つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

流行っていないのに息の長いお店🤔~眼鏡店👓と家電店💡~

どうやってお店を経営しているんだろう❓🤔。

 

最寄り駅の商店街の眼鏡屋さん。時計の修理もやっている。その店の前を通るとお客はいつもいない。奥のカウンターでオヤジさんがボーッとしている。

 

たまにうちのチューの時計を直してもらう。でも、いつも修理代をもらおうとしない。それでは申し訳ないので、何か小物を買って帰る。

 

どうやってお店を成り立たせているのだろう❓🙄。確かに眼鏡一つの値段は高額だ。高価なフレームが並んでいる。1つ3万円から5万円といったところか。安くても1万円以下はなさそうだ。

 

眼鏡量販店に行けば安いフレームがいくらでもある。フレーム2本目は2000円なんてところもある。

 

そのような安価を売りにしたお店がある中、正直に定価(って今はないのかな)で売っているように思う🤔。

 

私は「定価」肯定派☝️😄。高額すぎるのはいけないと思うが、格安競争は労働環境を悪くすると考えるから。過去も今もこの世は住みづらい。今の世の住みづらさは、この格安競争かもしれぬ。サービスも含めて商品の価値が下がるということは、労働の価値も下がるということよ。自由競争が適正価格にするなんて神話よ、神話。

 

それに、成果主義、結果主義も労働環境を悪くしている。将来の安心がない中で良い結果を出せるのは、一部の能力のある人よ。私を含めた多数の無能者は、一部の能力ある者を基準にした会社にいいように使われるのが能力主義。だから、世界の価値観が必ず正しい訳じゃない。しかし、資本主義の価値観としては正しいと言えるかも😌

 

ここの地主かしら❓。どうもそうではなさそうなのよね🙄。

 

でも、この眼鏡店は私が幼いときからあるからなぁ🤔。他の店はコンビニになったり、居酒屋になったり、病院になったり、美容院になったり、質屋になったり、お菓子のまちおかになったり、百均になったり…。色々と変わっているのよね。

 

地主、もしくは賃貸ではなく自分の店なら、閑古鳥が鳴く店でも廃業しない理由はなんとなく分かる。

 

賃料がないんだから。駅前一等地、1階、駅前にはマンションもある。借りたらこんな狭くても1ヶ月100万円になるかしら🤔。駅前ビルの4階で塾をやっていたときに、坪1万2千円ぐらいしていたようだしなぁ🙄。

 

高額フレームが月に2~3本売れて、修理代があれば、生活が成り立つのかしらね。

 

いいなぁ😄。そんな生活😅。

 

やる気を出させるのが塾の仕事だという。でも、どんな子でもやる気を出させますという謳い文句は嘘に近い。そんな方法があればこんなに塾は乱立しない。

 

塾は千客万来の商売じゃないと思うのよ🙄。入塾試験をして、適性を見て、それらが基準に満たせば入塾させる。

 

千客万来の塾は廃れる。でも、弱小塾は歯を食い縛る体力がないので、千客万来の塾となる。

 

採算度外視で出来れば、自分の目の届く範囲で、余計な業務なく指導ができるのになぁ😅。

 

個人家電店。

こんなに広い店なのに、カタログ販売をしている。近くに小学校もあり、集合住宅もある。ここを塾にしたら生徒が来るのになぁ。店の広さがもったいないし、カタログ販売で家電を購入するお客なんて、そんなにいるのかしら🤔。

 

家電の修理を請け負って、その家庭と仲良くなり、カタログを持ち込み家電を売る。そういうことをしているのだろうか🙄。

 

この家電店も私が物心ついた頃からあるのよね😄。ここの店主が家電の修理に走り回っているとは聞いたことがないわ。

 

もう一方の家電小売店の店主は、家電の修理に奔走している。うちも何度かこの家電店で家電を買ったことがある。量販店のように安くはならない。しかし、気軽に修理に来てくれるのが良かった😄。

 

家電1台売ると、マージンが入ると言う。そのマージンがかなり良いという。でも、外から見る限りは流行っていないのよね😅。

 

流行っていそうにみえない店なのに、閉店にならない理由はなんだろう🙄。って、「流行っていない」と決めつけるのは失礼よね😌。