つれづれなるままに

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「令和で言う女性の生き方ではない」って言われても🤔~個人は時代に合わせなくてはならないのか~有吉さんと夏目さんの結婚~

有吉さんと夏目さんの結婚についてはあまり語らないと決めていたんだけど😅。だって斜に構えたハングリーな有吉さんに魅力を感じていたから、魅力半減ね。結婚しても良いんだけど😓。結婚するとファンをやめる人の気持ちが少し分かったわ😌。こちらブログで打ち止めようと考えていた👋😌

 

でも、こういう記事を読むと、口がムズムズではなくて、右の親指がむずむずしちゃうのよ😎。

 

 

良いじゃん、幸せに2人で決めたことなんだから😥。

今回の引退報道に関しては、「金銭的な余裕があるのであれば良いよね」いう、ある種“昔ながらの家庭像”を支持する声が大多数を占める一方で、「報道に関わる人間が結婚引退というのはどうなのか?」といった、女性活躍を推進する一部層からの批判の声もあったようです。

女性の活躍って義務なかしら🤔。まぁ、一部の層だというけれど、そういう一部の層がいるから、男女平等を感情が妨げているとも言えるような気がするのよね🙄。

 

結婚して、どちらか一方が家庭に入るのはいけないことなのかしら。それこそ、そんなのカラスの勝手でしょ、いや、個人の勝手でしょ😑。勤労は義務だから、専業主婦は違憲だっていう人がいるかもしれない🤔。

 

そんなことはいよ👋😅。

 

労働は権利でもあるんだし、納税の義務と勤労の義務を同じ義務と考えてはいけないぜ😎。ここは法律家に説明を譲ろう😁。

 

 

報道に関わる人は結婚して引退するという個人的な選択ができないとしたら、それこそ人権を侵害しているぞ❗️💢

 

次に、この記事の筆者が持った違和感について。

筆者が覚えた違和感はそういった思想の問題ではなく、あくまでもパートナーシップの建設的な構築を考えたとき、「すれ違い防止のために妻が引退して時間的余裕を持ち、多忙な夫のリズムに合わせる」という選択が、全然合理的に見えない点なのです。

違和感を記事で言及することは良いと思うわ😄。2人の選択が合理的に見えないのも良い。

 

でもね、そんなの合理的じゃなくて良いのよね😅。そんなことを言ったら、結婚すること自体が合理的ではないじゃないか🤣。

 

結婚も離婚もその前提は理屈ではなく感情が主な原因よ。

 

結婚はパートナーは1人と束縛される。その束縛って合理的なの❓🤔

 

離婚も経済的にやむ終えずってものもあるけれど、離婚や離婚後の労力を考えると合理的じゃないことが多いこともあるわよね😌。

 

言いたいことは、合理至上主義が息苦しい。

 

ある人からこう命ぜられた。

「10000円を渡され誰かと2人で分けなさい。その際に相手にいくら渡しても良いが、相手に受け取りを断られたら、10000円は返してもらう。」さて、あなたはいくら相手に渡しますか。

 

合理的な答えは「相手に1円渡す」何だって🤣。理由は相手は1円でもただでもらえるのなら断る理由がないからだとか。

 

昔読んだ本なので、理由は間違っているかもしれない。でも、1円だったら「そんなもの要らねーよ」となる可能性もあるわよね。私だったらそうするわ😎。それは感情の問題だけれど、相手も合理的な判断をしてくれる保証はないし、それに「合理的」って何なのよ🤔。合理的を語るとき、それは自分の理屈に合っているだけということが多くないかしら🤔。

現在の活躍への道をたどると、彼女には1本芯の通った強い女性という印象を抱きがちですが、実は愛しい男性にかなり自分を合わせてしまう、古風な気質の持ち主なのかもしれません。

それか、「私はもう働きたくないから、アンタがしっかり稼いできなさい!」と裏でカカア天下っぷりを発揮するタイプかも(笑)。

どちらにせよ、令和で言われる女性の生き方とは、少し違う。

なにはともあれ、その選択の答えは、2人の夫婦の形が時間と共に示してくれるのでしょう。

何だかなぁ🤔。

何か上から目線よね~😥。というか、私もブログで上から目線なんだけれど😅。

 

令和で言われる女性の生き方ではないって何かしら❓

 

あぁ、こういうことを言われると息苦しい😥。

 

