つれづれなるままに

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新つれづれなるままに歴史を語る「日本の近現代史」~その6~戦争の原因はどこまで遡れるか🤔~

第2話から第5話の4回に渡って「統帥権の干犯問題」について話してきたわ😅。

 

こちらから、そのブログを第5話から遡れるよ👋😄

 

この件については、構想では2回で終えるつもりだったんだけれど、その倍かかってしまったわ😅。それに「敗戦の原因」を語るつもりだったのに、戦争に至る経緯になってしまったわ😌。

 

戦争への経緯を語るのも、敗戦の原因を考えることになるわよね😉✨。

 

そうそう。このブログの中で「敗戦の原因はこれだ!」って言わないわよ~😎。

 

だって、このブログのタイトルは「新つれづれなるままに歴史を語る『日本の近現代史』敗戦の原因を考える」だもの😁。みなさんもそれぞれ考えて見てね😉✨。

 

「統帥権の干犯問題」は、日本の軍国主義化のターニングポイントだった。

 

そう☝️😄

ポイントなのよ。敗戦の1945年を起点とすると、「統帥権の干犯問題」は1930年であり、敗戦の約15年前よ。

 

その「統帥権の干犯問題」を語るために第一次世界大戦後の日本についても語ったわ。第一次世界大戦が終わったのが、1918年だから、敗戦から約30年前よね。

 

いや、日清日露戦争にも少し言及したわ。日清戦争が1894年だから、敗戦の約50年前ね。

 

こう考えていくと、敗戦の経緯や背景、原因の1つである「統帥権の干犯」を探るのに、50年のスパンで考えなくてはならなかったのよ😌。でも、遡るのが50年では短い。敗戦の原因、いや戦争の原因はもっと前に遡れるのよ☝️😄。

 

こう聞いて、ピンときた方は、かなりの歴史通😎

 

明治初期と昭和初期の政府や軍部内のパワーバランスは変わったといえ、薩長の影響力が大きい政権であることは変わりがない。

 

また、破綻したが、現政権党は、戦前の政府を引き継いでいる。ナチスと決別した現段階のドイツとは異なる。


現在の政府が戦前の政府を引き継いでいるか否かの問題は置いておく。敗戦は明治維新政府が破綻したとも言えるだろう。

 

戦争や敗戦の原因には、色々なアプローチがある。

 

世界情勢から考えてもよいし、日本の思想の特徴から考察しても良い。大日本帝国憲法の問題もあるだろう。思い付くままに書いていくので、まとまりがなくなるかもしれない🙇。それにね。どこから話始めるかもポイントなのよ。前回は「統帥権の干犯問題」にテーマを絞ったけれど。

 

う~ん🤔

 

そこで思い当たったのが、軍事の鬼才「石原莞爾」。

 

 

石原莞爾は関東軍作戦参謀である。柳条湖事件や満州事変の首謀だ。東條英機と対立し、出世街道から外れた。

 

戦後、石原莞爾は、連合国軍から東京裁判に出廷を命じられた。反東條という立場だったことが幸いし、戦犯にはならなかった。

 

東京裁判とは、第二次世界大戦の戦勝国が敗戦国を、法的根拠に乏しいというかほとんどない中で裁くという、戦勝国のリンチであったとも解釈できる裁判である。だって、例えば「平和に対する罪」というものを新たに作って裁くんだから、おかしな裁判だ。

 

だって例えば今「喫煙罪」が成立したとしよう☝️😓。

 

私は今はタバコを吸っていない。しかし、20年前はタバコを吸っていた。だって当時は「喫煙罪」がなかった。今できた「喫煙罪」という罪で逮捕され、死刑になったら理不尽だろう。だって、当時はそんな罪がなかったんだから😱。

 

「平和に対する罪」という考えは、その後の世界に大きな影響を与えた。国際連合の安全保障の基本的な考えとなった。それは素晴らしいことだ。しかし、後から罪を作って当てはめて裁いちゃいけないよ😣。

 

しかし、日本人は、現代でも自浄力の欠けた国民である。情けないことに、外圧がなければ、自浄できないのである。

 

あの裁判はその後の日本のためになった点もあり、日本のためにならなかった点もある。

 

ほんの一握りの不労所得を得る藤原氏を中心とする朝廷の支配から、武士は独立した。その独立戦争が源平の戦いから承久の乱までの戦いである。しかし、これは一般の民の戦いではなく、武士という階級が起こした独立戦争だ。

 

お国の役人(貴族)の脱税システムである荘園制は豊臣秀吉の検地まで続くのだが、一応その荘園制の矛盾は解消に向かった。それ以後、約700間、武士という階級の中での政権交代が続いた。

 

