つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

蕎麦屋で「そば」とだけ店員に言う客を見て🤔

駅の蕎麦屋で、私の右隣に座ったオヤジがカウンターに食券を出して「そば」と一言。左隣に座ったおばちゃんは、無言で食券を出した。彼女に店員が「そばでよろしいですか」と尋ねた。

蕎麦とうどんの食券が同じなのよね。例えば「天ぷらそば」と「天ぷらうどん」が同じ食券なのよ。

 

この2人のお客の対応を見て、思ったことが2つある🙄。1つは客の態度について。もう1つは接客とは。

 

この人たちは、家族にも同じような態度なのかしら❓🤔。「メシ」「風呂」「寝る」なのかしら❓。いや、何も言わずに、動いてくれるのかしら❓🤔。

 

昔は夫の妻への態度がこうだったと聞く。いや、「風呂」「メシ」「寝る」は誇張かもしれないが、男性が女性に強権的な態度であることが多かったことは、事実であろう🤔。

 

そう☝️😄

この一言で相手にやらせるのって強権的なのよね。「自分は相手より上だ」という意識はあるはず。この2人は今、家庭でこういうことをやっているのかしら❓🙄。

 

少なくとも、家族でご飯を食べるときには「いただきます」「ごちそうさま」という。これは料理を作った人や食べ物への感謝の気持ちである。家族の間でも、これが仮に形式的なものであっても、「いただきます」というのが私の常識である。もしくは「ありがとう」と言う。妻は覚えていないと思うが、何かやってもらったときには、「ありがとう」と言うように私は意識している😅。

 

彼らは、赤の他人の店員に対して、強権的な、これが言い過ぎならば、高圧的な、これも言い過ぎならば、上から目線の態度なのよね😌。

 

「あなた、そこは『そばをお願いします。』だろう。」

 

例えばタクシーに乗るときも、私は「○○お願いします。」と言う。不遜な店員やタクシーの運ちゃんもいるけれどね😅

 

一方で、サービス業とは何かを考えさせられる🤔。

 

私の塾は、メールで欠席を伝えることができるシステムを導入した。いくらメールをチェックしても、チェックしたあとで欠席のメールが来たら漏れることがある。うちの塾のオンライン英会話は授業開始前30分を過ぎると振替がきかない。時間になっても生徒が来ないのでメールを確認すると、「あちゃ~、欠席のメールが来ているよ~」ということが起きる。そのときに、「電話で欠席の連絡をしてくれよ」と思ってしまうが、これは接客業として失格だ。なぜなら、そういうシステムを接客側が採用しているのだから、接客側の問題である。

 

と考えると、食券を購入したあとで、そばかうどんか確認しなければならない食券にしている店側の問題であり、わざわざこちらから「そば」とか「うどん」と言わなくても良いということか🙄。

 

いや、これは違うだろう😅。

だって伝えなければ、店側はどちらを出せば良いのか分からないのだから。そういうシステムを知った上で、その食券を購入しているのだから、そばなのか、うどんなのか、どちらなのかを客が言わなくてはならないだろう。

 

では、食券を買うという行為をさせた上に、お金も出しているのだから、横柄な物言いをしても良いのだろうか🤔。

 

これも違うだろう😒。お金を出してサービスを受ける。お金はサービスの対価だ。店側が客に感謝するのと同じように、客も店側に感謝するものだ。それが対価通りのものならば。

 

しかし、対価以上のサービスを店側に求め、お金を出す方が偉いと考える人の多いことよ。お金の物神性ね。お金は万能であり、労働よりも崇高で偉いと信じる。私から言わせりゃ、お金を崇めるのも宗教よ。まぁ、この資本主義の世では金がなければ暮らせないのも事実だが😱。

 

駅に行くのにバスの運賃がかかり、物を買うのにもお金がかかる。自分の家なのに固定資産税がかかる。暮らすだけで金がかかる。

 

人は神に跪く。お金を神としたら、お金に人が跪くことになる。これは、私はおかしいと信じる。信じるからこれも宗教か😅。

 

少なくとも、お金はサービスの対価である。対等である。上下関係はない。だからお金を出しても、サービスしてくれたら私は感謝する。「いただきます」「ごちそうさま」。

 

と長々と書いてきたが、私は蕎麦屋で隣に座ったオヤジとおばちゃんにこう思ったのよ。

「『そばをお願いします』と言え❗️」とね😎