つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

カタカナ語の氾濫~こんなに多いと溺れちゃうわよ😰~

「分からない横文字が多くなったわね。」と、テレビの報道番組を見ている老母が言う。

 

①エビデンス

②エッセンシャル

③ベネフィット

④インバウンド

⑤デメリット

⑥バイアス

⑦キャパシィテー

⑧モール

 

報道番組を見ていたら、出るわ、出るわ、横文字が😅。この言葉の意味を正確に分かって聞いている視聴者は何人いるのかしら🤔。

 

会社の上司が

「このタスクにはリソースマネジメントが大切だ。プライオリティを考えて進めなさい。時間が来たから、この話は一旦ペンディングにしよう。」

と言ったとしよう。

 

訳わからん🤷‍♂️。

でも、ベンチャー系やIT系の会社だったら、あり得そうよね🤣。

 

本当、横文字だらけで話すのって、バカ丸出しのように思えるのよね😅。でも、そういう人に限って、年収が高いのよね😌。

 

と、横文字をいれる人を野次ったが、こうだったらどうだろう❓🤔

 

彼女が

「ダイエットでジムにトレーニングに行って、結構効果があったんだけれど、リバウンドしてしまったわ。」

と言ったとしよう。

 

こう話す彼女に「お前、横文字ばかりでバカ丸出しだな」って指摘しないし、思いもしないわよ🙄。

 

シチュエーションが違うわよね👋😄。って、私も「シチュエーション」というカタカナ言葉を使っているわ😌。

 

前者は

タスク

リスクマネジメント

プライオリティ

ペンディング

後者は

ダイエット

ジム

トレーニング

リバウンド

使っている外来語は4つ。どちらも同じ、でも印象は、前者は鼻持ちならないわ😄。前者の方が後者よりよ違和感があるのよね🤔

 

何でだろう❓🤔

前者の外来語(タスク・リスクマネジメント・プライオリティ・ペンディング)は分かりにくいからかしらね🤔。

 

でも、後者の外来語(ダイエット・ジム・トレーニング・リバウンド)だって、これらの言葉も日本に入ってきた頃は目新しく、分かりにくい言葉だったかもしれないしなぁ🙄。

 

日本語で言ったらどうなるかしらね🤔。

 

「この業務(タスク)には資源管理(リソースマネジメント)が大切だ。優先順位(プライオリティ)を考えて進めなさい。おっと、時間が来たから、この話は一旦保留(ペンディング)にしよう。」

 

「生活習慣の改善(ダイエット)で屋内訓練施設(ジム)に訓練をし(トレーニング)に行って、結構効果があったんだけれど、生活習慣の改善で体重が減ったけれど元の体重に戻っ(リバウンドし)てしまったわ。」

 

こう比較すると、前とは逆に、後者の方が前者よりも違和感があるのよね🙄。少なくとも私は違和感を持つ。

 

この2つの比較から言えることは、その外来語が多くの日本人の共通認識になっているかどうかの違いということかしらね🤔。

 

テレビ番組に出演して解説する専門家やコメントするタレントたちは、公共の電波で国民の共通認識になり得ていない言葉を使っているのよね。お役所も好きよね。ノーマライゼーションとかアセスメントとかモラルハザードとかマニフェストとか…。

 

何かね🙄。

 

カタカナ語が公文書に多いということは、海外、特に欧米に対するリスペクト、言い換えるとコンプレックスが日本人にはあると思うのよ。

 

海外から取り入れたものだから、その取り入れたものを指す言葉もそのまま使う。日本の伝統的なものは古い、世界の潮流と違うと言って見下し、海外から入ってくるものは先進的って言って盲従する。

 

具体的な例は考えてね😅。書くと問題になるものあるから😎。私は理性的な右利き思考なのよ😁。

 

海外から入ってきたものを日本語にして、よく意味の分からない言葉になっているものもあるからなぁ🙄。

 

和製漢語なんて良い例ね。

文明、経済、宗教、理性、主観、客観、科学等々。哲学もそうよね🤔。抽象的な言葉が多い気がするわ。

 

明治期に入ってきた欧米の抽象的な言葉が和製漢語に多いとしたら、それまでの日本人は抽象的な言葉がなかったということよね。抽象的な言葉がないというとこは、抽象的思考力が弱いということじゃないかしら🙄。少なくと欧米的思考力は弱いのかも。

 

ノーマライゼーションという概念がなく、日本に取り入れたから、ノーマライゼーションというカタカナ語を使う。

 

ジェンダーフリーという概念を自国で考え出せないから、海外のジェンダーフリーの思想と言葉をそのまま日本に取り込む。

 

欧米人は、例えばノーマライゼーションもジェンダーフリーも、その根底には歴史的な背景と理解がある。うまく言えないけれど、その土台があるのよね。人権思想だとか啓蒙思想だとか、そういったものが骨の髄まで染み込んでいる。

 

日本人はそれを上っ面だけで日本に取り込もうとするから、無理解や軋轢が生じる。

 

人権も存在しないものだから必要ないというような考えになる人もいる。

 

日本で生まれ育った者は日本語でものを考えるんだから、本当に定着させたいのなら、日本語に置き換えた方が良いように私は思うのよね🙄。

 

あらまぁ、母のちょっとした一言が、こんな話になっちゃった。考えすぎだわ。私が考えても世の中は何も変わらないのに😅。

 

そして、私も普通にカタカナ語を使っているわ😌。シチュエーションとかリスペクトとかコンプレックスとか。自分のことを棚にあげるってこういうことをいうのかしらね😅