幕末にしたって、黒船が象徴する外圧があって、武士の政権を打倒した。

 

戦後の民主化も外国との戦争に負けて実施された。

 

維新政府から軍国主義への流れは、私は必然だったと考えるのよ🙄。そして、あの無謀な戦争も必然であったろう。その軍国主義を私たち日本人は自浄できなかったろう。

 

だって天皇を残し続けた民だから。

伝統と権威に弱い民だから。

 

多大な犠牲を払ったが、あの戦争は日本の歴史の流れからすると必要だったのかもしれない🤔。

 

世界に迷惑をかけなければ、今の日本はなかったのかもしれないと思うのよ。

 

でなければ、今はあの頃よりも深刻な軍国主義が日本に蔓延っていたと考える。その理由は後で語る予定よ。

 

理性ではそのような結論に達するけれど、あの東京裁判は、戦勝国の敗戦国に対するリンチ裁判だったという解釈は私の中では揺るがない。

 

いや、反論があって結構よ😔。歴史って事実と解釈だから。私の考えで至らないところや欠けたところがあり、日本をどうしても悪者にしたい人たちからすると受け入れられない考えだろう。

 

それでも良いの。

 

私はあの戦争は肯定しない。柳条湖事件なんて、どう考えても陸軍の思考回路がいかれているから。しかし、その満州国の立役者である石原莞爾という軍人には一目を置く。

 

彼は連合国軍から極東軍事裁判に出廷を要請された時に「俺は病気だ。話が聞きたいのなら、おまえたちがこい。」と言ったそうだ。

 

不遜よね😅。でも、負けてもそのくらいの不遜さがないとなめられるのよね😌。

 

東京裁判を東北地方まで出張させた。負けたからといって、勝った相手に媚びる必要はない。

 

裁判での発言も見物である。

 

「不思議に耐えないことがあるのだ。この戦争は、全て満州事変を発端として起こったことだ。これは違うか?」と彼は裁判長に言った。裁判長が「その通りだ」と答えると「満州事変を起こし満州国を作ったこの俺を、なぜ戦争犯罪者として裁かないのか。」と尋ねた。

 

いや~、しびれるね😳。この不遜な矜持😄。

 

私は、彼が満州事変を起こした行為が正しいとは思わない。この責任者としての矜持を賛辞する。

 

彼は「アメリカは日本の戦争責任をいつまでさかのぼるつもりか」とも裁判長に尋ねた。

 

裁判長が「日本の侵略戦争全てを裁きたい。日清、日露戦争まで裁きたい」と言った。

 

なんじゃそれ。私でもふざけるなと思う。しかし、私はどう反論して良いのか分からない😥。彼は反論した。

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃぁ、ペリーを連れてこないといけないな。鎖国していた俺たちを無理に開国させたのは、お前らだろ。」

 

裁判長は動揺した。

 

そして「質問に対し、イエスかノーかで答えてもらいたい」と言ったというそうだ。

 

裁判長が氏名と満州事変の時の身分を尋ねたとき、彼は「イエス・ノーかで答えられない」とやり込めた😎。

 

石原莞爾の裁判での様子は、痛快なところがまだあるが、これくらいにしておこう。

 

私は、彼が痛快だったことを取り上げたいのではなく、「日本の侵略戦争全て、日清、日露戦争まで遡って裁きたい」と裁判長が言ったことに対して「ペリーを連れてこい」と言った、その歴史観である。

 

日本の侵略戦争を遡って裁くなら、満州事変までだろう。「侵略は悪」という概念が世界の認識となり始めたのが、1928年のパリ不戦条約だ。

 

しかし、自衛のための戦争は認められ、「侵略」の定義が曖昧だった。当事国の自国裁量権に任せられた。つまり、その国が侵略戦争だと言えば侵略戦争となり、自衛戦争だと言えば自衛戦争となるのだ。これが正義かはどうかは疑問であるが、これが世界の常識なのである。負けたからと言って、あの戦争を自分から「侵略戦争だった」と認めるのは、ばか正直なのだという考えも一理であるのだ。私がその考えに賛成するか否かは別にして、そういう考え方があるということは知っておいた方が良いわ。

 

東京裁判は、日本のパリ不戦条約違反を根拠にしたが、ソ連は満州事変の前に満州を侵略しているのよね。

 

まぁ、書いていったらキリがないが、国際紛争や戦争って、どれも「自衛のため」にするもので、「侵略国」であると認めなければ良いのよ。

 

しかし、何だかんだ言っても、戦前の指導者達は、戦争をして国を滅ぼしたことには違いない。

 

風が吹けば桶屋が儲かる。

ペリーが来れば、満州事変が起きて、太平洋戦争となる❓🤔。