つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

割高感って何だろう❓🙄~労力は原価に入らないの❓🤔~

《BSの番組で、作った物を、500円なら買ってやってもいい、と笑われました。悲しくて、、、、手芸は材料費しか見られないからなあ。なにか一つでも作ったことのある人ならわかるのになあ。本出すのに、こりゃ困ったぜ》

共感するなぁ🤔。光浦靖子さんのこの気持ち。

 

そうなのよ👋😌。

 

物を作った労力とか時間ということを考えず、原材料費がそのものの価値だと考える人が結構いるのよね😥。困ったものだ😥。

 

私は値切るのが好きではない。

 

まぁ、大阪人の「いくら勉強するか」と商売人に聞くのは、文化だしコミュニケーションでもあるから良いと思うけれどね😅。

 

量販店で値切るのは有りかもしれないが、零細店や屋台では値切れないなぁ🤔。

 

でも、零細店や屋台の方が値切った方が良いかもしれないが。だって特に外国では吹っ掛けてくるというからなぁ🤔。値段を半分に値切っても、まだまだ儲けがあるようで😓。

 

貧しい国だったら、値切らないことよね。例えば、タクシー代をケチったらとんでもないことになるよ😨。「エクアドル 新婚旅行 タクシー 射殺」と検索すると出てくるわ😔。料金が高くてもチップと思えば良い。

 

と考えていたら、「割高感」って何だろうって、ふと思ったのよね🤔。

 

山の麓と山頂では、飲み水の価値が違う。麓より頂の方が価値があるだろう。だって山頂には水がないし、山を登ってきた人の喉の乾きを癒すから😄。だから、山の麓から頂上に水を運び水を売る。麓で一本100円だったものが200円にしても文句はないだろう。値段に文句があるなら自分で水を持ってくればよいわよね😌。

 

物を移動させると、同じものでも価値が異なってくるのよね🙄。その性質を使ってお金儲けをするのは今の日本ではやましいことではないわ😄。

 

テキ屋がお祭りでりんご飴を売っている。りんご飴の原価は100円に満たないという。それを400円で売っていたら、あこぎな商売をしていると考えるかな🙄。

 

考える人は多いだろう😔。

 

あこぎと考える時点で商う人を蔑んでいると私は思うのよ🙄。

 

商売するには、大量に仕入れるのよ。大量に仕入れたのだから、1個当たりの原価が下がって商売人が儲かるなんて考えるのは短絡的よね😎。

 

売れ残る可能性があることを考えないのかしら😓。売れ残って赤字になるリスクがあるのよ😨。

 

5万円でりんご飴の材料を仕入れたとしよう☝️😄。

 

1個当たりの原価が100円だとしたら、500個のりんご飴ができる。それを400円で売ったとしよう。全部売り切ったら15万のもうけ。

 

すご~い😄。

 

でも、そんなに甘いものでもないわよ😌。

 

お祭りの期間は短い。だからお祭りがやっているところをあちらこちらといかなくてはならないだろう。移動にお金がかかれば、人を雇えば人件費もかかる。電気代だってばかにはできない。屋台の機材、りんご飴を作る機械にだってお金がかかる。

 

経費はそれだけかしらね❓🙄。

 

場所代やお祭りの組合費もあるわね。こう考えると、経費がかなりかかるのよ。それに食べ物は日持ちしない😓

 

原価が安いと思い、ぼったくられていると感じたら、自分で商売をしてみたらいいとは言わないが、自分で商売をすることを考えてみるといいわ☝️😄。

 

売れ残りのリスクや経費以外に大変なことは、例えば夏なら炎天下の中で、冬なら寒さに凍えながら、一日中外で売るのよね😅。私にはできない。

 

それに収入は不安定だわ😌

 

こう考えていくと、価格が高いなんて私は思えなくなってくるのよね🙄。

 

それならば、りんご飴やかき氷、ヤキソバ、たこ焼きなどを家で作れば安くすむか。

 

