つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

店先の貼り紙~商人と屏風は直ぐには立たぬ~

さて、観光地のお土産屋さんの店先にこんなら注意書が貼られていた。

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お買い上げしないオモチャを遊んで壊してしまう方がいます。

あまりにもキズがひどい場合、弁償していただく事もあります。「子どものしたことなのにお金をとるんですか?」とお怒りになられる方もおられます。お子様は悪気があってこの様な事をするとは思っておりません。なので、大人の方がお子様を見ていてあげてください。

 

ふむ🤔。

色々と考えさせられたわ🙄。

皆さんは、どう思いますか。

 

言わんとすることは正しいと私は思う🙄。

 

店先の商品は遊具ではない。商品である。その商品で子どもに遊ばせるのも良くない。それを壊したら弁償するのは保護者である。

 

それは正しい。

 

商品を子どもに壊されて、店側がその保護者に弁償してほしいと言って、保護者が「子どものしたことなのにお金をとるんですか?」と言うなんて、その保護者に対して私は唖然とする😨。子どもがしでかした不始末を子どもに対して弁償するように求めているわけではない。その保護者に対して求めているのである。

 

「はい、あなたの子どものしたことだからこそ、その保護者であるあなたに弁償を求めているのです。」

 

ぐらい、その保護者に言ってやりたいわね😒。

 

あぁ、商売するって大変なんだなぁとお店に同情してしまった。

 

でも、しばらく立つと、「あれ、お店側の責任ってないのかしら」と思うようになっていった🤔。

 

いえね。保護者の責任が軽くなるって訳ではないのよ👋😔。

 

弁償というか、子どもが壊した商品を買い取るのは当然だと思うのよ。

 

でもね。幼児が手の届くところに商品を並べるのもどうなのかしらって思うのよ😓。

 

そうか☝️😌。お店の「責任」ではなくて、「配慮」よね。言い直すわ。

 

「あれ、お店側の配慮っていらないのかしら」

 

 

「子どもに悪気はない」と分かっているのなら「子どもは無邪気」と言うことよね🙄。その無邪気さにつけ込むように、子どもというか、お店は幼児が欲しがる商品を幼児の目の高さ以下に並べているのよね🙄。

 

まぁ、商売なんてそんなものなんだろうけれど😌。

 

もう、40年近くまえのこと。

 

私の家の近所にパン屋さんが出来た。そこに住むお婆さんが自宅を改装して、「パン屋を開きたい」という自分の夢を叶えたそうだ。そのパン屋の前の通りは小学生の通学路にもなっていた。私は時々そこのパン屋に買い物に行った。

 

1年後、そこのパン屋の店先にガチャガチャがおかれようになった。

今は、100円が相場で、高いものだと300円なんてものがあるが、当時はほとんど20円だったのよ😄。100円のガチャガチャは超高級だった😳。

 

そんなガチャガチャを置いたら、その店に小学生の母親たちからクレームが沢山きたそうだ。

 

「通学路に、子どもの誘惑物を置くな」と。

 

そんなクレームがあったことは当時、小学校低学年の私は知らなかった。後で誰かからか聞いたのよね🙄。母だったかしら。姉だったかしら。友達だったかしら。そこは曖昧な記憶ね。

 

そのパン屋は3世代で住んでいて、そのお婆さんの孫が私と同世代だったのよ。そして、彼がガチャガチャの景品を見せびらかしていたのは覚えている😌。

 

その後、ガチャガチャは撤去された。

 

あの貼り紙を見て、ふとそんなことを思い出した。今の常識から考えると、ガチャガチャを店先に置いただけで、そんなクレームがたくさん来るなんて理不尽だなぁとも思うが、子ども相手の商売には子どもに対する配慮も必要だとも思うのよ🤔。

 

あと、レジの前の商品にも頭の中で繋がったわ。

 

私はレジの前の商品は買わないようにしている😎。その商品を買うという意思が元々あるのなら買うが。

 

スーパーで乾電池なんかが置いてあるけれど、レジで並んでいて、ふと思い出したかのように乾電池に手を伸ばして買うことをしないわ。その時に買いたいと思ったら日を改めるようにしている。そして、チューにもスーパーなどのレジ前の商品を買い与えなかった。

