批判的に書いてきたが、私は2つ目の記事に同意なのよ😄。

 

こう書かれているでしょ👋😄

まだ結婚するかどうかも分からない関係のうちは、男性の支出をなるべく抑えてあげる配慮も大切です。「遠慮する気持ち」を忘れないでくださいね。

日本は意識の上でも制度の上でも男女平等ではない。しかし男女平等であるべきだ。そこにはお互いに「配慮」という理性が大切だと思うのよ。

 

「男性はやはり、女性にはごちそうできる器であってほしい」というのは感情であり、その感情を否定することはできない。ならば理性を働かせて相手に配慮する。配慮は男性も女性に対して求められる。

 

レディースデイは男女差別ではなく、経済活動の一環だと考えもある。なぜ経済活動の一環だと女性だけ優遇できるのかしら❓🤔。その私なりの答えはこちら👋😅

 

男がメソメソ泣いたら笑われる社会がある。少なくとも私は現代の日本はそういう社会であると思う🙄。

 

男の子と女の子が喧嘩した。女の子が泣いたら、男の子の方に問題があると思う人はいるだろう。

 

男の子と女の子が喧嘩した。男の子が泣いたら、男の子の方が情けないと思う人はいるだろう。

 

そんな先入観は昔ほどではなくなっているが、こういう先入観を持つ人は多いんじゃないかしら🤔。

 

泣きたいときに泣ければ、楽だろう。少なくとも家庭は、笑いたいときに笑い、泣きたいときに泣けるような場でありたいなぁ🙄。

 

1つ目の記事では、奥さんが「ママとパパは別々の人間。だから、それぞれ別々の考え方がある。そういう多様性を息子が理解してくれたらいいなと思っています。」と書いているが、それは難しいだろう🙄。幼い子なら混乱するかもしれない。まずは、夫婦仲が良いことが前提よね🤔。そして、教えてやらないとなぁ。いや、教育方針は夫婦で擦り合わせた方が良いかもね😅。

 

私はチューに「家では我慢する必要はないよ」と言っている。外では、泣きたいときも我慢しなければならないときもあるものね😄。

 

やはり「男だから」「女だから」という世の中は生きづらいわ😔。

 

でも、日本には根強くそういった意識が残っているし、私にもあるわね🤔。

 

どうしたら良いのか分からなくなったわ😌。

 

できることは、性差はあっても性別による色眼鏡は外すよう意識を持つってことかしら😔。