それでは満足しないのよね😌。

 

だって外で飲んだり食べたりするのって楽しいじゃない😄。

 

例えば、海の家のラーメンって何だかインスタントラーメンのようなのに値段がはるけれど、海に入った後にあの場所で食べるのが良いわけで😋。

 

そういった付加価値を考えるのって大切だと思うのよ。おカネを出すときは😄。

 

なんかね。マルクスさんがいう物神崇拝に抗いたいのよ😎。

 

ある商品を見て、それを高いと感じるとき、その商品ができるまでの過程に思いを馳せていないというか、その商品ができるまでの人の手間を考えていないというか…。

 

商品よりもお金そのものに価値があると考えがちなような気がするのよね🙄。なんかうまく説明できないけれど😌。

 

明らかに暴利を貪っているのは良くないわよ😒。

 

以前、千葉県の海に潮干狩りにバス旅行で行った。バスが停車する駐車場の近くに、潮干狩りに来ている人たちを目当てにしたたこ焼きの屋台があった。

 

帰りにその屋台の前を通ると、妻がたこ焼きを食べたいと言った。

 

海に行くと塩気のあるものがほしくなるのは当然よね😄。

 

暑かったし。ワンコイン(500円)だったし、摘まむには手頃だし、そのたこ焼きを買ったのよ😄。ふつうのたこ焼きのようだった。

 

買って、バスの近くに行き、座ってたこ焼きが入っているたっぱを開けると、たこ焼きが萎んでいた😓。タコは申し訳なさそうに切れ端が入っているだけ😓。その上、2つは「焼き」だった。分かるかしら❓「焼き」って😌。

 

タコが入っていなかったってことよ。たこ焼きにタコがなければ「焼き」でしょ😅。

 

これはひどい商売だなぁって思ったよ😥。買う客は全て一見さんだし、リピーターになってもらう必要はない。まぁ、文句も言ってこないだろう。こんな商売をする奴は893ものだろう。いや、893にもなれないチンピラかもしれん。クレームつけてもなんの得にもならないし、溜飲を下げることもできそうもないから、まぁ、観光地の屋台なんてそんなものだと言い聞かせた😣。

 

ほんとはダメなのよ。こんな考え方は😔。

 

観光地の多くの屋台は真っ当な商売をしていると思う。こういった一部の不届き者を見て、全てと語ってはいけないが、そういう悪い印象を持たれてしまうものなのよね。だから商売って難しい😌。

 

値段がつけられた商品の背景を考えて、その値段が適正かどうかを見極めたいわ😄。

 

サービス業は商品自体をもらっていない。ものをもらっていないのにお金を払っているのよ😅。

 

床屋にいけば、髪を切ってもらってお金を払う。手元には何も残っていない。

 

りんご飴を買えば、手元にはりんご飴がある。

 

床屋に「原価が安い」と言って不満にならないが、りんご飴は「原価が安いのに割高だ」という不満になることがある。

 

なぜかしら❓

 

かき氷もそうよね🙄。水とシロップだけなのにって。

でも、販売機でお水やお茶を買うわよね🤔。そのときに「割高だなぁ」って感じて買う人は少ないと思う。

 

割高感ってどういうときに出てくるんだろう❓🙄

「自分でやれば安くすむのに」と思えるものは割り高く感じるのだろう。家で自分でやれば安くすむけれど、そこで買うから楽しく美味しいわけで、家で作ることとそこで買うことは別物なんだけれどね😅。

 

相対的な価値(麓と頂の水の例)や経費、労力、満足度(りんご飴と海の家のラーメンの例)を考えると、割高感って少なくなるかもしれないね😄。

 

付加価値を意識するのも大切ね。

 

特に海外観光旅行中は「割高である」と思っていた方が無難かも。下手に値切ったり、けちると命を狙われるよ😨。

 

これを偏見だという人は、日本しか知らない観念的進歩主義者かもしれないね😎。