 

嫌なのよね。店の魂胆が見え見えで😅。だって衝動買いさせるように仕向けているんでしょ😌。でもね、私が商売をしたら、レジ前に商品を置くわよ~😎。

 

店先のあの貼り紙を読んで、半日考えていたわ。頭の片隅に引っ掛かったのよね。

 

幼き日のガチャガチャの思い出やレジ前の商品が頭をよぎり、あぁ、オモチャを壊した子どもの保護者が弁償するのは当然として、あの貼り紙をするのは商売人として失格なのかもしれないなぁと思うようになってきたの😓。

 

そんなに被害があったのかしら。被害が多いのなら、そこに商品を置かなければ良いという考えもある。また、そんな貼り紙をしてまでそこに幼児のおもちゃを置いて売りたいのなら、それだけのメリットがお店にあるのかしら🙄。

 

商品棚にこんな張り紙が貼られている商品を買う人はいないんじゃないかなぁ🙄。だってこの貼り紙を読んで気分が悪くなると思うのよ。少なくともよい気分にはならない。不特定多数のお客を相手にするのなら、どうせ貼るなら通行人やお客の気分をよくする貼り紙を貼らないとね😌。

 

まず、文が良くない。こんなに長々と相手を責める文を書く意図は何なのだろう🤔。

 

そういえば、自分の理を長々と論文調に6万字も書いた方もいるのよね😌。それに比べたら、全く長くはないか😅。

 

貼り紙をするのなら「大切に扱ってくださいね。」と書けば良いだけだし、それじゃ不安なら、せめて「壊したら購入していただきます。」と書けばよい。

 

それに、この貼り紙は幼児の目の高さに貼られているのよ😨。

 

この貼り紙は保護者に読んでもらいたいんでしょ。だったら、保護者の目の高さに貼れば良いのに。私はかがんで読んだわ😅。

 

最初の2文以外の情報を誰に対して訴えているのかしら。

「子どものしたことなのにお金をとるんですか?」とお怒りになられる方もおられます。お子様は悪気があってこの様な事をするとは思っておりません。なので、大人の方がお子様を見ていてあげてください。

この部分は、もう、感情むき出しなのよね😓。

お子様は悪気があってこの様な事をするとは思っておりません。なので、大人の方がお子様を見ていてあげてください。

って変な文なのよ☝️😅。

 

一文にすると以下のようになる。

お子様は悪気があってこの様な事をするとは(私は)思っていないから、大人の方がお子様を見ていてあげてください。

要約すると、

子どもが悪気があると私は思っていないから、大人の方が子どもを見ていてあげてください。

となる。

 

「大人が子どもを見てやる理由が、子どもが悪いと私が思っていないから」ってどういうことなの❓🤷‍♂️。

 

理屈が通っていないということは、感情的である可能性が高いのよ😔。

 

なんか、私が揚げ足とりのようよね😌。でも、この貼り紙を読んで、何となく嫌だなぁと思った方は、何となくお店の負の感情(怒り)を感じているということよね🙄。

 

さて、私がこの店の主人だったらどうするか🤔。

 

まず、店先に負の感情を貼るようなことはしない。負の感情は負の感情を生むから、お客が来なくなってしまうしね。

 

サンプルを置くかしらね🙄。そして、「見本でためしに遊んでくださいね。そして、楽しかったら、買って家で遊んでね。」と書く。商品は大人の高さに置くかなぁ。

 

貼り紙の言おうとしていることは正しいと私は思う。しかし、商売は正しいことが正しくないこともあるんだよなぁ🙄。

 

と考えて、私の仕事を省みた。私は塾の講師だ。教育サービスを提供する商人だ。

 

教えている内容は正しくても、指導の目的は正しくても、子どもに通いたいと思わせないといけないんだよなぁ😌。

 

くそ真面目な指導は、やろうとしていることは正しくても、正しくないのかもしれないぞ😓。反省、反省。

 

商人と屏風は直ぐには立たぬ😄

塾講と屏風も直ぐには立たぬ😅

夫と屏風も直ぐには立たぬ😎

 

お後がよろしいようで🙇

次の方のブログをどうぞ👋😁