個人は時代に合わせなくてはならないのか。確かに現代で言われる女性の生き方とは違うかもしれない。でも現代で言われる女性の生き方が女性の生き方を、そして男性の立場を息苦しいものにしている可能性もあるかもしれないよ。だって、それは「~べき論」だもの😔。

 

結婚したら女性は家庭に入るべきだというのは昭和の価値観だとしたら、令和の価値観は「結婚して家庭に入ったら回りから後ろ指を指される」というものかしら。すると結婚しても外で働くべきだとなるわよね😓。

 

それが他人に迷惑をかけないものなら、個人の判断として尊重されるというものじゃないかしら🤔。

 

まぁ、私は「皇室は別物」というダブルスタンダードの持ち主だけれど😌。皇室は税金で成り立っているから、皇室の方々の個人の判断を尊重したいのなら、皇室という制度をなくすか抜け出すかしないとねという考えなのよ😔。

 

この結びはなんじゃこりゃ😨

なにはともあれ、その選択の答えは、2人の夫婦の形が時間と共に示してくれるのでしょう。

 

「なにはともあれ」って、その言いぐさはなんなのかしら🤔。

 

「その選択の答えは、2人の夫婦の形が時間と共に示してくれるのでしょう。」って何❓🙄。

 

いや~、2人の選択を否定しないとは言っているけれど、何か嫌な感じがしたわ😑。

 

3組に1組が離婚するご時世である。今、自分達が考えていた合理的な判断が、時間が経つと合理的な判断ではなかったと気づくこともある。そのときに「それ見たことか」と思う奴に良い奴はいない。この筆者がそういう人かどうかは分からないが、そういう臭いがしちゃったわ😅。

 

政治で感情的な判断をしたら不味いけれど、愛情という感情が基にある結婚だもの。いくら合理的な判断をしようとも、当事者には感情が入るわよ。それは当然のことだと思うわ😄。

 

それにこの記事の作者は冒頭で

 

「筆者が覚えた違和感はそういった思想の問題ではなく、あくまでもパートナーシップの建設的な構築を考えたとき」

 

と言っているのに、結局は「令和で言われる女性の生き方ではない」と思想の問題にしている。論に矛盾がある。

 

だって令和で言われる女性の生き方って、つまりところジェンダーの思想でしょ。もしくはみんな社会で働くべきだという経済拡大思想よね🤔。

 

社会で働くことに生き甲斐を感じる人は大勢いるだろう。それは素晴らしいことだと私は思う。しかしだからといって、家庭に入る選択をした人を否定的に述べることにも違和感を覚える。

 

彼らは価値観の違いは避けがたいから、すれ違いは潰そうと考えた。その結果、夏目三久さんが引退をしたってことよね🤔。

 

その成功者がいるじゃない。

 

ほら伝説の歌姫。

山口百恵さん。

 

これは昭和の出来事だけれど、人気絶頂のときに三浦友和さんと結婚して、そのまますぐに芸能界を引退した方よ。

 

また、おニャン子クラブの高井麻巳子さんも、人気がありファンクラブを作った矢先に秋元康(この人はあえて呼び捨て😎。私の古くからの読者さんはその理由が分かるかも😁)と結婚して引退した。

 

2組とも離婚せず今にいたっている。なぜこの2組の成功例に言及しないのかしら🤔。昭和の出来事だからかしら。レアなケースって思っているかもしれないわね😌。

 

基本はこの記事の作者の言っていることに私は同意なんだけれどね😅

本当にすれ違いを阻止するために生活リズムを見直そうと思ったら、片方が退職して相手に合わせるよりも、双方が仕事をそれぞれ調整させた方が合理的です。何なら妻が9割仕事を減らし、夫が1割だけ減らすでも良いでしょう。

0か100の判断って危ないからなぁ🤔。夏目さんが芸能界を引退するという0の判断をしたのには、すれ違いをなくすということ以外の理由があったかもしれないのよね🙄。だけど、その理由を言うのは憚れるから、「すれ違いをなくす」ことを方便にしたのかもしれない。だって過去の妊娠報道には一切触れないし、いじらないという闇があるんだもの。額面通り受け取らない方が正解かも。

 

 

他人のおめでたいことなんだから、何を言っても「めでたいね」ですませりゃよいのよ😄。それを「その選択の答えは、2人の夫婦の形が時間と共に示してくれるのでしょう。」って、何か「復帰」や「離婚」をしたら、してやったりという物言いに私は違和感があるわ😎。

 

まぁ、有吉さんも夏目さんも影響力のある方だからそう書かれても仕方がないのかなぁ😌。